ハイスクール・フリート~北の海より愛をこめて~ 作:葉桜照月
──大和 艦長室前 2016/4/16/0700
艦長室の前に誰かいるかと思えば、誰もいない。
もっとドラマ的な展開を少しだけ期待していたのだけど、現実はとんとん拍子に事を進めてくれたのだ。感謝しよう。
──そういえば艦長室って入ったことないな──そんなことを考えつつ、私は艦長室の戸を叩いた。
「誰だ」
「島村です。お話が」
そのあとの返事はすぐには現れなかったけど、どう考えているかはすぐに分かった。ドアが開いたのである。
「お邪魔します」
「良く来たな、島村」
「鍵も無いしやろうと思えばすぐに脱出出来るんですね、この部屋」
「そうだ。まあ、そんなことをやっても連中の感情を煽るだけだからな…ああ、そこにかけてくれ」
そう言って艦長は私に机の椅子に座るよう促し、自らはベッドに腰を掛けた。普段から艦長はこのベッドをソファー代わりとして愛用しているのだという。
「…それで、話とはなんだい?」
「急ですね」
「読んでいる本が良いところでね。早く続きを読みたいんだ…そこの。」
確かに机の上には栞を挟んだ本が置かれていました。緑色のヒモが、こちらに向かって伸びている。
カバーがかけられてタイトルは分からないが、けして薄くはない文庫本サイズの本で。椅子に座り机に向かって読んでいたのだろう、天地の方向がこちらに向けてほぼまっすぐに置いてある。
…だけど、これは多分…
「…嘘ですね」
「…ほう、理由は?」
「別に確証はありません。ただ、私がノックしたとき、もし艦長が本をベッドで読んでいたならば、艦長はきっと本をベッドに置いていた筈です。それが自然です。でも机の上に最初から置いてあったので、艦長は机の上で読んでいた…と思ったんです」
「確かにそうだ。私は椅子に座って読んでいたよ」
「そう言うと思いました。でも少し変ですよね」
「何がだい?」
「その本、栞のヒモがこちら側に出ていますよね」
「つまり?」
「スピン…つまり本に付属の栞紐であれば、通常ヒモの出た方向が本の、天地の地の方向になりますよね」
「そうだな」
「もしその本から出ているヒモがスピンであれば、ヒモがこちら側に出ているのは何も問題はありません。しかし、あれは栞です。スピンにしては、挟まれた部分が厚すぎますからね。であれば、あの栞、つまりヒモのついた栞は、ヒモのついた側をこちらに向けている、ということになります」
「…」
「お分かりですよね?通常、ヒモのついた栞は、ヒモのついた方向が上に当たります。ですから、そのヒモがこちら側に向けて出ている以上、あの本は天地の天の方向をこちらに向けている事になります。ほぼ直角に。つまり、艦長は椅子に座り机に向かって小説を読んでいたのに、私が訪れて席を発った時にわざわざ逆さまの方向に本を置いたことになります。自然に流れる動作のうちにねじ込むのは、ちょっと不自然です」
「だが…」
「ええ。勿論、艦長がしおりを下側に向けて挟む性格であったり、ありえませんが上下逆さまに本を読む性格であったりするなら、話は別です。…だから最初に『確証はない』と保険をかけておいたのですが、そうなのですか?」
「…いや。見事な推理だ。さっきまで寝てたよ」
「そうですか。推理が当たっていたのなら、嬉しいです」
「…とはいえ、話を早く聞きたいのは事実だな。
…『隠していること』の話じゃないか?」
おっと、忘れてた。推理は楽しいからついなんでも推理してみてしまう。
「おっと、すみません。でも正解です。その事です」
「…とりあえず、君の推理を聞こうか、島村悠希菜」
と、艦長はそう言い、こちらを睨み付け、続けて、
「籠原双葉の中学時代の同級生として、君は私に何を思う?」
籠原双葉。
野付艦長にして、私の中学時代の同級生。
最も仲の良かった友人の一人。
「…そうですね、私はある結論にたどり着きましたよ」
と、私はそう言い、艦長を睨み返し、続けて、
「貴女は元々野付の艦長に内定していた、そうですよね?」
沈黙。
それは、私の推理が当たり、あるいは少なくとも的外れではないことを証明していて。
艦長は目をつぶり、返しました。
「…聞こう」
その言葉を確認して、私は語りだしました。
「筑紫が事故沈没して、野付と筑紫の艦長内定者が呉に集められました。そこで双葉と艦長が初対面。七島珠洲ら旧筑紫メンバーが、舞鶴の大和に乗ることになった…というのが、語られてきた共通認識です。」
「そうだな」
「…でも、おかしいんですよ。私の知っている、中学時代の籠原双葉は、野付の艦長に内定する――つまり、測量科入試で主席合格するほど成績がよくありませんでした。入試後の自己採点は、私よりちょっと高い程度だったんですよ。…それこそ、二番手艦のトップあたりじゃないかって位の。」
「…ひどい言い草だな」
「双葉ですからいいんです。ずっと不思議だったことでしたし。
…そして艦長。いくら技能が足りないからと言って、わざわざ入学を打診してきた海洋研究界期待のホープを、二番手艦の艦長ごときに据えたりしますか?当然一番艦、つまり野付に付けられるはずです。…おそらくは、艦長に。…つまり、野付と筑紫の艦長内定者が呉で対面したのは、それは事実でしょう。ただし、野付艦長内定者・七島珠洲と、筑紫艦長内定者・籠原双葉が、ですが」
「…続けてくれ」
「そして、そこで何かしらの事情があって艦長と双葉がそのポストを入れ替わらざるを得ない状況になったのだと思います。…いや、おそらく艦長がそう希望したんですよね?」
「…」
「…双葉は、それに押し負けて野付の艦長になったんですよね。けれど野付の艦長とは、すなわち測量科トップ。それだけ彼女は勉強をしなければならなくなった。二番手クラスの艦長から、一番手クラスの艦長レベルまで。中堅から最上位へ。人知れず、孤独な戦いに挑まざるを得なくなった。簡単なことではなかったでしょうね。でも双葉は並々ならぬ努力の末にそれを達成した。…まあ、元々本気になれば何でも出来る人でしたけど」
「…」
艦長は黙ったままでした。それは、自分の推理が大それたものでないということを証明していて、私はここで漸く自分の推理が完全に正しいことを確信して、自信を持ってこの後を語ることが出来た。
「…艦長、私に隠したかったこととは、その事ですね。
野付艦長は元々、貴女だったこと…そして、入れ替わったことで私の親友に、『優等生であるプライド』を突然にも与えたこと、今も…それに囚わせ続けていること。
私の親友に苦痛を与え続けていること。」
「…」
「その事ですよね?でしたら…」
「…」
「私は、全く…」
そこまで言ったとき、艦長が割り込みました。
眼を閉じて、俯いている。
「違うな」
「…へ?」
「だから、違うよ」
「…え、ああ、いや、双葉が苦しんでいても私は別に…」
「そこじゃない」
そこまで言うと、艦長は眼を開いて、こちらを見た。
「推理だよ。その推理は、ハズレだな」
「…なんですって?」
「…まあ、大筋で合っている。99.98%まで合っているんだが…お前はどうして自分のことを考えないんだ。一時期の私にそっくりだ」
「ど、どういうことですか?」
「簡単だ、馬鹿め」
「ええ…ちょっと傷つきますよ」
「いいや。自分を過小評価する奴には荒療治が必要なんだよ」
「べ、別に過小評価してるわけでは…」
「あるんだよ!ああ、腹が立つなあ、頼むから鏡を見せないでくれ」
「…」
「いいか!?私も別に、籠原が傷つこうが苦しもうがどうでもいい。ただ、私は…」
「艦長は…?」
「お前を…島村悠希菜を、その親友と離ればなれにさせてしまったこと。ただそれのみが、私の負い目だ」
「…」
「…」
「艦長」
「なんだ」
「ずるいですよ」
「怜悧狡猾と言ってくれ」
「謹んで、お断り申し上げます」
そこまで話をして、そうしていたら、なんだかおかしくなって、ふふっとお互いに笑った。
艦長はなんだか上機嫌で、その後もいくつかのことを話してくれた。
「…にしてもお前の推理はなかなかにイイトコついてるな。大筋では全くその通りで、私が呉に声を掛けた途端に一番良い船の艦長職を用意してくれたんだ。まだ一般入試の採点途中だったみたいで、役職が決まっていなかったのもその理由のひとつだったらしいがね。…まあ私は始めは野付に乗るつもりだったんだが、そうしたら筑紫の沈没事故で説明の為に呉に呼び出された。それが野付艦長内定者の私と、筑紫艦長内定者の籠原だった。当事者たる籠原だけでなく私まで呼ばれたのは、どうやら生徒に説明するのは生徒が一番よい…らしい。詳しいことは全く教えてもらえなかったがね。…まあとにかく、筑紫が沈没したから筑紫乗員内定者には舞鶴の大和に乗って貰う、という説明…いや、事後報告だったわけだ、その招集は。
ここで私の気が変わってね。帆船というものには前々から興味があったんだ。そして籠原が仕方なくそれを受け入れようとするのを見て、こいつは私よりも余程マシな人間だ、と思ったんだよ」
「双葉をですかぁ?マシじゃないですよ双葉は」
「それは後で分かったことだからな。
呉に呼び出されたときに、説明してくれた奴が来るまで少し籠原と話す時間があってね。あいつは私のことを知っていたようでな。名乗った途端に口をあんぐりさせていたよ。どうやら中学生論文大賞…私が大賞をとって北洋大に招聘されるきっかけになったあの大会に、籠原も論文を出していたらしいな。そして地理は少し得意だったようでね──まあ君は同級生だから知っているだろうが──私の話に食い付いてくれた。…同年代である程度とはいえ話の通じる奴を私はそれまで知らなかった。周りには大人しかいない。そして周りの連中は、私に『まだ子供であるという''年齢設定''』のみを求めた。中学生らしい青春やら何やらは私には求められてはいなかった。だから、多少なれども話の通じる同い年がいることほど嬉しいことはなかったんだ、私はね。…そしてそのとき、私は情けなくなったんだ。二番手艦に乗るようなものですら且つこうなのだから、況んや他の者をや、地理について既に多くを知っている者はたくさんいる。そして、測量技術…それだけじゃない、中学生で習う地理以外の全ては、皆が皆私よりもずっと多くのことを知っている。にも関わらず、私は単に地理で他人より多くのことを知っているだけだ。それなのに、私はそれだけの理由で受験戦争を尻目に一番美味しいポジションにつこうとしていた。それが情けなかったんだ。
それに比べれば、そのとき私の隣に居た籠原双葉という人間は、受験戦争を勝ち抜き、来るべくして来て、そして舞鶴行きの指示を否応なく受けとる。その時、何となく見過ごしてはいけないと思ったんだ。私は野付の艦長には籠原双葉こそ相応しいと言って、そして私は精々沈没した筑紫の艦長職がお似合いだと言ったんだ。そのあと色々あって、結果私と籠原で役職を入れ替わることにしたんだ。」
「そうだったんですか…」
「そうだ。だいたい推理通りだったろう?…あの時は籠原にけっこう酷いことを言われたな。天才の椅子に座れ、とかなんとか。文句なら土俵に立ってから言えよとも思ったが、それは傲慢が過ぎるし、土俵に立っていないのは私の方だったから、言い返せはしなかった。そして籠原はもう地理以外の全教科で学年トップと来た。あちらが横綱なら、私は序ノ口がいいところだ。地理だけは譲らないが、私は籠原を尊敬しているよ」
「…まあ、それは私もです。双葉は元々始めると止まらない性格でしたから、そのベクトルが勉強に向かえば私では勝てないだろうなとは感じていました。…まさか本当にそうなるとは思いませんでしたけど。
…そういえば、詩歌ちゃ…もとい、国東さんなんですけど」
「ああ、詩歌がどうした?」
「国東さんが、おそらく艦内で一番艦長のことを気にかけています。今も艦長を復職させんと暗躍しています」
「詩歌がか。…そういえば、詩歌も元々野付の書記になる予定だったんだ」
「えっ!?そうなんですか?」
「そうだ。詳しいことは知らないが、筑紫に…つまり大和に乗ることになった書記が、舞鶴に行くのが嫌だと言って、野付に乗せるよう要求したそうだ。結果として野付の書記だった国東詩歌が応じて入れ替わることになった、って訳だ」
「国東さんは、それで良かったんですかね?」
「さあ。だが、詩歌と私は入学前から面識があってね。それで詩歌も私と一緒の方が良かったのかもしれん」
「…?同じ中学だったんですか?」
「いや。上司の娘だよ。大学の私の上司のひとりである…といっても専門分野は違うが、国東博栄教授の一人娘さ。教授の紹介で知り合ったんだが、これがもう博識でビックリしたよ。父親から色々叩き込まれたんだろうね。…さっき籠原を『同級生でこんなに話の通じる人がいるとは』って言ったが、詩歌はそれ以上だった。だから彼女はノーカウントだよ。なんせ大学教授の娘だからね。」
「艦長は、大学で何の研究をしていたんですか?」
「海洋地理さ。…というかその話しなかったっけ。…まあ、海岸線やら海流やらを扱う学問さ。特に日本近海は、地盤沈下による海岸線のこれからの変化なんかは注目されている事柄だからね。まだまだ研究の余地がかなりある学問だよ。私の直属の上司の鎌ヶ谷教授はまさに海岸線の変化に関する研究を専門にしている。…だから私が将来的にやりたいこととは微妙に違う」
「艦長は…?」
「私は海底地理学。要するに海底がどう変化するか。海岸線の変化も扱うが、メインはそっちだな。例えば…そうだな、『おおよそ標高30m程度で、高いところでも50m程度の原っぱがある。南北は海に面し、東西は標高100m以上の大地に囲まれた凹んだ原っぱである。子の付近が約100m地盤沈下して沈んだ時、この原っぱは当然新たな海底となるが、この原っぱはいったいどんな地形変化を辿るか?』みたいな」
「…平坦になるのでは?」
「結論を言えばそうだ。この例えば実例に乗っ取っているんだが、確かに平坦になった。では、どの程度だと思う?」
「その50mあったところが30mの周りと同じに…あ」
「気づいたかい?そう、それが30mになったとして、周りの『もとから海底だった部分』とは、依然として30m高い位置にある計算だ。では30m、さらに削れていくのか?削る海流はどこから生まれる?勿論新しい沿岸との兼ね合いもあるから全て削れていく訳ではないだろうが、では最終的にどんな地形で安定するのか?海底の土の質はどう変わるのか?」
「それは…」
「それを研究するのが私の将来のビジョンさ。特に今言ったような実例──旧択捉島の留茶留原平原だが──は、もし水深がこれからもある程度深くなり続けて、大型船舶の通行も可能になるとしたら、そこは恐らく交通の要所になるであろう場所でね。私はここを研究しつくすことが夢のひとつなんだ」
「ここで足踏みしてたら、誰かにとられませんか?」
「さあね。それは残念だが悔やむことじゃない。結論は早く出るに越したことはない。それに…」
「それに?」
「その水域の片方の沿岸部は全部丸々七島家の土地だから。隈無く調査するには七島家当主の父の許可が必要だ。誰にも譲りはしないよ」
「コワっ!というか七島家土地持ってるんですか!?」
「まあな。20000haくらい」
「広っ!」
「大したことないさ。維持費も高くないし」
「いや、そんなレベルじゃないですよ!バーベキューパーティーとか盛大に開けるじゃないですか!」
「はは、そうだな。…待てよ、そうだ、そこを使えば…」
「…?何ですか?」
「いや、何でもない。お楽しみだ。」
「このあとなにするおつもりですか…。…そういえば、艦長のお父様が七島家の御当主なんですよね?次期当主は…」
「私だよ。兄弟がいないからな。半ば結婚をさせられることが確定しているから当主になるのはあまり望むところでは無いんだが…どうした?震えてるぞ?」
「…いや、艦長とはこれからも仲良くしようと心に誓いました」
「…何のことだ?」
「…こっちの話です」
「…そうだ、詩歌は今何をしているんだ?」
「暗躍ですよ」
「いや具体的に」
「ああ…その事ですか」
「え、聞いてはいけない奴なのか!?」
「いえ別に」
「ええ…」
「でも詳細は次回お届け!次回「暗躍─Side;国東詩歌」お楽しみに!」
「急にメタくなったなぁ!」
ということで次回は「暗躍―Side;国東詩歌」らしいです。
今度こそ来週乗せられるように頑張ります。