さて、襄公は失敗したけど、代わりに台頭するのが晋の文公だ。
ご存じ春秋五覇において”斉桓晋文”と称される二大巨頭の一人。
この人は子供の頃から優秀な人材を集めている有能さだったんだけど、内乱に巻き込まれて他国に落ち延び、二十年かけてやっと国に戻ってきたという、随分な苦労をする王様だ。
しかもこの刺客に襲われて国から逃げ出したときの年齢がなんと43歳。
その後19年もの間諸国を放浪し、各地で冷遇されたりしながらもどうにか生き延び、なんと62歳で君主の座につくというスーパー大器晩成型君主である。
それでも在位わずか9年の間で混乱の続いた晋を安定させ、覇業をもたらした功績から春秋五覇の筆頭にも挙げられる超有能な男。
……本来の史実では。
たぶん私が関わった人間の中で最も史実から外れてしまったのがこの文公だ。
文公、諱を
諱は忌み名、いわゆる本名のことなんだけど、この時代だと普通相手を本名では呼ばない。
なんか言霊信仰というか、相手の本名を呼ぶことはその相手を支配することと同義であって精神的にやっちゃいけないことみたいな。
私はその感覚をあまりよくわかってはいないけど、この時代の人たちはそう捉えてるってことだ。
真名とは違うよ、それは恋姫。
この諱で呼んでいいのはその人に対する支配者、つまり親や君主に限られる。
そんでもって何の因果か、私は文公のことを重耳と呼ぶ関係になってしまっていた。
重耳の家系は元は晋王家の分家筋だったんだけど、武公の代に本家を滅ぼして自ら晋公となった。
重耳の父は武公の子献公、母は北方遊牧民族である狄(白狄)の娘である狐姫で、異母兄の申生、異母弟(ただし母同士が姉妹)の夷吾(後の恵公)などがいた。
私はこのうち、重耳の母の狐姫と個人的な知り合い、というか友達だった。
ある時北の方へ遊びに行っていたとき、険しい山奥で綺麗な女の子に出会った。
その子は真っ白い犬だか狼だかの毛皮を被っていて、顔には呪術的な文様を入れていた。
やっべー、リアルもののけ姫じゃんサンちゃんじゃん! と激しくテンションが上がったのを覚えている。
なおその子は絶賛虎と死闘中。
虎は身の丈1丈5尺(270センチ)はある大虎で、サンちゃんは勇ましく山刀をふるってはいたが既に傷だらけで今にもやられてしまいそうだった。
私はあわてて間に割って入り、武器を持っていなかったので素手で虎の首を締めあげて首の骨を折って殺した。
ヒュー! 虎殺し、今日から私の事は愚地独歩と呼んでくれてもいいぜ!
ところがサンちゃんはこれに激怒。
なんでもこれは部族に伝わる一人前になるための儀式で、失敗したらもう部族には戻れないんだとかなんとか。
私が乱入したせいで儀式は失敗になってしまったので、代わりにお前を殺す、と山刀を向けられる始末。
これに私は慌てた。
いやそんなん知らんし私が助けなかったら命を落としてるか最低でも片腕はなくなってたよ。
で、以下が激高した狐姫と混乱して変なことを口走る私の会話である。
サンもとい狐姫「何故私の邪魔をした、死ぬ前に答えろ!」
アシタカもとい私「そなたを死なせたくなかった。」
狐姫「死など怖いもんか。試練を乗り越えるためなら命などいらぬ!」
私「分かっている。最初に会ったときから。」
狐姫「余計な邪魔をして無駄死にするのはお前のほうだ! その喉切り裂いて二度と無駄口たたけぬようにしてやる!」
私「生きろ……」
狐姫「まだ言うか! 華人の指図は受けぬ!」
私「そなたは美しい。」
モロの君は当然いなかったけど、私は「生きろ……」「そなたは美しい」とアシタカばりの一転攻勢を見せて、人慣れしていなかったサン――もとい狐姫を陥落させた。
お前初対面で何言ってんだってもんだけど勢いで押し切った感がある。
たぶん表情とか気配とか迫真の演技だったからね。
いや演技じゃなくてマジだったか。
なんかヤベーオーラとか出てた気がする。
そのあとは口八丁手八丁で言いくるめて、山の中、殺して鞣した虎の毛皮の上でにゃんにゃんした。
ふぁーーー。
自分でもあとから思い返すと何やってんだって感じだけど、正直、一目惚れである。
アシタカの気持ちがよくわかるというか、いや惚れない理由がないわ。
このためだけに”性別決定”のボタン押して男になっちゃったし。
ぶっちゃけ出会って数分で手籠めにしてるあたり、古代中国とはいえだいぶ野蛮人というか勢いに任せすぎな気はするけど一応合意の上だったことは弁明しておく。
いやまぁ百年も生きてる中で、男だったり女だったりを町で買うことはあったけどここまでの衝動は初めてだった。
前世含めてたぶん初恋だ。
で、それでもやっぱり部族には戻れないっていうから私は彼女を連れて山を下りることにした。
このとき私は普通に彼女を養って添い遂げようと考えていた。
ところがどっこい、狐姫は私に体を許しはしたものの、心までは許していなかったらしい。
山を下りて晋国に入ったところでたまたま出会った男に惚れてついていってしまった。
出会って数分でやることやったもののその数日後には普通に
ほんともうね、辛い。
そして、この時の男がなんと辺境の村々を視察に来ていた献公だったのだ。
私は当時、もちろん狐姫が重耳の母になる女性だなんて知らず、普通に狄(北方の異民族)の娘だと思っていた。
のちにこの私から狐姫を寝取っていった男が献公だったと知り、ファッ!?っと魂が抜けていく気がしたものだ。
はい、告白します。
正直、周の滅亡や桓王の失敗などを見て、歴史通りだな、と鼻で笑って上位者・観測者気取ってました。
歴史とか私なら自由に書き換えれるじゃーん、めんどいからやらんけどねーとか調子ぶっこいてました。
歴史には勝てなかったよ……。
前698年、私102歳の出来事である。
初めての明白な敗北は、砂のような味がした。
とまぁそんなことがあったけど、献公の妻となった狐姫とはその後もたびたび会っては話をする仲だった。
献公も(寝取られた恨みを除いて考えれば)普通にいい男だったのでまぁそれなりの関係は築いていた。
ただ、ちょくちょく遊びには行っていたのだけど、悲しいことにそんな日々はすぐに終わりを迎えてしまった。
前696年、わずか二年足らずで狐姫はこの世を去ってしまったのだ。
原因は風土病。
山で育った彼女は平地の病に勝てなかったのだ。
私は彼女が病気にかかったと知ってから何度も治療をすることを申し出た。
しかし、彼女は首を縦に振らなかった。
山で育った彼女は自然の摂理を尊び、不自然な治療を拒んだ。
すべては自然のままに、そう言って私の申し出を断った。
献公の治療の甲斐虚しく彼女が死んだ時、私は蘇生術《リザレクション》を使おうか真剣に悩んだ。
だが、たとえ一時とはいえ愛しあった彼女の心を穢すことなどできなかった。
彼女は私と献公、そしてまだ一歳になっていない息子を置いて逝ってしまった。
このとき献公には狐姫の他にも複数の妻がいた。
その中には狐姫を追って山を下りた彼女の妹も。
姉妹仲も良好だったし、権力争いなんかも激しくはなかった。
だから普通は、母を亡くした息子を妹に育ててもらおうとするだろう。
ところが狐姫は病床の身で、なんと息子の重耳を私に預けたいと言った。
私はこれに酷く驚いて――そしてハッと気づいた。
なぜ彼女がこんなことを言うのか。
彼女が息子の重耳を身ごもったのは献公に出会ってすぐの事だった。
私は「この寝取り野郎め、手が早いな」と自分のことを棚に上げて恨みがましく思っていたものだけど、よくよく考えれば、彼女が献公と出会った数日前に、私は彼女と――。
私は献公に、私と狐姫の関係を伝えてはいなかった。
私の見た目は年端もいかない子供だったし、面倒な説明をする気はなかったからただの親友であるとしか説明していなかった。
そしてまた狐姫も同様だろう、夫にわざわざそんなことを言う必要はない。
あるいはただの思い過ごしかもしれない。
重耳は史実通り献公と狐姫の子かもしれない。
しかし、確かめる方法はなかった。
DNA検査?
どうやってやりゃあいいのさ。
産まれたばかりの重耳の容姿は狐姫そっくりで、彼女との血のつながり以外の要素を認めることはできなかった。
だから、たぶん、母親としての狐姫の直感こそが、なによりも信じられるもので。
献公は狐姫の遺言を尊重した。
そして、私もまた。
その日から私は子連れ狼になった。
父親か母親かはわからないけど、とりあえず親代わりだ。
私は性別決定ボタンで男に変わったけれど、見た目上の成長はほとんどなかった。
百年以上も子供の姿のまま居たのが良くなかったのかどうも小柄な姿で固定されているらしい。
そして再度性別決定ボタンを押すことで簡単に女になることも可能なことが判明した。
グラブル並みに簡単な性別変更だ。
しかし残念ながら女性になったところで、私の胸はAAな上妊娠経験もないので乳腺も発達しておらず母乳を与えることは不可能だった。
そこで、料理人スキルをフル活用して母乳代わりのミルクや成長してからは離乳食など、おそらく当時の中国どころか現代日本まで含めても最高峰のレベルで育てた。
なにせこちとら人間やめてる料理人である。
ジョブレベルはとっくの昔にカンストしてるので、無から有を料理することなんてそれこそ朝飯前だ。
マヨをつくるときなんかは自然の素材にこだわってたけど、こと自分の子の事となればそんな悠長言っていられない。
私はどこへ行くにも重耳を背負い、就寝時さえ一時も離さず守った。
小さい頃から外を連れまわすのは病気などの心配があったけど、毎日ヒールやらリフレッシュやらかけていたので問題はない。
仮に先天的な異常とかを持っていたとしても私が気付かないうちに勝手に治しているだろうほどだ。
史実では「大柄であり、父が太子であった頃から既に大人の体格をしていた」ともいわれるが、この世界でもそうだ。
たぶんヒールかけ過ぎたのが良くなかったのか見る見るうちに成長して6、7歳くらいのときにはもう中学生くらいの体格はしてた。
この時代の人たちはみな身長が小さいけど、重耳は小さい頃からの栄養状態も良かったおかげかずいぶん大きく育った。
重耳が自分の足で歩けるようになってからも私は片時も離さなかった。
まぁ子育ての要領がよく分かってなかったので必要以上に過保護になってた感は否めない。
厠にも普通に付いて行ってたからな……。
ちなみに先の桓公、管子のいる斉へと向かい、あれよあれよと宰相になってしまったのはこの時期だ。
あと、勉学も良く教えたし武芸も相当鍛えた。
移動中など暇だったから時間つぶしをしてたというのもあるけど、やっぱり馬鹿よりは勉強ができる方がいい。
武芸もこの戦乱の世の中で生きていくには自分の身を守れるくらいの実力は欲しいしね。
そんなこんなで英才教育を施していたら、17くらいのときにはもうすっかり立派な青年になっていた。
頭の出来は諸葛亮、武芸は呂布並だ。
親バカとは言ってくれるな。
まぁまだその二人ともこの世に存在してないんですけどね。
しかも見た目も私が一目惚れするほどに美しかった狐姫の血を濃く引いていて、女性と見まごうほどに華やかな美丈夫に成長していた。
この時代にしては身長も高く、スレンダーなモデル体型の男装の麗人といった容姿だけど、なよっとした感じじゃなくて彫が深くて野性味も感じる”カッコイイ”系だ。
そして顔だけじゃない。
インナーマッスルは鍛えに鍛えてあるのでそこらの力自慢程度なら一捻りだ。
性格だって申し分ない。
理性的で論理的な思考を土台に仁義や徳、情なんかを篤く持ち合わせていて、まさしく「わたしのかんがえたさいきょうのくんしゅ」だ。
そうなるように教育したんだけど。
唯一の欠点は17にもなって親離れできていないことだろうか。
流石に厠とかはもう一人で行くけど、食事は必ず一緒に取るし、お風呂も入るし、宿屋に泊まるときは一室だ。
人前でも平気でスキンシップはとるし寝る前は額にキスする。
まぁ子離れできていないのはこっちもそうなので別に文句を言うつもりは毛頭ない。
なんというかこの頃になると、重耳が私の息子なのか献公の息子なのかは気にならなくなっていた。
どちらにせよ狐姫の息子だし、仮に今、実は全く誰とも血がつながっていない赤の他人だよと言われても別に気にならないくらいには私は重耳を愛していた。
この古代中国の世界にきてから百余年、初めて濃密に関わりを持った相手に完全にやられてゾッコンになってしまったというわけである。
なんなら狐姫より愛してるかもしれない。
ああ、今から重耳が寿命で死んでしまうことが悲しくて仕方がない。
リザレクションも流石に老衰まではどうにもできないのだ……。
さて、こんないい男に育ってしまった重耳。
もちろん余人が放っておくはずもなく、モッテモテである。
まず女が寄ってくる。
まぁどこからどう見ても、どこを取ってもいい男だからね、しょうがないね。
立場が違えば私も言い寄るし、咎める気は全くない。
しかも対応もあしらいも完璧だからますます人気が出る。
そしてなぜか重耳のことを「お姉さま」と呼んで慕う子もたくさんいた。
いや、その子男なんですけども。
宝塚は古代中国が起源だった……?
そんな変な女の子たちからも人気があったけど、もっとすごいのは男どもからの人気だ。
まず性的に惚れて寄ってくる輩がたくさんいる。
ノンケもホモも大漁である。
入れ食い状態と言ってもいい。
しかし重耳はマザコンなので私一筋なのだ、残念だったな。
そして、外見ではなく内面に惹かれてやってくる奴も多数。
剣をとれば中華一、矛をとれば中華一、槍をとれば中華一、弓をとれば中華一、力自慢も片手でひねるとあって重耳の武勇を聞きつけて全国各地から腕試しだの弟子入りだのを希望するマッチョなむさくるしい男どもが大勢来た。
そのうちの九割は実際に会って腕に惚れて外見にも惚れてただのホモとしてあしらわれるのだけど、残りの一割は割と凄い人がいたりする。
で、だいたい臣従を誓う。
ごめんなさいねぇ、この子確かにイイトコの出なんだけど王座に就く予定もないし今は当てもない放浪の旅なんですよー、お引き取り願えますか? と言っても引いてくれずついてくるのでいつの間にか二人旅が軍団旅行みたいになった。
中にはなんか他国の将軍とかいるけどいいのかこれ。
あ、職を辞す文を既に出したと。
それはそれで問題では?
武人がこうして集まる一方、知に惹かれてやってくる者も多い。
学問を語らせれば中華一、軍略・政治・経済・農業・医術なんでもござれ、この時代じゃまだ確立してない高等数学も扱える重耳と少しでも語り合おうと頭でっかちな野郎共が中華全土からやってくる。
重耳は弁論術も身に着けてるし、よく響く美麗なアルトボイスなこともあって重耳と語り合った奴はだいたいその場で言い負かされるか感銘を受けて臣従する。
もしくは恋に落ちる。
いやまぁあの声で耳元で囁かれたら私でも背筋にぞくっと来るししょうがないね。
こうして罪作りな重耳君は知らぬ間にやたらと増えた家臣を引き連れて私との旅を続けることになった。
生国晋からの趙衰・狐偃・賈佗・先軫・魏犨らを筆頭に各国からも有能な人物が集まり、100人規模で日夜鍛錬やら論戦やらを行いつつ諸国放浪の日々、というかまぁ観光旅行なんだけど。
重耳が私を上に置いて丁重に接するもんだから、子供の見た目の私を侮る輩もいなくて割と快適に過ごすことができた。
そしてふらふらと旅を続けるうち、北国晋を出てぐるっと時計回りに中華を一周した私たちは、晋の西に位置する秦へとやってきた。
そこで私たちはちょうど新たな王の加冠の儀に立ち会うことになる。
恵公は諱が夷吾。
管夷吾とは別の人。
ややこしいね。