一
その戦いは熾烈極まりないものだった。
突如として海の底より現れた、人類に仇なすもの、深海棲艦。そしてそれに対抗しうる唯一の力を持った、鋼鉄の艤装を身にまとう少女たち——艦娘。
彼女たちの戦いはいつ果てるとも知れず、人々は長らく深海棲艦の脅威にさらされ続けた。
この状況を打破すべく、全軍を挙げての深海棲艦殲滅作戦が決行される。
大型艦娘を中核とした連合艦隊で敵主力部隊を討ち、残存兵力を支援艦隊と連携して殲滅を図る。かつてない大規模な作戦だった。
幾千幾万の砲弾が湯水のように撃ち放たれ、艦娘たちは傷つきながらも、勝利を信じてこの激しい砲火の中に身を投じていった。
ほぼ全艦娘を投入したこの作戦は、一応の成功を収め、深海棲艦を組織的な活動を行えないまでに壊滅させた。
しかし、その代償は決して小さくはなく、特に敵機動部隊による鎮守府強襲では大きな犠牲を払う結果となった。
それから一年あまり。破壊された庁舎や工廠などの設備の再建も一通り終わり、ようやく鎮守府に平穏な日々が戻りつつあった。
日はまだ低く、空気は肌寒さを感じる時間。最盛期には百五十隻を超える艦娘を擁した鎮守府だが、今ではその頃の面影はなく、朝食時の広い食堂には空席が目立つ。
朝食をとる艦娘の多くは駆逐艦や軽巡洋艦で、大型艦が朝から大食い合戦に興じるといったこともない。すでに見慣れて久しい、静かな朝の風景だ。
そんな食堂の片隅のテーブルで、小さな噂が持ち上がっていた。
「ふひふふぇいひ?」
「漣、口に物入れたまましゃべらないで」
卵焼きを口いっぱい頬張りながら、すっとんきょうな声を出した漣に、すぐ隣に座る朧が眉をひそめる。
「んんっ……こりゃ失礼。んで? イ級がなんだって?」
「イ級じゃないわ。駆逐棲姫、よ」
とぼけた調子の漣の言葉に、はす向かいから間髪入れずに訂正が入った。
「隼鷹さんの偵察機が、近海で駆逐棲姫らしき艦影を発見したっていう話」
箸を置いて、ついさっき話したことを説明しなおす朝潮に、漣は「ほうほう」とわざとらしくうなずいて見せた。
「でも隼鷹さんの話でしょ。酔っぱらってたんじゃないのー?」
「見つけたのは隼鷹さんじゃなくて、隼鷹さんの艦載機よ」
「妖精さんも一緒になって酒盛りしてたかもよ?」
一年前の戦い以降、強力な深海棲艦はその姿を潜め、大型艦や鬼クラス以上の艦の目撃情報は絶えていた。漣がにわかには信じられないのも無理はない。
そしてそれは朧も、向かいに座る潮も同じ気持ちだった。
「空から見ただけなんでしょう? 見間違いってことも……」
「でも潜水艦の方たちも見たって言ってました!」
ただの噂話と片付けようとする朧の言葉を大潮の大きな声が遮った。これに続けて、荒潮が補足するように付け足した。
「潜航中のイムヤさんたちのそばをぉ、すぅーっと、通って行ったんですってぇ」
段違いに構えた両腕を、「すぅーっと」に合わせて動かす。表情はにこにこ笑顔で、緊迫感は全くない。
「今度は下からか……真正面から見た人はいないの?」
朧の問いに朝潮は首を振る。
「いないみたいだけど、隼鷹さんの話もイムヤさんの話も艦の特徴が一致してるのよ。それになにより」
一旦間を置いた朝潮に、なにか嫌な気配を感じた朧たちの箸が止まった。
皆固唾を飲んで見守る中、朝潮はおもむろに続けた。
「この鎮守府に……ゆっくりとだけど、ここの鎮守府に向かってまっすぐ航行してるらしいの」
「ひっ……」
今まで黙って耳を傾けていた潮が、小さく悲鳴を上げた。
漣も箸を口につけた姿勢のまま固まっている。姫クラスかどうかはともかく、少なくとも人型の深海棲艦らしいものがこちらに向かっている。事実だとすれば不気味なことこの上ない。
「せっ、攻めてきたり、するんでしょうか……」
「わからないわ。そもそも本当に鎮守府を目指しているのかもわからないし」
青ざめた顔で訊ねる潮に、朝潮が再び首を振った。
「ちょ、ちょっと待って。八駆のみんなはその話いつどこで聞いたの?」
朧がずっと疑問に思っていたことを口にした。ただの尾ひれがついた噂話なのか、隼鷹たちから直接聞いた話なのかで信頼度も変わってくる。
「わたしは昨日の演習の後に隼鷹さんから直接聞いたわ。一昨日発見したそうよ」
「大潮たちはそのすぐあとで朝潮姉さんから聞きました!」
「それでそのことを話しながら歩いてたらイムヤさんたちとすれ違ってぇ、『わたしたちも見た』って言われたのよねぇ」
どうやら尾ひれがつく前の話らしかった。ただの噂話だとは言えそうもない。
朧は口をつぐみ、漣も宙を見つめたまま動かない。
重い空気が立ち込める。そんななか、一人黙々と食事を続けていた満潮が、わざとらしく音を立てて箸を置いた。
「それほど気にすることないじゃない。駆逐棲姫っていったって、一隻だけ。一体なにができるっていうのよ」
そう言って満潮はトレイをつかんで立ち上がる。
「そんなのにやられるほど、わたしたちは落ちぶれてはないわ」
こう付け加えて、すたすたと漣たちの脇を通って行ってしまった。
「満潮の言うとおりね。いくら強力な深海棲艦でも、駆逐艦一隻迎撃するのはわけないわ」
「うふふふ、ちょぉっと心配しすぎだったかしらねぇ」
満潮の一言で暗い雰囲気は瞬時に払拭された。この話はおしまいとばかりに笑って、朝潮たちは先に食事を終えた満潮に遅れまいと、手早く朝食を片付け始めた。
「あたしたちも早く食べないと。ほら、潮もいつまでも固まってないで。今日は任務あるんだから」
「あ、は、はい……」
漣も視線を下ろし、まだ一つ残っていた卵焼きを箸でつかむ。そして、それを口に入れる直前、ぽつりとつぶやいた。
「ま、一隻であればいいんだけどね」
甘い卵焼きを咀嚼しながら顔を上げた漣に、朧たちの責めるような視線が一斉に注がれていた。