謳う者   作:百日紅 菫

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絆を謳う

 1

 

 「楽しいから。試合も、練習も、皆がつまんねぇって言う基礎練習だって、俺は楽しい。バレーをやる上で強くなれるからってのもあるけど、一番は皆がいるから。疲れた、暑ぃ、そんな愚痴とか、レシーブとかサーブのコツを教え合ったりとか、すげぇプレーが出たときの盛り上がりとか、そういうのが楽しいし、嬉しいし、煩わしい。だから、俺はバレーをやる。ま、プロを目指すとかじゃないけどな」

 そう言って、彼は朗らかに笑った。

 「…煩わしいと思うこともあるの?」

 「そりゃあるよ。自分の調子がいい時に面倒くせぇとか言われると、もうぶん殴りたくなるし、その逆もあるし。だけど、試合の時にゃ頼りになる連中だって知ってるからな。そういう信頼関係みたいなもんがあるから、何があったって楽しめるんだと思うよ、俺は」

 中学二年の秋。夕暮れの帰り道に尋ねた私の質問に、彼は正面から答えてくれた。

 昔からそういう奴だって知っていたはずなのに。昔から似たような奴だと思っていたのに。

 いつの間にか、彼は私にはないものを手に入れていた。

 つまらない、変わらない世界の中で、唯一彼だけは私にとって、そして何より、彼にとっての私は特別だと思っていたのに。

 彼は、私の知らない世界で、輝いていた。

 昔から、お互いのことで知らないことなんか一個も無かったのに。

 いつだって、一緒にいたはずなのに。

 誰よりも、何よりも、お互いのことを信頼して、信用して、二人の世界を築いて来たはずなのに。

 いつから、こんなにも違っていたのだろう。

 いつから、彼は輝いて。

 いつから、私は暗いままだったのだろう。

 その違いに気が付いて、私はただ只管に焦った。

 彼に追いつかなくては。

 彼と並ばなくては。

 彼に、相応しい存在にならなくては。

 そんな想いの中で出会った、アイドルという名の偶像たち。

 けれどそこには、確かに輝きがあった。

 輝くような笑顔と、不器用に差し出された手の先に、最初は何があるかわからなかった。

 それでも彼に背を押されて飛び込んだ新しい世界には、確かに私の望む輝きがあった。

 それを得るために、楽しいことも、辛いことも、たくさん経験した。

 そして、彼が言っていた言葉の、本当の意味を理解したんだ。

 バレーとアイドル。

 進む道は違えども、私たちが思うことはただ一つ。

 「仲間がいるから、楽しめる。仲間がいるから、頑張れる。そして、君がいるから、自分を見失わない」

 それは、絆の証。

 支え合い、追いかけ合い、時には突き放して、また近づいて。

 何があったって、切れることのない貴方との絆。

 だけど、それだけじゃ足りなくなっちゃったんだ。

 「私、アンタのことが好き」

 

 

 2

 

 ばいばーい、と手を振る未央と卯月を見送って、事務所入り口の中にあるベンチに腰を下ろす。

 広いエントランスには346事務所所属のアイドルのポスターがでかでかと飾られ、数種類の鉢植えがセンス良く置かれている。シックな雰囲気に合っているし、設計した人は相当良い感性を持っていたに違いない。

 そんなことを考えつつ、スクールバッグの中から黒いマフラーを取り出す。もう少しすれば待っている人が来るだろうから、マフラーを巻きながら外に出る準備をしておく。

 12月も始まったばかりと言えど、体の芯から冷えるような寒さは健在だ。事務所の正面扉が、その厚さでもって室内の暖気を逃がさないようにしてくれている。

 その寒暖差の要である扉が、ゆっくりと開いた。

 今このエントランスには私しかいない為、必然的に外からの来客であることがわかる。そして、その来客は私が待っていた人物だろう。

 「ふぅ、あったけぇ…。遅れて悪いな、凛」

 「別に遅れてはないよ。早く帰ろう」

 「いや、ちょっと待て。もう少しだけ暖まってから行きたいんだけど」

 「私は別にいいけど、アンタ家の手伝いあるって言ってなかったっけ?」 

 「ぐおお、そうだったぁ…!しょうがねぇ、帰るか」

 青いコートに紺色のネックウォーマー、下は制服ではなく黒地に青のウィンドブレーカーの彼は、心底名残惜しそうに入ってきた扉を出ていく。そのしなやかな背中を追うように、私も外へと出る。

 「寒っ」

 「だよなぁ。体育館の中なら半袖半パンでも大丈夫なのに」

 「アップの時は長袖着てるでしょ」

 「あ、そういやこれ聞いたか?」

 私の言葉に図星を突かれて話を変えるように、彼はポケットから音楽プレーヤーを取り出した。表示された画面には、アーティスト名と曲名、パッケージの画像が映されていて、そのどれもが見知ったものだった。

 「聞いたよ。うちの事務所の人なんだから」

 「いい曲だよなぁ。俺が今まで聞いてきた中で二番目に入ってくるレベル」 

 そう言ってサビを口ずさむ。

 その曲は、最近配信された曲で、大先輩である高垣楓さんと、ネットで有名で、今は楓さんとコンビで世界ツアーに行っているさしわたという男子の二人のデビュー曲である『星導』。

 この間のライブで発表されたばかりなのに、その人気は留まることを知らず、世界ツアーを最初のライブから追いかけている人も多くいるようだ。

 だけど、そんな誰もが認めるほどの曲が、彼の中では二番目に位置するらしい。

 まぁ、一番が何かを知ってはいるのだが、聞いてみてもいいだろう。

 「じゃあ、一番目は何なの?」 

 「あ?そりゃお前、『Never say never』に決まってんだろ。振り付けまで覚えてんだぜ?大体、俺の中でお前が何かに負けるわけないだろ?」

 「わ、分かった!わかったからもう黙って!」

 寒いはずなのに、体の芯から熱くなる。

 今のは勝手に自滅しただけだけど、それでもこいつに羞恥心があるのかを問いたくなる。

 頬から耳まで真っ赤になっているであろう私を見て、彼は追い打ちをかけるように『Never say never』を出だしから歌い始め、それどころか小さく振り付けまでしている。

 中学の時から使っている青いエナメルバッグを揺らしながら、彼はステップを踏みながら家に向かう。

 男子の彼が小さく踊る姿は少し滑稽で、最初は恥ずかしかったけれど、いつの間にか私も歌っていた。

 「ふぅ。そういえば、練習はいいの?いつもならまだ学校にいるでしょ?」

 「ああ、春高まで金曜はオフなんだ。今日は少しだけ自主練してきたからこの時間だけど」

 「少しって…。アンタ、そのうち体壊すよ」

 「バカだなぁ、飯食って運動してよく寝てんだから体壊すわけないだろ」

 「ごめん、壊れてるのは頭だったね」

 「確かに中間は赤点スレスレでしたけど!また数学教えてください!」

 別に頭を下げなくたって教えてあげるのに。

 彼は歩きながら手を合わせて頭を下げる。その器用な姿に感心しながら、彼の成績を思い出す。

 部活に心血を注いでいるからか、彼は勉強を疎かにしがちだ。事実、前回の中間テストでは全教科赤点スレスレで回避という、ある意味で荒業をやり遂げている。

 しかし、それで彼の頭が悪いかと言われればそうでもない。

 授業で多少寝ていても、私が一度説明すればちゃんと理解してくれるし、勉強会をした時のテストでは学年10位以内にも入っていた。

 ただ、勉強している時としていないときの差があまりに激しい為、各教科担当から目をつけられているらしいとは本人の談だ。

 ちなみに私と彼は違う学校だ。奇跡的に勉強内容がほとんど被っているので、勉強会をしたところで無駄が出ることが一切ない。

 「ふふ。とりあえず、今日の仕事が終わったら私の部屋に来なよ。テストまでもう少しだし、特にダメな数学を克服しておこう」

 「了解っす。代わりに現代文を教えてやろう」

 そんな会話をしながら数分。気づけばお互いの家である花屋と和風カフェの前についていた。

 この後彼は作務衣に似た制服に着替えて、閉店時間である9時まで両親の手伝いをするのだろう。

 私も店番をすることはあるけれど、花言葉やその人の雰囲気に合う花を薦めてレジを打つ程度。彼のように、愛想のいい笑顔を浮かべて注文を取ったり、気の利いた言葉で優しく注意したり、あのカフェの顔とも言えるような働きは、私にはできない。

 それを言うと、彼は決まってこう言うけれど。

 「いやいや、俺は誰に対してもあの態度だけど、お前は客に合わせて花を薦めてるんだろ?そんな細かいこと俺にゃ無理だよ。無理無理。初対面の人間の雰囲気とか分からんよ」

 その言葉は、どこもかしこも似ている私たちの違いを、彼が初めて口にしたものだ。

 人としての本質が似通った私たちは、けれどやっぱり違う人間だと理解し始めた頃からの口癖のようだった。 

 「それじゃ、あとでね」

 「おう、あとでな」

 たった数メートルの距離で手を振り、向かい合う店の中へと入っていく。

 いつも通りの日常。

 変わることのない関係。

 彼に支えられていた私の人生を、けれど物足りなくなくなってしまったのは、一体いつからだっただろうか。

 

 

 3

 無事に高校生になった春。私にとって運命的な出会いをした日の夕方。ペットであるハナコと散歩をしていると、入学早々から部活に参加している彼とばったり出会った。

 いや、いつもの散歩コースから離れているのを見るに、無意識に彼に会いに行こうとしていたのだろう。

 私に気づいた彼が、無言のまま私に並んで歩く。相変わらず察しのいいやつだ。

 普段の散歩コースに戻り、太陽のような輝く笑顔と、不器用に手を伸ばされた公園に来た時、私の口はようやく開いた。

 アイドルという夢に向かってひた走り、その夢を叶えた少女の笑顔。

 私の知らない世界に連れて行ってくれるという、不器用な手のひら。

 興味がないと。くだらないと。そんなものに何の意味があるのかと。

 そう、思っていたはずなのに。

 彼女の笑顔を見て、彼の手を取って、私の知らない世界というものを知ってみたいと思った。

 けれど、新しい世界に飛び出すということは、怖くて、勇気が必要なのだと知った。

 その世界に飛び込んだ後のことは何も見えず。その世界のことについて私は何も知らない。

 見えず、知らず、暗闇にも似た未来へ進むということが、怖かった。

 だから、私は彼に求めたのかもしれない。

 「…いいんじゃね。凛が、やってみたいと思ったんだろ?」

 いつだって背中を押してくれる彼の言葉を。

 「そう、だけど…」

 「誰だって何かを始めるのは怖ぇよ。テレビで見たって、いくら調べたって、経験しなきゃわからないことがある。けど、その初めての経験ってやつが何よりも怖ぇんだ。たった一回のその経験が、何に繋がるか分からないから」

 暗闇を照らしてくれる光のような彼の言葉を。

 「…アンタも、最初は怖かったの?」

 「ああ。友達に誘われて始めたけど、周りは皆昔からやってて、当然だけど俺なんかより何十倍も上手くてさ。なんなら、始めてからもちょっと嫌だったぜ」

 周りから見れば、新しい世界に先に飛び込んだ彼からのアドバイスにしか見えないだろう。

 けど、私にとっては卯月の笑顔や、プロデューサーの手より。そして何より、自分の意志と同じくらい重要な言葉なんだ。

 もし私の人生を物語にするならば、私以上に重要な登場人物として彼が登場するだろう。

 「それで?結局、凛はどうすんの?」

 彼は私の背中を押してくれる。

 もし挫折しても、彼は笑って迎えてくれるだろう。

 でも、それだけだ。

 彼は私を支えてくれる。けれど、押し付けてくることはしない。

 どんなに迷って相談しても、最終的な判断は絶対に下さない。

 それは彼なりの優しさと厳しさの表れだった。

 彼には彼の、私には私の人生があって、支え合っているけれど、互いの責任は一切負わない。

 だからこそ、私たちの関係があるのだろうけど。

 「…私は、見てみたい。私の知らない世界っていうのが、どんなものなのか。あんなに綺麗な笑顔をする卯月の夢が、どんなものなのか。私は知りたいんだ。だから、アイドル、やってみる」

 知りたい。彼女の夢や、新しい世界を。

 そして何より、彼が見て、経験してきたものを、私は知りたいのだ。

 「ん、良いと思うぜ。俺がバレーを始めた理由より、全然カッコいいよ」

 「何言ってんの。アンタが頑張ってる姿がカッコいいから、私も前に進めるんだよ」

 いつも隣を歩いている彼は、けれど時折、少しだけ前を歩いてくれる。

 その背中が、何よりも雄弁に語ってくれるのだ。

 お前なら大丈夫。お前なら進める。お前は、渋谷凛は、強いのだと。

 前を歩く彼は、決して手を差し伸べてくれない。あるのはただ、歩く勇気をくれる言葉だけ。

 私は、決して勇気がある人間ではない。

 高校まで新たな世界へ踏み出すことができなかったことが、その証左だ。自分が持っていると自負しているのは、度胸と恵まれた絆くらいのものだ。

 けれど、その繋がった絆の先にいる彼が、私に勇気をくれる。

 「はっはは。俺がカッコいいのは知ってる。超知ってる」

 「…ほんと何言ってんの。今のアンタは超ダサいよ」

 「はぁ?このジャージのセンスとか完璧だろーが」

 「そのジャージは私が一緒に選んだやつでしょ」

 「……ま、着こなしてるのは俺だけどな」

 こういうギャップは本当にどうにかしてほしい、本気で思うけれど。

 「そういえば、最初は嫌だったのによく続けてるよね、バレー」

 「ああ、そうだなぁ。ハマるきっかけが、あの一本が無ければ、今はやってねーだろうな」

 彼がバレーを始めたのは、友人に誘われたから。

 けれど、バレーを続けている理由がちゃんとあるらしい。

 確かに惰性で続けるには疲れるし、友情で続けているのなら苦しいだろう。けれど、今の彼からそんな疲れや気遣いは感じない。それどころか、実家の和風カフェの手伝いとの二足の草鞋を、彼は楽しんでいるようにさえ見える。

 「そのきっかけって、私知らない」

 「そらそうだよ」

 彼はからからと笑って、その理由を告げる。

 昔からいつも一緒だった私が知らないのは、彼の初めての試合だったからだと。

 確かに、彼がバレーを始めたと知った時、すでに彼はバレーに夢中になっていたと思う。それはつまり、彼がバレーにハマった後に、彼がバレーを始めたことを私が知ったということだ。

 それならば、彼のきっかけを私が知らないのも当然だ。

 でも、彼のことで私が知らないというのは、少し癪だと感じてしまう。

 「教えてよ。アンタがバレーにハマった理由」

 「別にいいけど、大した話じゃねーよ。初めて出た試合で、チームを救う一本に繋げたってだけで」

 彼がバレーにハマった理由。

 それは、たった一本のレシーブ。

 「初めて出た試合。緊張して普段通りの動きもできなかった。でも、ブロックを抜けて真正面に来たボールを、セッターに完璧に返した。たまたまだったかもしれない。けど、完璧に打たれたスパイクを、完璧に上げた。それだけのことなのに、それがすっげぇ嬉しくて。辛くて、もう辞めたいって思う練習も、こんなに嬉しいことに繋がるんだって思った。嫌だった練習が、チームを助けて、あんなに盛り上がるんだって実感した。それからは練習が楽しくしょうがなかったね。出来ることが増える、偶然スーパープレーができる、厳しいコーチが言うことをやって見返してやる。そんな感じで今はちっちゃい目標を重ねて楽しめるようになったけど、やっぱりハマった瞬間って言えば、あのレシーブだな」

 初めて聞いた、彼の大事な過去。

 私も、そんなふうに、アイドルという新しい世界を楽しめるようになればいいと思う。よくわからないけれど、きっと辛いこともある。卯月のように養成所にも通っていない私は、誰よりも遅れている。

 だから人一倍努力しなくてはならない。だけど、それさえも楽しめたなら。彼のように、それだけに打ち込めたなら。

 きっとそれは、掛け替えのない宝物になるだろう。

 ただそれが、楽しめるのか、打ち込めるのか、好きになれるのか、不安ではあるけれど。

 その不安を感じ取ったのか、話し終えて一息ついた彼が、私の頭に大きな手を置いた。

 「…大丈夫だよ。なんだかんだ凛はやり始めたら最後までやるタイプだし、お前が踏み出そうと思ったきっかけの女の子とおっさんもいるんだろ?」

 「そうだけど…」

 「それでも不安なら、俺んとこに来ればいい。お前がどんな世界に飛び込んだって、俺はお前の隣に立ってる。俺がダメな時に、お前が支えてくれたみたいにな」

 こいつは、恥ずかしくないのだろうか。

 気障なセリフなのに、普段だったら絶対に突っ込んでいるんだろうけど、今はその言葉が心地よかった。

 私が安心したのを感じたのか、彼は私の手からリードを取ってハナコとじゃれながら歩いていく。

 その光景を見て、どんな世界に進んでも、私の帰る場所はここしかないと、確信した。

 

 

 4

 

 「こんばんは」

 夜の九時を過ぎた頃。仕事を終えて帰宅した私は、向かいの和風カフェを訪れていた。

 「あら、凛ちゃん。あの子ならまだ帰ってきてないわよ」

 「え。まだ、ですか」

 「大会が近いからねぇ。ユースにも選ばれて期待されてるのに、前回は散々だったから」

 お客がいなくなった店内の掃除をしながら、彼のお母さんはそう言った。

 18歳以下の日本代表に選ばれた彼は、レシーブ、スパイク、サーブにブロック。あらゆる面で優秀ということもあり、かなりの注目を浴びていた。

 しかし、夏に行われた全国大会で、彼が所属するバレー部は予選敗退という注目していた人たちの期待を裏切る結果を出してしまった。

 その背景には、スタメンであった先輩が病欠し、初心者の選手を含めたチームで出場し、そのフォローを行いながらのプレーで都内ベスト8まで残ったのだが、周りから見ればユース選手、それも相当な注目を集める選手を抱えるチームが予選敗退したとあれば、注目していた者たちは露骨にその興味を無くしていくことだろう。

 実際、彼は周囲の注目など気にしていない。

 けれど、私と同じ負けず嫌いの精神が、彼を追い立てるのだ。

 全国出場だとか、都内ベスト8とか、そんな目標や結果よりも、どんな状況であれ負けてしまったという事実に、彼は悔しさを感じている。

 だからこそ彼は練習しているのだろうけれど、この時間までというのは流石に自分を追い詰めすぎだろう。

 「…ちょっと見てきます」 

 「え!?あの子も男なんだから大丈夫よ!それより凛ちゃんは女の子なんだからこんな時間に出歩いちゃ危ないわ!」

 「でも、オーバーワークはよくないですし…」

 「それを言ったら凛ちゃんも今日お仕事してきたんでしょ?大丈夫よ、そのうち帰ってくるから」 

 その言葉の通り、お店の扉が開いてジャージにコートを着込んだ彼が入ってくる。

 相も変わらず全身青い彼は、いつも以上に疲れて見える。

 「ただいまー…」

 「おかえり。凛ちゃんが来てるわよ」

 「え?あ、よう凛。どした?」

 「これ、私の部屋に忘れてったよ」

 そう言って手渡したのは、深い青色の音楽プレーヤー。登下校やランニングの際に彼が愛用しているモノだ。

 「おお、今日の朝ちょっと探してたんだよ。サンキュー」

 「どういたしまして。最近帰るの遅くない?」

 「あー、試合も近いし、決勝の相手が相手だからな」

 疲れて眠そうな顔を隠そうともせず、自室がある二階へと向かっていく。

 それに無言で付いていき、彼の自室に入るなり、ベッドに腰掛ける。

 何年たっても彼の部屋は変わらない。

 教科書と、それを上回る量のバレーボールの雑誌や本が立てかけられた机。机の脇の棚には、小学生の頃からの軌跡であるメダルやトロフィー、バレーボールが飾られ、下の段にはいくつかの漫画が置かれている。暗い青色を基調としたカーテンの下には、彼が愛用している学校用と遊び用の二つの青いバッグが置かれ、机の反対側には私が座るベッドがある。

 変わったことがあるとすれば、壁に貼られたバレーボールのポスターの隣に、シンデレラプロジェクトとニュージェネレーションズ、トライアドプリムスのポスターがあることだろうか。

 ていうか。

 「いつの間にこんなポスター貼ってたの」

 「こないだおっさんから貰った。ほら、お前がスカウト受けたっていう」

 「プロデューサーから?アンタたち知り合いだったっけ?」

 「お前を迎えに行ったときにちょっとな。それより、なんか用か?プレーヤー渡しに来ただけじゃないんだろ」

 コートとマフラーをハンガーに掛けながら、こっちを見ることも無く彼は問う。机の上に置かれた設置型の充電器にスマホを置き、座り心地を優先した椅子に座ってこっちを振り返った。

 ジャージを脱ぎ、長袖のシャツだけになった彼は、しなやかに伸びる長い足を組む。 

 「まぁ、ね。アンタの決勝の日付と私のライブが重なっちゃったから、試合を見に行けないよ、っていうだけなんだけど」

 「…そっか。ま、しょうがねぇよ。お互いがんばろーぜ」

 彼はフッと笑うと、大きな欠伸をした。涙目になりつつエナメルバッグの中から練習で使ったのだろうシャツやサポーターを取り出す。

 けれど、その姿はどことなく寂しさを感じさせる。

 そしてその理由を、私は知ってる。

 「うん。そっちこそ、私が応援席にいなくても勝ってよね」

 彼の試合、私のライブ。

 互いの戦場ともいうべきその場所に、いつも必ず互いの姿があった。

 彼の試合に私はいつでも応援に行っていたし、私のライブに彼は欠かさず来てくれる。遅れることはあっても、行かないなんてことは絶対になかった。

 だから、お互いの試合とライブに、お互いの姿がないという事実が、心にずしんと重くのしかかるのだ。

 その不安を、私たちは共有していた。

 「当たり前だろ。凛こそ、俺が見てないからってダンスとちるなよ」

 「何言ってんの。アンタこそ、前みたいにサーブミス連発しないように気を付けなよ」

 それは言うなよ、と彼は机に上半身を投げ出す。お互いの不安もそうだが、今日の彼は相当疲れているようだ。

 幸い、試合とライブ当日まで、まだ時間はある。

 不安を取り除けるかは分からないが、心の準備をするには十分な時間だ。

 今日は大人しく帰るとしよう。

 「それじゃ、今日はもう帰るよ」

 「おーう。風邪ひくなよー」

 「アンタもね」

 そういって部屋を出ると、彼も洗濯に出すのだろうシャツを持ってついてくる。

 外は冬の夜に相応しい寒さを保ち、道路を挟んだだけとはいえ、家に帰るのも億劫になってしまう。

 「凛」

 シャツ一枚。暖房が効いているとはいえ、出入り口付近は気温が低い。確実に厚手のカーディガンを羽織っている私よりも寒いだろう。

 そんな姿の彼は、開いたドアに寄りかかって私の名前を呼ぶ。

 「今、楽しいか?」

 それは、アイドルという世界に飛び込んだ私が、最初に抱いていた願い。

 その問いに、私は自信をもって応える。

 今は、悩むことも無く応えることができる。

 「楽しいよ。アンタが背中を押してくれたおかげでね」

 「そうか。……おやすみ、凛」

 「うん、おやすみ」

 胸の前で手を振って、道路を挟んだ自分の家に向かう。

 たった数歩でたどり着き、振り返ってみれば同じ姿勢のままの彼が立っている。

 たった数歩。されど、物理的なその距離は遠く、彼と触れ合えない時間をもどかしく感じる。

 けれど、互いの心は繋がっている。

 ただ、心の距離より、物理的に彼と離れていることに不安を感じるようになったのは、勘違いじゃない気がする。

 

 

 5

 

 心の中にまで雨が降っているようだ。

 アイドルとして、ニュージェネレーションズとして、三人で初めて立ったデビューライブ。

 けれどその成果は輝くような夢の景色ではなく、友人の一人が、そして、信頼してもいいと思った人との不和を作ってしまうものになってしまった。

 夢の景色に向かって走り、城ヶ崎美嘉のバックダンサーとしてライブに出たときや、自分たちの出来上がった曲を聴いたときには、その一端を垣間見た気がした。 

 けれど、プロデューサーや未央との間に生まれた不和で、それも見えなくなってしまった。

 卯月も練習を休み、プロデューサーのことも信じられなくなってしまった私は、ダンスレッスンを勝手に休み、おかえりという母親の声も無視して自室のベッドに制服のまま転がる。

 目の前に広がる天井は薄暗く、私たちの未来を暗示しているかのよう。

 どれだけの時間そうしていたのか、途中で寝てしまったのか。

 顔を覆っていた腕をどかすと、そこには薄暗い天井、ではなく。

 「よぉ。練習サボったんだって?」

 見慣れた顔の彼が、視界一杯に広がっていた。

 「…なんでいるの」

 「話、聞いてほしいんじゃねぇかな、って思って」

 彼はそのまま、私が寝ているベッドの端に腰を下ろす。

 作務衣にも似た服にエプロンをつけたままの彼は、家の手伝いの合間にここに来たのだろう。

 ノックをしたのかは分からないけれど、もはやお互いに自室のように扱っている部屋だ。特に抵抗も無く普通に入ってきたのだろう。

 変わらない彼の優しさに触れて、心の淀みが明確なものになる。

 口に出す言葉は曖昧で、けれど気持ちは確かなものだ。

 その明確で、不確かな言葉を、彼は聞いてくれる。

 「確かにお客さんは少なかったよ。けど、私は三人でデビューできたことのほうが嬉しかった。それでも、未央の気持ちもわかるんだよ。バックダンサーとして出たあのライブに比べれば、何もかもが劣っていて、それでも、プロとして頑張んなきゃって…」

 でも、現実は厳しくて、その上、未央に追い打ちをかけるようにプロデューサーの言葉が反芻される。

 「あれが、当たり前の結果だって…。未央の気持ちはどうなるの。私は、何を信じて歩けばいいの…?」

 不安。

 私の心を覆う曇天の空の正体は、それだった。

 夢へと続く道は真っ暗で、手探りで進もうにも、壁も、道も無い本当の闇。

 信頼できると思った三つの光は、もう見えない。

 「…当たり前、か」

 けれど、暗闇の中でも私自身の姿が見えるのは、消えない絆があるから。隣に立つ彼が、私の姿を照らしてくれるからだった。

 「そのプロデューサーがどういう意味で言ったのかは知らないけど、それは正しいと思う」

 「どういう、こと?」

 「アイドルの世界がどういうもんか知らないけど、誰だって初めての本番は緊張するし、それ以上に期待するもんだと思うんだよ」

 「期待…」

 「そう。俺だって、最初は期待した。凄い活躍をするんだって、俺より何倍も上手い連中より活躍してやる、ってな。その試合で俺は期待通りのことを一度だけできたけど、それ以外はてんでダメ。サーブレシーブミスって連続で点を取られるのは当たり前、サーブはネットを超えないし、スパイクはラインを割る」

 彼は言葉を区切る。

 薄暗い部屋に染みる沈黙は、私の不安を煽っていく。

 「それと一緒だよ」

 その言葉は、私の不安を怒りへと変えた。

 「その未央ってやつは、自分が新米だってことも忘れて、トップアイドルの景色を見れたことが、運が良かっただけってことを理解してないのさ。

 トップの努力の結果にたまたま触れただけなのに、自分もすぐにその景色を見れると思ってる。新人の努力なんてたかが知れてるのに、天才だとでも思ってんのかそいつは。そうだとしたら、ここで挫折して良かったじゃねぇか。鼻っ柱を折られて…」

 「アンタは!あいつの肩を持つの!?何にも知らないくせに、分かったようなことを言わないでよ!」

 私を照らしてくれる光は、けれど私を突き放した。

 起き上がって彼を睨む。

 確かに未央は舞い上がっていたのかもしれない。

 けれど、それは夢を追いかけるが故であって、そこには純粋な気持ちしかなかった筈だ。

 そんな未央の気持ちを、何も知らない彼がバカにするのが許せなかった。

 「ああ、知らねぇよ。でもそれは、お前だって一緒じゃねぇの?」

 私から目をそらさず、彼は真っすぐな視線で応える。

 「お前がアイドルを目指し始めてデビューするのにかかった時間が長いのか短いのかはわからん。けど、その時間でお前は何を知ったんだ?未央ってやつの気持ちを全部理解したのか?プロデューサーって人の言葉の意味を全部理解できるようになったのか?少なくとも俺は、昔から一緒にいるお前の気持ちを全部理解したなんて思ってない。渋谷凛って人間を、俺は未だに理解してない。これだけ一緒にいる人間のことも理解できていないのに、お前から話を聞いただけの人のことなんてわかるわけねぇじゃん」

 その通り、だった。 

 確実に繋がっていると、切れない絆があるのだと確信している彼のことでさえ、私はすべてを知っているわけじゃない。

 それどころか、彼が考えていることを理解している風を装っているけれど、それさえも私の思い込みに過ぎない。

 「じゃあ、どうすればいいの…。わかんないよ…」

 わからない。

 未央の考えていること、卯月の気持ち、プロデューサーの言葉の意味。

 今まで理解していたと思っていた彼の気持ちさえ、私が勝手にねつ造していたものだとしたら。

 何を信じればいいのか。何を目指せばいいのか。

 暗闇の中、壁のない迷路を延々と彷徨っているような感覚に陥る。

 入り口から入ったはいいものの、出口どころか道すら見えない。頼りになる筈の壁も無く、照らしてくれる光も無い。

 私は一体、何をしているのだろう。

 何もわからなくなってしまった私の頭に、彼が優しく手を乗せた。

 「…それを言ってやりゃあいいんだよ」

 「え…?」

 「どうすればいいのか、何を信じればいいのか。わからないなら聞けばいい。きっと、お前らに足りないのは主張のぶつけ合いだよ。言いたいことを言って、相手の話を聞いてやる。そんな当たり前のコミュニケーションが足りないから、認識の祖語が生まれるんだ」

 きっとそれは、彼がやってきた経験に基づくアドバイス。

 バレーボールというチームワークが強さに直結するスポーツに打ち込んだ彼だからこそできる、最大限の助言なのだ。

 くしゃくしゃと乱雑に頭を撫でる彼は、薄暗い部屋の中なのにはっきりと見える。

 「主張の、ぶつけ合い…」

 「まぁ、それは俺の時の話で、今のお前らに必要なのかはわからないけどな。でも、少なくとも腹を割って話し合う機会は必要だと思うけど」

 言われてみて、気が付いた。

 プロデューサーの言われるがままにレッスンをして、未央達の望むがままにバックダンサーとして出演し、たまたま乗った流れのままにデビューした。

 その流れの中で、私たちは自分の気持ちを主張しあっただろうか。進む道に、自分の意志があっただろうか。

 「…なんとなく、進めそうか?」

 彼は立ち上がると、作務衣のポケットに手を突っ込みながら、真っすぐな視線をこちらに投げかける。

 その姿は、迷いなく歩ける彼の姿は、私の憧れだ。

 そうありたいと願った。私も、彼のように、と。

 けれど、現実はそうはいかなくて。

 でも、彼もこの道を歩んだのなら、私も頑張れる。きっと、私も彼のようになれると、根拠のない自信が沸き上がる。

 不安と迷いは消えないけれど、それでも一歩を踏み出すには十分な勇気を彼から貰った。

 「うん。まだ納得はしてないけど、私はアンタを信じてるから。だから、アンタの言葉を信じて、進んでみせるよ」

 「ああ。とにかく、お前の悩みの答えを出せるのはお前だけなんだから、好きなだけ悩め。別に今日答えを出さなきゃいけないわけでもないんだから」

 そう言って彼は部屋を出ていく。扉の向こうから、ハナコの散歩に行ってやれー、なんて声をかけているのは、きっと彼に懐いているハナコがカフェに戻る彼の邪魔をしているからだろう。

 進もうと思った。

 けれど、その道を進むために信じるものが何なのか、目指すべき場所がどこなのか。

 それはまだ分からない。

 制服を脱ぎ、いつもの私服に着替えて部屋を出る。

 雨が止んだ夕暮れの空の下を、ハナコと歩いていく。いつもの散歩コースなのに、頭の中を巡る思考のせいか、やたらと長く感じる。

 そうして足を止めたのは、彼と話し、卯月やプロデューサーと本当の意味で初めて向き合った公園。

 今後のことを考えていると、いつの間にか私たちのデビュー曲を口ずさんでいた。

 「しぶりん!」

 彼は、私の悩みの答えは、私にしか出せないと言った。

 けれど、私の悩みは皆とのこれからのことで。その悩みの答えは、皆と出さなければ、いずれまた無理が出る。

 だから、ぶつけよう。

 私の不安を、彼女に。

 そして聞こう。

 彼女の悩みと、彼の本当の言葉を。

 そうすればきっと、きっかけの少女の夢のように、私も、私たちも、キラキラと輝く何かに成れると思うから。 

 未央の気持ち、プロデューサーの言葉、私の不安。

 それぞれをぶつけ合い、ぎこちなく、けれど確実に私たちは近づいた。

 その本心を完璧に理解したとまでは言えない。

 それでも、私の不安が消えたのは嘘じゃない。本当に信じられるべき人を見つけたのは、決して嘘なんかじゃないと、私は彼に報告することができた。

 アイドルを続けると決めた私の顔を見た彼は、わかった、と大したことじゃないという風に、淡々と口を開いたのだった。

 

 

 6

 

 「りーん。明日オフだろ?ライブ前にシンデレラプロジェクトとクローネの皆で、息抜きにカラオケ行こうって話があるんだけど、凛も来るよな?」

 仕事を終え、夕方のレッスンも終えた夜。更衣室で制服に着替えていると奈緒が声をかけてきた。

 相変わらずモフモフなポニーテールを揺らして、純粋な笑顔を浮かべている。だから言いづらくもあるのだが、明日は非常に大事な用事があるのだ。

 「ごめん。明日は用事があるから行けないや」

 「ええ?何の用事なんだ?」

 「聞かなくてもわかるでしょ、奈緒。凛が私たちより優先する人なんて、彼しかいないよ」

 いつの間にか更衣室に入ってきていた加蓮が、奈緒を驚かすように肩に手を置いて、案の定、奈緒が驚いて加蓮から距離を取った。

 しかし、それにしても加蓮の物言いには不満がある。

 いくら私だって、事務所の人間と用事があれば彼よりそっちを優先するし、今回はたまたま彼との用事が先に約束してあったという話だ。

 ただ、最近の彼の様子がいつもと違うことに、疑問と不安があることは確かだけど。

 「…とにかく、明日は用事があるから。息抜きは皆で行ってきて」

 「まぁしょうがないかぁ。明日はどっか行くのか?」

 「うん。ちょっと、懐かしい場所にね」

 昨日の夜、仕事も終わり店の手伝いも終え、自室でくつろいでいた私のスマホに一件の通知が来た。

 春高予選決勝を控えた彼からの連絡には、決勝直前の休日にあそこに行くから付いて来て、と書かれていた。

 私たち二人の間であそこ、と言われれば示す場所は一つしかない。

 だけど、そこに行くのはどちらかに何かがあった時だけで、年に一度か二度、それどころか行かない年だってある。

 だからこそ、彼が付いて来てと言うのなら、行かない理由なんて一つもない。

 「二人の思い出の場所みたいな?なんかいいね、そういうの」

 今度は邪な感情が一切ない口調で加蓮が言う。

 「それじゃ、明日は皆で楽しんできてね」

 「おう。今度は凛も行こうな」 

 「凛も、明日は楽しんできてね」

 またね、と手を振って全員が帰路につく。

 この一年で見慣れた帰り道は、彼の帰宅ルートでもある。けれど、最近はカフェの手伝いを休んで練習に打ち込んでいるせいか、朝も帰りも、彼の姿は見えない。

 ここ最近の彼は、いつもとどこか違う。

 思い詰めているような、何かに悩んでいるような。そう、アイドルとして活動し始めたばかりの私に、少し似ている。

 明日、この燻る靄が晴れることを祈って、私は星空を見上げた。

 

 例え祈らなかったとしても、朝は容赦なくやってくる。

 春高予選決勝、そして私のライブを翌日に控えた金曜日。私の高校は創立記念、彼の学校は何かしらの振り替え休日ということで、三連休の初日になっている。

 体を休めるために、彼の所属するバレー部も完全オフ。どころか、体育館を封鎖しているらしい。自主練という名目でオーバーワークをする選手がいるために取られた措置だそうだ。

 とにもかくにも、一日休日になっている私たちは、朝から出かけることにした。目的の場所には、夕方にでも行ければいいという彼の提案があったため、それまでは別のところに行こうという話になったのだ。

 「…よし」

 姿見の前に立って、自分の服装を確認する。

 いつからか、彼の真似をするように好きになった青を基調にしたコーディネート。誕生日プレゼントにくれた雫を模したネックレスはいつも着けている。

 「じゃあ行ってくるね」

 「行ってらっしゃい。気を付けてね、ってあの子が一緒なら大丈夫か」

 「もう、あいつの暴走抑えてるのは私なんだけど」

 「そう?でもあの子がいなくちゃ凛は外にも出なかったじゃない」

 そうかもしれないけど。

 店の花を手入れしているお母さんの横を通り抜け、外に出る。

 タートルネックのセーターにコートを着た私が、着込んでも寒さを感じる気温の低さに身を震わせていると、丁度同じタイミングで出てきた彼が同じように顔を顰めていた。

 「おはよう」

 「はよぅ。寒いから早く行こうぜ。どこ行くか決めてないけど」

 「だと思った。私欲しいものがあるからついて来てよ」

 「おっけー」

 どちらともなく近づいて隣り合い、同じスピードで歩き出す。

 疲れたような、眠そうな彼は、けれどいつものようにフラフラと歩きつつ、私に合わせてくれる。悩みがあろうと、何かに迷っていようと、彼の芯は変わらずそこにあるのだと分かる。

 「ていうか、アンタそのコートしか持ってないの?」

 「まぁなぁ。これ、気に入ってるんだよ。似合うだろ?」

 「いや、まぁ似合うけど…」 

 彼が着ているのは、彼が愛用している青のロングコート。下にはパーカーを着て寒さ対策をしてきたと思ったら、マフラーやネックウォーマーをしておらず、首元を寒そうにしていた。

 オシャレより実用性を優先する彼にしては珍しいと思いながらも、その首元に光るネックレスに気が付いた。

 いつもは練習の邪魔になるからと、私が誕生日にプレゼントした時のまま、大事に保管されているものだ。

 「ふふ」

 「ん?なんだよ」

 「いや、本当に青が似合うなって思ってさ」

 「はぁ?…あ」

 彼は私の言葉の意味を理解したのか、ふいっと顔を背けた。顔こそ見えないが、短く切り揃えられた髪のせいで隠すことができない耳が真っ赤に染まっているのを見て、さらに笑いが零れる。

 冬の寒さを吹き飛ばすように笑みを浮かべながら、珍しく照れた彼を隣に連れて歩いていく。

 

 

 7

 

 プロジェクトクローネ。トライアドプリムス。

 私に示された、もう一つの可能性。

 アメリカの企業から戻ってきた美城常務が提示した、アイドル部署の全プロジェクト総白紙化。

 それに対抗するプロデューサーと、彼と歩んできたシンデレラプロジェクトのアイドル達。

 私は、美城常務に対抗するシンデレラプロジェクトのアイドルで。けれど、彼女に示された新たなユニットに、私は可能性を見た。

 北条加蓮、神谷奈緒、渋谷凛。

 三人で歌った時に感じた、言葉にはできない何か。

 部署の解散は、私にとっても忌避するべきことで、今期末のライブである『シンデレラの舞踏会』のためにシンデレラプロジェクト全体のレベルを上げなくてはならない。

 わかってる。

 ニュージェネレーションズとトライアドプリムスの掛け持ちは、簡単なことではない。

 わかってる。

 この機会を逃せば、加蓮と奈緒のデビューは遠のき、いつになるかもわからない。

 わかってる。

 わかってる、分かっている。わかっているけれど。

 それでも、あの時感じた何かを、私は知りたい。

 けれど、その気持ちに区切りがつかないまま、未央は舞台の役者としてソロ活動に乗り出した。

 ニュージェネレーションズを守ろうと思えば、トライアドプリムスの結成はない。トライアドプリムスを守ろうと思えば、ニュージェネレーションズがバラバラに。

 私の小さな器では、目に入るすべての可能性を掬いあげることなんてできないことは、知っている。

 ならば私は、何を汲み取って、何を切り捨てればいいのだろう。

 「…わからないよ」

 「…俺も、わかんねぇよ」

 あの時。秋の定例会を間近に控え、アイドルになってから二度目の迷子になった時。

 彼はいつものように私の背中を押してくれはしなかった。

 お互いの両親さえ知らない、私と彼の秘密の場所。

 そこで私たちは、背中合わせになってお互いに体重をかけあっていた。

 綺麗に輝くはずの夕陽は、雲に隠れて早々にその姿を隠してしまっている。

 「ユースなんざどうでもいいんだよ…。こんなことになるなら、ユースになんか選ばれない方がよかった…!」

 18歳以下の日本代表に、高校一年生にして選ばれた彼は、その実力ゆえに部内で孤立しかけていた。

 ユース選抜の合宿には、彼と同等の実力の選手が何人も集められ、たった数日の合宿で、彼らは競り合い、感化しあい、技を盗み合い、その実力をさらに伸ばしていた。

 そうして実力を伸ばして部活に戻った彼を待っていたのは、余りにかけ離れた実力差ゆえの差別だった。

 元からバレーの実力は段違いの彼だったが、それでもユース合宿に行く前は同じチームの主力として皆のために頑張っていたのだ。それを知り、彼に負けじと努力していたメンバーたちは、紛うことなく一つのチームとして完成されていた。

 けれど、たった数日で追いかけるのもバカバカしくなるほど、彼とチームの間に実力差が生まれてしまった。

 それは彼のバレー愛ゆえであり、その根本は何よりもバレーを楽しむためであった。

 けれど、人は自分と違うものを拒絶したがる生き物だ。

 目標にすらならなくなってしまった彼は、バレー部にとって必要ですらなくなってしまった。

 今まで彼に引っ張られるようにメンバーが努力をすることで完成されていたチームは、彼を必要とせず、目標にもしなくなったことで、瓦解し始めたのだ。

 いくら私たちが似ているとはいえ、まさか同じようなことで悩んでいるとは夢にも思わなかった。 

 自分のせいで、チームが崩れていく。

 その罪悪感と、すでに崩れ始めたチームを見る焦燥感。

 どうすることもできないまま、私たちの時間は過ぎていく。

 「……凛」

 「…なに」

 「手、繋いでいい?」

 「…ん」

 体をずらして、隣り合うように座り、彼の左手と私の右手を繋ぐ。

 いつもの空気はなく、まだ不安も悩みも消えていない。けれど、繋がった手から感じる暖かさが、少しだけ安心させてくれる。

 私たちの問題は、私たちだけの問題じゃない。

 この場でどれだけ悩んだとしても、明確な答えは絶対に出ない。

 けれど、私の場合は私や未央が、彼の場合は彼自身がすでに一人になってしまっている。

 大きな氷から分離してしまった小さな流氷のように、私たちは離れ始めてしまった。

 「ん。アンタのスマホ、鳴ってるよ」

 「ああ」

 彼は右手でスマホを操作すると、全身を固めた。

 ちらりと見えたスマホの画面には、やたらと長いメッセージが表示されていた。

 普段ならきっと文句の一つでも言いながら読むであろうメッセージを、彼は無言で読み進める。何が書かれているのか、それを読んで彼が何を思っているのか、さっぱりわからないけれど、彼の感情だけは伝わってくる。私の手を握る彼の手が熱を持ち、強く、強く握りしめてくる。

 「誰から?」

 「……あいつ、から」

 それは、彼がバレーを始めるきっかけになった人物。今もなお彼とコンビを組み、私の次に彼を理解しているであろう、もう一人の幼馴染。

 チームでは小学生の時からセッターを務め、中学の時には都内ベストリベロ賞をもらっていたこともあったはず。

 そんな彼は、彼の高校で唯一同じ中学出身の生徒で、且つ誰よりも彼の実力に近しい人間だ。

 「そう…、なんて、言ってるの?」

 私も面識のある彼の言葉を知りたくて、メッセージの内容を求める。

 ゴールを見失い、佇む彼に、あいつはなんて声をかけるのか、気になったのだ。

 そして、思ったのだ。

 普通の友達以上に長い付き合いの長いあいつが。私たちと長い時間を過ごし、けれど私たちのように似た存在にならなかったあいつが、彼に何を言ったのか。

 それが、今の私にも必要なものかもしれないと、思ったのだ。

 「…待ってる。他の奴らが何をしたって、俺の相棒は、お前だけだからって。後は、昔のことがつらつらと」

 彼は、唇を噛みしめていた。

 それはきっと、彼を必要としない人たちの言葉に気を取られすぎて、彼を待っている人がいることを忘れてしまっていた自分への不甲斐なさ故。

 そして、それは私にも言えること。

 トライアドプリムスとニュージェネレーションズというユニットそのものと、未央のソロ活動、奈緒と加蓮のデビュー。

 目の前で起こる出来事だけに目がいって、その場にいる人間のことを考えていなかったのかもしれない。

 少なくとも、私たちの間に起こる出来事の中で、ただ一人待っていてくれている人のことを、私は蔑ろにしている。

 きっかけの少女、島村卯月のことを。

 その日、私たちは静かに帰宅した。

 悩む内容も、解決になる糸口が私たちを舞台に引っ張り上げてくれたきっかけの少年少女であることも、何もかもが似通った一日は、けれど決して悪いものではなかった。

 新しい可能性を、チームに必要な経験を、それぞれが得るために必要な時間だったから。

 それを知るのは、まだ先の話だけれど。

 

 

 8

 

 「はぁ。やっぱ寒ぃな、ここも」

 「ここに限らず今はどこも寒いでしょ」

 「というか、ここは人が来ねぇからなぁ」

 結局何かを買うことも無く、ウィンドウショッピングという名の冷やかしを続けた私たちは、お昼を食べた後、すぐに私たちの秘密の場所へ来ていた。

 私たちの母校である小学校のすぐ近く。外で遊ぶのが好きな男子たちがよく遊んでいた丘。そこに、私たちの秘密の場所はある。普通に上るだけでは辿り着けない、丘の頂上。

 ここを見つけたのは、本当に偶然だった。

 小学生の頃に彼に連れられて行った丘で、偶々辿り着いたその場所は、今なお誰も知らない。最近は子供が転んでケガをしたことから、小学生たちの立ち入りは禁止されているし、上りに来るのは近所に住む老人たちくらいで、その人たちも知ってか知らずか、態々頂上まで来る人はいない。

 だから、ここにあるベンチに座るのは、私たちだけだ。

 「…それで、話したいことって何なの?」

 「相変わらずズバズバ聞くねぇ。昔から不機嫌な時は素直だったけど、アイドルになってからはやたらと真っ直ぐになったよな」

 「何言ってんの。アンタの前じゃ、いつでも素直だったでしょ」

 「そうかぁ?」

 あはは、と乾いた笑みを浮かべる。少なくとも、私はそのつもりだった。いつでも彼に対しては素直でいるつもりだ。

 それは、彼も同じはず。

 けれど今の彼は、どうにも歯切れが悪い。私以上に素直で、相手が誰であろうと思ったことは何でも言う彼にしては、非常に珍しいことだ。

 「…バレー部なんだけどよ。二年になったら辞めようかと思ってさ」

 「……は?」

 こいつは今、なんて言った。

 「今のままの成績じゃ大学進学は難しいだろうし、部活は辞めて勉強に専念しようかと思ってな」

 「…ちょっと待って」

 「春高は優勝するつもりだし、ユースにも選ばれた。あいつには悪いけど、俺は十分バレーを楽しんだ。悔いはねぇよ」

 「ちょっと待って」

 「まぁ、バレー部の連中から何か言われるかもしれないけど、やっぱ将来のこと考えると部活より優先すべきことがあると思ってさ。まぁ、やればできるタイプだから、二年になったら俺が勉強教えてやるよ。部活辞めたら家の手伝いをやっても時間が余るだろうし、先輩たちみたいにバイクの免許取って迎えに行ってやってもいいしさ」

 「ちょっと待ってよ!」

 勝手に話を進める彼を止める。

 バレーを辞める?あんなにバレーを愛していた彼が?

 部活を辞める?見放されてもなお、バレー部の要として頑張ってきた彼が?

 「…部活で何か、あったの?」

 「なんもねぇよ。本当に、進路のことを考えての結果だ。凛の進む道を俺は聞いて来たのに、俺の進む道を凛が知らないのは不公平かと思ってな」

 淡々という彼の言葉を、私はどこか呆然としながら聞く。

 小学生の頃から続けているバレーを、彼は惰性や昔からやっているからなんて理由ではなく、愛しているからこそ続けてきたのを、私は知っている。

 幼馴染のあいつと喧嘩をしつつも、いつも夜遅くまで二人そろって練習をしていたのを、私は知っている。

 アイドルになって、ようやく彼に追いついたと思った。何かに必死になって、自分の可能性を知って、それに挑戦せずにはいられない彼の気持ちを、ようやく理解した。

 そう、思っていたのに。

 確かに将来を考えることは大事だ。高校二年生にもなれば、進路について考えなくてはならないだろう。加えて、彼のように不安定な成績なら、その進路に影響もあるだろう。

 けれど、それを差し置いてもなお、考えてしまうのだ。

 あれだけの情熱を、貴方は簡単に捨てられるのか、と。

 「不公平って、それは、私から頼んだことで…。…進路って、どこの大学?部活を辞めなきゃいけないようなとこなの?私がだめなら、美嘉の彼氏に教わったりとか。バレーを辞めなくてもいいような選択肢だって、きっと」

 「それはダメなんだ。凛は分かってるだろ」

 彼は、自分の苦手な分野を、その分野において優秀な人間から教わることを嫌う。それは、自分への甘えだと思っているからだ。

 だからこそ、人生の半身ともいえる私に勉強を教わりに来ていたのだ。身近に全国模試三年間一位を取り続け、高校生という身分でも取れるありとあらゆる資格を手にした、勉強面において天下無双ともいえる先輩を一切頼らずに。

 けれど、それを知ってなお私が口に出したのは、彼にバレーを辞めてほしくないからだろう。

 私たちは、お互いの決断には口を出さない。

 それはお互いを尊重し、ほとんど依存している二人の間の、最後の一線でもあった。

 「俺は不器用だ。そのくせ、やれば大体のことはできる。けど、俺が本気で取り組めるのは一つだけ。これからもバレーをやるとなれば、進路のことが疎かになる。プロになって食えるならそれもいいけど、一生それで稼げるかと言われればそうじゃない。だから、今、俺はバレーを辞める」

 その一線を越えようとした私を、彼は押しとどめる。

 彼の言うことは正しい。そして、誰もができる選択じゃない。

 私だって、一生アイドルでいられるわけじゃない。夢を見続けられる時間は限られている。

 ただ、夢から覚める時間が早いか遅いかの違いしかないのだ。

 彼は早かった。私はまだ覚めない。

 その差は、夢を見始めた時間の差もあるかもしれない。

 だけど。

 「…私は、アンタにバレーを続けてほしい。夢を見続けてほしい。だって、バレーをしてる時のアンタは、キラキラしてるから」

 「…悪い。決めたことだから」

 いつかの私のように意固地になったセリフを聞いて、私は立ち上がった。

 いつの間にか空は赤くなり始め、彼の好きな青色は、彼のコートと私たちの首元で光るネックレスだけになる。

 申し訳程度の柵の前に立って、彼に向き合う。 

 「アンタが、決めたことを曲げないってことは痛いくらい知ってる。真っすぐに、不器用で、バレーと勉強とって両立できないのも知ってる。それでも家の手伝いだけは手を抜かないことも、私のことになるとバレーと同じくらい必死になってくれることも、私は知ってる」

 「ああ、そうだろうな。だから…」

 「だから」

 彼の言葉を遮って、私は言う。

 「もしアンタが、将来の為に今を捨てて、なによりも楽しんでいるバレーを辞めるなら、私もアイドルを辞める」

 その言葉に彼は、ここに来てから一度も見せなかった苦痛そうな表情を初めて浮かべた。

 「な、なんでそうなるんだよ!?俺がバレーを辞めることとお前がアイドルを続けることは話が違うだろ!」

 「そんなことない。だって、私も楽しいから」

 アイドルのライブも、撮影も、辛いレッスンに、時に煩わしく感じる人間関係だって、何もかもが楽しいんだ。

 そして、その根底にあるのは、中学の時に聞いた彼の言葉だ。

 それについての出来事を全て楽しめるのなら、どれだけ幸せなことなのか。

 私はそれを知った。

 だけど、その根底たる彼が、何があったって楽しめると言っていた彼が、全てを楽しんでいるバレーを辞めるというのなら、責任を取ってもらおうじゃないか。

 私の自分勝手で、彼に責任を押し付けようじゃないか。

 それで彼がバレーを続けてくれるなら本望だ。恨まれたって、今までみたいにバレーを楽しめないとしても、それでもいい。

 だって。

 「アンタが楽しめるって言ったんだよ。仲間がいれば、何があったって楽しめるんだって。今のアンタには、仲間がいるじゃない。私がいるじゃない。それでも楽しむことができずに辞めるって言うなら、アンタの言葉は嘘だってことになる。そうなれば、きっと私もアンタと同じ道を辿ることになる。それなら、そうなる前にアイドルを辞める」

 今の彼は、何よりも辛そうだから。

 彼の悩みは将来につながる大事なものだ。

 だけど、だからって今を蔑ろにする必要はない。むしろ、将来の為に今を消費するなんて、勿体ないと私は思う。

 それこそ、高校の部活は一年も経たないうちに、チームそのものが変化していく。

 だからこそ、彼には今を楽しんでほしい。彼なら、今を楽しんでなお、未来へつながる道を楽しんで歩けると、私は信じているから。

 どれだけ我儘を言おうとも、最後に決めるのは彼だけれど。

 「…今日は先に帰る。明日はお互い頑張ろう。そのあとで、また話を聞かせてよ」

 いつになく弱った表情の彼にまくしたてる。

 今日のこと。明日のこと。そのあとのこと。

 単語の羅列のように言葉を発して、それと、と付け足す。

 「私、アンタのことが好き」

 じゃあね、といつものように手を振って、丘を降りる。

 彼と二人でここに来て、初めて私は一人で帰った。

 どさくさに紛れて告白したことなど、綺麗さっぱり忘れて、帰り道の空を見上げる。

 彼から貰った雫のネックレスのように、とても深い蒼色をしていた。

 

 

 9

 

 ライブ当日の控室。

 私は舞台衣装を着て、スマホでネット配信されているバレーの試合を見ていた。

 春高予選の都大会決勝はネット中継されていて、聞いたことも無い解説役と実況が選手の情報を話している。

 『前回はスタメンのキャプテンが不在で、代わりに一年生が出ていた為にその力を万全に振るうことができなかったようですが、やはりその実力は高校生バレーの中でも頭一つ抜きんでていますからね。今回はフルメンバーでの出場となりますし、監督も全国優勝を十分狙える実力だと言っていました!』

 『彼の持ち味は攻守ともに発揮されますが、特に注目していきたいのはレシーブです。今大会でも、リベロがほとんど出ないチームはここだけですからね。その理由は言わずもがな、彼と、彼に引き上げられた守備力の高さゆえでしょう。また、前回大会で出場していた一年生選手も、高い実力に引っ張られて、全国で通用する実力を備えていますからね、油断はできません』

 試合直前の解説で彼のプレーに触れるのはいつものことだ。それよりも私が気にしていたのは、彼の様子だ。昨日の件が後を引いているのか、いつもに比べてやはり覇気がないように見える。

 「お、それって今日の都大会の中継かい?しぶりん」

 「未央。うん、そう」

 肩口からスマホを覗き込んでくる未央。その衣装は私とは違い、黄色を基調としたひまわりのような明るさの衣装だ。

 対して私は、青と黒のツートンカラーで、シンデレラプロジェクトとプロジェクトクローネの時の衣装を足して二で割ったようなミニスカートの衣装。

 卯月に至っては白とピンクのドレスだ。

 何故ここまで衣装にまとまりがないかと言えば、纏まりが必要ないからに他ならない。

 今日のライブは、出演者全員がソロ曲を歌う。唯一違うのは、ワールドツアーから一時的に帰ってきている楓さんとさしわたのコンビくらいだろう。

 城ケ崎美嘉なら、つい最近発表した『アイコトバ』を。

 三船美優さんなら、同じく『Atonement』。

 高垣楓さんとさしわたのコンビは、『星導』。

 シンデレラプロジェクトの面々もそれぞれ、新しいソロ曲や、ソロデビュー曲を歌う。

 そして私は、今日発表する新しい曲を歌う。

 プロジェクトの垣根を越えているせいか出演順はごちゃまぜで、私の出番は木村夏樹の次だ。

 「にしても、いつにもまして盛り上がりが凄いね~」

 「そうだね。やっぱりソロで出てるから、ファンの皆もゆっくり一人ずつアイドルを見れて嬉しいんじゃないかな」

 「あはは、美穂ちゃんとかはかなーり緊張してたけどねー」

 そうこう話しているうちにスマホの中で試合が始まり、彼のチームからサーブが始まる。

 いつもは観客席で見ているため、やや遠く感じるけれど、それでもわかる。わかってしまう。

 「…やっぱり、いつもより動きが悪い」

 いつもの彼なら、相手のスパイクがどれだけ強かろうと、相手の攻撃がどれだけ早かろうと、どう見えているのか必ずボールに触る。レシーブができなくても、確実にボールには触れる。

 その彼が、ボールに飛びついても触れず、どころか甘いボールでさえいつものようにセッターの頭上に返せない。

 ユースに選ばれた実力は、完全にそのなりを潜めていた。

 そして、スマホ越しに見る弱った彼を見て、私は奥歯を噛みしめた。

 彼の不調は、私が彼の悩みを深めたせいだ。

 私の我儘で、彼の決断を鈍らせた。それが、彼のプレーに影響している。

 けれど、私が歯がゆく感じているのは、私のせいで彼が集中できていないことではなく。

 「アンタなら、乗り越えられるでしょ…!」

 私の我満も。進路の悩みも。バレーに集中することも。

 不器用な彼は、だからこそ一つのことに集中できる。そして、それとは別に、彼なら乗り越えられると信じているのだ。

 いつも私を照らしてくれる、私の太陽。

 彼の輝きで私は輝くことができたけれど、彼は自力で輝くしかない。だからこそ、彼の輝きを強く魅せるために、私は月のように輝くのだ。

 彼が自分を見失った時に、貴方の輝きで私が輝けたと言うために。

 傍から見れば、互いの我儘を無条件で聞き入れて、自分の悩みを深めようとも、お互いの為に生きる私たちは滑稽且つおかしいと思われてもしょうがない。

 自分の道を決めた友人に、自分の我儘を押し付ける人など、探したところでそうそういないだろう。

 だけど、私たちの間では、そんなものは関係ない。思ったことを言って、してほしいことを伝える。最後の決断は相手に任せるほかないけれど、相手に自分の想いも考えてほしいと思うから、私たちは自分の本音を伝え合う。

 「凛ちゃん、出番ですよ」

 扉から顔を出す卯月に促されて、私は席を立つ。

 1セット目の中盤に差し掛かったバレーのネット中継は閉じ、スマホをロッカーにしまう。

 舞台袖に立ち、歌い終えた夏樹のMCを聴きながら、私は考える。

 彼の問題に私が口を出せる段階は昨日で終えた。

 なら、私にできることは何だ。

 彼がどんな決断をしようとも、そばにい続ける私にできることは。

 思考を止めないままに、夏樹がかき鳴らすエレキギターの音をBGMに、私はステージに立つ。

 満員の観客席。煌めくサイリウム。

 満天の星空のような目の前に光景に、私は考えることを辞めた。

 「みんな。皆には、大事な人がいる?家族、友達、恋人。どんな人でもいい。自分にとって、一番大切な人との思い出を胸に、この歌を聞いてほしいんだ!」

 疾走感のある前奏と共に、彼との思い出が駆け巡る。

 私が悩むのは、決まって進むべき道を迷う時。

 彼が悩むのは、決まって自分を見失った時だ。

 昨夜、家に帰った私は彼の相棒に連絡を取った。

 彼について一番詳しいの私だという自負があるけれど、それでも高校生活に関してだけ言えば、相棒である彼のほうが詳しい。

 そして聞いたのは、彼にとっての弱みだった。

 彼は思ったことを素直に口に出す。素直ということはつまり、それだけ根が真っすぐであるということ。その真っ直ぐさこそが、彼の弱み。

 春高直前の期末テストで、私との勉強会のおかげでそこそこ優秀な成績を取った彼は、学年主任の教師にこう進言されたらしい。

 「お前がバレーを頑張っているのは知っているが、プロを目指すわけじゃないんだろう?それで聞いたんだが、家のカフェを継ごうと考えているんだって?だから、ここを受けてみないか?お前の成績は不安定だけど、二年から勉強に集中すれば、特待生枠でここの経営課に入学できる。バレーは疎かになるが、将来のことを考えて、決めてくれ」

 素直な彼は、教師の言葉を素直に受け止めた。

 今が楽しければそれでいい。そんな雰囲気を醸す彼が、突然将来について語りだしたのは、その教師が原因だったのだ。その教師だって、彼のことを思っての言葉だったのだろうが。

 そして、それでその教師を恨むかと言えば、難しくはあるけれど。

 だからこそ、彼には信じてほしい。

 わからない未来よりも。いずれ来る将来よりも。

 今までの自分が為してきたことを。

 今の自分が、楽しんでいることを。

 信じて、今を生きてほしい。

 それは将来のことを蔑ろにしろとか、そういうことじゃないんだ。

 何よりも信じてほしいのは、今の自分の可能性。

 彼は言った。

 自分は不器用で、本気で取り組めるのは一つだけだと。

 だけど、それは本当にそうだろうか。

 テスト前による部活停止期間という短い時間で、学年10位に食い込める学力を持っている。

 普段から家の手伝いで、なんだかんだ文句を言いながら調理を手伝ったり、経理の計算までこなしている。

 バレーに関しては言わずもがな。

 そんな彼が、一つのことにしか集中できないなんて、それこそあり得ないだろう。

 だから、私は歌う。

 この会場にいない彼に届くように。

 「貴方の思い出は、私にとっての宝物。大切にしていこう、貴方とのBlue Recollection」

 いつか、彼が言っていた。

 彼の好きな青色は、無限の可能性を持つ空の色だと。

 どこまでも広く、何色にでも変われる空の色。

 それを聞いて、私も青が好きになった。

 そして、それを真剣に語れる彼が好きになった。

 だからこの歌の青は、彼との絆そのもの。

 

 その日私たちは、私たちの絆を一歩前に進めた。

 346のライブは、全アイドルを通して大成功。私の新曲である『Blue』は、歴代のCDで一番の売り上げとなり、会場物販でも楓さんとさしわたコンビに並んで一位タイの売り上げとなった。

 バレーの試合はといえば、2セット目から調子を取り戻した彼と彼の相棒の活躍で、第5セット目までもつれ込み、35点を超えるデュースまで持ち込んだ果てに、彼のチームは負けてしまった。

 あとで聞いてみたところ、1セット目を取られた後のコートチェンジの最中、彼の相棒に叱責されたらしい。

 「お前がバレーを辞めようが知ったこっちゃねぇけどな。目の前の試合に集中できねぇなら今すぐ辞めろ!今のお前じゃ、バレーを始めたころのお前にも勝てねぇよ!……だから、頼むよ。今は、今だけは、バレーを楽しんでくれよ」

 彼にとって、相棒の言葉は大した接点も無い教師なんかよりも心に刺さるもの。

 そして、彼自身の芯を思い出させるものだったのだろう。

 ただ、それが私ではなかったことがたまらなく悔しい。

 「悪かったよ、凛」

 「別に、それは気にしてないよ」

 「じゃあ何に怒ってんだよ」

 「…アンタが落ち込んだ時に、力になれなかったから」

 「いや、んなことねぇさ」

 ライブも試合も終わった私たちは、いつものように並んで帰る。

 その影はいつものように並んで、けれど違うものが一つだけあった。

 「あいつに怒られたおかげで、バレーを続ける決心がついた。全国に行けるとはいえ、負けちまってるけど」

 「私は、それをしたかったのに…」

 「バレーだけが俺の全部じゃねぇよ。ただ、どうやってもお前らに先を越されてるから、情けなくもあるけどな」

 青空は薄く、何よりも暗い黒が空を染めていく。

 その下で薄く伸びる私たちの影は横に並び、黒い橋を架けていた。

 

 

 

 







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