サイレンススズカ:私の走る理由   作:あーふぁ

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3話

 そうして時間が経ち、2月1日のよく晴れた日。

 今日はサイレンススズカの初レースだ。

 コートを着こんで、ショルダーバッグを肩に下げた俺は電車で初めてのレース場へとやってきた。

 レース場は人が多く、皆がきらきらと輝いた目でレースが始まるのを楽しそうに待っている。

 そんな中をうろつきながら、食事をする店が多いなとか、レースを見るスタンドが多くあって、指定席や自由席があり、場所の違いによってどう見えるかに困惑していた。

 でも前もってスズカが書いてくれたメモに従い、まずはパドックと呼ばれるところに行く。

 ここはレースに出走する前のウマ娘たちが、それぞれ自分の健康状態を見せる場所らしい。

 

 そのパドックは、ファッションショーでモデルさんたちが歩いて姿を見せるのと同じようなステージになっている。

 多くの人がウマ娘を待つように俺も同じくやってくるのを待つが、ちょうど時間だったらしく、パドックの入り口にある赤い垂れ幕が上がってウマ娘が出てくる。

 そこにいたのは1番のゼッケンをつけたサイレンススズカだった。

 いつもの感情が分かりづらいクールな顔には、少し緊張の様子が見られる。

 半袖短パンの体操着を着ていて、その上には長袖の上着を肩にかけるようにしていた。その状態でステージの一番前まで歩いてくると、上着をかっこよく投げ放つ。

 投げる動作だけでかっこいいと思ってしまう。その時に一瞬だけスズカと目が会った気がしたが、すぐに背を向けて戻っていった。

 普段の頼りなさと、ここでのかっこよさのギャップに惚れてしまいそうになる。あの常識からずれているスズカなのに。

 ドキドキと鼓動が強くなる心臓を抑え、他のウマ娘が出てくるのを続けて見る。

 

 そうして全員分見たが、スズカを見たときと違って心がときめく子はいなかった。

 それで理解した。俺はただギャップの差によるものにやられただけなんだって。

 そう納得して、時間には余裕があるからレース場内を少し散策してからレースを走るウマ娘たちにファン投票ができるというので深く考えずに"サイレンススズカ"を選んだ。

 投票を出してからは場内をうろうろと歩き回ったあと、ウマ娘たちが走るコースが見える1階のスタンドへと行く。

 今日はウマ娘たちのデビュー戦だからか、テレビで見たことのあるG1レースと違って人が少なく、観戦しやすい。

 スズカのレースが始まるのにワクワクしながら待っていると時間はあっという間に過ぎ、ウマ娘たちが走るコースにトラックがゲートをつけて運んでくる。

 もう目に見える何もかもが新鮮で、俺の好奇心を全力で刺激してくれる。

 

 ゲート後方のコース上には11人ものウマ娘たちがいて、それぞれ準備運動をして体をほぐしていた。

 ウマ娘は美人な子が多いなと感心するが、俺にとって目を引くのは1番のゼッケンをつけているサイレンススズカだ。

 各ウマ娘たちの準備運動が終わり、それぞれゲートの中へと入って皆が並ぶとすぐにゲートが開いた。

 スズカは最初から先頭に立ち、1番前を走っていく。他の子を寄せ付けぬ、圧倒的な速さ。後ろの子とどんどん差を広げていく。

 それは最後のコーナーを回り、直線へと入っても先頭にいた。スタンドからの歓声が大きくなるなかで他のウマ娘たちが追い上げるも、追いつかれることはない。

 スズカは最初から先頭でそれを譲らず、最後の直線も先頭。そのまま後続と大きく差をつけて勝った。

 他のウマ娘をものともしない、マイペースで圧勝する姿を見て俺は言いようがない歓喜の感情がやってくる。

 スズカの走る姿は綺麗で、力強い。

 初めてレース場で見ることもあってか、スズカは日本で1番のウマ娘なんじゃないかと思ってしまう。

 スタンドからのスズカの名前を呼ぶ歓声があってスズカの強さがわかるというものだ。

 

 レースを走り終えたスズカはコースの上で立ち止まり、荒くなった息を整えながらスタンドをきょろきょろと何かを探すように見ている。

 俺を探しているのか? と考え、目立つように片手を思い切り上へと上げる。それでも回りの人たちがやっているから、そんなに変りない気がする。

 だから俺は声を上げる。

 

「スズカ―! サイレンススズカー!!」

 

 名前を呼んだためか、スズカは俺に気づいて俺と目が合う。その途端にスズカは安心したような柔らかな笑みを浮かべると、コースから離れてレース場の中へと戻っていく。

 観戦していた人も一部はいなくなるが、この後も別ウマ娘のレースは続いていく。

 この後の俺の予定はレースで勝ったウマ娘のウイニングライブ、つまりは1着で勝ったスズカが歌って踊るのを見ることにしているが、それまではまだ時間がある。

 ウイニングライブについての説明はスズカが軽くしてくれたが、1着から3着までのウマだけがアイドルのように歌って踊れることができるとのことだ。

 でもなんでライブなのかがわからない。

 走るだけじゃ観客はそんなに来ないし、ファン投票は賭け事ではないから、お金が賭けれない代わりにライブの当選権ということだろうか。

 夕方の時間が近づくとライブをする場所まで行くが、どうもレースの時と客の雰囲気が違う。

 ウマ娘を応援していた人たちが、なにやらアイドルのライブで応援するような道具の何かを準備している。

 

 スズカはライブのことなんて軽くしか言ってくれなかったために、何を歌うかとか踊りはどういうものかも分からない。

 周囲の客の観察をしているあいだにライブの時間が来て、スズカが走った前のレースのウマ娘たちがウイニングライブを始める。

 運動着の姿と違うんだなぁとぼんやりと見ながら、歌い終わっていくのを眺めていく。

 そしてスズカの番が来た。

 ステージに出てきたスズカの姿は運動着とは違い、綺麗な衣装をしていた。

 緑色のケープを身に着け、その下にはトレセン学園のとは違う制服のようなデザインで白と緑を使った色だった。手には黒手袋、足は黒タイツで全部を覆って靴はヒールを。

 見慣れない、でもおしゃれな恰好はただかわいくて、さらには歌って踊るのは見ていてたまらない。

 初めてのライブだからか、それほど歌も踊りも上手というわけではない。でもこのライブは印象深く記憶に残ると思う。

 ライブをしているのが不思議な関係で仲良くしているスズカなんだから。

 スズカの出番が終わり、他のウマ娘たちのライブが終わると心に穴が開いたような空虚感が生まれる。

 レース場から自宅へと帰る途中、テンションが下がったためか暗いこと考えてしまう。

 

 どこかスズカが遠くに感じたのは気のせいだろうか。多くのファンが集まり、スズカに声援を飛ばして嬉しそうに笑みを浮かべている人たちを見ると。

 俺なんてファンの中の1人と同じ存在だろう。

 もしかしたら、次会ったときはいつもの違うスズカになっているかもしれないと考え、怖くなってしまう。

 

 そんな気持ちを持ちながら、スズカがやってきたのは次の日の夕方だった。

 スズカにもう会わないほうがいいとか言われたら嫌だと思いながら、休日の日を暖かい部屋の中で、ジーンズと長袖の服を着てごろごろしていた時のことだ。

 チャイムの音が聞こえ、慌てて玄関へと行きドアを開けるとそこにはスズカがいた。

 いつものクールな顔つきに普段どおりの制服にメンコの耳カバー、茶色のダッフルコート姿。背中には大きく膨らんだリュックサックを背負った。

 

「約束を果たしに来たの」

 

 ……約束? あぁ、そんなのもあったなと思いだす。約束の内容は俺がご褒美をあげるというものだったはず。

 スズカを中に入れると、スズカはちゃぶ台の前に行ってリュックサックを置く。

 俺にスズカとは反対側のちゃぶ台前に座るよう指で指し示してきたので素直に座る。

 

「ちゃんとレースを見たよ。かっこよかったな」

「あ、うん、ありがとう。これ、お土産」

 

 俺が褒めると困惑しながらリュックサックの中から物を取ろうとする。

 ちゃぶ台の上に並べられたのは物はお土産だった。

 有名ウマ娘の写真が入ったシールやキーホルダーにボールペン。

 

「結構あるな。むしろ俺のほうが感謝するよ。あんなかっこいいスズカを見れてよかった」

「ううん、私のほうが感謝している。アキくんを見て、落ち着けたの。走り終わったあと、みんなが私に向かって歓声や笑顔を向けてくれて嬉しかった。あぁ、私がみんなを喜ばせてあげているんだなって。私が走ることで喜ぶ人がいるなら、走り続けたいって思ったの」

「走る理由ができてよかったな」

「うん。それとアキくんがこれからも見続けているなら、その、頑張れる、と思うの。だからこれからも私を見ていて欲しい」

 

 頬を赤らめ、たどたどしく恥ずかしがりながら言うのに俺までもが恥ずかしくなってスズカの顔を見れなくなる。

 どちらも言葉が言えず、静かな時間が続く。でも嫌な時間じゃなく、自分の中の恥ずかしさがいっぱいで喋ることすらも難しい。

 今、何か口を開けたら感情任せに恥ずかしいセリフを言うに違いないから。

 だから頭を落ち着かせ、言葉を選んで言う。

 

「走る理由は見つかったらしいな?」

「うん。見ている人に喜んでもらえるような、夢を与えられるように私はなりたい」

 

 走る前と今ではすっかりと変わっている。ウマ娘だから、と惰性で走ろうとしていたスズカが目標を持って明るい顔になっている。

 正直、俺がいなくてもいい気がしてくる。

 自分の目標を持ち、レースで圧倒的な強さがあるのだから、すぐに有名なウマ娘になるだろう。その時になればスズカの成長の邪魔になるかもと思ってしまう。

 

「スズカ」

「なに?」

「……俺はまだスズカと一緒にいていいかな」

 

 スズカは首を傾げ、不思議そうな表情になって言う。

 

「アキくんはアホの子だったりするの?」

「お前に言われたくないわ! この常識知らずが!」

「うん。私は常識がちょっとだけ足りないの。だから今までもこれからも必要。アキくんが、私には必要なの。いつでもどんな時でも」

 

 小さく、幸せそうな笑みを浮かべるともう何も言えない。

 こんな顔をされたら俺は一方的に負けてしまう。いや、その前にそう思ってくれるのはとても嬉しい。

 スズカといると楽しいし、生きていくことを 元気づけられるから。

 

「それとこれもあげる」

 

 そう言ってリュックサックから出したは1個の蹄鉄(ていてつ)だ。

 

「これは2日前の、私が初めて走ったレースのものなの。記念としてアキくんに持ってもらいたくて。私の大事なものを」

 

 蹄鉄はちゃぶ台に置かず、頬をちょっとだけ赤らめて俺から目をそらしながら手渡してくる。

 それを受け取り、これがスズカが使っていたものだと実感すると鉄の重み以上な何かを感じる。

 初めてのレース、初めての勝利を運んだ、スズカの走る靴につけられていた蹄鉄。

 

「何もしていないと錆びちゃうから、時々は手入れしてね」

「錆止めを塗って、時々取り出しては眺めるよ」

「うん。残りのもう1個は私の寮の部屋にあるから、お揃いね」

 

 はにかんで嬉しそうに言うスズカ。まるで親友のような関係で気分がいい。

 物を通して目に見える友情があり、今こうやって笑いあう見えない友情。

 ひとおり蹄鉄を眺めたあと、それをちゃぶ台に置くとスズカとの会話に戻る。

 

「もらってばかりだと悪い気がするな。レース前にご褒美をあげるって言ったろ。何がいい?」

「お泊りがいい」

「どこに?」

「アキくんの部屋」

 

 俺とスズカは仲がいいと思っている。これはお互いに遠慮なんてなく気楽だし、男女的問題が起きないという信頼が置かれているってことか?

 でも何も考えていないこともあるが、あえて聞くと俺が気にしすぎだと思われる。

 ここは普通どおりのそっけない態度で行こう。

 

「いいけど、泊まっても大丈夫か?」

「大丈夫。ちゃんと外泊許可をもらったから。男友達の家に泊まるって」

 

 ……正直者は好きだけど、よくトレセン学園もこれで許可を出したなって思う。でもきちんと許可はあるわけだし、後々の問題にはならないはずだ。

 スズカはリュックサックの中から白いキャミソールみたいなものに緑色のカーディガン、下着は前に見たのと違うデザインのを出してくる。

 着る服の準備も万端だ。

 それにこれはスズカがレースを頑張ったご褒美として望んでいるんだから、できるだけ叶えないと。

 その前に服と下着は目の毒なのでリュックサックに戻してもらうが。

 

「準備もしっかりしているみたいだな。さて、俺はお土産を片付けて、今から飯を作るがスズカはどうする?」

「アキくんが持っている本を読みたい」

「ああ。本棚にあるのなら自由に読んでいいぞ」

「……自由に読んではいけないのがあるの?」

 

 その言葉に何も答えず、お土産物を集めて部屋の隅っこに置くと急いで台所へと行き料理を作ることにする。

 正直にその答えはいいたくなかった。俺だって健全な男の子。女の子が読んじゃいけない本だって多少は持っている。

 もしスズカが読みたいと言ったら非常に困るため、その話は回避しないといけない。

 

 背中に感じる視線を無視しつつ、2合分のお米を研ぎ始める。考えることは夕食のメニューをどうしようかということだ。今日はカップ麺で済まそうと思ったが、せっかくレースで勝ったあとにカップ麺というのはよろしくない。

 もっと豪華にしてもいいんじゃかいかって気もする。スーパーで買える範囲内で。

 そうなると今から買い物に行くべきだ。

 俺1人じゃなく、スズカも連れて。

 お米が研ぎ終わり、炊飯器にセットが終わると何かの本を読んでいるスズカのそばへと行く。

 

「夕食の材料を買いにスーパーに行かないか?」

「行く。今すぐ行く」

 

 返事は素早く、力強かった。読んでいた本をすぐにちゃぶ台の上へ置くと、リュックサックを持とうとするがそれを止める。

 

「お金はいらないって。今日は俺に任せてくれ」

「でも……うん、わかった。アキくんに任せる」

 

 俺はそこらに放り投げてあったジャンバーを着ると、財布とエコバッグをジャンバーのポケットに入れてダッフルコートを着たスズカと一緒に家を出る。

 暖かい家から寒い外に出ると時刻5時の今は太陽がもう沈む寸前で、人気のない道に街灯の灯りがあちこちでついている。

 向かう先はすぐ近くのスーパーだ。そこへ行くため、スズカと並んで歩くが、こうして歩くのは初めてだ。最初に会ったときは雨の中でスズカを俺が肩にかついで家に連れていったし、それ以外でスズカと会うのは俺の家の中だけだった。

 女の子と一緒に歩くというのは、そんなに多くないため新鮮だ。

 そもそもこんな美人なスズカと一緒に外にいることにわずかに緊張してしまう。

 

「スズカは何か食べたいのがあるか?」

「アキくんが作ってくれるなら、なんでもいい」

「なんでもって言われると困る。嫌いなものだけでも教えてくれ」

「野菜中心なら後は好きにしていいよ。……それにしても」

「なんだ?」

「えっとね、私たちってまるで恋人みたいな会話しているね」

 

 なんて照れながら言うスズカの髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でまわしてはボサボサの頭にしてやる。

 スズカはじとっとした目つきでに俺をにらんでくるが、俺としては恋人という気分じゃない。

 

「お前がウマ娘じゃなかったら、兄と妹な関係にしか見えないな」

「つまり、今は恋人と見てくれ―――あ、待って、尻尾はやめて」

 

 変なことを言うスズカの尻尾の付け根に手をやり、さわさわと撫でるとスズカの言葉は止まり、色っぽい喘ぎ声が聞こえてくる。

 その声が聞こえてすぐに手を引っ込めるが、今まで尻尾は触ってこなかったから、こんな反応をするとは思わなかった。せいぜい、くすぐったい程度だと思っていたのに。

 次からはしないように気をつけよう。危ない気持ちになってしまうし、セクハラしたということで警察沙汰になってしまうかもしれないから。

 ……ああ、いつもならスズカをさわるなんてことはしないのに。

 外という開放的な空気に、レース勝利というお祝い事のために俺のテンションが上がってしまっている。

 もう早く買い物を済ませ、家に帰って飯食って寝よう。明日になればスズカは帰り、穏やかな日常が戻ってくる。

 それから恥ずかしがったスズカとは会話もなく、なんとも言えない空気の中でスーパーへとやってくる。

 

 今日作る料理はキャベツのステーキに湯豆腐、あとは家にある白米とインスタント味噌汁だ。

 作るものを決めると、先にその場所へ行ってから材料を買い、あとは日用品やお菓子などを買っていく。

 スズカは、買い物かごを持つ俺の後ろをついてきては、俺が手に持った商品を見たあとに値段を確かめるということをしている。

 どうも普段はスーパーに行かないらしく、なんにでも興味津々だ。

 そんなスズカがかわいく見え、頬が緩んでしまうが慌てて手で口元を押さえる。これがスズカに見られたら、また変なことを言ってくるから。

 スーパーで問題を起こすことなく、無事に家に帰ってきた俺とスズカ。

 それぞれジャンバーとコートを脱ぐと、エコバッグの中身を片付けたあとはそろって台所の前へと立つ。

 これから料理を始めるのだが、なぜかスズカもやる気が満ち溢れている顔をしている。

 

「スズカ。俺は今から料理を始める」

「わかってる」

「あまり話をできないから、向こうに行ってていいぞ?」

「私も手伝いたいの」

 

 けなげな言葉に感動し、手伝わせようとするが今日の夕食は簡単なため手伝ってもらえる要素があまりない。

 最も手間がかかるのはキャベツのステーキだが、それもすぐ作り終えてしまう。

 

「今回は簡単なのだから、すぐに終わるが」

「それでいい」

 

 決意の固さに俺は折れ、スズカにキャベツのステーキを任せることにする。

 まな板の上にキャベツを置き、包丁を手渡すがどうにも持ち方が悪い。

 

「料理経験はあるか?」

「ええと、ウマ娘は料理をおいしく食べるのが仕事の一部となっていて……」

 

 つまりは料理経験がない、と。

 それはそれで楽しい。何も知らない子に、自分好みのことを教え、育っていくというのは。

 スズカに料理技術を教えたら、将来的に俺好みの味を作ってくれるかもしれない。そうすれば料理を作らなくてもいい機会が増える。

 いい機会なので、丁寧に持ち方から教えていく。他は料理を作りながら教えていくことにする。

 まずは買ってきたキャベツ1玉を半分に切らせ、切った半分を4等分に。

 用意した小麦粉をキャベツの切り口にまぶす。

 スズカがその作業を楽しくしているあいだ、俺はニンニク1欠片をスライスする。次にフライパンへオリーブオイルとスライスしたニンニクを入れ、弱火で火にかける。

 そうやって油にニンニクの香りを移すのを待つあいだ、作業が終わったスズカと一緒に待つ。

 そのあいだに会話はなく、フライパンをじっと見つめるスズカのふんわりと揺れる尻尾を見ていた。

 2、3分ほど時間が経ったあとは火を中火に変える。そこに4等分したうちのふたつ、小麦粉をつけたキャベツを入れる。

 全部で4つの両面をいい具合に焼いたあとは湯豆腐と味噌汁も作る。

 部屋のちゃぶ台へと食器を準備し、料理を運ぶのはスズカに任せ、俺はちゃぶ台の前に座って待つ。

 用意が終わると対面にスズカが座り、お互いに手を合わせて「いただきます」と言って食べ始める。

 キャベツのステーキにしょうゆをかけ、スズカも同じように。そして同じタイミングでそれを口に入れる。

 

「うん、うまいな」

「おいしい。アキくんに教えてもらいながらだけど、私の初めての料理になるのね」

「あー、初めてならもう少し手の込んだものがよかったよな」

「ううん、最初はこれくらいでいいと思う。これより難しかったら、アキくんに全部任せちゃうだろうから」

 

 自分の力量をきちんとわかっていることに好印象を受ける。俺がいるなら、とりあえず作りたいものから始めると言っても良さそうなのに。

 料理の味付けやお米の固さ、この季節は何の食べ物がおいしいかなどの雑談をしている時に気になったことがある。

 

 今日、スズカは俺の家に泊まると言った。でも布団は俺の分しかない。夏なら布団はなくてもなんとかなるが今は2月。布団もなしにそこらで転がっていたら風邪を引いてしまう。

 スズカは寝袋か何かを持ってきたのかとも考えたが、さっきのリュックサックにはそれが入っているようには見えなかった。

 食事を終え、箸を置いた俺はまだ食べ続けているスズカに聞くことにする。

 

「なぁ、スズカ。俺の部屋は布団がひとつしかないが、お前はどうするんだ?」

「どうするって、そんなのアキくんと一緒の布団でいいじゃない」

 

 なんでもないように言うスズカの言葉に俺は硬直し、固まってしまう。

 その言葉の意味は、俺を追い出してスズカがひとりでそこで寝る。または一緒に寝るということが考えられる。

 

「なるほど。スズカは俺が服を着こんで床の上に寝ればいいと言うのか」

「だから、一緒に寝ればいいって言ってるの」

 

 表情を変えずにクールなスズカ。動揺しているのは俺だけか。ウマ娘にとって感情を大きく表現する耳の動きがわかればいいが、スズカは耳カバーをしているためにどういう感情なのかわかりづらい。

 普段からの落ち着いた雰囲気もあって、いったいどういう意味か。男女としてなら、俺はまだ早いと思うし、そもそも現役ウマ娘のスズカとしても男女的問題が起きてしまうのも。

 

「私はアキくんの温度を感じて寝たいの。今まで母親の他に誰かと一緒に寝たことなんてないから。……信頼できるアキくんのそばにいると、私の心は満たされるの」

 

 それを聞いて、俺は自分がバカだったことに気づく。もっと頭を使えと自分を叱る。スズカは常識が足りない子だが、繊細な子でいつも考えて生きている。

 時々言う、恋人的な言葉は寂しさを伝える遠まわしだったと気づいた。

 スズカと出会って5か月ちょっと。スズカのことの多くはわかったつもりでいたが、そうではなかった。

 出会いの時から、スズカは自分への自信がなく寂しがっていた。

 捨てられたらどうしようと悩み、自暴自棄になって雨が降る公園のベンチに傘も差さず座っていた。死んでしまいそうな雰囲気に見えたほどに。

 

 それが今のような仲がいい関係になったが、単なる男女との関係ではないが、俺もスズカと一緒にいると安心する。

 今の俺たちを表すなら、家族みたいな信頼と安心を求めている関係なのだと思う。兄と妹のような。

 やっと俺たちの関係が把握できたときには、スズカは静かに俺を見つめていた。

 

「わかった。寝るだけな」

「ありがとう。アキくん大好き」

 

 大好きと言われた瞬間に、驚き心臓がバクバクと動いて鼓動が早くなって顔が赤くなる。

 家族と思った途端に、そんなことを言われて動揺する俺の意思の弱さが悲しい。

 スズカのほうはそういう意識がないというのに。その期待を裏切らないように、スズカのことを考えて大事に付き合っていこう。

 言ったほうのスズカは食事を終え、興奮も恥ずかしがる様子もなく自分の分の食器を台所へと持っていく。

 その時に見えた後ろ姿。スズカの尻尾は普段の下がっている状態ではなく、高く持ちあがっていた。

 尻尾でも感情が分かるらしいが、その知識がない俺にはそれがどういう意味かは分からない。だから、これからはウマ娘のことについて多くを調べていこうと思った。

 

 食後の後片付けはスズカがやってくれるというのでお願いし、俺はテレビをつけてちゃぶ台へと突っ伏して適当な番組を見ている。

 今から勉強はスズカを気にして集中できないし、読書な気分でもない。なのでテレビを見ることぐらいしかやることが思いつかず、ぼぅっとしているとスズカが後ろへとやってくる足音が聞こえる。

 

「あの、シャワーを借りても?」

「わかった、今から出て―――」

「そのままでいていい。今日は寒いし、アキくんを追い出すというのも悪い気がして」

「そう? じゃあこのままテレビを見ているよ」

「うん。私はシャワーを浴びてくるね」

 

 といって、隅っこに置いてあったリュックサックから下着とバスタオル、俺に見せてきたパジャマ代わりの服を持って風呂場へと向かう。

 ぼぅっとしていて、事の重大さに気づけなかったけど……俺の真後ろでスズカが着替え?

 そのことに気づいたときにはスズカの服を脱ぐ音が聞こえる。

 後ろを振り向けば、すぐそこにスズカの裸が見える。

 ちょっと見たい気持ちと、見たら嫌われるという思いがせめぎあう。

 そのあいだに風呂場へとスズカが入っていく音がし、風呂場のドアを閉めたことで安心する。

 

 思春期である男子高校生にとってなんという拷問か。この精神的な辛さを、シャワーから出てきたときにもう1度耐えなきゃいけないのか。ああ、俺が信頼できるかスズカに試されている気がする今だ。

 落ち着け。こういう時は素数を数えればいいって誰かが言っていた。次にスズカが出てきたら、そうしよう。

 対策を素早く脳内で考え付いたが、予想外の音が聞こえる。

 シャワーの音だ。その水の流れる音は不規則で、音だけでも刺激的な。脳内にガツンと来る。

 

 ……ああ!! 女性と同棲している世の中の男性たちを俺はものすごく尊敬する。こんな生活を当たり前に続けているだなんて。その人たちはどんな精神力をしているんだ。大人か、大人なら耐えれるのか、くそったれめ。17歳の俺にはきっついぞ、こんちくしょう!!

 テレビの電源を落とし、ちゃぶ台に顔をうずめてはひたすら耐える。素数を数える余裕なんてない。

 断続的に聞こえてくるシャワーの音に耐え、ふと音が止まったあと、次に聞こえたのはドアの音。バスタオルで体を拭く音。下着や服を着ていく音。

 あぁ、今この瞬間に俺の精神力は鍛えられていく気がする。顔をあげまいと耐えていると、足音が俺の横を通り過ぎて正面に座る音が。

 

「次、いいよ」

 

 声が聞こえ、顔をゆっくりと上げるとパジャマ代わりの服を着たスズカが座っていた。

 耳につけていたメンコのカバーは外されてウマ耳が見え、髪はまだバスタオルで拭いただけでしっとりと濡れている。

 持ってきた白いキャミソール、その上に緑色のカーディガンを着ていて、初めて見る姿に見とれていた。

 

「アキくん?」

「ん、あぁ、入ってくるよ」

 

 スズカの声で我に返り、慌てて立ち上がるとタンスから下着と灰色のパジャマを手に取った。

 風呂場の前に行ってスズカの方を見ると、スズカは座りなおしたらしく俺に背を向けて手に持ったドライヤーで髪を乾かそうとしていた。

 俺の着替えるのに興味がないのか、または理性が強いのか。スズカは大人だなと感心しながら服を脱いでいたが、視界の端に何かがちらちらと動いた。

 それはウマ耳だった。

 俺の動きが止まったときは落ち着きなく耳が動いていたが、また脱ぎ始めると顔はこっちを向いていないが耳の向きは俺へと固定される。

 スズカも俺と同様に好奇心があるのかと俺だけがえろいわけじゃないことに安心し、全部脱いだあとに風呂場へと入る。

 初めて会ったときと同じように風呂場はスズカの匂いで満ちていたが、あの時よりも落ち着かなくなってしまう。

 今ではもうずいぶんと親しい仲の女の子の匂い。それが好きな子なのだから余計に。好きといっても家族、妹という意味でだが。

 変に興奮してしまっていたが、シャワーの暖かさで次第に落ち着き、終わる頃にはいつも通りに戻っていた。

 

 ドアを開けて風呂場を出ると、スズカは俺に背を向けた状態のままでテレビの電源をつけて見ていた。

 耳の向きは一瞬こっちへと向いたが、すぐにテレビへと戻した。

 それでも耳や尻尾は落ち着きがなく、こっちに興味があることに苦笑してしまう。

 スズカの後ろ姿を眺めながら手早く着替えると、スズカの隣に置いてあるドライヤーを取りにそばまで行く。

 

「ドライヤーを使っていいか?」

「うん、私はもう使わないから」

 

 さっきまで俺へと興味を持っていたのに、今はそっけない態度にイタズラをしてしまいたくなる。

 さりげなく、座っているスズカの耳へと手を伸ばして優しく撫でると、体をビクリと震わせたスズカはすぐにくすぐったそうに手で耳を抑えた。

 俺をちょっと不満そうに見上げてくる顔はかわいらしい。

 

「アキくんのえっち」

「今のがそうなるのか」

「逆の立場で考えるとそうなると思わない?」

「……なるな。でもスズカのかわいい姿が見れたから気にするな」

「私は気にするの!」

 

 と、俺の足をバシバシと手で軽く叩いてくる。それを無視し、スズカの隣に座るとドライヤーで髪を乾かし始める。

 俺が相手をしてくれないのが嫌だったのか、スズカは俺の髪をがしがしと乱暴に撫でまわしてくる。

 それさえも無視していると、乾きつつある髪を手で整えてくれる。

 その優しい手つきが無視しきれず、そっとスズカの顔を見ると優しい顔で俺を見つめてきた。

 

「アキくんはかわいいね」

 

 男としてそう言われるのは嬉しいような、嬉しくないような複雑な気分だ。

 スズカの顔を見続けることができないほどに恥ずかしくなった俺は、髪が乾ききってもスズカを気にしないようにして寝る時間まで本を読むことにする。

 俺がそうするとスズカもテレビの電源を切り、前に家に来たときに見ていた本を読み始める。

 その間、お互いに会話もなく本を読み進めていくも時間が進むにつれて寝る時間が近づいてきて落ち着かなくなる。

 これから俺はスズカとひとつの布団で寝る予定だが、寝れる気がしない。そのうち眠気で自然と落ちてしまうだろうが、それがいつになるかはわからない。

 このまま悩み続けるよりも行動に移して寝る努力をしたほうがいい。明日は学校があるし。まぁ、あまりに眠れなかったら休むことにしているが。

 

「寝るか」

 

 本を閉じて立ち上がってはスズカに声をかけると、立ち上がって本を本棚にしまう。

 俺も本棚へとしまうと、ちゃぶ台を部屋の隅に寄せて押し入れから俺が使っている1人用の布団を敷く。

 それからオイルヒーターの電源を切り、部屋の灯りをオレンジ色の小さなものへと切り替える。

 暗くなった部屋に敷いた布団。目の前にはスズカという美少女がいる。

 どうにも落ち着かない心を抑え、先に布団に入るとスズカにも入るように言う。

 スズカは戸惑うことなく布団へ入り、横になる。

 お互いに天井を見て、会話もなく息遣いが聞こえるだけ。

 おやすみぐらい声をかければよかったと思うが、今から言うにはタイミングが難しい。でも言わないと落ち着かない。

 どうしたものかと悩んでいると、スズカが声をかけてきた。

 

「アキくん」

「どうした?」

「ありがとう。今まで私を支えてきてくれて。あなたがいたから、私は頑張れた。レースにも勝てた。不安になった時にはアキくんのことを頭に思い浮かべて、やってこれたの」

「なに。兄として当然だ」

「私のことは妹なの?」

 

 寝返りの音が聞こえ、すぐ耳元に息がかかる。振り向くとすぐ目の前にスズカの顔があり、薄暗い今の状態でも少し寂しそうな表情が見えた。

 

「今はそれでいい。私を大事にしてくれるアキくんは私のお兄ちゃんで」

 

 スズカは柔らかく微笑むと、素早く俺に顔を近づけたかと思うと頬に暖かく、柔らかな唇の一瞬だけの感触。

 

「おやすみなさい」

 

 キスの意味について考える時間もなく、スズカはそう言って俺に背を向けた。

 その背中を見ながら、仲良くなれたんだと嬉しく思う。それは友達以上で兄と妹のような関係で、家族が新しくできたような。

 信頼ができ、いとおしい俺のスズカ。

 今ある愛情はこれから恋愛としての意味に変わるかもしれないが、今は親愛という愛情でいっぱいだ。

 

「おやすみ」

 

 自然と俺の手はスズカの頭へと伸び、スズカはビクリと体を震わせたあとに俺の手へと押し付けてくる頭を何度か優しく撫でたあと俺も寝ることにする。

 布団に入った時とは違い、今は穏やかな気分だ。

 スズカとの親しく、心休まる関係がこれからも続いていって欲しい。お互いに甘え、甘えられることのできる存在として。


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