彼は頭を地に横たえ静かに瞳を閉じていた。年単位で僅かに身じろぎはするが基本的には姿勢は変わらない。数えてはいないが一〇〇年単位の揺り返しを考慮すると、この姿勢を一〇〇年以上保っている事になる。
異名の元となった巨体を覆う鱗は白い微光を放ち、種族でも端正な顔立ちは、優雅さと知性、気品を感じさせるに充分だ。ある意味神聖さを感じさせる姿は、世界最高の絵師でも完璧に表現する事を諦めるかもしれない。
鼻先に空気の動きをふわりと感じた。彼の鋭敏な知覚感覚をすり抜けられる者は数えるほどしかいない。同格の存在、もしくは既にこの世にいない十三英雄の一人だったイジャニーヤくらいだ。数少ない人間の友人はまだ届かない。人間として異常な高齢だが彼の知覚を騙すにはまだまだ経験が足りていなかった。
空気の動きに僅かの違和感を感じた。自らの存在を誇示する為のものだろう。その気になれば一切知覚させることなく接近できたというメッセージでもあるのだろう。
「やあ、まれびと。思ったよりずいぶん早い訪問だね」
彼は長い首をゆっくりと持ち上げて瞳を開いた。正面にいるはずなのに認識が難しい。位置的に無いはずの染みにも見える影からそれは浮き上がりぐにゃりと形を変えた。
「初めまして。ツァインドルクス=ヴァイシオン殿」
名前を知られている事に驚きはない。彼の操る白金の傀儡鎧との感覚共有が切れてから月が三度形を変えた。ある意味、この世界で最も有名な竜王の内の一体である彼の名を知るには充分な時間だ。
ツァインドルクス=ヴァイシオン。ツアーはアーグランド評議国に籍を置く竜だ。ただの竜ではない。五体しかいない永久評議員の一体であり、齢は五〇〇を超える。智慧と力を持つ者だけに許される竜王の称号を持ち、
ツアーは突然現れた目の前の異形を観察した。
卵型の頭部に当たる部分には暗い穴にも見える三つの器官。これまでに見た事も聞いたこともない様式の服飾。まるで舞台役者を思わせる大仰で優雅な洗練された動き。どことなく心が揺すぶられる。
「うん。名前を聞いてもいいかな?」
ツアーはその巨体からは想像出来ない柔らかく優しい声で異形の存在に声をかけた。
「これは
掌を上にした腕を前にして頭を下げる仕草は、ツアーが知る人間の貴族の行儀作法とは違うものだ。しかし不快さを感じさせず、それだけでパンドラズ・アクターと名乗った異形種が高い教養を持っていると知れた。
ナザリック地下大墳墓。宝物殿。領域守護者。至高の存在。パンドラズ・アクター。
ツアーは言葉が持つ意味を自身の知識と照らしあわせて、可能な限り推測を走らせる。
「丁寧にありがとう。それであの二人は生きているのかな?」
「勿論ですとも。怪我一つありません。用事を済ませた後、私共の拠点で静かに過ごして頂いています」
「それは良かった。突然連絡が取れなくなって心配していたんだ」
「少々行き違いがあったようですね。残念なことです」
ツアーの言う二人とは人間と吸血鬼の友人の事だ。一人はリグリット・ベルスー・カウラウ。一〇〇年前、共に魔神と戦った一三英雄の一人でありツアーの大切な友人だ。ツアーには見分けが難しいが、見た目の年齢は人間で言う所の六〇程らしい。齢は優に一〇〇を超える。人間としては恐ろしく長命だった。
もう一人の名はキーノ・ファスリス・インベルン。死した後に吸血鬼に転生するという
「二人は返してもらえるのかな?」
「返すなどとは心外。取引が無事に済めば直ぐにでもお連れしましょう」
「取引?」
「えぇ、取引です。お互いに満足のいく結果になることでしょう」
声色は柔らかく態度は真摯。だが口にする言葉は不穏だ。人質の存在をちらつかせる言動。突然押しかけ取引を強要する姿勢も頂けない。
二人共大切な友人だ。条件次第では取引とやらを結んでもいい。しかしツアーにも譲れない一線はある。本心では助けたいと思うが、最悪二人には目の前の異形共々死んでもらう事になるかもしれない。
三ヶ月前、ツアーが操る傀儡鎧はリグリット、インベルンと共にバハルス帝国の帝都アーウィンタールにいた。リグリットに連れ出されたのだ。リグリットは昔から気まぐれで陽気、いたずらが大好きだった。そのお陰でインベルンと共に振り回される事が多かった。ツアーは口では嗜めながらも本心では互いに忌憚のない関係を楽しんでいた。
そして事件は起こった。帝都で蟲が異常発生したのだ。一〇〇年前、蟲を操る魔神との戦いを経験した三人は魔神の再来を警戒し調査に乗り出した。しかし蟲を操る魔神の正体は一向に掴めず、蟲が帝都から溢れ、調査どころではなくなった事から三人は帝都から一時撤退した。
事件自体はあっさりと終結した。翌朝、霧が晴れるように蟲は全て消えたのだ。インベルンは魔神を倒した名も知らぬ英雄がいるのだと素直に喜び、リグリットは考え込む様に口を塞ぎ、ツアーは一〇〇年の揺り返しを警戒した。
調査を継続し、何も成果を得られぬまま三日が経過した頃、何者かが傀儡鎧の感覚共有を通して『訪問』のイメージを割り込ませた。直後に傀儡鎧との繋がりが切れた。その後、リグリット、インベルンの二人と連絡が一切繋がらず、この地を動けないツアーは焦燥を抱えながら待つことしか出来なかった。
パンドラズ・アクターの来訪は、ある意味ツアーが待ち望んでいたものだと言っても過言ではなかった。
「正直もっとかかると思っていたよ」
「といいますと?」
「あの二人が拷問で口を割るとは思えないし、洗脳も効かないからね。ここは結界で封鎖してあるからたどり着くまで年単位は覚悟していたんだ」
魔神との戦いを経験した友人達の胆力は並のものではない。死を恐れる性格でもない。インベルンは種族柄、リグリットは体質で洗脳に耐性を持っている。たった三ヶ月での訪問はツアーにとって驚嘆に値した。
パンドラズ・アクターは合点がいったのか、なるほど、と大仰に一つ手を打った。
「彼女達はあなたの事を一言も話してくれませんでしたよ。良いお友達をお持ちですね。それと一つ訂正を。彼女達には肉体を傷つけるような拷問はもちろん洗脳もしておりません」
後半を聞いてツアーはほっとした。だが望んだ答えではなく不満を覚えたツアーは抗議の意味を込めて目を細めた。これに対しパンドラズ・アクターは参ったといった様子で首をすくめた。
「調べものが得意な仲間がおりまして。場所の特定だけなら直ぐでしたが色々と準備があったのですよ」
訪問が遅れましたと謝罪するパンドラズ・アクターに警戒度を上げた。封鎖結界はツアーが独自に編み上げたものに加え、友人二人が長い時間をかけて幾重にも重ねがけをしている。結界が破られた形跡はなく、表情の読めない異形の顔からは、はったりか真実か読み取れない。
パンドラズ・アクターの正体は既に知っている。この数百年に何度も現れた異郷からのまれびとだ。世界の在り方を変える強大なアイテムを所持し、竜王すら殺せる魔法とスキルを簡単に操る危険な存在だ。
ツアー自身は過去の経験から一対一なら負けるつもりはない。ツアーが習得している
まれびとに弱点があることも知っている。彼らの多くは自我が肥大し現地の住民を侮る傾向があった。それ故に自惚れが強く、驚くほど簡単に仲間割れを起こした。持てる強大な力に反比例して精神が異常に幼い。例外もいたが、そういう者程先に死んでいった。
目の前の異形はどうだろうか。慇懃無礼な態度はツアーを侮っているからだろうか。取引を勝手に持ち込み、断られると微塵も感じさせない姿勢は高慢からか。聞かずともツアーが知りたいと思う事を口にするのは軽率だ。自信の表れともとれるが自己顕示が強すぎるのではないか。それはツアーにとって都合のよい存在とも言えた。
「……ふむ」
「どうかされましたか?」
「いや、そうだね。念の為の確認だけど
「いいえ。
「では従属神、えぬぴーしーだね」
「言葉に語弊がありますが、そう考えて頂いて間違いありません」
「それで、主はどこに?」
「
「主達?」
「はい。私達は至高の四一人とお呼びしています。
例えばぷれいやーだった八欲王は、たった八人で信じられない数の竜王を殺した。殺されても直ぐに復活する八欲王は、連携を組んで自分を殺した竜王を嬲り殺した。彼らは一人の例外なく恐るべき死神達だった。
えぬぴーしーはぷれいやーに匹敵する強さを持っている者もいたが、全体としては劣っている。奉仕を喜びとし、盲目とも言える忠誠を主に捧げていた。主の居場所を教えないのは主が殺される可能性を警戒しての事だろう。八欲王と竜王の戦いは、御伽話に姿を変えて今に伝わっている。
主を失ったえぬぴーしーは簡単に狂う。狂っても主の許可がなければ死ぬ事もできない。狂ったえぬぴーしーはぷれいやーとは違う意味で質が悪かったと言える。一〇〇年前、狂ったえぬぴーしーはぷれいやー程の強さはなかったが、現地の人間種、亜人種、異形種、綺羅星の如き英雄達が種族の枠を超えて立ち向かわなければ到底勝てなかっただろう。
狂気と紙一重の忠誠心。えぬぴーしーにとって主は絶対だ。語る言葉に嘘が混じっていたとしても、誇らしく主を語る言葉に偽りは絶対にない。絶対にだ。やっかいな事になった。
ツアーの知る限り、ぷれいやーの一度の最大来訪人数は八人。八欲王だ。今、パンドラズ・アクターは四一人と言った。これは過去に来訪した全てのぷれいやーの数を足しても半分にも満たない数だ。
八欲王クラスのぷれいやー、四一人を相手にツアーと言えども勝ち目はない。せいぜい数人を道連れにするのが関の山だ。しかもぷれいやーは簡単に何度も復活する。尖兵となるえぬぴーしーは死を恐れない。復活できないと知っていてもだ。むしろ喜んで死ぬ。死を前提にした戦術で多くの竜王が死んでいった。
全ての竜王の力を糾合すれば勝てる道筋はあるだろう。糾合できればの話だ。今残っている竜王は八欲王との戦いを傍観していた者が殆どだ。当てに出来るかと言えば甚だ疑問が残る。
まずはパンドラズ・アクターを使者として送った主達とやらが理性的で平和主義者であることを祈ろう。
「ツァインドルクス=ヴァイシオン殿?」
「なんでもないよ。それで取引と言ったね?」
「おぉ! 前向きに検討いただけるのですね! えぇ! 決して損はさせませんとも!」
パンドラズ・アクターの楽しげな動きはツアーの琴線に触れるものがあるが、それとこれとは話が別だ。
「我々はツァインドルクス=ヴァイシオン殿に三つの安心を提供する準備が出来ています」
「安心? 物ではないんだね?」
「はい。ツァインドルクス=ヴァイシオン殿が金品や美食に興味がないことは事前に承知しておりますので」
下位の竜種が金貨や宝剣などの光り物を本能的に収集する性質は有名だ。ツアーにその趣味はない。それを知っているのは竜種を除けば僅かに二人。
ツアーは瞳を収縮させながら続きを促した。パンドラズ・アクターはツアーの態度の変化に気がついているだろうにおくびにも出さない。
「我々の要望は一つ」
四本の内から一本の指を立てるパンドラズ・アクター。反対の手の指でつまんだ帽子のつばの影に隠れ、瞳にあたるであろう二つの穴は見えなくなった。
「あなたが持つ
ツアーは小さな使者の洗練された仕草に目を奪われぬよう、提案の意味に思考を割いた。
スキップすれば残り二話。サブタイから(一)が消えます。それに伴い若干のプロット変更が入ります。いわゆるルート分岐。
しなければ三~四話で完結。
どっちがいいのか。悩む。
【捏造】
まれびと
原作にない言葉。
語感がいいのと意味が合致しているなと採用。
ツァインドルクス=ヴァイシオン
外見、経験、感性、その他。
外見はWeb準拠。少し捏造。
原作に外見記述なし。
一切知覚させることなく接近
一〇〇年後のリグリットでも可能なので潜入を得意とする至高の存在に変身すればそれ以上の事が出来るはず。という捏造。
個人的にはリグリット=劣化神人の可能性を疑っている。
傀儡鎧
原作にこの名称はなし。それっぽいなと捏造。
八欲王
ツアー主観。捏造。
リグリット・ベルスー・カウラウ(CV:孫悟空
見た目年齢、性格等。
キーノ・ファスリス・インベルン(イビルアイ)
タレント等。
原作でも思わしげな記述のみ。
イビルアイが年上で、誤差はあれどリグリットとは同世代だと言っても過言ではないはず。
属性もりもりでファンに大人気。
「くっ! 左目が!」とかイビルアイにこそ似合うと思うの。
封鎖結界
そもそもツアーは魔法的に隠れているのか?
侵入阻止とか認識阻害とかではなく魔法的な探査を遮断する結界(裏設定。当然捏造。
【補足】
(私達の)用事を済ませた後、私達の拠点で(動けないようにしてから)静かに過ごして頂いています
調べるのが得意
どっち? どっちもです。
宝物殿の領域守護者も実験終わっているので得意だったりします。