桓公と管仲によって発展した斉も衰退してしまった。
ここで代わりに台頭してきたのが宋の襄公だ。
この襄公ってのは生前から桓公と親しかったおっさんだが、まぁいけ好かないヤローだ。
私のことを見るたびに「桓公にひっつくガキめ」みたいな陰口叩いてたからな。
お前私が斉の前宰相だって知らないだろ。
それと私は桓公じゃなくて管子のところに遊びに来てたんだっつーの。
お前こっちに聞こえてないと思ってるだろうけど、私の聴力は500里(200キロ)先に落ちた針の音も聞き取れるんだからな。
冗談だよウルトラマンかよ。
まぁ耳がいいのは本当だけどね。
襄公は桓公が死んだ後の後継者争いを収めたまではいいものの、これで調子に乗った。
桓公の後を俺が継ぐんだ~と勢い込んで盂で会盟を開いたんだけど、まぁ諸侯もこいついけ好かねえなと思ったらしい。
特に、襄公の治める宋よりずっと勢力の強かった楚の王は格下の誘いに自分で出席するのも癪だということで将軍の一人である子玉を送り込む。
そしてこの子玉、会盟中に突如として襄公を拉致した。
これによって襄公の面目は丸つぶれである。
……ふふふ、ちなみに実はこの騒動、裏で糸を引いていたのは私だったりする。
子玉が扱いやすそうだったので裏でちょっと唆してやったのだ。
なぁに、商人にジョブチェンジしてたから話術はばっちりよ。
それ話術じゃなくて詐術じゃねってのはNGな。
まぁ命まで取る気はなかったし、せいぜい意趣返しみたいなもののつもりだった。
見た目も性格も嫌いでちょくちょく嫌がらせしてくるからいつか死ねと思っていたけど流石に殺す気まではない。
子玉にも命は取らないようにと言っていたし、騒動を収めるために会盟に参加してた諸侯に子玉をなだめる小芝居を打ってくれと根回しもしていた。
私は囚われて目を白黒させている襄公の顔を見て陰でm9(^Д^)プギャーしてた。
性格悪いが前世からまぁこんなもんだったので気にしても仕方ない。
なおこの騒動は楚の成王がいたく気に入ってくれたようで、子玉の所業を高く評価した。
そのおかげでのちに子玉は楚の令尹(楚の宰相位)に引き立てられて、子玉からは私に感謝状が来た。
結構律儀だなと思いつつ、「出世おめでとう。謗られても怒っちゃだめだよ」と返事を出した。
実はこの子玉君、有名な”窮鼠猫を噛む”の故事成語の窮鼠の方の人物である。
私の返事を素直に聴き入れていれば鼠になって死ぬことはなかったんだろうけど、まぁ結局は鼠だった。
決して無能ではなかったんだけどね。
南無南無。
さてこの騒動、王を虚仮にされた宋の国民は怒った。
そのため宋は楚に攻め入ることになる。
泓水のほとりを決戦の地に定めた宋軍は楚軍が現れて川を渡り始めた時、宋の宰相の目夷は「まともに戦えば勝ち目はありません。楚軍が川を渡りきって陣を完成する前に攻撃しましょう」と進言した。
まぁ実際この時の国力差からして普通に宋より楚の方が強かったので、目夷の言ってることはすごくまともというか、普通の進言だ。
しかし襄公は「君子は人が困っているときに更に困らせるようなことはしないものだ」と言ってこれを退けた。
アホである。
まごうことなきアホである。
今戦争中だよ状況わかってる???
目夷は「ああ、わが君はいまだに戦いを知らない」と嘆いてて、私はそれを見てちょっと同情した。
君子はそもそも拉致された報復とか名誉挽回とか、そんな理由で敵国に攻め入ったりしねーよ。
このどっか抜けたお人よしっぽさ、拉致されたときになにも学習してないのか。
だいたいテメー陰口叩いたり裏で私に対してコソコソやってたりと根が陰湿で君子感ゼロだからな。
結局、川を渡りきった楚軍は陣を完成させて宋軍を散々に打ち破った。
もともと戦力差があったんだから残念でもなく当然だ。
襄公自身も太股に矢傷を負って、のちにこの傷が元で死ぬ。
これが世にいう、宋襄の仁。
敵に対する無用の情け、分不相応な情けのことをいう故事成語である。
正直戦争にまで発展する煽りを入れたのは悪かった、ふひひwwwサーセンwww、くらいには思っているんだけど、この結果を見る限り私が何もしなくても宋は滅んでた気がする。
ちなみにこれが故事成語だったことは襄公が死んだあと”図鑑”で彼の項目を見て知ったことだ。
図鑑てのはステータス画面を切り替えると見られるもので、出会った人のプロフィールなんかが載ってる。
これ見れば名前思い出せない人とかも一発なので結構便利。
でもまぁいろんな情報が載るのはたいてい死んだ後なので、気づくのが遅れたわけだ。
管子は有名だったから知ってたけど襄公までは流石にフォローしてないよ。
春秋五覇の一人に数えられることもあるらしいけど、知らんかった。
影薄くね。
「おい嬢ちゃん」
「嬢ちゃんではない、エイだ。それと年齢はそろそろ100の大台に乗る。年上には敬語を使えと教えられなかったのか」
「あーはいはい、仙人様ね。そんな仙人の嬢ちゃんに書簡が届いてるぜ。誰からかは知らんがこの町の顔役の俺に繋いできたんだ。ありゃ相当な身分の奴だぞ。お前一体何したんだ」
「知らん。私も暇じゃないんだ。読み上げてくれ」
「……まぁいいけどよ。暇じゃないって、それ何作ってるんだ?」
「おや、”嬢ちゃん”の言うことにえらく素直に従うんだな」
「……ここらの路地裏に巣食ってたタチの悪い連中を掃除してくれたんだろ? アレにゃあ俺もほとほと手を焼いてた。つっても、ここに来るまでは半信半疑だったが……見りゃ流石にわかる。アンタただもんじゃねえ」
「ああ、あいつらか……顔役も大変だね。今作ってるのは手編みのマフラーさ。つい先日踊り子に続いてバトラーのジョブレベルもカンストしてね。記念に手芸でもと思って」
「何言ってるかわかんねぇ……っておい、おいこれ!」
「うん?」
「こ、この書簡、襄王って書いてあるぞ! 襄王っていやあ周の王様じゃねえか。それによく見りゃこの封、どこかで見たことあると思ったら……これ、本物かよ……」
「おや、おじさん、顔のわりに結構学があるね」
「うっせー俺はまだおじさんなんて年じゃねえ。顔も余計だ。にしても、アンタ一体……」
「襄王ねぇ。そういや夷吾が周と戎を和解させるだかで周に行った時に付いて行ったっけか。まぁいいや、内容はもういいから適当に捨てといて」
「お、おい」
「この町にも数週間世話になったね。もう別の町に行くよ。それじゃあ」
このころになると私も随分有名になっていた。
まぁ桓公管子の時代から割と国家中枢にはいたんだけど、襄公の会盟のときに暗躍してたから諸侯にその存在が明確にばれた感じ。
もともと戦場に出れば負けなしの鬼神、各地を渡り歩いては知恵や知識を伝達する賢者、死にかけの病人でもたちどころに治す名医、人知の及ばぬ怪しげな技を使う妖術師、とまぁいろいろ噂されていたのだ。
なんやかんや銭を稼ぐのには戦場に出て将官の首を挙げるのが手っ取り早いし、衣食住の更なる発展を願って知識は惜しみなく振る舞ってたし、神官にジョブチェンジすればぶっちゃけ死人を甦らせるリザレクション使えるし、魔法使いにジョブチェンジして遊んでたこともある。
噂はだいたい真実で、しかしてその実態は見た目10歳の子供だから、所詮は噂よ、と流されていた。
それがまぁ実は真実だったようだぞと知られてしまって有名になったわけだ。
別に身を隠してたり容姿や名を偽ってたりはしないので、実はあちこちの地方に紀元前800年ころから出現した記録が残ってたりする。
ただ、流石に200年生きてるとはだれも思わないようで、山奥に生きる秘密の一族なのではないかみたいに言われているらしい。
まぁこの時代はほんとに山奥にひっそりと暮らす秘伝の一族みたいなのも割といるので変な信憑性がある。
実際私もいくつかそういうのに会ったことあるしね。
蚩尤って中国神話の神様で、悪しき魔神だとか戦乱の神とか武神だとかいわれてる見た目がキメラみたいな神様だ。
獣身で銅の頭に鉄の額を持つとか、四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるとか、訳の分からない気持ち悪い姿をしているらしい。
夷吾が書いた『管子』って本にも蚩尤が出てくる。
なんでも戦いに金属を初めて用いた神だとか何とか。
んでそんな神様の名前を名乗ってるだけあって、こっちの話は一切聞かないわ集団で囲んでガチで殺そうとしてくるわで結構相手が面倒だった。
こちとら国境の山を通り抜けようとしただけなんですけどね。
何言っても話聞いてくれないし、当時就いてたジョブ”踊り子”のスキル使って割とボコボコにしちゃったけど、それはまぁ不可抗力だよね。
結構戦闘したおかげで踊り子のジョブレベルはマックスになったけど、別に嬉しくもないんだよなぁ。
途中から狂信者みたいな逝っちゃった目で睨んでくるしほんと怖かったもの。
襄公と襄王とか似た名前の人多すぎ問題。
ちなみに歴史に残る有名な襄公だけでもこんなにいる。
襄公 (秦)(在位:紀元前777年 - 紀元前766年)
襄公 (斉)(姜諸児、在位:紀元前698年 - 紀元前686年)
襄公 (宋)(子茲甫、在位:紀元前651年 - 紀元前637年)
襄公 (晋)(姫驩、在位:紀元前628年 - 紀元前621年)
襄公 (鄭)(姫堅、在位:紀元前605年 - 紀元前588年)
襄公 (魯)(姫午、在位:紀元前569年 - 紀元前542年)
襄公 (衛)(姫悪、在位:紀元前543年 - 紀元前535年)
襄公 (薛)(任定、在位:紀元前510年 - 紀元前498年)
襄公 (燕)(在位:紀元前657年 - 紀元前616年)
贈り名(諡号)だから被るんです。