トレセン学園のファン感謝祭は1年に2回あり、それは4月と10月。
俺はスズカと出会うまではウマ娘に興味がなく、そういうイベントがあるのすらはっきりとは知らなかった。
でも今回は違った。 スズカからファン感謝祭に来てと言われたからだ。
4月は第3週土曜日だから行きやすく、ウマ娘の熱心なファンだけでなくお祭りというだけで行ってもいい楽しいイベントだという。
ファン感謝祭と聞くと行きづらく思ったが、やっている内容を聞くと高校生がやる文化祭の規模を大きくした感じらしい。
スズカと一緒に登校するためトレセン学園の門まで行ったことはあるものの、学園の中には入ったことがないから行きたい気持ちが強い。
普段、スズカがどんなところで勉強やトレーニングをしているか。スズカ以外のレースを走るウマ娘というのをたくさん見たいということもあって。
そうしてスズカと一緒に感謝祭を回る約束をし、やってきた晴天の日であるファン感謝祭の日。
深い青のチノパンを履き、白いシャツの上から黒いパーカーを羽織ってはきちんと身だしなみを整えた俺は楽しみと緊張を持って家を出た。
ショルダーバッグを肩にかけて自転車を漕ぎながら思うのは、有名なウマ娘と会った時には失礼がないようにということ。
今までウマ娘にはスズカしか興味がなかったが、この日のために勉強をした。
そうしたらスズカが所属するチームリギルは有名だし、その中にいるシンボリルドルフやナリタブライアンはレースで強く、ネットで見たライブはすげーかっこよかった。
レース場に行ったことがあるというのに、いかに今までスズカしか見ていなかったかということがよくわかる。
予習をしたし、何かあった時にはスズカに助けてもらおうという考えで落ち着いた頃には学園近くまで近づいていた。
事前にスズカの紹介で、自転車をスズカが暮らしている寮のところに止めてから学園へ向かって歩く。
時間始まる10分前に着いたのはいいが、始まる感謝祭を前にして正門前で待つたくさんの人が並んで待っていた。
500人はいそうなのを、制服を着たウマ娘たちが行列の整理をしている。
走って踊るウマ娘はテレビで知るのと違って、こうやって並ぶ人たちがたくさんいるぐらいに人気が高いことに驚きを持ちながら最後尾に行って並ぶ。
最後尾には、制服の上に腕章をつけてプラ看板を持っているナイスネイチャがいた。
声をあげて仕事をしている彼女の邪魔をしないよう、目が合った瞬間に軽く手を挙げて挨拶をしておく。
向こうは俺に気づくと「アキくん!」と元気な笑みを浮かべて軽く手を振ってくれた。
その途端、周囲から熱い視線をもらったのはなぜだろうか。
困惑に好奇心、妬み恨みとそんな感情を感じる。……こう、まだ知名度がないウマ娘に名前を呼ばれただけなのに。ファン感謝祭に来る人たちは俺よりもよっぽど熱心なファンのようだ。
そう思うとウマ娘はスズカの走る姿しか知らないから居心地がどうにも悪い。
それでもスズカと会うために深呼吸をして気分を落ち着け、ちょっとしてから柵の門が開くと俺も含めて並んだ順に歩いて学園へと入っていく。
初めて入るトレセン学園にはウマ娘が2000人も在籍しているとだけあって広く、校舎の建物はかなり大きく立派だ。
その校舎に続く長い道の間には屋台ができており、制服やジャージを着ているウマ娘の子たちが料理を作り売っている。
チョコニンジンやたこ焼きに焼きそば、そしてニンジン焼きの屋台ではスズカがいた。
制服の上に緑色のエプロンを着けて売り子をしているスズカは俺を見つけると、嬉しそうに手招きをして呼んでくる。
コンロの上にある網の上でニンジンを焼いているスズカに、料理をしている衝撃の光景を見続けていたかったが、呼ばれたのなら仕方ない。
ニンジン焼きの店にはスズカの他に、もう1人のウマ娘がいた。
その子の邪魔にならないよう、屋台の脇へと行く。
「よぉ、頑張って焼いているか?」
「アキくん! うん、頑張ってる。まだ始まったばかりだけど、自分が作ったものを買って食べてくれるのはすごく嬉しい。アキくんが私に餌付けする理由がよくわかったわ」
「お前に餌付けして、俺が得したことがあっただろうか」
「将来有望なウマ娘と仲良くなるのはいいことだと思わない?」
「スズカならレースを走らなくても仲良くしていたと思うが。それに俺はスズカがレース勝てなかったとしても怪我をしないで、ずっとそばにいてくれるだけで嬉しいよ」
ファン感謝祭というイベントでテンションが上がっているのか、上機嫌に話しかけてきたスズカ。だというのに、普段より元気な姿を見て逆に落ち着いている俺の言葉を聞いてうずくまるのはどうかと思う。
しゃがんでいないで、立ってニンジンを焼かないともう1人の子に迷惑がかかるというのに。
そう思ってニンジンを売っていた、青いエプロンを着けている子に目を向ける。
その子はオレンジのような明るい茶色の髪をして、耳飾りには小さなダルマや四葉のクローバーをかたどったアクセサリーを身に着けていた。
スズカよりも体にメリハリがあり、立体感がある胸の持ち主は「この女たらしがアキくん……」とつぶやいては、俺に対して恐れおののいている。
なぜだ。俺はスズカがそばにいるだけでいいと言っただけなんだが。今の発言に何も問題なんかないだろ。
「フクキタル、アキくんにニンジンを売って……」
と、いまだうずくまって俺に視線を合わせてくれないスズカは網の上に乗っているニンジンを指差している。
スズカにお願いされたフクキタルは、すぐに焼きニンジンを発泡スチロールのトレーに移し替えて売る状態へとなった。
「あー……、じゃあ1本くれ」
「はい、どうぞ! スズカさんが丹精込めて焼いたニンジンをご賞味ください!」
お金を渡すと、よくわからない言葉と一緒に棒に突き刺さった焼きニンジンを受け取る。
その焼きニンジンは赤いデミグラスソースがたっぷりついていて、匂いではおいしそうに思う。
「スズカ、俺はそのへんを回っているから仕事が終わったら電話してくれ」
なぜか照れた様子でようやく立ち上がったスズカにそう言うと、焼きニンジンをかじりながら人混みが多い道を歩いていく。
スズカとフクキタルという子がやっていた屋台の他にもトレセン学園らしい出店をぼぅっと覗いていく。
食べ物以外にもウマ娘のグッズやブロマイドを売っているところがあった。
その屋台で売り子をしているウマ娘の説明では、レース場や通販で出ていない知名度が低いウマ娘のも扱っているということだ。
そう聞くとスズカのを探したくなるというものだ。スズカはまだデビュー戦しか勝っていないため、あるかもしれないと。
本人に自撮りや練習している姿の画像をくれと言ったらくれると思うが、求めたらスズカが調子に乗りそうで嫌だ。
そのことをネタに長期間からかってくるのは間違いない。
だったら、ここで買えるのなら買いたいところだ。あとは知り合いでもあるナイスネイチャのがあれば、それも一緒に。
そう思ってじっくりと眺めていると、ふと強い視線を感じた。
誰かと思ってあたりを見回すと、スマホで誰かと電話をしながら俺を見ているウマ娘がいた。
一言でいうなら、かなり俺の好みだった。
身長が俺と同じぐらいで胸が大きく、スズカの髪色を少し明るくし、性格が陽気そうな雰囲気だから。
そのウマ娘はスズカが所属しているチームリギルの子で、つい先日に勉強した甲斐があって名前を知っている。
彼女の名前はタイキシャトルだ。大柄な体で、短距離やマイルといった短い距離を走る子で、前にスズカのレースを撮ってくれた。
その子にぼぅっと見惚れていると、俺へと笑顔で小さく手を振っていなくなった。俺はその子が見えなくなるまで、つい目で追ってしまっていた。
スズカを見ていると安心感があるが、あの子には心がときめいた。一目惚れとまではいかないものの、誰だって自分好みの子を見たら、ときめいても仕方がないと思う。
そうして俺は自然とスズカ以外にその子のも探したのは当然と言えるだろう。
時間をかけて探したものの、スズカやタイキシャトルの物はなかった。スズカは1勝、タイキシャトルは勝ってないかデビュー前だった記憶だ。
スズカが所属するチームリギルはウマ娘が10人もいるから覚えきれない。時間をかける、またはウマ娘ファンなら知名度が低い子でも知っているだろうけど。
目的の物が見つからず、少し落ち込んで屋台を後にすると俺の前には1人の大人の女性がいた。
その人はウマ娘ではなく、灰色の高級そうなスーツと黒いワイシャツを身に着け、ふくらんだ紙袋を持っていた。
さっき見たタイキシャトルや俺と同じぐらいの身長で、ハーフリムの眼鏡を身に着け、つややかな黒髪をポニーテールにしている。
20代後半に見える怖めな顔つきをしている女性は俺の前までくると、じっと俺を見つめてくる。
「あの、俺に何か?」
「急にすまない。君がスズカの言っていた、あの"アキくん"だったから観察してしまったんだ」
「もしかして、スズカのトレーナーさんですか?」
「ああ。チームリギルの東条ハナだ。私のことはスズカから何か聞いているか?」
はじめはきつい目で見てきていたが、答えにくい質問にどう言うべきか悩んでいると柔らかく笑みを浮かべた。
どうしてそうなるのか。その反応がわからないでいると、彼女は腕を組んで苦笑する。
「言いづらいのなら構わない。その反応でどういうことかわかるというものだ。別に私はスズカを苦しませようとしているわけではないというのは知っておいて欲しい。
私は私が経験したことと知識でしか教えることができないから。スズカが足を痛めないよう長く走ってもらいたいとは思うものの、うまくいかないことはある。それが嫌われているかもしれないけど」
「スズカはあなたのことを嫌ってはいませんよ。スズカは自分の思うとおりに走りたいだけなんです」
「……私としては怪我なく走り続けるのが一番だけれど。それと迷惑かもしれないけど、気が向いたときでいい。スズカに優しくして欲しい」
会ったばかりだけど、今までスズカから俺のことを聞いたであろう人の信頼。
だけど、その信頼にはいらだちが来る。大人という生き物は自分勝手だ。
いつだって上から目線で言い、今だって俺が頼まれでもしないとスズカと仲良くしないかのようにも聞こえる。
もちろん本人はそんなつもりなんかないだろう。だが、大人らしい上からの言い方に腹が立ってしまう。
「気が向いたときになんてしません。いつだって優しくしています。
スズカは俺にとって親友で妹みたいな存在で、目が離せない天然な女の子ですから」
サイレンススズカは有名なチームリギルに所属し、優秀なトレーナーの元にいるウマ娘だ。
俺から見ると、そんなのは関係なく1人の女の子として見ている。
そういう見方でにらみながら言った言葉に、東条さんは声をあげて嬉しそうに笑った。
「そう考える君だからこそスズカは頼っているとわかる。これからも変わらない君でいてくれ。それと、これはプレゼントだ」
東条さんは手に持っていた紙袋を俺へと押し付けるようにして渡してくると、俺の背後を気にしながらゆっくり歩いて去っていく。
歩いていった方向にはネットやテレビで見たことのあるチームリギルのウマ娘たちがいる。
そのウマ娘たちを見ていると、ふと気配を感じて振り返るとエプロンを外したスズカがいた。
「おつかれ、スズカ」
「待たせてごめんね、アキくん。……今、会っていたのはトレーナーさん?」
「あぁ。世間話を少しして本を渡されたんだ」
受け取った紙袋の中にあったのは本だ。その本を手に取ると、タイトルには『健康・調理の化学』『ウマ娘栄養学』の2冊が入っていた。
これはスズカに料理を作るなら、レースするウマ娘を考えろということだよな。
今まで作っていたのは、炒めて煮る簡単料理だったからなぁ。スズカと一緒にいるなら、栄養のことについて考えないといけないか。
自分が作った料理は、スズカがおいしいというものを作るということしか考えていなかったことに反省する。
ちょっと落ち込んで自分に反省すると、スズカは俺の手から本を取り上げて紙袋に押し込むと、紙袋ごと俺の手から奪っていった。
「アキくんはこういうのを読んじゃいけないと思うの。私はアキくんが私のためを思って自由に作るのが好きだから」
「でもスズカと一緒にいるなら勉強しろということだろ。そうしないとスズカと会うなと言われそうだ」
「そこは大丈夫だと思う。マルゼンスキーさんは1人暮らしをしているけど、そこまで栄養に気をつけていないし。体重の増減と、時々する血液検査で問題がなければいいと思うの」
「まぁ、スズカがそういうならそうするけど。でももらったからには読んではおくぞ」
と、スズカの手から紙袋を取り、ショルダーバッグの中へと詰める。
スズカは俺のショルダーバッグを見つめ、納得がいったというようなすっきりとした表情になった。
「もしかしたら遠まわしにウマ娘栄養管理士の資格を取る道があるかもと伝えたかったのかも」
「俺は進路相談をしたわけでもないんだが」
「私が相談したの。どうしたらアキくんはウマ娘に関する仕事に興味を持つかなって」
それでか。だから東条さんは前持って栄養学の本を準備できたわけか。
なるほどなるほど。俺の将来を心配したというわけか。
俺はスズカの手を掴むと、屋台の隙間へと連れていく。
「えっと、アキくん?」
不思議そうにするスズカのおでこにデコピンをひとつ。そのあとにほっぺたをむにむにとさわりまくる。
少しのあいだ、スズカのすべすべしたほっぺたを楽しんだあとにため息をつく。
「なぁ、スズカ。アイドル活動やレースで有名になるウマ娘だからこそ報告義務があるのはわかる。わかるが、俺のことはどこまで東条さんやチームの人に話をしているんだ?」
「付き合っているわけでもないから、外泊届け以外のは別に報告義務はないけど。ただ、私が優しい男の子がいるって自慢したくて」
「このアホ娘! 俺の情報が全部出ているんじゃないのか!? 東条さんに目をつけられたし、スズカの調子が悪ければ俺の責任になるだろうが」
「……でも最低でも週に1回はお泊りに行っているんだから、トレーナーさんが気にするのも仕方ないと思うの。あと、素敵な男の子のアキくんを他の人に知ってもらいたくて」
「チームの人は俺の顔がわかるのか?」
「うん。その、アキくんの許可を取らなかったのは悪いと思うけど」
スズカは耳をばらばらと動かして不安そうにし、体を小さくして顔をうつむかせて罪悪感を感じている表情だ。それを見ると、もうこれ以上は怒れない。反省しているようだし、悪気がないから今回は許そう。
俺はスズカの手を離し、深呼吸をすると気持ちを切り替えて感謝祭を楽しむことだけを考える。
「今度ブロマイドをくれるなら許すよ」
「いいの?」
「ああ。ほら、行くぞ」
顔をあげて安心するスズカに背を向けて歩き出すと、スズカは安心した様子で俺の横へと並ぶ。
スズカが普段勉強している教室や筋トレの器具がある場所や練習場。
他には演劇を鑑賞し、男装執事喫茶ではチームリギルに所属するイケメンなウマ娘たちを眺めたりと。
そこらでやっている出し物や売っているものを食べ歩きして一通り回った頃には昼を過ぎていた。
午後はスズカも友達と遊ぶだろうし、午後は1人で回るかと思ったものの、普段それほど鍛えてない俺の体は疲れている。
そんな俺を察してか、スズカは校舎裏の人が来ない場所へと連れていってくれる。
木々があり林となっている影のベンチへと肩を並べて座った。
「ウマ娘は人気があるんだな……」
「走る姿だけでなく、歌や踊りで人々を楽しませるから」
「スズカの歌はデビュー戦の時に1度聞いたけど、あれはファンになりそうだな」
「アキくんは私のファンになってくれなかったの?」
耳を伏せ、寂しそうな顔をしてくるスズカに俺は顔をそらしてしまう。
それというのも自分の気持ちがよくわからないから。
スズカと出会った時はまだデビュー前だから、レースをするウマ娘というよりも普通の女の子として接していたからファンというよりも仲のいい友達という感じだった。
他の人に説明するのなら、以前から接していた子が駆け出しアイドルになったとでも言えばいいだろうか。
スズカの走りや歌は好きだ。でもファンかと聞かれると答えることができない。
何か代わりの言葉を、たとえば歌がもっと上手になったら、踊りがよくなったらという軽口も言えない。
これほど落ち込むスズカなんてのは出会った頃に近いと思うほどだ。
「私はアキくんに頼りっぱなしだから、ウマ娘というのに幻滅しているのね。だから私が家へ行くとよくデコピンをして―――」
「それはお前が悪いだろ」
まだ話をしている途中なのに、つい突っ込んでしまう。
そしてすぐに俺は後悔をしてしまうが、俺が困っているのを見たスズカは笑顔を浮かべてすっきりした表情だ。
それが妙に腹が立ち、左手と右手で同時におでこへとデコピンをぶつけた。
「お前の走りや歌は好きだが、ファンというものがわからないんだ。スズカと出会うまではウマ娘やアイドルに興味がなかったからな」
「と、いうことは私がアキくんにとって初めての女ということね?」
「その言い方はやめてくれ。そこだけ聞かれると俺が恨まれる」
スズカはデコピンで痛んだおでこを両手でさすりながらも、からかうように言ってきた。
少しして痛みが落ち着いてらしく、手を膝の上へと戻して俺へとまっすぐな目を向けてくる。
「ファンというのは、その人が好きで応援したい気持ちがあれば、ファンと名乗っていいと思うわ」
「そういうものか?」
「ええ。それにそんなアキくんを見ていると、学園に入るときに思っていた目標を思い出すの」
「目標?」
「私の走りを見てくれた人が喜んで、そんな人たちに夢を与えられるウマ娘になりたいというのを。アキくんは私を見て何か思ってくれたら嬉しいな」
スズカは俺に笑みを向けてくれるが、それは寂しさや儚さ、俺に対する期待という感情が混じったものだ。
考えてみれば、いや、考えなくても俺はスズカに多くの物を感じている。
スズカと出会った時だって、普通なら面倒なことに関わりたくないから無視するはずだった。
今はよく料理を食べにくるが、それまでは自分のためにしか料理をしたことがなかった。
一緒に女の子と同じ部屋で何度も寝泊まりさせることも。
そして、最も大きな変化は将来の目標が具体的に決まっていなかった俺が、ウマ娘に関する仕事をしたいと目標があるから。
「スズカには充分に夢を与えてもらっている。お前のおかげで俺の人生はなかなか楽しくなっているぞ?」
「本当?」
「本当だとも。俺の家に来ているならわかるだろう? 俺はいつもスズカが家に来るのを楽しみにしているんだ」
「その割にはいつも私をいじめてるような……」
「それはスズカが悪いこともあるだろう? あと、いじめてない。からかっているだけだ」
そんなあきれたふうに言うと、スズカは頬をふくらませては俺の太ももを片手でぺしぺしと軽く叩いてきた。
その手を掴んで抑えようとするも、ウマ娘特有の力で俺の手を振り払ってくる。
ちょっとの間、じゃれあったあとに俺はベンチの背もたれへと体を深く預け、透き通るような青空を見上げる。
「ねぇ、アキくん。私ね、前にアキくんに言われたことを考えたの」
「気持ちよく走れていないということだったか」
「そう。そのことをトレーナーさんに言ったら、スピカっていう違うチームのトレーナーの人に少しだけ練習を見てもらえるようになったの」
「スズカが理想とする走りは見つけられそうか?」
「わからない。もう少しで何かがわかると思うけど……、ふふっ」
暗い表情をしていたかと思うと、次の瞬間には小さく笑い声をあげた。
そんな姿が不気味だ。この話の流れで笑う要素はないというのに。悩みすぎてどうでもよくなったのか?
「うん、やっぱりアキくんは私にとって大切な人」
「なんで今の流れでそうなるんだ」
「だってそうでしょう?」
「何がだ」
話が見えず、はっきり言わないスズカに不満を覚えているとスズカは俺にもたれかかるように体重を預けてくる。
俺は倒れないように足で踏ん張り、ベンチに手をついて支えとして耐える。
いつもしているみたいな甘えとは違う、俺に何をされてもいいと思っているほどに感じる甘え。
俺の肩にしなだれかかったスズカは上目遣いで見つめてくる。
そんなスズカがひどくかわいく見え、周囲から聞こえているはずのざわめきがさっぱりと聞こえなくなった。
「私が悩んだ時はいつだってアキくんが私に光を見せてくれる。
……私は走ることが大好きで、トレセン学園に来たのもたくさん走りたかっただけなの。1人で走るのは好きだけど、誰かと一緒に競争するのも好き。
だけどね、アキくんと出会った頃の私はクラスメイトの子たちとはうまく馴染めなくて。他の子たちは人生や応援してくれる人たちの想いを持って来ている。
でも私にはそんなのがない。楽しく走れればいいとだけ思っていた。ただ走るだけで幸せだった。冷たい雨や視界がなくなるほどに雪が降っていても。
そんな私が他の誰よりも早く走れたものだから、すごく努力していた子たちからは距離を置かれていた。
その時は、その子たちが楽しんでいないから上手に走れていないと強く思っていたの」
そこまで言うとスズカは目をつむり、僕の膝の上へと落ちる。
太ももにスズカの重さを感じ、膝枕になった状況に震える声でスズカは話を続けていく。
「時間が経ってチームに入ってからは、先輩たちが苦しくてもすごく練習していてショックを受けて……。
私が学園で走る意味はあるのか。レースで勝って、歌と踊りはそこそこやればいいと思っていた。
でもそこには私しかいない。誰にも喜んでもらえない私しかいなかったの。
自分の走る理由に悩み、体ができあがっていないからデビューは同期の子よりも遅くなると言われて学園を抜け出してしまったの」
「そんな時に俺と出会ったのか」
「うん。どうすればいいか分からなかった時に優しくしてくれたのがアキくんだった。何も理由を聞かず、初めて会ったのに」
あの時は親が離婚した時の絶望した自分と重ねていた。そんなふうなのを見ていられなくて助けただけだ。
自分のためだけにやったことだが、それでスズカが楽になってくれたのなら嬉しい。
「それからもアキくんは私のために色々してくれて、私は辛い時期を乗り越えた。少し前に悩んでいた時もそう。
アキくんがいたから私はトレーナーさんと相談して、自分がやりたい走り方を目指した。それができるように私を助けてくれたことにすごく感謝している」
俺がしたことはスズカの悩みを聞き、少し背中を押しただけだ。変わろうとする勇気がなければ、スズカは今も悩み続けていた。
でも今は違う。スズカは前と進み、結果を出した。それはとても強い子だ。
「友人なら悩みを聞き、助けるのは当たり前だろ」
自然と優しい声が出た俺はスズカのさらさらとした栗色の髪をさわり、手で髪をなでるようにしてさわっていく。
スズカも俺にされるがままに髪を自由にさせ、俺と目を開けて優しく見つめてくるスズカの間には静かな時間ができていく。
「だったら私もアキくんを助けたいな。アキくんが困った時に、いつでもどこへでも私が走って助けてあげる」
「その時になったら助けてくれ」
「うん。絶対に助けるから」
スズカの真面目な声を聞くと、俺自身が俺のことをいい人になれてきているなと嬉しくなった。
無責任という印象が強い自分の親と俺は違うんだと感じられて。
そのあとはベンチからスズカが元気よく立ち上がると、俺の手を引っ張って立たせてくる。
俺はスズカに引っ張られるようにして、スズカと手を繋ぎながら感謝祭巡りを再開する。
でもほとんどは見て回ったため、練習場でやるイベントを眺める時間がほとんどだった。
その時は練習場の観客席でなぜかチームリギルに所属するウマ娘や東条さんたちと一緒にウマ娘やトレーナーたちの出し物を見ることに。
椅子に座った俺の右にはスズカがいて、左には三冠ウマ娘のシンボリルドルフが。他にも周囲に有名ウマ娘やデビュー前のウマ娘も。
どうしてこうなったかとウマ娘さんたちに聞いたところ、スズカが話に出すアキくんを見たかったということと、アキくんがどういう男の子かよく聞くから初対面じゃない気がしたからとのことだ。
そういうのを聞かされると、なんか俺の生活がスズカにコントロールされているんじゃないかという気がする。
俺はスズカにご飯を作り、家に泊めるほどなのに。私物も増えてきているからか、スズカに生活を支配されている気がした今だ。
将来スズカと結婚する男は大変だ。
スズカは天然な子だが隠し事をすると感覚はするどいし、グラビア写真集やエロ本といった置き場所は全部把握しているほどだ。
幸いにもスマホの中だけは俺だけの自由空間ではあるが。
それでもスズカと一緒に過ごす時間は楽しいし、時々同棲みたいなもんじゃないかと思うでもスズカが言うには一緒に暮らしているわけじゃないから違うとのこと。
そうならば、妹が兄の部屋に押しかけるようなものに違いない。俺に妹はいないから、全国の妹持ちの兄たちに妹がいる生活はどういうものかと聞いてみたいものだ。
複雑な感情を持ちながら出し物を見終え、帰ろうとするもチームリギルの打ち上げに混ぜられ、なんか最後には大色紙にそれぞれのウマ娘たちからのサインが書かれたものをもらった。
それと1週間ほど経ってからは、それぞれのウマ娘のサイン付きブロマイドを送ってきた。その中にはまだ販売していないはずのスズカのも入っている。
スズカと会ってから段々と俺の人生にウマ娘深く関わってきているなぁ……。
でも嫌なわけじゃなく、むしろいいことだ。だってずっと一緒に過ごしていきたいと思っているスズカの、ウマ娘のことを知ることができるから。
完結。
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