サイレンススズカ:私の走る理由   作:あーふぁ

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5話

 春休み最後の日にスズカの学園内模擬レースがあった4月5日、日曜日の夜。

 夕食を食べ終わった頃、4年前に両親が離婚した後、初めて母親から俺へと電話があった。

 その内容は新しい旦那を見つけて再婚したというもの。

 離婚して2年と少しで再婚は早いかどうかはわからないが、母親に対して何も思うことがなくなっている俺は感情のこもっていない声でおめでとうと祝福を告げた。

 俺の親権を持つのは父親であり、父親は月1回で連絡をしてくるが、この母親は俺のことなんてどうでもよくて今まで連絡をしてこなかった。

 

 そんな繋がっているのは血縁だけな母親である女性からの電話を切ることなく話を聞いたのは、時間があったことと母親に甘えたいという意識があったと思う。

 小学校のはじめまでは仲がよかったが、高学年になった頃から両親は共に仕事で長いあいだ家を留守にするようになり、1人で過ごすのも珍しくなくなっていた。

 小さい頃に欲しかったものが、ある程度自由に動ける年齢になると欲しくなってくるのかもしれない。

 

 そうして話を聞いていくと、話の最後には母親らしく助言がしたかったのか、恋人を複数持ってうまく使っていけということ。

 結婚する時は自分の生活を良くする相手を慎重に選べ。多くの恋人を作ることができてこそ人として優秀、そうしてこそ人としての器が大きいことの証明だと。

 俺にはそうは思えない。母親は単に男遊びがしたいだけじゃないだろうか。

 思えば、昔から今と似たようなことをよく言っていた。多くの人に愛されてこそ幸せになる最短の手段と。

 それらの説教めいたことを電話越しに行って満足した母親は俺の返事を聞かずに、別れの言葉を言って一方的に電話を切った。

 こんないい加減な人から俺は生まれ、育てられたのかと落ち込んでしまう。こんな人と俺は違うと思いたい。

 

 ……スズカに会いたい。

 スズカと会って、ふざけては笑いあう時間をたくさん過ごしたい。

 でも明日は月曜であり、電話して会いたいと急に言いづらくもある。それに今日のスズカは強い雨が降った中で模擬レースがあり、そんな中で走って疲れているだろうから。

 だから火曜日か水曜日に会おうとメールだけをして寝ることにした。

 

 

 ◇

 

 

 翌日の月曜日はすかっとした気持ちのいい青空だが、俺は昨日から続く気分の悪さをひきずっていた。

 高校の始業式ではクラスメイトたちに心配されたが、睡眠不足だと適当な理由を言っては午前中に学校が終わったあと1人静かな場所に行く。

 こういう時は友達と喋りながら遊びに寄るところだが、今日ばかりは売店で飯を買って静かに食べたい気分だった。

 校舎の外に出て、人の来ない敷地の隅っこにある建物の背を預けて座る。

 何も考えられず気分がよくないままに食事を終えると、売店にいたときにスズカから送られたレース動画をスマホで見ることにした。

 

 スズカの走る姿を見れば、レース内容に関係なく気分が良くなるに違いないから。

 そうして動画の再生を始めると、まず最初に写ったのは雨が降っていて薄暗いトレセン学園の芝コースで発走を待つ、体操着姿のスズカだった。

 雨とスズカという組み合わせは出会った頃を思い出し、今回はしっかり走れるんだろうかと不安になる。

 

 そんな気持ちで少し高さのある観客席の場所から撮影されている映像を見ていると観客のウマ娘がそれなりにいるのが写る。

 普段見ることのないウマ娘の多さに感激していると『芝2000m、天気は雨でバ場は重! 実況はチームリギル所属でスズカとは仲良しのタイキシャトルがお送りしマース!』と顔は見えないものの、元気な声が聞こえてくる。

 初めて聞く声だが、スズカと同じチーム所属のウマ娘と聞いてスズカとは正反対な雰囲気だなと感じながら話を聞いていく。スズカと仲良しなら、機会があれば学校でのスズカの話をぜひとも聞きたいものだ。

 実況を聴きながら出走するウマ娘12人は次々とゲートに入っていく。スズカは5枠5番だ。

 雨で体を濡らしながらゲート内で待機し、枠が開くと同時に遅れることなくスタートした。

 

『ゲートが開いてスタートデス! おおっと! スズカがポーンと飛び出しマシタ!』

 

 スズカははじめから他のウマ娘たちより早く走り、先頭に立って走って行く。

 最初のコーナーあたりから5バ身のリードを取り、逃げる走り方だが差を広げ過ぎないよう抑えている走り方だ。

 その時の表情は不満で走りにくそうにし、3コーナーからは3バ身差へと縮んでいく。

 4コーナーに入る少し前にはだいぶ差が詰められたものの、最終直線になると抑えていた走りを開放して、ぐんぐんと差は伸びていく。

 

『さぁ、どんどんどん差が開いていきマース! そしてスズカが楽勝の1着! Yeah!!!! 7バ身差で2着はロングミゲルになりマース!』

 

 落ち着いて実況はしていたが、テンションが上がっているタイキシャトルが最後には叫んでいた。

 その声の大きさに持っていたスマホを遠ざけてしまうほどに。

 でも声を出したくなるくらいにスズカが勝ったことに俺は嬉しい。出会ったときに雨に濡れていた自殺しそうな感じがスズカとは違い、今のスズカは心も体も強くなっていると実感できた。

 けど少し気になった部分がある。レース中、抑えながら走っているのが気持ちよさそうでないことに不安を覚えたが、きっとレース的にはこのほうがいいのだろう。

 素人考えでスズカに最もいい走りとはなにかを考えてしまうが、それはスズカやトレーナーの人が考える部分だ。

 俺はスズカの1着を喜べばいい。

 そう思いながら妹や娘が成長した姿を見る心境でいると、ゴール板を駆け抜けていったスズカが戻ってくると、カメラを構えているタイキシャトルが観客席から走り出してコースに向かって走っていく。

 観客席の1番前、コースと観客席を分けるところまで来ると雨に濡れるにも構わずスズカへとカメラを向けている。

 

『Hey、スズカ! こっちに来て、あなたの大好きなアキくんに何か言うといいデース!』

 

 タイキシャトルはあたりへ響き渡る大声を出すと、スズカは恥ずかしそうに顔をそむけながらもカメラの前へと走り寄ってきた。

 カメラの前に立ったスズカは、タイキシャトルに渡されたタオルで顔を拭き、タオルを返すと髪を手で整える。

 そうして恥ずかしがりながらもゆっくりと口を開く。

 

『えっと、今度会ったとき、私を褒めてくれると嬉しいな』

『スズカ、スズカ! 今こそワタシが教えた必殺ポーズを取るといいデス!』

『……本当にやるの?』

『勝った今こそがチャンスデスヨ!』

『…………ぶいっ』

 

 スズカはピースサインをした両手を顔のすぐ横に置くと、ぎこちなく笑みを浮かべる。

 そのポーズを2秒ほどしたスズカは照れた様子で顔を押さえながら、カメラに勢いよく背を向けてしゃがみこんだ。

 それからタイキシャトルがスズカを褒めて映像は終わる。

 見終わった俺はスズカの照れた姿があまりにもかわいくて、足をばたばたとさせて言葉にしきれない感情を発散する。

 スズカがレースで走る姿、1着を取ったこと、その後のかわいさ。この3つで暗い気分は空の向こうへと吹っ飛んでいった。

 

 2度動画を追加で再生しているとスズカからメールが来て、今日会いたいと来たから俺も会いたいと返事をすぐにした。

 会うことが決まると、昨日の勝利のお祝いをしようと思いつく。

 でも俺の料理技術は未熟で、手料理だけでなく売っている総菜を買うことにする。

 近所のスーパーは味がいまいちなため、少し遠くなるか味がいい物を置いてある商店街へ行こう。昼である今なら総菜はたくさん並んでいるはずだ。

 そう決めてスズカに豪華な夕食を用意するとメールを送ったあとは、どういう料理なら喜んでもらえるか悩むのに楽しい時間となった。

 

 それからは自転車に乗って気分よく商店街へと向かう。

 商店街の入り口に自転車を置くと、学生カバンを手に持って主婦や年配の人たちに混ざって総菜を探す。

 すぐには買わず、ひととおり見てから夕食メニューを決めようとするも商店街の端まで来ても決まらない。

 ひとまず肉を買っていけばいいか? と悩みながら商店街を歩いていると、向こう側からよく見たトレセン学園の制服が目に入る。

 そういえばトレセン学園も今日が始業式だった。スズカと待ち合わせして昼飯を一緒にするという手もあったな。

 うまい料理を俺が用意して食べてもらうということばかり考え、そこまで頭が回っていなかった。

 

 自分自身の浮かれた思考にあきれながらも、どこかで見たような気がした歩いているウマ娘を見つけて観察をしてしまう。

 その子は赤色が強い髪と赤い耳カバーをつけた短いツインテールをした子だ。

 今の特徴をどこかで見たか聞いたような気がして立ち止まり、じっと見つめていると俺に気づいた向こうも止まって見つめてくる。

 初めて見るのに初めてじゃない。空を見上げ、記憶のすみっこを探すとふと思い出した。

 以前、スズカが商店街に来たときに今と同じ外見をしている子に助けられたと。

 視線を戻したと同時に、その子は口と目を見開いて俺へと指を差してきた。

 指を向けられたことに困惑していると、その子は指を下げると俺の前へと早足で歩いてくる。

 薄茶色の目をしているその子はスズカよりもちょっと背が低く、だけど胸なんかのスタイルはスズカより立派だ。

 

「えーと、つかぬことをお聞きしますが、あなたは"アキくん"という名前だったりしちゃいますかね?」

「偶然にもそんな名前だったりする。そういうツインテールさんはサイレンススズカというウマ娘を知っているか?」

 

 申し訳なさそうな顔をして聞いてきた子に対し、俺はすぐにスズカが商店街の買い物で助けてもらった例のウマ娘だと気づく。

 向こうはスズカのことを覚えているかと聞いたら、両手を胸の前で音が鳴るほど勢いよく合わせる。

 お互いに話だけは聞いていた相手と実際に会い、既視感が解決した瞬間だ。

 このウマ娘は親しみやすい見た目に声があると、以前会ったことがあるような親近感がある。

 しかしスズカ。商店街で買い物しただけなのに、なんで俺の名前まで出ているんだ。いったい何の話をしたんだ、あいつは。

 もし変な話をしていたなら夕食の時にウマ耳をめちゃくちゃにさわって嫌がらせをしてやろう。

 

「あのクールでかっこいいスズカ先輩のことだよね」

「クールでかっこいいかはわからないが、うちのスズカによくしてくれてありがとう」

「いえいえ。あのあとスズカ先輩に作ってもらった夕飯はどうだった? 愛しの彼女さんが作った料理なら、どんな味でも最高に違いないよね」

「いや、夕飯は俺が作った。あいつは料理ができないからな」

「……おぉ、彼氏さんの手料理ですか。作ってもらえるスズカ先輩は幸せものだ」

「男の手料理なんてのは雑だけどな。あと、あいつとは恋人関係じゃない。兄と妹のようなものだ」

 

 スズカのことを"クールでかっこいい"と言う人がいるのは意外だ。

 あいつは天然で何をするか予測がつきづらいと思うんだが。

 スズカのことで悩んでいると、ツインテの子はにんまりとした笑みを浮かべる。

 

「なんだ、その笑みは」

「いや~、スズカ先輩は手のかかる弟みたいと言っていたけど、アキ君はその逆を言っているのが興味深くてですねぇ。あっ、言い遅れたけどアタシはナイスネイチャっていう名前で、スズカ先輩の後輩で中等部です」

「ナイスネイチャか。俺の名前は―――」

「アキくんでしょ? スズカ先輩が嬉しそうにのろけ話をしてきたから、よぉく覚えていますよー」

 

 俺を暖かい目で見るナイスネイチャの雰囲気は、女子中学生というよりも世話焼きのおばちゃんのような感じがした。

 こんな子だからこそ、スズカが商店街の買い物で頼ったのもわかった気がする。

 ウマ娘というのは、みんな何かがきらきらと輝き、熱い情熱を持っているものばかりだと思っていたが、この子は親しみやすい。

 

「それで今日は商店街に何のご用事で? 必要だったらアタシがスズカ先輩の時のようにお世話する?」

「ぜひともしてお世話して欲しい。スズカの夕飯に出す総菜を買うのに悩んでいてな。お礼はお菓子でいいか?」

「任されましたっ。お礼はパン屋にある、いいお値段がするメロンパンね!」

 

 お礼の品を決めてナイスネイチャの協力を得た俺は、商店街を歩きながら店ごとの特徴を聞いていく。

 あの店のこだわり、商品ごとの説明に店主や総菜を作っている人の情報。客層や人が混む時間帯。

 ただ商店街に来ているだけじゃわからない話を聞き、買い物じゃなく観光をしているような気がしてくる。

 たくさんの情報を教えてもらったが、選択肢が多すぎてナイスネイチャに買い物を任せることにした。

 

 予算は2000円で総菜ジャンル指定はなし。

 肉も野菜も幅広くと注文をすると、ナイスネイチャは首を少しかしげて悩んだあとに爽やかな笑みを浮かべて「このネイチャさんにまっかせて!」と元気に引き受けてくれた。

 そんなナイスネイチャに連れられて店を歩いていき、ナイスネイチャが物を買って俺が持つという流れだ。

 コロッケやきんぴらごぼうなどを買い、今はとんかつを買うためにナイスネイチャが店主と楽しく会話をしながら買い物をしている。

 そんな光景を後ろから見ていると、母親とはこういうものだろうかと思ってしまう。

 

 俺より年下で中等部の子にそう思ってしまうのは失礼だろうが、実の母親ではこんなのは見たことがなかったから。ドラマでしか知らない。

 楽しそうに買い物をし、俺と夕食の献立について話をする。

 母親と一緒に暮らしていたときは外食やスーパーで買ってきたものに冷凍食品ばかりだったから、こういう話をするだけで新鮮というか心が温かくなる。

 スズカと出会ってからは俺が手料理を作り、それをスズカが食べるというのも嬉しかった。スズカとスーパーで一緒に買い物をしたことはあったものの、それは妹を連れての買い物気分。

 母親みたいだと感じる今の状況とは違う。

 

 年下の子に母親っぽさを感じ、つい見つめてしまう。

 とんかつを買い終えたナイスネイチャは俺へと振り向くと、どうしたの、と不思議そうな表情になった。

 

「あー、アタシ、もしかして間違ったものを買いました?」

「そうじゃない。ナイスネイチャが買い物している姿が母親っぽいなと思っていたんだ」

「母親? あー……母親みたいですか、アタシは」

 

 そう言った俺へ買ったとんかつのパックを渡してくるナイスネイチャはすごく落ち込んでしまった。

 その異様に落ち込む姿を見て、慌ててしまう。

 褒め言葉のつもりで言ったが、あとから考えるとこれは褒めていない。

 これだと中身だけ歳をとっているとか、会話や仕草がおばさんくさいと言っているものだと気づいた。

 

「違う、違うんだ。俺の母親は育児放棄のようなものだったから、家庭的な姿が見れるのはいいなと思ったんだ!」

 

 つい大きな声で言い、ナイスネイチャは目を見開いて驚くが、すぐに安心した様子になってため息をついた。

 誤解はとけたと安心するも、周囲の人たちが「いい人を見つけたわね、ネイちゃん」や「うちで買ったとんかつで旦那の胃を握るんだよ!」とからかってくる。

 それに文句を言いたくなるが、こういう人たちは若い人をからかい、応援するのが生きがいなものだと思うから下手に何も言わないでおくのが1番だ。

 ナイスネイチャはからかってくる人たちに、慌てて違うと苦情を言うも、その様子がかわいらしくて商店街の人たちは笑っている。

 しかし、よかった。もしスズカと一緒に来ていたら、俺を冷たい目で見てきて3日間は口をきいてくれなくなるだろう。

 夕食の総菜は結構買えたし、後は1人で買いに行くかとナイスネイチャを置いてこっそり行こうとした。

 

 だが、視線を感じて振り向いた10mほど先にいた人物を見ると俺は背筋が凍えた。17年生きてきて、最も恐怖を感じたと思った瞬間だ。

 今すぐ背を向けていなくなりたいほどに。それは感情をなくした顔で立ち止まった俺を見つめてくる、制服姿でバッグを持っているスズカに対して。

 こんな時間にいるわけがないと否定したい。会うのは夕食のはずだ。

 今はまだ12時を過ぎたところ。俺へのお土産で何かを買うにしても早すぎる。

 体の色々なところから冷や汗が出て、スズカに目を合わせて硬直する以外何もできない状態でいると、ナイスネイチャも「やばっ……」と少し焦って言ってからスズカがいることに気づいたらしい。

 スズカは尻尾を足の間に巻き込んで恐怖しているナイスネイチャに1度視線を向けたあと、俺のすぐ前へとゆっくりと歩いてきた。

 

 商店街は多くの人が買い物をしているが、みんな見えない圧力を感じてスズカを避けている。

 耳をぴんと立て、こちらへとまっすぐに向けながら怒った雰囲気を出しているスズカにたくさんの言い訳をしたいところだが、今の状況は浮気に見える。

 別にスズカと恋人になっているわけではないものの、悪いことはしてないのに俺が悪いようにしか思えない。

 だが、まだ大丈夫だ。耳を後ろへと倒していないから、すごく怒っているわけではない。

 

「こんなところで会うなんて偶然ね。私、アキくんとあえてすごく嬉しい」

 

 まっすぐに立っている耳の状態から強く怒ってはないと思うものの、俺のすぐ目の前まで歩いてきたスズカは威圧感がある低い声でそう言ってきた。

 いつもは感情豊かに言ってくるが、ここまで無機質に思ったのは初めてだ。

 無言のプレッシャーで恐怖を感じた俺は深呼吸をしたあと、スズカに隠すこともなく今の状況を言うことにした。

 

「今日の夕飯のために買い物に来たんだ。そこにいるナイスネイチャは俺が悩んでいるのを助けてくれてな」

「はっ、はい! そうなんですよ! でも買い物は今ので終わりましたので、アタシはもう行きますね……?」

「アキくんを手伝ってくれてありがとう、ネイチャ」

 

 スズカに感謝の言葉を言われたナイスネイチャは、俺へ申し訳なさそうな顔をすると早足でいなくなった。

 もうちょっと買い物をしたかったところだが、これで終わらせていいかもしれない。

 スズカだって商店街に来たから買い物をしたかっただろうし。

 

「あー……、買い物が終わったから俺は帰るぞ」

「アキくんの荷物は私が持つわ」

「でもスズカは買い物に来たんだろう?」

「持っていくおかずを買いに来たんだけど、アキくんがご飯のおかずをたくさん買ったから大丈夫」

 

 俺はスズカがそう言い終えると、自転車が置いてある場所へ向かって商店街の道を歩くとスズカは自然に左横へと並んでくる。

 惣菜や野菜で重くなったビニール袋を両手に持っている俺は、何を考えているのか分からないスズカが俺を見てくる視線が辛い。

 今日の夕飯を食べて気分を良くして欲しい。そうでなければ、その後はくつろぐどころじゃなくてストレスしか感じないだろう。

 

 もちろん家に帰ってから今日の詳細を言うし、スズカが文句を言うなら素直に聞く。でも今は人目が多い商店街。ここで口喧嘩をしようものなら目立って仕方がない。

 それがわかるからこそスズカもおとなしくしている。

 

「荷物、重いでしょ? 片方を持たせて欲しいの」

「あぁ、頼むよ」

 

 スズカの荷物を持ちたいというアピールに負け、俺が左手に持っているビニール袋をスズカはカバンとバッグと一緒に左手で持つ。

 俺の左手とスズカの右手が自由になると、スズカからの視線が止まったのを感じた。

 歩きながら横目でスズカの様子を見ると、さっきまでの真顔になっていたのと違って笑みをわずかに浮かべていた。

 俺の荷物を持っただけで機嫌がよくなった理由がわからず、でもそれを聞くと怒られる気がして何も聞けないまま会話もなく歩いていく。

 そうすると、スズカの右手が俺の左手へと当たってきた。

 

 最初は手の甲がふれるだけだったのに、スズカは俺の指を掴んでスリスリと指を指先や手の甲、手の平へとすりつけてくる。

 その感触はくすぐったくも気持ちがいい。さっきは寒気で背筋がゾクゾクと寒かったが、今は小さな快感がある。

 怒っていたんじゃないか、と不思議に思ってスズカの顔を見るもまっすぐに前を見ていて、さっきまで浮かべていた笑みはない。

 

 スズカが考えているかがわからない。今までは天然でアホの子をやっているウマ娘と思っていた。

 今まで見ていた部分はほんの一部分だけであり、ネイチャといたときのような怖い部分は初めて見た。レース中の真剣な顔とはまた違うものだ。

 新しい部分が見えて嬉しく思うも、こういう心臓に悪い姿はあまり見たくないものだ。

 俺は左手をスズカに自由にされながら自転車を置いてある場所へと着いた。

 

「俺はこのまま帰るけど、スズカはどうする?」

「少し早いけど、このまま行ってもいい?」

「わかった。……ほら、自転車のカゴに入れるから荷物をくれ」

 

 俺は総菜が入っているビニール袋と学生カバンをカゴに入れると、スズカのも一緒に入れようと手を差し出す。

 スズカは自転車のカゴを見てから俺に惣菜のビニール袋を渡してもらい、俺は同じようにカゴへと入れていく。

 本当はスズカのバッグも入れたいがカゴの容量的に難しくて入れられなかった。

 

「それじゃ帰るか」

 

 と、歩きであるスズカのことを考えて自転車に乗らず、押していくことにした。

 ウマ娘だから走ってくることは難なくしてくると思うが、男が自転車で女が走るというのは罪悪感があるからだ。

 そういう思いで歩いている俺の横にスズカは来て、一緒に歩いて商店街から離れていく。

 この気まずい沈黙の中、何の話をしようかと悩んでいるとスズカはいつものような明るい声を出してくる。

 

「アキくんは自転車に乗らないの?」

「スズカは歩きだろ? 俺だけ自転車で行くのは悪いだろ」

「アキくんが全速力で自転車を漕いでも私は後ろから着いていけるし、むしろ先に行く。あと鍵を貸してくれるのなら、先に部屋で待つことだって」

「部屋で待って何をするんだ」

「何って……アキくんの香りがする部屋を楽しんだあと、玄関で正座して新婚夫婦ごっこを楽しむけど?」

 

 そんな当たり前のことをなんで聞いてくるの? と不思議そうに聞いてくる表情はいつものスズカらしく柔らかい表情だった。

 商店街の時は俺とナイスネイチャに怒っていたのに、この変わりようはいったいなんだ。

 聞かないほうがいいかもしれないが、このあまりの変わりっぷりにどうしても聞きたくなる。

 

「俺がナイスネイチャと一緒にいて怒っていたんじゃないのか?」

「私が怒るの? なんで?」

 

 意を決して聞いたら、首を傾げて不思議そうに聞いてくる。

 俺が聞いたのに、逆に聞いてこられると困る。てっきり自分を置いて他のウマ娘と仲良くしているのが嫌だったとか言うと思っていた。

 これはあれだ。俺が意識しすぎていたってことか。……恥ずかしい、すごく恥ずかしい。

 

「怒ってないならいいんだ。でも、それならなんで普段と違う様子だったんだ?」

「それはその……後輩の子にはかっこよく見られたいから」

「かっこよく?」

「アキくんの前ではすごく楽しく話ができるけど、学園だとクールでかっこいいと思われているの。だからイメージを守るためにそうしたほうがいいかなって。でもちょっとだけ、アキくんと買い物を楽しんだのはいいなと思ったけれど」

 

 照れた様子のスズカに俺は困惑してしまう。

 スズカが後輩であるナイスネイチャの前であんな雰囲気だったのは、失望されたくないとかイメージを守りたいと思っていたのはわかる。

 だが、俺にはそれ自体がおかしく思える。

 この天然ウマ娘であるサイレンススズカがクールでかっこいい? いったいどこが!?

 いつもどこかにぶつかっている印象で時々話がずれ、料理ができなくて俺の部屋でよく食いに来ているというのに。

 トレセン学園のウマ娘たちはスズカのどこを見ているんだ!

 

 スズカにクール要素はどこにあるんだと考えると、思い出したのは去年の9月の時だ。

 出会った頃だと、不安があり自分に自信がない子だった。周囲の優しさを拒絶しているかのような。その時の印象が今でも続いているのかもしれない。

 今では俺と親しく話をするが、もしかしたら学校には友達がいないという可能性がある。

 もしそうだったのなら、うんと優しくしてあげよう。俺にできることはそれしかないから。

 

「学園が辛いのなら俺に電話をしてきてもいいぞ。話に付き合ってやる」

「別に辛くはないけど友達のタイキやフクキタルとは仲がいいし、チームのみんなとは一緒にご飯を食べているから」

「練習やレースが辛いとかは?」

「トレーナーさんと走り方で意見がぶつかることや自分にとってレースとは何かを考えることはあるけど、走るのはすごく楽しい。雨の日や雪の日でも!」

 

 楽しそうに明るい笑みを浮かべるスズカに、俺の心配はまったく不要だったことがある。

 これじゃあ、妹を心配しすぎる兄のようだ。

 スズカのことはいつも心配で、ふとした瞬間に考えることが多い。飯に不自由していないか、ランニングした先で迷子になっていないかなどを。

 それらは兄を越えて、父親視点じゃないかと思ったところで母親から来た電話のことを思い出した。

 

 母親はたくさんの人を愛して恋人にすることが人として優秀と言っていた。

 でも俺はスズカ1人だけしか考えることができない。母親から見れば俺はダメな子だ。

 

 でも、だからこそ嬉しく思う。そんな母親と自分は違うんだと。

 生まれた時から母親の言うことを聞いて育ったから、1人の人のことだけを考えれない人間になってしまったと考えていた。

 だが、スズカと出会ってから女性のことで考えるのはスズカのことばかりになっている。

 俺は歩く足を止め、大きく深呼吸して気分を入れ替える。

 

「それならいいが、学園でクールなのを演じるのは疲れることもあるだろ。俺が知っているお前にお前がなっていればいいんだよ」

「私が私であること?」

「おう。話してみるとお前は親しみやすいからな」

「つまり話をまとめると、アキくんは普段の私に惚れているということね?」

「どういう流れでそうなるんだ」

「今度アキくんの部屋に私のサイン色紙を置いていくから」

「いらない」

「それじゃあ私の使用済みゼッケンがいいということね。それに染みついた汗の匂いがあれば、私がいなくても寂しくないと思うの」

「俺をなんだと思っているんだ、お前は」

「何って……アキくんは私に恋愛感情を隠している立派なツンデレさんでしょ?」

「違う!」

 

 疲れる。

 すごく精神が疲れる。でもこういう言葉のやりとりを楽しく思う自分がいて、つい笑顔になってしまう。

 スズカも俺とのやりとりで楽しんでくれているのが嬉しく思う。

 だからと言ってこのままだとツンデレや変態に正式認定されてしまう。そうなる前に足を再び動かして歩き出すと、スズカは何も言わずについてくる。

 それから言葉をかわさない居心地のいい静かな時間が過ぎていく。

 

「遅くなったけど、レース、勝ったんだな」

「うん。前回はかっこ悪いところを見せちゃったけど、今回はどうだった?」

 

 本当は会った時に言いたかったこと。でも言うタイミングがなく、今になって言えた。

 その返事に対し、スズカは不安そうな声をあげる。

 俺は動画で見たレースのことを思い出す。道中はもっと前へと行きたい感情を理性で抑えているのが辛そうに見えた。そんな中でも最後の直線がやっぱり印象に残っている。

 逃げという走り方なのに、最後は追い込みや差しのように伸びていく姿がかっこよかった。

 もしかしたらG1も勝てるんじゃないかと思うほどの強さと思うほどに。

 

「かっこよかった」

「それだけ?」

「言いづらいんだが初めてスズカの走りを見たときと比べると、今回のは走ることが辛そうで気持ちよくなさそうに見えた」

「……そう。他には?」

「他にもか」

 

 短い言葉だが、褒めたときはちょっと自慢げだった。

 次に疑問に思ったところを言ったら、スズカは何かを言いたそうに口を開けたが言いたかったことを抑えては俺に他の感想を求めてくる。

 スズカが何を言いたいか、何を悩んでいるかはわからない。ウマ娘とは違い、人である俺がわからないところかもしれない。

 でも、スズカには辛そうな顔よりも、笑い、変なことを考える子でいてもらいたい。

 俺ができることはスズカと一緒に過ごし、愚痴があったら聞き、ご飯を食べさせ添い寝をするだけだ。

 

 20秒はたっぷりと悩んでから足を止めると、スズカの顔をじっくりと眺める。

 もっと勉強していれば、1ハロンのタイムやスタートダッシュについて語れるかもしれない。

 でも、まだ少ししか勉強できていいない俺ではレースを、サイレンススズカの走りについて語ることなどできはしない。

 それなら他のことを言うとしたら、俺だけに見せてくるスズカの飾っていないことしかない。

 

「レースが終わったあとにピースサインをしたポーズはかわいかった。家に帰ったらやってくれないか?」

「もう、もうっ!!」

 

 綺麗なスズカの顔がすごく恥ずかしそうになり、次は不満そうに俺の体をバシバシと手と尻尾を使って強めに叩いてくる。

 ちょっと怒りながら叩いてくるのは照れ隠しのはずだが、結構痛い。ピースサインでからかうのはやめておこう。いや、動画を取ったタイキシャトルと名乗ったノリの良さそうな子となら大丈夫そうだ。

 もし会えたなら、一緒にスズカを褒めまくって照れさせようと心に誓う。

 そうして、スズカとじゃれあいながら俺たちは家へと帰る。

 今日の夕飯は気合を入れて作り、腹いっぱいで動けなくさせようと決めて。

 それと悩み続けているスズカを見ていたくないから、俺でストレス発散や悩みを聞くということも伝えよう。俺はスズカの明るい笑顔を見ていたいということも。

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