新暦69年
「シロウ、クラナガンの闇市で密売人をやってみないかい?」
「なんでさ…」
気持ちのいい朝だった、研究所内でも数少ない日の当たる場所の食堂。そこでドクターはコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。俺が皆んなの分の朝食を丁度作り終わった時出し抜けに言ってきたのだ。
「いや、クライアントの依頼があってね それに一番適してそうなのがシロウなんだ」
コーヒーを啜りながら言う。因みにドクターは朝食はパンとコーヒーしか食べない。一応ハムエッグとサラダは作っているのだがドクターはいらないと言って誰かしらに上げている。主にトーレに
ウーノ姉によるとこれでもましになった方らしい。俺が朝食を作り始める前はドクターは昼と夜しか食べなかったらしく、朝はコーヒーのみだったそうだ
ただ一番変わったのはトーレ姉だという。以前はレーションしか口にせず、せいぜい気まぐれに茶を嗜む程度だったらしい。(因みにレーションは無味だ、一度食べてみたが食えたものじゃなかった)
なお、トーレ姉は今、姉妹一の大食漢でありめちゃくちゃ食う。ウーノ姉もクアットロもチンクも見た目の割に食べる方だがトーレ姉は格が違う。多分、米換算だと一食 6合位食べてる
『シロウ!おかわりだ!』
ほら 今も聞こえてきた
流れる様に茶碗を受け取りご飯をもってシャモジでぺちぺち叩く
そんな食事事情だと大変だと思うかもしれないが、意外とそうでもなかったりする。
何というか、慣れているというか、大量のご飯を作るのに身体が適応している気がする。
もしかしたら前世ではトラやライオンの飼育員だったりしたのかもしれない
閑話休題
「密売人って随分 物騒な話に聞こえるけど…」
「無論物騒な話さ。ミッドの首都クラナガンは時空管理局の地上本部があるとはいえ中心部以外はかなり治安が悪いし、そこに潜入して密売人をやってこいというのだから危険極まりないね」
ニヤニヤ笑いながらスカリエッティは言う。やはりその顔はどこか楽しそうだった
「それに なんだってそんな話が出てくるだよ」
「ふむ、私のクライアントというのが、まぁミッドのお偉いさんでね。
テロリストを駆逐せずに、それでいて戦力を自在にコントロールできるようにしてほしいと無茶振りを言われて困っていたんだが…シロウならなんとか出来そうだからね」
「?」
話が見えずシロウは疑問を頭の上に浮かばせる
クライアントの話と自分との関連性がわからなかったからだ
「つまり…ね、シロウの投影品をテロリスト共に売りさばいて欲しいのさ」
得意げにスカリエッティはニヤリと笑った
その顔を見ながらシロウは得心がいった様に頷く
「なるほどな、投影品なら幾らでも作れて流すのが楽って事か…」
「ああ、あと自由に消せるわけだから、都合が悪くなったら消せば良いし、最悪爆発させて壊滅させるのもありだね」
武器としての信用は薄れそうだけど…と続ける
さらっとスカリエッティが恐ろしい事を言うが つまりは意図的にテロリストに投影品を普及させて戦力を持たせる。安易に力が手に入る訳だからテロリストもわざわざ他の物に手を出さなくなる。それに、対勢力同士も同等の力を持つ訳だから牽制しあって活動も消極化する、というわけだ
だが、シロウにはまた新たな疑問が生じた
「密売人をやるのは良いけど…戸籍とかってどうするんだ? 幾ら裏の仕事って言っても…」
管理局とて間抜けではない。職務質問くらいするし断ったら捕縛する権限だってもっている筈だ。
勿論 その事はスカリエッティも先刻承知だったらしく白衣の内側からピッと紙を取り出した
「既に偽造済みだよ、パスポートも作っておいた。」
シロウは紙を受け取ると内容の確認をする
すると、名前の欄に見慣れない文字があった
「 シロウ・エミヤ……、エミヤ?」
「苗字だよ、今日日苗字の無い人間なんてそうはいないからね。勝手につけさせてもらったよ」
「それにしたって、こんな珍しい苗字じゃ目立つだろ…」
「大丈夫さ、ミッドは多民族社会だしちょっと珍しい位が丁度良い」
ミッドチルダは次元世界の中心とも言われる場所だ。それ故に様々な世界出身の人々が生活している。そのせいか苗字が被る事はあまり無かったりするのだ
「それに、住所?…ここって……」
「住所がないと困るだろう?」
「いや、そうじゃなくてさ…」
紙に書いてある住所は、クラナガンの地上本部にほど近い歓楽街の一角だった
場所的に考えて局員達が日常的に使いそうな場所である。シロウの記憶でもここら辺は確か喫茶店やバー、居酒屋が立ち並ぶ区画のはずだ
「だめだろ…ここは。確かに 拠点は居るし住所も無いと不便だけどさ…」
局員の闊歩する区画で、密売人が生活するのは如何なものか。と言うのがシロウの本音だ
「その事なんだけどね…シロウには情報収集と情報操作をして欲しいんだ。」
「情報操作?」
おうむ返しに繰り返すシロウ、情報収集は直ぐに思い当たったが、情報操作の意味がよく分からなかったのだ。
「ドゥーエが今、管理局に潜入しているだろう?
彼女に内側で噂を流してもらって 、その裏付けをしてもらいたいのさ」
噂というのは広がりやすいものと広がりにくいものがある。二つの違いは色々あるけれど その違いの一つは、複数人からの信用があるか無いかだ。
知り合いから聞いた噂をその知り合いとは全く関わりのない人から聞いたりすると、『やっぱりそうなんだ』と思い込みやすくなったりするのだ
「けど、それにしたってこんなところにする事なかったろ? もう少し目立たない所でも……」
「やはりお酒の力というのは偉大だからね、酔っている方が口も滑りやすいだろうし。それに…、料理得意だろう?」
「っ……むぅ」
ぐっと押し黙るシロウ。実は初めから口論では勝てない事は分かっていたのだ、シロウがシラフ相手に口を滑らせる話術があるかといえば無いのだ。ただ意固地になっていただけで、結局納得することになるのは薄々勘づいていた。それに 料理が得意かどうかは置いといたとしても 好きな事は確かだった
「—じゃあ決まりだね。他の資料は後で渡すから待ってくれたまえ。後は……そうそう、これを渡しておくよ」
ポケットからスッと取り出されたのは何やらサングラスの様な機械だ、レンズが一枚なのでバイザーと言った方がしっくりくるかもしれない
「表稼業と裏稼業をする訳だからね、変装用さ。掛けると髪を白い色素が覆って髪色を変えてくれる、同様に肌も褐色に変わるよ。魔法に拠らない、純粋科学のみで作られたものだ、多少は勘づかれ難くなるだろうさ」
シロウはバイザーを受け取り、早速つけてみる。すると髪が瞬く間に白く変わり肌も褐色に覆われた。髪型を変えれば完全に別人の様に見えるだろう
「ていうか、さっきから気になってたんだけど、これだけ拠点をしっかりさせるって事は…長期任務?」
「そうなるね。せいぜい帰ってこれて…月一って所じゃないかな?」
その言葉にシロウは少し寂しさを感じた、なんだかんだで生まれてから一度も長期で家族と離れた事は無かったのだ、それも仕様がないのかもしれない
まぁドゥーエは基本、家(研究所)にいないし、こういう事もあるかと覚悟はしていたのだろうが…
「もともとシロウは、長期任務を想定して造られたのだから、心配する事はないわ…」
ウーノが空になった皿を片付けながら会話に参加してくる。
「そうなのか?」
「ええ、前 クアットロと一緒にドゥーエの訓練を受けたでしょう。あれは、今回のことを想定しての物なのよ。」
そう言えば、そんな事もあったなとシロウは思い出す。
結局、完璧に習得する事はできなかったが、あの時確かに人の籠絡の仕方や油断のさせ方も学んだのだ
あと、ついでに ちょっと危ないクスリの調合なども習ったがこういう時に使うための物だったらしい
「—さて、私はやる事があるから研究室に戻るよ。ウーノの食器を片付けて置いてくれ。」
「はい」
スカリエッティはコーヒー飲み干した後、新聞を畳み空になったマグカップをウーノに渡す
「シロウ、キミも街についての情報を今のうちに頭に入れたり、荷物の整理をしておきなさい」
そう言うとスカリエッティは食堂を後にした。
食器がカチリと鳴る音や、コップをコンッと置く音だけが響く。元々彼らの食事風景は静かなものだ。全員、稼働からそれなりに時間が経っていて精神的に成熟しているからだろうか。
「シロウ、少しいいか?」
出し抜けにトーレが口を開く
シロウは自分の分の食事を机に並べ、『ああ』と頷きながら座る。話があるなら腰を据えた方が良いと思ったのと、そろそろ自分も空腹だったからだ
「…いや、ここでする話でもないからな、食事の後でいい…。
私は先に行っているから落ち着いたら来てくれ。」
シロウはトーレの意図が分からず頭の上に疑問符を浮かべるが考えても無駄と判断したのか軽く頷く。
「そうか…では後でな」
トーレは手を振り、ドアを開けて食堂から出て行った
——大量の空になった食器を残して……
「俺が居なくなっても大丈夫かなぁ……」
シロウは慣れた手つきで山積みにされた食器を手に取ると、流しに持って行き、スポンジで洗い始めた。
♢♢♢♢♢♢♢
白い。何もなくただ、ひたすら広い空間。
照明の明かりが床をハッキリと照らし、壁に敷き詰められた防音、耐衝撃性の素材に付いた傷を強調している様にも見える。
—そこに二つ、影を落とす者がいた。
トーレとシロウだ。
「シロウ…お前も、もう単独で長期任務に就くまでになった。
お前の成長を私は嬉しく思うし、期待もしている。」
「—なっ!なにっ言ってんだよ!急に!」
シロウは一瞬間の抜けた表情をした後、腕を振りながら赤面する。いきなり褒められて 嬉しいやら、恥ずかしいやらで混乱してしまったのだ。
「いや、恥ずかしがる事はない。お前はそう言われるだけの強さを持っていると思っているよ…私は。」
トーレはシロウの様子を見て、薄く微笑みながらそう言った
そして、ほうと溜息を着くと眼に光を宿らせ、鋭い眼光を放つ
「…だからこそ、此処で試して置こうと思ってな。
お前が…どれだけ強くなったかを…」
構えを取り、殺気を放つ。空気が揺らぎ、床が軋む
身体中の人工筋肉がキリキリと音を立て、つま先から毛の一本までに気が張り巡らされる
顔は正面に向けられその眼は鷹のように鋭くシロウを射抜いている。
部屋の温度が下がり、トーレの本気がうかがえる様だった。
一方のシロウは少し安心していた。
先刻承知だったからである。自らの姉がただ自分の力量を試したいがためにこんな事をしているのではないという事を。
トーレがただ自分の身を案じてこの様な行動を起こしていると分かっていたのである
彼の姉は、トーレは、ただ一人遠方に行くシロウが心配なだけなのだ。
力量を測るなどと言っているがその実、実力を見せて安心させてほしいというのが彼女の本音だった。
シロウは両手に馴染みの双剣を投影する。
体から絞り出す様に息を吐き、緊張で中を満たす。
肌に突き刺さる殺気を己が眼光で封殺し、…構えをとった。
ギャアアアンッ!!
突如火花が散る。
いつの間にか二人の距離は縮まり、互いに音速を超えた攻防を繰り広げていた。
シロウは【固有時制御 五重加速】で、トーレは【ライブインパルス】を常時展開しひたすらに打ち合う。
二人の武器が かち合う度に空気が絶叫を上げ床を軋ませる。
もし其処にガラス細工があったなら容易く砕け散っていただろう。
三〇合ほど打ち合った時だろうか…シロウは一際強く、剣を振り抜いた。
両腕を交差する様にしてトーレはそれを防ぐが、衝撃を殺しきれず僅かに後退する。
シロウは双剣を投げトーレの眼前で爆発させ、視界を遮り大きく後方に跳ぶ。
突然の爆発だったがトーレは折り込み済みの様で、平然と範囲外まで離脱する。土煙のせいで悪くなった視界の中、辺りを警戒して感覚を研ぎ澄ます。
ヒュンッ
土煙を裂く様にして数本の黒い矢が放たれる。全ての矢が真っ直ぐトーレに向かっており、その技量の高さを伺わせる。
トーレは努めて平静に、一射ずつ粉砕する形で対処する。
砕け散った破片が木っ端になっている事から強烈な、それでいて素早い動作だと分かる。
しかし
全ての矢を受け切ったと思った瞬間、太ももに焼ける様な痛みが走る。見ると白い矢が深々と脚の肉を抉るようにして突き刺さっていた。薔薇の棘の様な返しが大量に付いているらしく抜く事は出来なさそうだ。
「白い……矢、ふっ成る程な…」
白いと言ったが正確には少し灰色みの入った白だ。恐らく矢の一本の影の位置と重なる様にして放たれたのだろう。
他の矢が全て黒だったのも錯覚を引き起こすための布石だったのかも知れない。
明瞭になってきた視界の奥で、油断なく士郎は矢を番えトーレの様子を伺っている。手心を加えているのではない、自身の姉が 片足を封じられた程度でどうにかなるものでは無いと信頼してこその警戒だ。
暫しの沈黙の後、トーレの姿が—ブレた。
シロウが気づいた時には目の前にトーレは移動しており、既に間合いに入られ、突き上げる様な拳が唸りを上げている。
【ライドインパルス】トーレのISであり高速移動に特化した能力だ。制御を考えずただ直線を移動するだけなら、一流魔導師の砲撃すらも止まって見えるほどの速度を出すことが出来る
シロウはそれを上に跳ぶ事で威力を軽減し、剣を構えた。
「ハアアアアアアアアアァァアァァア!」
落下の威力に加え、体幹を捻り回転するようにトーレに斬り込む。
下で待ち受けるトーレは痛みに耐える様に顔を歪ませながら血の滴る脚で大地を掴み防御姿勢をとった
ガァァァン!!
粉塵が舞い一帯を隠す。破片が転がる音、風が壁を叩く音。この二つ以外は全く聞こえず不自然に思える程静かだった
暫くして粉塵は散り様子が明瞭になってくる。
地面にはクレーターの様な窪みができ、辺りにはヒビが出来、床の欠片が散乱している。
そしてその中心では……
横たわるトーレと見下ろすシロウが居た。
トーレの顔の真横には剣が突き刺さっており、敗北の象徴の様にも見える。
「俺の勝ちだ……トーレ姉…」
「嗚呼…本当に強くなった」
両者の間にもはや先ほどの様なピリピリとした空気はなく、いっそ和やかささえ感じられる。
スッ とシロウは手を伸ばし、トーレが起き上がるのを助ける。
握って見ると思いの外ゴツゴツとしていて男性的な手の平に驚きながら、トーレは上体を起こしそのまま立ち上がった。
「脚…大丈夫だったか?」
「気にするな、この程度直ぐに治療できる。それにっ—」
シロウが若干気にした様に尋ねるが、トーレは平然と返す。まだまだ甘い位だ!と続けようとした時、トーレは自分がシロウを見上げている事に気付いた。
「?、どうかしたか?」
「………………………」
心配そうに自分を慮る弟を足先から見てみると、もう自分より頭半個ほど大きい事に気づいた。
まだまだ甘ちゃんで、弱くて、頼りないと思っていた弟が自分より強く、逞しくなっている事を漸く知ったのだ
「いや、なんでもないさ…」
「???」
寂しさと嬉しさとが綯い交ぜになった心を隠す様に、不器用に口角を上げ微笑む。
「シロウ、お前は……もう私よりも強い。」
——だから、もう守れない
「今回は任務は難しいものだろう。
力だけでどうにかなるモノでもなさそうだしな。」
——だから、私は力になれない
「だが、お前は勝った。少なくとも、そこらの魔導師にやられる事もないだろう」
——だから……
「だから……行ってこい…」
これは彼女のワガママだ。トーレの了承など無くてもシロウは行くだろうし、それが当然のことだ。
シロウもトーレもそれは分かっていた。
けれど、何処か納得する為の…理由付けのようなそんな『何か』なのだ……
「ああ!行ってくる!」
シロウは笑い、トーレもワラった