朝日の昇る頃に   作:uco

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「だいたい漣はいつも一言余計なの」

 

「えー、でもホントのことっしょ」

 

 提督執務室へと向かう廊下で、漣は朧にたしなめられた。反省の色を見せない漣に、朧はため息をつく。そんな二人を、後ろから潮がすこし困ったように笑って見ている。

 

「あっ」

 

 角を曲がったところで、騒いでいる二人に先んじて潮が執務室の前で佇む艦娘の姿を見つけた。

 

 白のセーラー服に身を包み、白くて長い髪の上に同じく白い帽子を被った駆逐艦。

 

「響ちゃん」

 

 潮が手を振って呼ぶと、響——ヴェールヌイも三人に気づいて軽く手を挙げた。

 

「おはよう。今日はよろしく」

 

 この日の臨時編成で、響が応援として朧たち第七駆逐隊に編入されていた。ほぼ毎日どこそこで臨時の艦隊編成がなされており、特に駆逐艦は演習に遠征、警備にとあちこち回されている。これももう皆慣れたことだった。

 

 朧と漣も扉の前で軽く挨拶を交わして、彼女らは一緒に執務室へと入った。

 

 様々な家具や装飾品にあふれていた提督執務室も、かつての姿は失われ、今では机一台に本棚がいくつかあるだけの簡素なものになっていた。壁にかけられた真っ白な軍服と軍帽だけが、提督の部屋であることを主張しているが、その軍服は一度も袖を通されていなかった。

 

 この部屋の中央、カーペットもない、ツヤのある板張りの床の上に、朧、漣、潮、そして響は横一列に並んだ。

 

「みなさん、おはようございます」

 

 主なき机の前で待っていたのは、現在艦隊の総指揮を執っている巡洋艦、大淀。かつては艦隊運営のサポートを行っていたこともあり、提督不在の中で誰が決めるでもなく、自然と彼女が司令官の位置に収まっていた。そのまま正式に提督代理として艦隊の指揮を取り続け、今ではすっかり板についている。

 

「今日の第七駆逐隊は鎮守府近海の警備任務です。詳細は既に通知の通り、変更はありません。もし深海棲艦を発見した場合、戦闘を許可しますが、すこしでも危険と判断したら速やかに帰投してください。この判断は旗艦の朧さんに任せます」

 

「はい!」

 

 朧の威勢のいい声に、大淀は笑顔で応えた。

 

「それではみなさん、出撃してください」

 

 鎮守府周辺の警備なんて、どの駆逐艦も数え切れないほど経験しているから、普段であれば朧たちはなんの疑問も持たずに出撃していたところだが、この日はすこしわけが違った。

 

 三人は顔を見合わせ、動こうとしない。その様子を響も大淀も不思議そうに眺めている。

 

「どうかしましたか?」

 

「あ、あの、噂なんですけど」

 

 大淀が訊ねるのと、朧が声を上げるのは同時だった。戸惑う朧に、大淀は続けるよう促す。

 

 そこで朧はついさっき朝潮たち第八駆逐隊から聞いた話をした。

 

「それで、もしかしたらこの鎮守府に向かってきてるかもしれなくて……」

 

「そう、ですか」

 

 朧たちの話を聞いた大淀は、特に驚いた様子もなく、口元に手を当てて、なにか考え事をしているようだった。

 

 でもそれもほんの一瞬で、すぐに手を下ろして答えた。

 

「わたしも隼鷹さんたちから報告は受けてます。不確定な情報なので、下手に不安を煽るべきではないと思い黙っていましたが」

 

 当然といえば当然なのだが、大淀はすでに知っていた。

 

「口止めしていたわけでもないですし、もう知ってるなら隠す必要もありませんね。現在複数の偵察機で索敵中ですが、まだ発見に至ってません。ただ、他にも数人の方から報告を受けているので、見間違いである可能性は低そうです」

 

 それから大淀は、もし遭遇しても無理に交戦する必要はないこと、危険を感じたら速やかに帰投することを念押しした。

 

「今のところ、報告では一隻だけのようですし、我が艦隊の練度を鑑みれば、大きな脅威だとは考えていません。みなさんは普段通り任務を遂行してください」

 

 結局大淀も満潮と同じ意見で、大騒ぎするほどではないと考えているらしい。

 

 彼女が言い終えるのと同じくして、執務室の扉が開かれた。

 

「大淀ー、ちょっと資材のことで相談したいんだけど」

 

 みなが振り向くと、扉の隙間から工作艦明石の顔が覗いていた。

 

「ああ、ちょっと待って、今行くわ。そういうことなので、第七駆逐隊のみなさん、お気をつけて」

 

 そう言い残して、大淀は部屋を出て行った。残された四人はめいめい顔を見合わせる。

 

「そいじゃま、行きますか」

 

「だ、大丈夫かな……」

 

 大淀の言葉にとりあえず納得していた朧と漣とは逆に、潮は心配そうな表情を浮かべている。

 

「あまり気にしすぎるのはよくないよ。わたしも今聞いて驚いたけど、それほど問題ではなさそうだし、今は任務が優先だ」

 

「響の言う通りだよ、潮。ほら、しゃんとして、行くよ!」

 

 潮はまだ困惑した顔をしていたが、朧と響に背中を押されて、否応なしに先頭に立って部屋を出ることになった。

 

 その様子を眺めていた漣も、すこし遅れて執務室を後にする。

 

 ——ここまでフラグ立てたら出会っちゃうよね。

 

 漣は先を行く三人に聞こえないようにつぶやいてから、小走りでみなの背を追いかけて行った。

 

 

 三時間後、第七駆逐隊は青い海原のど真ん中を進んでいた。旗艦の朧を先頭に、漣、潮と続き、殿に響がいる。

 

 航海は極めて順調。この間、深海棲艦はイ級一隻とも遭遇していなかった。

 

「天気晴朗なりて、波低し。実に遠征日和ですな」

 

 漣が鼻歌まじりにつぶやいた。彼女の言う通り、空は雲一つない快晴で、波も穏やか。視界は三百六十度、海と空、そして、それを隔てる水平線しかない。

 

「ピクニックとか、したいですね」

 

「おお、いいねえ。間宮さんにお弁当作ってもらお。唐揚げ、フライドポテト、卵焼き」

 

「ハラショー。とてもいいと思う」

 

「三人ともまだ任務中ってわかってる?」

 

 響まで加わって盛り上がり始める三人に、朧が釘をさす。まだ帰路どころか、往復地点にも着いていない。

 

「わかってるって。でもこう退屈だとさ……あ……?」

 

 両手を挙げてあくびをするふりをする漣が、なにかに気付いたようにさっと手を下ろした。その視線は左手前方の彼方へ注がれている。

 

「漣ちゃん、どうかしたの?」

 

 すぐに潮も漣の視線の先に顔を向けたが、潮の目にはただ青い海が見えるだけで、漣が何を見ているのかはわからなかった。

 

「漣、なに?」

 

 朧も振り返って漣に尋ねるも、漣は「んーっ」と低い唸り声をあげながら、目を細めてひたすら一点を注視している。

 

「さ、漣ちゃん……?」

 

 潮が不安そうな声を出す。朧と響も、緊張した面持ちで漣を見ていた。

 

 緊迫した空気の中、不意に漣が右手をまっすぐに伸ばして、なにかを指差した。三人の顔がすぐにそれを追って動いた。

 

 息を飲む朧たち。しかし、漣の口から発せられたのは、彼女らの予想していたものとはまるで違った。

 

「偵察機」

 

「え?」

 

 漣の人差し指の延長線。それは海の上ではなくて、わずかに上を向いて空に向かって伸びている。

 

 水平線の上、薄い青の空に混じるごく小さな点が浮かんでいた。

 

「電探に感あり。味方の偵察機みたいだ」

 

 念を押すように響が告げた。それを聞いて、ようやく朧と潮は胸をなでおろした。

 

「なんだ、もう驚かせないでよ」

 

 朧は深いため息をつく。そんなつもりはなくても、今朝からすっと張っていた緊張の糸が一気に緩んだようだった。

 

「めんごめんご。でもほら、敵機だったりしたら大変だしねー。ちょびっと緊張感を演出してみました」

 

「まったく。わたしはてっきり……」

 

 言いかけて、朧は口をつぐむ。せっかくなんでもなかったのに、余計な不安を煽ることはない。

 

 偵察機は帰投するところらしく、第七駆逐隊とは逆向きに進んでいた。左前方にあった小さな点はいつの間にか真横に移動していて、それから間もなく、後方、水平線の彼方へと消えていった。

 

 それを見送るように、漣は大きく手を振っていた。

 

「見えないでしょ」

 

「気分の問題よ」

 

 そう言って笑う漣に、朧はすこしあきれたような笑みを浮かべた。

 

 気を取り直して前に向き直る四人。波を蹴る彼女たちの目には、いつのまにわき立ったのか、空と海の境に立ち込める黒い雲が写っていた。

 

 

 それから天気が急変するのに時間はかからなかった。さっきまでの晴天が嘘のように、空はまたたくまに黒雲に覆い尽くされ、陽の光を遮った。

 

 風も立ち始め、波が高くなる。ぽつりぽつりと、雨粒が肌を打ち始めた。

 

「あーもう、予報じゃ雨降らないって言ってたじゃん!」

 

「予報は予報。予定じゃないからね」

 

 雨脚は徐々に強くなってきていて、風もかなり吹いてきた。身体は波に大きく揺さぶられる。

 

「ひゃぁっ!」

 

 大きく波を浴びせられ、潮が悲鳴をあげた。

 

「とんだピクニックだね」

 

 一緒に波をかぶった響がつぶやく。艦娘だから濡れるのには慣れているとはいえ、潜水艦でもなければ、いきなりびしょ濡れにされるのは気持ちのいいものではない。

 

「おやおやぁ、潮さん。相変わらず立派なものをお持ちで」

 

 振り返った漣がにやにやしながら潮の胸元を見ている。

 

 波で濡れたせいでセーラー服がぴったりと張り付き、潮の駆逐艦らしからぬ豊かな部位が強調されていた。

 

「ひ、ひゃあーっ!」

 

 自分のあられもない姿に気づいた潮が、再び悲鳴をあげた。顔を真っ赤にしながら手にした連装砲で必死に胸元を押さえている。

 

「漣、からかわないの。潮は大丈夫ー?」

 

「ひゃ、ひゃい……」

 

 間も無く雨は急に激しさを増し、波をかぶらなくとも全員びしょ濡れになるはめになった。

 

 ほんの十分ほど前までの穏やかな海は一変。ピクニック日和とは程遠い大荒れの天気になっていた。

 

 雨雲もさらに厚みを増したのか、太陽がもう沈んでしまったと勘違いしそうになるくらい、あたりは暗い。

 

「これはひどい」

 

 漣がそうつぶやいた直後、彼女の顔面で波が炸裂し、大量の潮水を口の中に入れるはめになった。

 

「ぺーっ、ぺっぺっ!」

 

「さすがにこれはまずいな。どうする、作戦を中止するかい?」

 

 最後尾の響が、朧の隣まで進み出て尋ねた。まだ持ちこたえられるレベルではあるものの、これ以上天候が悪化したらまともに航行するのは不可能になりかねない。

 

「朧?」

 

 朧からはなんの返事もない。響は訝しんで顔を覗き込んだ。

 

 熟考しているのだろうか、朧は真剣な面持ちで嵐の中を凝視している。とめどなく滴り落ちる雨粒が、心なしか汗のように見えた。

 

 不意に朧は目元の水滴をぐっと拭い、そして言った。

 

「全員戦闘配置について!」

 

 あまりに唐突な命令に、みな耳を疑った。まさかこの暴風雨と戦おうとでも言うのかと。

 

 しかし、すぐに朧はその疑いを晴らすように告げた。

 

「一時の方向、敵艦見ゆ!」

 

 激しくうねる波。その波間から、朧の示した方向に確かに黒い影が見えるのを、三人とも確認した。

 

 暗く、雨と波が視界を遮るため、はっきりと姿形を捉えることはできない。ただ、それはイ級のような人ならざる姿ではないのは確かだった。

 

 いつの間にか、空からはごろごろと雷の音が鳴り響いている。

 

 敵艦らしき影との距離はどんどん詰まっていく。頭と身体、二本の腕があるのがすでに誰の目にも明らかだった。

 

 空に稲妻が走る。激しい雷鳴とともに、あたりが一瞬照らされた。

 

「駆逐棲姫……!」

 

 青白い肌に漆黒のセーラー服。ごく薄い色の髪はサイドテールにまとめられ、腰回りには艦娘のものとは似ても似つかない異形の艤装をまとっている。まぎれもなくそれは、駆逐艦に属する深海棲艦でありながら、人の形を持つ「姫」だった。

 

「キ、キターッ!」

 

 今朝からさんざん立ててきたフラグを回収した興奮からか、漣が叫んだ。しかし、はしゃぐ声とは裏腹に、その顔はやや引きつっている。

 

「浮かれてないで、警戒!」

 

 天候がこうも荒れていなければ、もっと早くに気づくことができたはず。そうすればその時点で撤退するなり進路を変えるなりできただろうが、ここまで接近してしまっては簡単に逃げ出すわけにもいかなかった。

 

 淡い光を灯した二つの瞳が第七駆逐隊に向けられている。相手もこちらに気づいていることは想像に難くない。

 

「砲撃戦用意!」

 

「戦うんですか⁉」

 

「もう気づかれてる。それならせめて先手を!」

 

 朧が連装砲を構える。漣と響も同じように構え、慌てて潮も続いた。

 

 すこし遅れて、第七駆逐隊に呼応するように駆逐棲姫もゆっくりと左腕を上げた。その腕の先には連装砲を備えている。

 

「撃ち方、始め!」

 

 敵が砲撃動作に入ったため、もはや猶予はない。朧の号令とともに、第七駆逐隊は一斉に攻撃を開始した。

 

 風雨はすこし和らいでいたものの、未だに波は高く、照準が定まらない。

 

 しかしそれは相手も同じこと。着弾による水柱の間から、駆逐棲姫の攻撃が飛んだが、砲弾は朧たちをかすめることなく、はるか後方に別の水柱を立てた。

 

「てーっ!」

 

 敵との距離はさらに詰まっていた。照準を修正し、水柱のあがる範囲が狭まっていく。そして、すれ違いざま、響が放った攻撃が駆逐棲姫に見事命中した。

 

 敵の右肩あたりで炸裂した砲弾は、激しい轟音とともに火花を散らす。しかし、駆逐棲姫は表情一つ変えておらず、艤装にも傷がついたようには見えなかった。ただ肩にかかったサイドテールがわずかに焦げていた。

 

「この装甲の厚さ、間違いなく駆逐棲姫ね……雷撃用意!」

 

 自分たちとそう変わらない体格ながら、駆逐艦娘とは桁違いの装甲を有するのが駆逐棲姫の特徴の一つ。駆逐艦の主砲でその戦艦並みの防御を貫くのは難しかった。

 

 ただそれなら、戦艦の装甲をも打ち破る攻撃を加えればいいだけのこと。

 

 朧たちはすぐに舵を切った。

 

 駆逐棲姫はこのまま戦場を離脱しようとしているのか、第七駆逐隊の対して背を向けたままだった。

 

 この機を逃す手はない。四人の魚雷発射管が敵艦へ向けられる。

 

「あれ?」

 

 今まさに魚雷を発射しようという瞬間に、突然潮が首をかしげた。

 

「ん? どったの?」

 

「あ、いや、なんだか変な感じが」

 

「へ?」

 

 なにやら要領を得ない答えに、漣も首をかしげる。

 

「どうしたの二人とも、集中して!」

 

 戦闘中にそろってぽかんとしている二人に、朧の叱咤が飛んだ。

 

「ご、ごめんなさ、ひゃあっ!」

 

 突如訪れた今までで一番大きな波に、潮が大きく体勢を崩した。

 

 風雨が急に激しさを増していた。雷鳴が絶え間なく鳴り響き、雨が滝のように降り注ぐ。

 

「くっ……潮大丈夫⁉」

 

 うねり狂う波間をくぐり抜けて、朧が潮を抱きかかえた。

 

「な、なんとか……」

 

 漣と響も遅れて集まってきた。

 

「さすがにもう追撃は無理だ」

 

 もはや敵の姿を確認するのは困難だった。響の言葉に、朧は無言でうなずくと、任務中止を告げた。

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