暗闇の中、静かに走る男の姿があった。
闇に紛れるような真っ黒いコートに身を包み、大きなトランクを脇に抱えている。
目深に被られた帽子のせいか、その表情は伺い知る事は出来ない。
雲の切れ間から漏れる月の明かりに、時折その姿を映し出されるが人気の無い路地なせいかその男は誰にも見られる事なく歩みを進める。
不意に、男は立ち止まった。
随分な速度で走っていたはずだが、汗をかくどころか息切れ一つ起こしていない。
深くため息をついた後、トランクを路地の脇に置く。
———と同時に弾かれたように跳び上がる。
あまりの膂力に経年劣化したコンクリートの地面が砕け、粉塵を巻き上げる。
常人では考えられない高さまで跳んだ男は空中で体勢を整えつつ、先程まで自分がいた場所を凝視する。
暫くすると、男が地面を蹴った時に巻き起こった土煙の中から、紫電する黄色い帯のような物が瓦礫に巻きついている。
猫のように軽やかに地面に着地すると、ひと息つく間もなく魔力の散弾が闇の中から放たれる。
雨のように黄色い閃光が男に降り注ぐが、体捌きだけで全ての散弾を避け脇に置いておいたトランクを回収し、全速力で散弾が飛んできた方向とは逆向きに走り出す。
————と男の脇を閃光が通り抜け、一人の少女が道を塞ぐように躍り出た。
あまりの速さに狭い路地は暴風が吹き荒れ、その風圧で男の帽子は飛ばされる。両の腕を交差させ、風から身を守っていた男がその腕を下ろすと、その素顔が明らかになる。
煤けた赤い髪に、黄土色の瞳。
おもむろに、男は口を開いた。
「……最近店に来ないと思ったら、こんな所で夜遊びしてたのか…」
「…………………シロウ」
金の少女は呟いた。
♢♢♢
「それで、話って何かな?」
目の前に居るのは、八神はやて。
いつもの人懐っこい笑みは影を潜め、いつになく真剣な眼差しを向けながら両肘を机に着き重い空気を漂わせている。
昨日、遊園地で遊びすぎたせいか疲れて眠ってしまったのだが、気がつけば朝になっていて急いで身支度を整えていた時、急にはやての執務室に来るよう連絡が届いたのだ。
「………フェイトちゃんに、頼みたいことがあんねん…」
重々しく言葉を発する はやてからは普段のちゃらんぽらんな空気は感じられず、これからの話は真面目な物なのだと分かる。
管理局員的に、不真面目なのがデフォルトなのはあまりよろしくないような気がするが、そこは能力の高さで許されている部分が多いのだろう。
パサリ、とはやてが机に広げたのは十数枚からなる資料だった。
手に取り、はやてに向き直ると頷き了解の意が示される。頷き返しその資料に目を通す、それはある人物についての資料だった。
フェイトもよく知る、ある男性の物だ。
名前を確認したところで、困惑しながらもはやての冗談では無さそうな目を思い出し、一枚一枚細部まで確認する。
フェイト自身も気がつかない程自然に口角が上がり、少し頬を染めながら資料を読む。
その資料に書かれていることの多くはフェイトの知っている事であったが、時折知らなかったことが書かれておりその部分は食い入るように読み込んでいた。
特に流石のフェイトも正確な身長、体重は知らなかったようで、どうやって調べたのかは分からないが(おそらく法的にグレーな方法だろうが…)はやてに感謝しつつ、暗記していった。
ところが暫く読むうち、フェイトは眉を顰め始める。
困惑、というよりは違和感だろうか。楽しげだった表情は翳り、さっき読んだ筈のページを何度も見直し、見比べ更に顔を曇らせていく。
何度も何度もページが捲られ、紙の擦る音だけが執務室に響く。
はやては真剣な眼差しをフェイトに向け、フェイトは一心不乱に頁を捲る。
長いようで短い時間が過ぎた後、フェイトは資料を机に置いた。
「………これ、どういうこと?」
声が震える。
思考がまとまらずうまく言葉を紡ぐことも出来ない。
だが、いま目の前にある資料がそれが真実であることを示していた。
「シロウ・エミヤには、次元犯罪者の疑いがある。それも、小悪党なんかじゃなく……余程深部に関わってるような人物である可能性があんねん」
はやてはフェイトを真正面に見据えながら、それを言葉にし形を与える。言ってみれば簡単なものだ。
知り合いが犯罪者である可能性がある。ただそれだけの言葉にどれ程深く胸を引き裂かれるのだろう。
もしこれが、フェイトでなかったなら、そう例えば高町なのはであれば、冷静に受け止めることができたかもしれない。
冷静に受け止め、なおかつ最適解を選んで見せただろう。高町なのはなら。
なのはでなくともクロノ・ハラオウンでも、迷わず判断する事が出来ただろう。
けれど、フェイト・T・ハラオウンにはそれが出来ない。
自身も次元犯罪者であった事も理由の一つではあるが、出生の関係でそもそも自分というものの存在自体があやふやなフェイトには大切な人を、家族であっても友人であっても、割り切る事など出来ないのだ。
「勿論、それ以外の可能性もあんで?、けど、ひとまずのところは調査せな始まらへんゆう事や」
はやての言葉に何故自分が呼ばれたのかを理解する。
と同時に、僅かに残った希望を自分に掴ませてくれたのだと、はやてに感謝した。
「私に、身辺調査をして欲しいって事だよね」
「せや、執務官のフェイトなら独断の調査も許可されるし、ある程度無理な事も可能や。最悪の場合、現行犯で、ってゆうのも出来るしな」
現行犯逮捕自体は局員どころか一般市民にも可能ではあるのだが、この場合は能力的なことを言っているのだろう、
「分かった、取り敢えずは一週間様子を見て、その後は行動次第で決めるって事でどうかな」
「十分や、こっちでも協力できる事あったらいつでも連絡してな」
♢♢
1日目、特に何もなかった。
いつも通り、お店の仕事で忙しくしてたみたいで、文字通り一日中働いてた。
ちょっとくらいなら、遊びに行ってもいいかな、と思ったけど我慢して監視を続けた。
2日目、シロウには兄妹がいるらしい。お客さんとそういう話で盛り上がってた。
正確には姉と妹みたいだけど、そんな事はどうでもよかったちょっとでもシロウの事が知れた。けどおかしいな、戸籍上は一人っ子の筈なのに。
3日目、偶にシロウはお店をお休みにする。
今日もそういう日みたいで、シロウは朝早くから市場に出かけていた。材料の買い込みなのかな?人が多すぎて途中でシロウを見失ってしまった。
夜中に帰ってきたけど、ちゃんと食材らしきものを抱えていた、よかったやっぱり食材の買い込みだったみたい。
でもあのトランクみたいなのなんだろう。ちょっと重そうだけど、大丈夫かな。
4日目、シロウっていっぱい携帯持ってるんだ。
仕事とプライベートで使い分けてるのかな?それにしても多いけど、前に言ってた秘密のアルバイトと関係あるのかな、でも電話で話してるシロウはなんかやだな……ちょっとだけ怖い。
5日目、シロウが家を出た。あのトランクを持って…
大丈夫、そんな筈ない。ほんの少し話を聞けば……誤解だったってわかるよね……
♢♢
「………シロウ……」
シロウの動きを見た。
どう考えても普通の人間が出来る動きじゃない。魔法を使えば別だけど、そんな様子は微塵もなかった。
つまり、それは………
「………騙してたの?」
その事実だけが重く横たわる。覚悟していた筈なのに、その事実が鮮明になった途端、全てが崩れ落ちてしまいそうになる。
それでも、私は管理局員だ。法を守る義務があり、犯罪者を裁く責務がある。
「………いや、騙してたわけじゃない、ただ仕様がない事なんだ。」
寂しそうに、本当に寂しそうにシロウは笑った。
いつもの温かな、包み込んでくれるような笑顔じゃない、冬の荒れ野を思わせる冷たく暗いでも、何処か悲しみに満ちた笑みだ。
どうして、そんな風に笑うんだろう。
いっそのこと、全部嘘で、私は騙されてて、シロウが血も涙もないような極悪人だったら、私はこんなに苦しくなかったんだろうか。
シロウがおもむろに構えを取る。
ケースを片手に持ち、四肢に力が込められているのが分かる。心なしか辺りの空気もピリピリとした緊張感に満ちているようだ。
「………悪いが、ここは通らせてもらう。」
突如、シロウの体がブレる。
「バルディッシュ!!!」
『——ja!」
ソニックブームを発動し、高速で走り去ろうとするシロウを捕捉す
る。
既に私の横を通り過ぎ遥か遠くに移動していた。
魔法で強化した速度で一息に追いつき、背後から魔力刃で斬りかかるも、予測していたように身を屈めて避けられる。
シロウは人体の構造的にあり得ない角度で腕を伸ばし、路地のパイプを掴んで無理やり、方向転換する。
普通この速度でこんな挙動をすればタダでは済まない。
いや、実際にタダでは済んでいない。衝撃をもろに受けた腕は不自然な方向に折れ曲り、移動のたびにぷらぷらと不規則に揺れている。
魔力弾で牽制しつつシロウを追いながら、考えを巡らせる。
やはり、見たところ魔力の様なものは感知できず、これまでの挙動は全て純粋な身体能力によるものだと考えられる。
となると………
(人造魔導師…ううん、改造兵士………)
そう考えるのが妥当だろう。
腕にあれだけの重傷を追いながら、眉ひとつ動かさないのがその証拠だ。
(…………私と、同じ)
同じように、普通でない方法で造られた。
実際のところは違うかもしれない。シロウが望んで改造を受け入れたのかもしれない。けど、もし、私と同じなら………
(救ってあげられるかもしれない。なのはが私にしてくれたように)
夜の街を疾走する。
シロウも流石に疲弊したのか、先程のような速度はない。
息も絶え絶え、と言うほどでは無いにしろシロウの顔には疲れが見えた。
「シロウ、投降して欲しい。今ならまだ間に合う………」
わかってる、シロウはきっと投降しない。
そんなにすぐ諦めてくれるならあんなに必死で逃げ出したりしない。これはただの自己満足だ。
それでも、投降してくれたらと願わずにはいられなかった。
「ハァ、ハァ、ハァ、……………そうしたいのは山々なんだがな、………俺にも、意地があるんだよ」
呼吸を整えつつ、私に視線を向ける。
観念したわけでは無さそうだけど、逃げ回るのはやめたみたいだ。
「………そっか、じゃあ、ちょっとだけ我慢してね………」
———紫電が走り、シロウの体を切り裂いた。
シロウも、何が起こったのか分からないと言ったように、驚愕の表情を浮かべている。
シロウは小さく呻き声を上げ地に伏した。
魔力ダメージで身動きの取れなくなったシロウに用心のためバインドを掛ける。
全力で飛び出し、ブリッツ・アクションとソニックブームを併用して、シロウに斬りかかった。
それだけだ。
それだけで、シロウを拘束した。
いくら身体能力が優れているとは言っても全力の魔法で強化された魔導師に敵うはずはない。
そんな事、シロウもわかっていたはずなのに。
なのに……どうして。
頭を振り、余計な思考を追い出す。兎に角今は状況の整理をすべきだ。他の事は後から考えればいい。
シロウが運んでいたスーツケースを見やる。
先ず、あれを確認するべきだろう。
「シロウ、これ何が入ってるの?」
バインドに拘束されたシロウを見る。
流石に観念したようで、抵抗するそぶりは見られない。ただ決まり悪そうに座っていた。
「オレは運んでいただけだからな、中身は知らない。と言うか、知っちゃ駄目なんだよ」
その言葉に、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる。
もしシロウの言葉が本当なら、運んでいたものによっては厳重注意のみ、最悪でも罰金と数ヶ月の社会奉仕で済むだろう。
ミッドは基本的にそこまで重い刑罰を課したりしない。
犯罪者であっても、社会復帰を一番に考えられるようになっている。そして、これは聞いて見なければ分からないが、シロウの生い立ちの事もあれば、減刑も考えられるだろう。
一応罠などが無いから調べてからスーツケースを開く。
見た目の通り重いスーツケースだが、シロウはこれを持ってあれだけ走り回っていたのだから驚かされる。
中に入っていたのは、白い粉だった。
バルディッシュに鑑識に掛けてもらうと、麻薬の一種である事が判明した。ミッドでも裏ではごく普通に流通しているようなありふれた違法薬物だ。
「………シロウはなんでこんな事したの?」
自然に言葉が溢れた。
お店の繁盛具合を見れば、お金に困っていると言うわけではないと言う事は分かる。けれど他の理由はどうしても思いつかなかった。
シロウを見る。
また、シロウは笑っていた。
あの悲しげな笑みだ。困ったような、寂しいような、どうしようもなくなったような笑みだ。
風が凪ぐ。
真夜中という事もあり、真っ暗な宇宙に二人っきりで放り出されたみたいだ。
シロウが、口を開いた。
「話してもいい………けど、その前についてきて欲しい場所があるんだ。
もう………逃げたりしないからさ、一緒に来てくれないか?」
シロウは笑った。
心の底から………サミシそうに。
フェイト陥落も近い。