———兄が死んだ。
仕方のなかった事なのだと思う。管理局はあまり認知されていないけれど、危険の伴う仕事も多い。
管理局員は須らく自身の危険について理解しているし、その家族もいざという時の覚悟と言うものは持ち合わせている。
だから…、兄が死んだ事については 悲しかったけれど 泣いてしまったけれど————納得することが出来た。
寧ろ、最後まで戦い抜いた兄に対して誇りすら持てた。
けれど
『———犯罪者を追い詰めたにも関わらず、取り逃がした?! 一般市民に被害が出ていないから良かったものの…とんだ役立たずだ!
しかも……そのまま野垂れ死んだだと?
死ぬのなら、せめて役に立ってからにして欲しかったものだ、こんな者が局内に居るからいつまで経っても地上は安定しないのだ。』
これは、兄の上司にあたる人のコメントだ。
——正論……なのだろう。兄が管理局員としての責務を果たせなかった事も、なんの手掛かりも得られなかった事も何も間違ってはいない。
間違っていない。
間違っていないと思ってしまうからこそ………私はこんなにも悔しいのだ。
そう、悔しい。兄の尊厳を踏みにじられた事が、兄が誰にも認められなかった事が。
あれ程努力し、才能に溢れ、夢を追いかけていた兄が、少しも報われずに本当の姿を忘れられていくのが………
そして…何より……
——憎い
兄を罵倒したあの男が、それに同調する世間が……。
彼らが兄を殺したのでは無い。彼らは兄の死に何ら関わりはない。その筈なのに、私は兄を殺した違法魔導師よりも彼らの方が憎かった。
『——とんだ役立たずだ!』
何度も何度も頭の中で繰り返される。その度に、指先は震え 鼓動は速くなり 歯は軋み 視界はぶれ 呼吸は浅く重くなり 酷い耳鳴りが脳を揺らす。
全身の血が沸騰した様に熱くなり、胃に鉛を流し込まれた様な不快感と耐え難い焦燥感に酷くもだえる
。
朝起きて、食事を取り、家事をして、学校に行き、帰ってきて、また食事を取り、夜眠る。
そんな日々の中で絶え間なく言い表せない感情を募らせ、苦しんでいた。
そんな時だった。
私が、【正義の味方】に出会ったのは。
♢♢♢♢♢♢♢
早朝、まだ日が昇りきっておらず季節のこともあってか息は白く、吹く風は少し冷たかった。
こんな時間にも関わらず、道にはそれなりの数の車が走っており道を歩く人も少なからずいた。
私が立っているのは、クラナガンにある道路の歩道橋の上だ。気晴らしにでもなるかと朝早く街に来てみたものの、結局何をするでもなくそこに佇んでいた。
道路に視線を落とすと車が流れていく。気分は晴れなかったが、車の流れる様子を見ているのは飽きなかった。と言うより何も考えないでいれたのだ。
ふと、一つの車が目に留まった。黒塗りの大きな車で何処と無く高価な物と分かる。道路の脇に止まり、人が出てこようとしているのが分かった。
車の流れの中で一台だけ止まっているのが目立ったのかその様子をぼうっと眺めていた。
けれど、出てきた男を見て呼吸が止まりそうになる。
管理局の制服に身を包んだ男、面識はなかったけれどその顔は嫌という程に見知っていた。
兄を罵倒したあの男だ。
この辺りは管理局の駐屯所などもあるし、その視察にでもきているのだろう。ともあれあの男がこの場所に来ていて不自然という事はない。
視界がジクジクと赤く染まる。心臓は痛いほどに鼓動して、握る掌に力が篭る。
気分転換のために態々、街まで出て来たのに完全に逆効果だったなと思う。家に居ても酷かったけれど、直に顔を見るのはもっと酷かった。
男は車から降りると 運転して居たであろう部下に労いの言葉も掛けずスタスタと歩いて行ってしまう。
部下もいつもの事なのか気にした様子もなく、開いたままのドアを閉め車を走らせて行ってしまった。
私は、拳を握りしめながら、歩いていく男の背中をただ見ていた。
兄の死を貶めた男は、のうのうと生活している。兄の事など覚えて居ないかの様に。いや、実際覚えてなど居ないのだろう。それ程までにあの言葉は軽く 無価値だったのだ。少なくとも、あの男にとっては。
『死んでしまえばいいのに』
風に紛れて聞こえない程、小さな声が響いた。
はじめ、それが自分の物だと言うことにも気づかない程自然に紡がれたものだった。
幾ら何でも、罵倒されただけで人に殺意を抱くとは思っていなかったから、自分でも直ぐには信じられなかった。
『あぁ、こんなにも人の心は思い通りにならないのかぁ』
そんな事を思った。平和を守る管理局員の兄に憧れる自分が人の死を願うとは何とも皮肉なものだ。
その時だった。
突然、男の頭が弾けた。
脳漿と血が飛び散り辺りに濁った水溜りをつくる。朝方とは言え人通りは決して少なくない。運悪く近くに居た人に少し赤いモノが飛び散っている。
一瞬の静寂の後、辺りは阿鼻叫喚の地獄と化した。
逃げ惑う人々、震える指で管理局に連絡するもの、恐怖のあまり立ちすくむもの。反応は色々だったが、平和な朝はもう其処には無かった。
そんな中私は、柘榴は人の血だとよく言うけれど本当にそうなんだな…と呑気な事を考えていた。
だからかもしれない、ビルの屋上に立つ【ヒト】にたった一人気づくことができたのは。
私は目が良い自信があったけれど、今でもなぜあの時気づくことができたのか分からない。けれどそれを見間違いなどとは決して思わなかった。
気がつくと、私は走り出していた。
ビルの屋上への階段を駆け上がる。エレベーターを待つ気にもなれなかった、ひたすら登り続けて屋上にたどり着いた時には息も絶え絶えで、心臓は爆発しそうになっていた。
屋上のドアを開く。
あんまり勢いよく開けたものだから、前のめりに突っ込んで転ぶ。
直ぐに立ち上がって周りを見ると…
その人は…其処に立っていた。
兄より大きな背中、白い髪、褐色の肌、顔を覆い隠す様なバイザー。
私が歩道橋からみた【ヒト】そのものだ。
「なにか用かね?」
しばらく無言で見つめていたせいだろう。いきなり声をかけられる、少し皮肉げで、何もかもを見通されているかの様な錯覚に陥る。
「………貴方、ですよね…さっき人を撃ったのは………」
「ああ、そうだが?」
平然と何の感慨もなく、その男は私の言葉を肯定する。あまりにも呆気なかったので、暫く閉口してしまったほどだ。
「人を……殺すのは、いけない事じゃ…無いんですか?」
「勿論、悪い事だ。だが、私も仕事でね クライアントには逆らえないんだよ」
「………仕事?…クライ‥アント?」
人を殺す仕事があるだなんて思わなかった。人を殺すなんて事はとても悪い事だし、それが常識だ。少なくともミッドではそう考えられている筈だ。
「……そう、仕事だ。何でもあの男は裏で相当悪どい事をしていたらしくてね、とは言え表の地位のある人間だから私の様な者が片付けなければならないのさ………世間の裏で平和を守る【正義の味方】と言うわけだ……どうだ?格好いいだろう?」
口を歪ませながら彼は言う、バイザーが顔を殆ど覆い隠しているせいで正確な表情は読み取れなかった。
けれど、どうしても本心の様には感じられない。そう…思った。
「……貴方がしている事は…犯罪ですよ?」
「…そうだな」
「…人を………人を殺したんですよ?」
「今までそうしてきたし、これからもそうだ」
何を言っても、仕様がない。けれど…、分かっていても止められなかった。
『死んでしまえばいいのに』
自分の【コレ】を認めてしまう様で、ただ怖かった。認めてしまったら……何かがどうにかなってしまう。………そんな気がしたのだ。
「人殺しは……やっちゃダメな事です…」
「……なら、私を捕まえてみるか?」
バカにした様な笑みを浮かべながら、その男は挑発するように此方を向き、頭を後ろに傾ける。
丁度相手を見下すような体制に見える。まるで私が突っかかって来るのを待っているかのように、わざとらしいほどに私を挑発する。
だからかもしれない。
「はい」
静かで、けれど力強い声が出た。自分でも驚くほどはっきりと出たその声は、私の心を形あるものに固めたようだった。
「私が…貴方を捕まえます。管理局に入って…実力をつけて、そうすれば貴方はもう二度と人殺しは出来ません!」
「……フッ、そうか…それなら精々頑張るといいさ。」
先ほどとは打って変わって、自然な笑みで男は笑った。この笑顔が本当の笑顔なのだろう。
そんな顔を隠すように、男は背を向け立ち去ろうとする。
「まって!」
反射的にそれを呼び止めてしまう。何の意味も無かったけれど不思議と後悔は無かった。
「…なにかね?」
此方を振り返り、私の返答を待つ。私は呼び止めておいてなんでもないなどとはとても言えず、出し抜けに言う。
「名前……」
「…?」
「………貴方の名前は何ですか?」
それが精一杯だった。咄嗟に思いついたのは、それだけだったのだ。
男は少し驚いたような顔をし、少し沈黙した後こう答えた。
「…アーチャー、それが私の名だ。」
それだけ言うと、ビルから飛び降り気がつけば姿も見えなくなっていた。
これが、私とアーチャーの出会いだ。
私の殺意を肩代わりして、その罪を一人で背負った寂しい【正義の味方】とそんな彼に◼️◼️した…わたし、ティアナ・ランスターとの邂逅だった。