その後、どうやって寮に帰ったかは覚えてない。シャーロットはグリフィンドールの自分のベッドの上で横になっていた。
さっきの光景が頭から離れない。ボガートが変身した人物はシャーロットの忘れられない人、シャーロットの唯一の血の繋がった家族である母だった。ボガートが吐き出した言葉はシャーロットが一番聞きたくない言葉だった。シャーロットの母、グレースは実際にはあんなひどい言葉を言ったことはない。ふんわりとした儚い雰囲気のグレースはシャーロットを叱ることはほとんどなかったし、いつも優しい瞳でシャーロットを見ていた。シャーロットもそんな母を心から愛していた。
でも、幼いシャーロットは心の奥底で不安を抱えていた。母は昔から夢があったという。結婚してシャーロットを生んだことでその夢を諦めたらしいと、幼い頃アパートの住人達が噂したのをこっそり聞いたことがあった。それだけではない。グレースはいつもシャーロットにより良い生活をさせるためだけに必死に働いていた。育ち盛りのシャーロットのために自分の食費を削ってまでシャーロットに食事を用意し、服や生活用品もできるだけ揃えてくれた。結局のところ、グレースはシャーロットのために働きすぎて、体を壊したようなものだった。最期は病院へ行く金さえなく、そのまま亡くなった。シャーロットは心のどこかではそれを分かっていた。母が死んでから何年も経ち、忘れたフリをしていた。
母がそんな事を思うわけはない。シャーロットの事を愛してくれていたはずた。いや、本当にそうだろうか。母は、本当はシャーロットを憎く感じたことはないのだろうか。シャーロットを生んだことを後悔したことはないのだろうか。もしかしたら、シャーロットに隠れてそう思っていたのかも―――、
「シャーロット?」
ハーマイオニーの声が聞こえたが、シャーロットは眠ったふりをした。夕食の時間だと分かってはいたが、今は誰とも話したくなかった。ハーマイオニーはすぐに部屋から出ていった。シャーロットは寝返りをうち、誰もいない寮の部屋をぼんやり見つめた。不意にあることを思い付くと、ゆっくり起き上がり鞄から杖を取り出す。必死に母の思い出に集中し、杖を振るった。
「…エクスペクト・パトローナム」
いつもなら杖の先から銀色の雌ライオンが出てくるのに、今出てきたのはかすかな銀色の霞みだけだった。シャーロットは唖然とした。パトローナス・チャームが使えなくなっている。その理由は痛いほど明確に分かった。シャーロットの幸福な思い出に影が差したのだ。それは今や完全に幸福な思い出はとは言えなくなっていた。シャーロットは杖を放り出すと、ベッドの上で膝を抱え込み、目を閉じた。このままこの世から消え去りたかった。
「シャーロット、あなた、ひどい顔よ」
「…大丈夫」
次の日、ハリー、ロン、ハーマイオニーが心配そうに顔を覗きこんだ。シャーロットの顔は昨日と同じように青白い。
「あのさ、シャーロット。昨日のことだけど、」
「心配かけてごめん。でも、昨日のことはちょっと話したくないの」
ロンの言葉を遮り、シャーロットは本心からそう言った。三人は顔を見合わせ、再び心配そうな視線を向けてきた。
「闇の魔術に対する防衛術」はほとんどの生徒の一番人気の授業になった。その後もルーピンは赤帽鬼や河童などの生物を扱い、楽しい授業を展開してくれた。
シャーロットは平穏な生活を送りながらも、あまり笑顔を見せることは無くなった。たまにぼんやりと考え込むことが多くなり、授業でもほとんど手を挙げることはない。三人は何度かシャーロットに声をかけてきたが、シャーロットの元気は戻らなかった。
一方でハリーは『占い学』の息の詰まる授業にウンザリしており、また、クィディッチの練習で忙しくなってきたようだった。更に、ハリーの気分が急降下する知らせが舞い込んできた。
「第一回目のホグズミードだ」
談話室がざわめいていた。ハリーの表情が暗くなった。
「ハリー、この次にはきっと行けるわ」
「マクゴナガルに聞けよ。今度行っていいかって」
「ロン!」
ハーマイオニーの窘める声が響く。シャーロットの表情も暗かった。とてもじゃないが、ホグズミードを楽しむ気分ではなかった。
その時、クルックシャンクスが軽やかにハーマイオニーの膝に飛び乗ってきた。大きなクモの死骸をくわえており、ロンが顔をしかめた。
「そいつをそこから動かすなよ。スキャバーズが僕のカバンで寝てるんだから」
ロンがそう言って、ハリーに天文学の星座図を渡した。その時、出し抜けにクルックシャンクスがロンのカバンに向かって飛び付こうとしたため、シャーロットは
「アクシオ、クルックシャンクス!」
と、とっさに呪文を唱えクルックシャンクスを引き寄せた。クルックシャンクスはシャーロットの腕の中でジタバタしていた。
「その猫をスキャバーズに近づけるな!」
「ロン、猫はネズミを追っかけるもんだわ!」
「そのケダモノ、なんかおかしいぜ!シャーロットが止めなければどうなっていたか――」
ロンとハーマイオニーの言い争いはヒートアップした。最後はロンは肩をいからせて寝室へ消えていった。
翌日も二人の間は険悪なムードだった。薬草学の授業中もほとんど口をきいてはい。
その次の『変身術』の教室で小さな事件が起こった。ラベンダーが泣いている。
「ラベンダー、どうしたの?」
ハーマイオニーが心配そうに聴くと、パーバティが説明をしてくれた。どうやらペットのウサギが狐に殺されたらしい。
「先生が正しかったんだわ。正しかったのよ!」
ラベンダーは『占い学』でトレローニーに言われたことを思いだし悲嘆にくれていた。いまやクラス全員がラベンダーの周りに集まっていた。
「あなた、ビンキーが狐に殺されることをずっとおそれていたの?」
「ウウン、狐って限らないけど、でも、ビンキーが死ぬことをもちろんずっと恐れてたわ。そうでしょう?」
「あら、ビンキーって年寄りウサギだった?」
「ち、違うわ!あ、あの子、まだ赤ちゃんだった!」
ラベンダーが再び涙を溢れされ、パーバティがその肩を抱き締めた。
「ねえ、論理的に考えてよ。つまり、ビンキーは今日死んだわけでもない。でしょ?ラベンダーは――」
「ハーマイオニー」
シャーロットがハーマイオニーの言葉を遮った。
「それはダメだよ。今のはデリカシー無さすぎ。」
シャーロットが珍しくきつい目でハーマイオニーを見てきたので、ハーマイオニーは言葉を詰まらせた。
「自分にとって大切な人が死んだら、論理的に考えられるわけないでしょう。もう少し、残された人の気持ちも考えて」
ハーマイオニーはその言葉に顔を真っ赤にさせた後、うつむいて、
「ごめんなさい。ラベンダー」
と小さく呟いた。
ちょうどマクゴナガルが入ってきたため、生徒達はそれぞれ席についた。
授業の後、ハリーはホグズミードに行くためにマクゴナガルに直談判したが、結局許可はもらえなかった。
寮では許可証に偽サインをしようとか透明マントを使おうとかロンが提案してきたが、ハーマイオニーに踏み潰されていた。その後ハロウィーンのご馳走があるさ、と慰められてはいたがハリーの気分は晴れなかった。
ハロウィーンの朝、ハリーはできるだけ普段通りに取り繕っていた。
「ハニーデュークスからお菓子をたくさん持ってきてあげるわ」
「ウン、たーくさん」
ロンとハーマイオニーはハリーの様子を見て、クルックシャンクスの事は一端水に流したようだ。
「パーティーで会おう。楽しんできて」
ハリーは玄関ホールまで見送った後、階段へ引き返して行った。
ロンとハーマイオニーの後からシャーロットはトボトボと付いてきていたが、突然ピタリと止まった。
「シャーロット?どうしたの?」
「早く行こうぜ」
前の二人が声をかけてきたが、シャーロットは動かず口を開いた。
「…私、やっぱり行かない」
「は?なんで?」
「どうしたのよ?」
「なんか、ちょっと気分が悪いの。楽しめるような気分じゃないから、学校でハリーと待ってるわ」
そう言うと、戸惑う二人をよそにクルリと振り返り、足早に学校へ引き返して行った。
シャーロットはグリフィンドールの寮に向かう途中で、ハリーと鉢合わせをした。
「シャーロット!え?ホグズミードは?」
「今日は行かないことにした。元々私はそこに住んでるもの。行かなくてもいいのよ」
「…僕の事を思ってるんだったら、」
「違うわ。私もホグズミードで騒ぐ気分じゃないのよ」
シャーロットがそう言うと、ハリーは曖昧に笑った。
「……あー、どうする?談話室に行くなら、」
「もっと静かな場所で過ごしましょう。図書館以外の」
シャーロットがそう言って歩き出した途端、そばにあった部屋から声がした。
「ハリー?シャーロット?」
ルーピンがドアの向こうから顔を出していた。
「何をしている?ロンやハーマイオニーはどうしたね?」
「ホグズミードです」
「ああ。…ちょっと入らないか?ちょうど次のクラス用のグリンデローが届いたところだ」
二人はルーピンに誘われ、部屋に入っていった。
ルーピンがグリンデローの説明をしてくれたので、シャーロットはじっと水草を見つめていた。
「紅茶はどうかな?」
ルーピンがティーバッグで紅茶を入れてくれて、二人はマグカップに口をつけた。ルーピンはハリーを心配そうに見ている。やがて、ハリーはルーピンに促され悩みを口にしていた。
「どうして僕に戦わせてくださらなかったのですか?」
ボガートの授業の時の事だ。ルーピンは眉を寄せた。
「ハリー、言わなくても分かるだろうと思っていたが…」
「ヴォルデモートの姿になるだろうと思ったんですね?」
シャーロットがそう言うと、ハリーは目を見開いた。
「あ、ああ。あそこでヴォルデモートが現れるのはよくないと思った。みんなが恐怖にかられるだろうからね」
ハリーは戸惑ったあと、吸魂鬼の事を持ち出した。ルーピンはハリーが恐れているものが、恐怖そのものだと鋭い指摘をした。その直後、ドアのノックする音で話は中断した。
入ってきたのはスネイプだった。スネイプはシャーロットとハリーの姿を見ると暗い視線を向けてきた。スネイプはゴブレットをルーピンに手渡すと足早に去っていった。ルーピンはゴブレットに入った薬を口にし身震いをする。ハリーはその姿に不思議そうだったが、シャーロットは薬の正体に気づいた。脱狼薬だ。
「吸魂鬼と言えば、シャーロット、君はパトローナスが出せるんだね。マクゴナガル先生が感心していたよ」
突然、シャーロットに話が振られ、シャーロットはルーピンから視線を外した。ハリーは不思議そうにルーピンに聞き返した。
「パトローナス?」
「吸魂鬼を祓う魔法だよ。自分の守護霊を出現させることで、自分と吸魂鬼の間で盾になってくれる。非常に高度な魔法だ。一人前の魔法使いさえこの魔法にはてこずる。シャーロットの年でパトローナスを出せるのは非常に素晴らしい事だよ」
「……もう、できません」
シャーロットが小さくそう言うとルーピンは驚いたようにシャーロットを見た。
「シャーロット?なぜできないんだい?汽車の中ではできたんだろう?」
「……幸せな思い出に集中できないんです。」
ハリーとルーピンが顔を見合わせた。
「幸せな思い出?」
「ハリー、パトローナスを出すのには幸せな思い出に集中しなければならないの。私は今までパトローナスを出すとき、ママとの思い出を浮かべていたわ。私にとってこれ以上ない幸福の思い出だった」
シャーロットは空になったマグカップをテーブルにコトンと置いた。
「ボガートの時、覚えてる?私の前でボガートが変身したのは、私のママよ。私、今まで一番怖いのはお爺様だって思ってた。でも、違ったの。私は忘れていた。私が一番怖いもの、それは、大好きなママに拒否され、嫌われ、愛されていなかった事よ」
シャーロットはそう言ってうつむいた。ルーピンはその姿を見て、眉を寄せた。
「君のお母さんは君に向かってあんな事を?」
「いえ、違うんです。母はあんな事を口にした事はありません。でも、私が知らないだけで、私に隠れてあんな風に私を、嫌っていたかもしれない。そう思うと耐えられないんです。いつも私を抱き締めて、愛してるって言ってくれた裏で、もしも私の事を憎んでいたら、それは……」
「シャーロット、ダメだ。そんな風に思うのは良くない。あれはボガートが見せた君への幻だ。お母さんは決して君の事を憎んだりしていないよ。自分の娘を嫌うものか。ボガートの事は忘れなさい」
ルーピンはそう言ってシャーロットの肩に手を掛けた。しかし、シャーロットの心は決して晴れなかった。