朝日の昇る頃に   作:uco

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 鎮守府中の偵察機をかき集めて行われた捜索だったが、結局駆逐棲姫の発見には至らなかった。警備に出た艦隊からも情報は得られず、駆逐棲姫がどの辺りまで迫ってきているのか全くわからないまま、鎮守府は夜の帳に包まれていった。

 

 日が暮れれば、艦娘たちも眠りにつく。彼女たちが寝起きする寮の明かりは落とされ、鎮守府は静まりかえっていた。

 

 日付が変わってだいぶ時間がたった頃、布団の中で潮は目を覚ました。部屋の中は、時を刻む秒針の音と、潮と並んで眠る朧と漣の寝息だけが聞こえている。

 

 寝ぼけ眼で暗い天井を見つめていた潮は、おもむろに上体を起こすと、窓の方に顔を向けた。

 

 カーテンの隙間から月明かりが差し込み、窓際の床を明るく照らしている。その明かりを頼りに、潮はのそのそと窓際に這い寄った。

 

 顔が覗けるくらいに、ゆっくりとカーテンを開き、潮は外を見た。空にはまん丸の月が浮かび、鎮守府と海を煌々と照らしている。

 

 潮は音を立てないように窓をすこしずつ動かして、開け放った。夜の冷たい風が部屋に入ってくる。

 

 じっと、海を見つめながら、潮は胸の前でぎゅっと手を握りしめた。

 

 それから、意を決したように立ち上がると、寝間着を脱ぎ始めた。

 

「んん……潮?」

 

 月明かりで目が覚めたのか、朧が半身を起こして、セーラー服に袖を通している潮に顔を向けた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「んー……?」

 

 朧が驚きの声を上げると、漣も目を覚ました。

 

 潮は無言で着替えを終えると、扉に向かって歩き出した。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 それを見た朧は布団を跳ね除け、飛び上がるように立ち上がった。つられて漣も起き上がる。

 

 その間にも潮は靴を履き終え、今まさに部屋を出て行こうとしている。朧たちは大慌てで寝間着を脱ぎ捨て、スカートを履き、セーラー服を被りながら扉へ向かう。

 

 振り向くこともなく潮は部屋を出て行き、すぐに朧と漣もその後を追った。

 

 薄暗い廊下を、やや早足で潮が歩いていく。彼女に遅れまいと、朧たちも小走りで距離を詰めていく。

 

「どこ行くつもり?」

 

 横に並んだ朧が、声を潜めて尋ねるも、答えはない。ただ、潮の目はまっすぐと暗闇の先を見据えていて、目的をなく彷徨っているわけではないようだ。

 

 足元がほとんど見えない中階段を下りて、さらに歩いて行くと、やがて廊下の先に微かな光が見えてきた。

 

「宿直室?」

 

 不測の事態に備えて、夜間当直の艦娘が待機している部屋。その扉の隙間からわずかに光が漏れている。

 

 潮は明るく縁取られた扉の前で立ち止まると、右手を上げて小さくノックした。

 

 ほんのすこしの間を置いて扉は開かれた。急に溢れ出した光に、三人は目を細める。

 

「どうされました?」

 

 扉を開けたのは当直の軽巡、神通。まだ明かりに目が慣れていない三人からは顔がよく見えないが、その声色から真夜中の来訪者に驚いているのがわかる。

 

「あの……艤装の使用許可を、いただきたくて……」

 

 潮の口から出た言葉に、朧と漣は目を丸くした。

 

 艦娘が海上行動を行うのに必要な艤装一式は、普段は保管庫に格納されており、通常、持ち出しには司令官の許可が必要となる。そして、夜間は当直艦が司令官の職務を代行するので、艤装使用も当直艦が認めれば許される。

 

「どういうことでしょう? なぜこんな夜中に」

 

 神通の疑問も当然だった。夜間でも敵襲があれば出撃することはあるが、そのときはまず当直の艦娘が対応する。ましてや攻撃を受けているわけでもないのに、夜中に理由もなく艤装の持ち出しが許されるはずがない。

 

「なになに、どうしたの?」

 

 もう一人の当直艦の夕張が、神通の肩越しに顔をのぞかせた。潮たちの姿を見て、すぐに驚いた表情を浮かべる。

 

「それが、艤装の使用許可が欲しいらしくて……」

 

「へ?」

 

 夕張の顔がますます驚きの色に染まる。

 

「どういうことよ」

 

「わたしも今聞いたばかりなので」

 

 軽巡二人が問答する中、下を向いていた潮が絞り出すように言った。

 

「胸騒ぎが……あの胸騒ぎがするんです。ずっと胸がドキドキしてて、暗闇の中から誰かに呼ばれているようで……」

 

 震える声。肩も微かに震えている。

 

 今にも泣き出しそうな潮の様子に、その場にいる四人は息を飲んだ。

 

「だから……!」

 

 潮はきっと顔を上げ、神通の目をしっかりと見つめて告げた。

 

「確かめないと。海に出て、確かめないといけないんです」

 

 決して大きくはないが、力強い声だった。

 

「それって……」

 

 同時につぶやいた朧と漣が顔を見合わせる。二人とも同じことが頭をよぎったのだろう、それ以上はなにも言わなかった。

 

 潮はただじっとして神通の返事を待っていた。

 

 神通は困ったように手をほおに当て、答えを決めかねている。一方の夕張は面倒ごとに関わりたくないのか、じりじりと神通の影に隠れるように移動していた。

 

 そのまま沈黙が続くかと思われたそのとき、

 

「いいじゃん!」

 

 突然、張りのある声が夜の静寂を切り裂いた。

 

 みな一斉に声がした方を向くと、

 

「姉さん!」

 

 そこにあったのは、暗闇の中、宿直室から漏れるわずかな光に照らされた、川内型一番艦、川内の姿だった。

 

「夜戦、行こうよ!」

 

 川内は朧たちの後ろに立つと、子供のように目を輝かせて言った。夜であることなどおかまいなしに大きな声で。

 

「姉さんまで、なんでここに」

 

 駆逐艦三人に加えて騒がしい姉まで加わり、神通は肩を落とす。

 

「いやー、この子らの夜戦したい気持ちが、わたしの夜戦センサーに反応したのかな、目が覚めちゃって」

 

「わたしは別に夜戦がしたいわけじゃ……」

 

 訂正しようとする潮の言葉など意に介さず、川内は続ける。

 

「なんならわたしが旗艦で引率してもいいよ。神通は残ってて」

 

 潮たちを押しのけて神通の前まで進み出る。そんな姉に、神通はため息をつくと、告げた。

 

「わかりました。艤装の使用許可を出します」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「やったー!」

 

 頭を下げる潮と、両手を挙げて歓喜する川内。

 

「ただし」

 

 今にも飛び出していきそうな川内を制するように、神通がぴしゃりと言った。

 

「わたしが付き添います。姉さんは部屋に戻ってください」

 

「えええー!」

 

 喜び勇んだのもつかの間、川内は不満気に口を尖らせる。

 

「なんでなんでー、神通だけずるいー」

 

「部屋に戻ってください」

 

 甘い声で駄々をこねる川内に、神通はもう一度、静かに告げた。

 

「ずる——はい……」

 

 笑うでもなく怒りをあらわにするでもない、真顔の妹に何かを感じ取ったのか、川内は急に大人しくなり、目を逸らしながら後ずさった。

 

「夕張さん、すこし出てきますので、留守番よろしくお願いします」

 

「はいはーい。いってらっしゃーい」

 

 いつの間にか部屋の奥に引っ込んでいた夕張が、手にしたマグカップを掲げて小さく揺らした。

 

「では行きましょう」

 

「は、はい!」

 

 神通は扉を閉めると、明かりのなくなった廊下を臆することなく歩き出す。

 

 遅れじと神通に続いた潮は、数歩進んだところでふと歩みを止め、小走りで引き返した。

 

「二人も、一緒に来て」

 

 扉の前で呆然と立ち尽くしていた朧と漣の手を取り、潮は言った。そして返事を待たずにそのまま二人の手を引いて再び歩き出す。

 

 その場には、「わたしは?」とでも言いたげに、自分の顔を指差す川内だけが一人残されていた。

 

 

 昼間整備したばかりの連装砲と魚雷を身につけ、潮たちは海に出た。

 

 先頭は言い出しっぺの潮。その航跡をなぞるように、朧、漣、そして神通が続く。

 

 四人は一言も発せず、黙々と夜の海を進んでいた。ただ首をせわしなく左右に動かし、周囲を警戒している。

 

 潮だけは視線を前に向けたまま。本当になにかに呼ばれているかのように、その航路は迷いなく直線を描いていた。

 

 海に出てからまだ一時間も経っていなかった。風は弱く、波も穏やか。黒々した水面に月明かりが揺れるなか、〝それ〟は突如四人の前に姿を現した。

 

「いました!」

 

 先頭を行く潮が大きな声を上げた。なにがとは言わずとも、朧たちにはそれがなんなのかすぐに伝わった。

 

 まだだいぶ距離はあるが、月明かりに照らされてその輪郭はくっきりと浮かび上がっている。

 

「駆逐棲姫、やっぱりこんな近くまできてたんだ」

 

 一昨日、嵐の中で対峙した敵と同じ姿を確かめるように、朧がつぶやいた。

 

「潮ちゃん、わたしが指揮をとります」

 

 神通はそう言いながら潮の前に進みでた。敵が現れたとなれば、指揮権は当直の神通にある。

 

「緊急事態です。夕張さんに連絡して、大淀さんにも伝えてもらいましょう」

 

 これがイロハ級の駆逐艦や軽巡洋艦だったなら、その場で速やかに撃沈するだろうが、相手は姫クラス。しかも鎮守府は目と鼻の先。万が一討ち漏らして鎮守府に攻め込まれたらただではすまない。

 

「待ってください。すこしだけ、時間をください」

 

 電信を打とうとする神通の腕をとり、潮が言った。

 

「ですが……」

 

「すこしだけでいいんです、お願いします」

 

 神通の返事を聞かずに、潮は一人急加速した。もちろん、駆逐棲姫へ向かって。

 

「ちょっと潮⁉︎」

 

 朧と漣が叫び、急ぎ後を追ったが、潮は出力全開で波の上を進んでいき、みるみる駆逐棲姫との距離を詰めて行く。

 

 はっきりその姿が確認できる距離まで近づいたところで、駆逐棲姫の主砲が火を噴いた。轟音とともに潮の後方で水煙が上がる。

 

 潮は敵の照準がら逃れるよう舵を切った。敵の砲撃はさらに続き、思うように距離を詰められない。

 

「潮、攻撃しないの⁉︎」

 

 連装砲を構えながら一向に攻撃するそぶりを見せない潮に、しびれを切らした朧たちが砲撃を開始した。

 

 駆逐棲姫の周囲に水柱が現れる。だがその照準は依然、潮を向いていた。まだ距離のある朧たちより、着実に接近しつつある潮の方を警戒しているようだった。

 

 しかし、砲撃を受けて一瞬駆逐棲姫の注意が潮から逸れた。その瞬間を潮は見逃さず、一気に接近する。

 

 もうお互いの表情が見えるくらいまで近づいていた。それに気づいた駆逐棲姫はすぐさま砲撃を再開しようとしたが、機先を制して潮が左腕の機銃を発射した。

 

 無数の弾丸が駆逐棲姫の艤装に当たって、甲高い音を鳴らしながら火花が散る。一応防御の態勢をとっているが、機銃掃射くらいではその分厚い装甲に傷がつくわけもない。

 

 潮は敵の周囲をぐるりと回るように旋回しながら、機銃を撃ち続けた。

 

 業を煮やした駆逐棲姫は、機銃弾など無視するように再び攻撃態勢をとった。

 

 数発の砲弾が潮めがけて降ってくる。そのほとんどは標的ら大きく外れてただ海面を揺らすだけだったが、一発の砲弾が潮の右前方に着弾した。

 

「うっ……」

 

 至近弾の衝撃を受けて潮は大きくよろけた。なんとかバランスをとって、転倒を免れたが、

 

「潮避けて!」

 

 漣の叫びが潮に届く間も無く、激しい爆発音と水煙が潮を包み込んだ。

 

 さきほどとは比較にならない衝撃に、潮の艤装から火の手が上がる。

 

「潮、大丈夫⁉︎」

 

 駆逐棲姫を牽制しつつ、近づいてきた朧と漣が口々に言った。

 

 幸いダメージは大きくなく、航行にも支障がないようで、潮は無言でうなずいた。制服の左袖がわずかに焦げていた。

 

「いったん離れよう。神通さんは……」

 

 そう言って朧が潮の手を取った、その瞬間、再び砲撃音が鳴り響いた。

 

 潮たちは一瞬身構えたが、杞憂に終わった。

 

 空気を震わす轟音とともに、駆逐棲姫から爆炎が上がり、海面が赤々と照らされる。慌てて三人が振り返ると、そこには主砲を構える神通の姿があった。

 

 夾叉もなく、一発で主砲弾を直撃させた神通。三人があんぐり口を開けている間にも砲撃の手を休めない。

 

 ゆっくり直進していた駆逐棲姫も危機を感じたのか、速度を上げて回避する動きを見せる。しかし神通の一発がかなり効いたのか、その動きはやや鈍い。数発の至近弾の後、再び神通の攻撃が駆逐棲姫に直撃した。

 

「さ、さすが神通さん……」

 

 神通の戦闘能力の高さは周知の事実とはいえ、普段のおっとりした雰囲気からは考えられないほどの激しい攻撃に、漣が頬をひくひくさせながら笑った。

 

「大丈夫ですか」

 

 駆逐棲姫が距離を取ったのを見て、神通は潮たちのそばまでやってきた。

 

「潮ちゃん、まだ時間が必要でしょうか」

 

 神通は眉間にしわを寄せる。責任者として、これ以上傍観してはいられないのだろう。

 

「潮ちゃん?」

 

「潮?」

 

 神通の言葉を聞いているのか聞いていないかのか、潮は思いつめたような顔で駆逐棲姫を見つめていた。破れたスカートを握る手がすこし震えている。

 

 駆逐棲姫は神通の攻撃でかなりダメージを受けたらしく、沈んでこそいないが、攻撃はできないようだった。煙を上げる右腕を抑えながら、かろうじて航行していた。もう潮たちには目もくれず、いまだその航路は鎮守府へと向けられている。

 

 潮はそんな駆逐棲姫から目をそらさずに、静かに口を開いた。

 

「ずっと、考えていたんです。一昨日あの子に会ってから感じていた、違和感というか、疑問というか……それがなんなのか、やっとわかりました」

 

 朧と漣は息を呑んだ。黙って潮の言葉の続きを待つ。

 

「あの子は駆逐棲姫じゃありません」

 

「え?」

 

 潮の言葉に三人ともが聞き返した。

 

「昨日は波が荒れていてよくわかりませんでしたけど、今日一目見て気がつきました」

 

 朧たちは〝駆逐棲姫〟に目を向ける。しかし潮が一目で気がついた違いがわからない朧は尋ねた。

 

「なにが違うの?」

 

 漣も神通もわからないらしく、揃って潮の顔を見る。一息置いて、潮は迷いなく言った。

 

「駆逐棲姫に、脚はないんです」

 

 潮がそう答えた瞬間、再び三人の顔は損傷した艤装を引きずるように進む深海棲艦に向けられた。

 

 傷ついてはいるが、確かにそれは四肢を持ち、二本の脚で海面に浮かんでいるのが見える。

 

「そうだったっけ? あんまり覚えてないな」

 

 脚があるのは確認しても、駆逐棲姫を最後に見たのはすくなくとも一年以上前。それも戦闘中にゆっくりと眺める機会などないのだから、漣が覚えてなくても仕方がない。

 

「って、それを確かめたかっただけ⁉︎」

 

 たとえあれが駆逐棲姫でなくても、姫クラス以上の深海棲艦であることは疑いようがない。それが駆逐棲姫だろうと、駆逐水鬼だろうと脅威であることには違いなかった。

 

 漣の問いに潮は首を小さく横に振った。

 

「いいえ、それはそんなに重要なことじゃありません」

 

「それじゃあなんなの。潮はなにがわかったっていうの?」

 

 答えを急かすように朧が言う。

 

「それは……」

 

 潮の目線が黒い水面に落ちた。腕を回して固く自分の身体を抱きしめる。表情は暗く、今にも泣き出しそうだった。

 

「潮?」

 

 朧がそっと潮の背に手を当てた。

 

 潮は大きく息を吐くと、口を震わせながら、絞り出すような声で言った。

 

「あの子は……曙ちゃんです」

 

 潮の口から出たのは、第七駆逐隊の仲間で、潮たちの姉妹艦でもある艦娘の名前。

 

 その瞬間まるで時が止まったかのようだった。みな身じろぎひとつせず、揺れる波だけが、時が変わらず流れていることを教えていた。

 

 計ったように、全く同時に口を開いた朧と漣が発したのは「は?」という一言だった。

 

「な、なに言ってるの潮。あれは深海棲艦でしょ。それに曙は……」

 

 悪い冗談だとばかりに笑おうとする朧だったが、うまく笑えずに顔が歪む。

 

「曙はいないでしょ……」

 

 諭すようにゆっくりと朧は言った。

 

 彼女たちの仲間だった曙はいない。当然そのことは潮も認めているはずだった。しかし、潮は譲らなかった。

 

「あれは曙ちゃんです。確かに、曙ちゃんなんです」

 

「ふざけないで!」

 

 突然朧が声を荒げた。漣の身体がびくっと跳ねる。

 

「曙は沈んだの。一年前の戦いで、沈んだの!」

 

 朧は声を張り上げた。その目は潮の顔を見てはいなかった。

 

 一年前、深海棲艦の機動部隊が鎮守府沖合に突如出現した。戦艦などの大型艦の多くが作戦行動中で、不在だったところを狙った強襲だった。

 

 当然、水雷戦隊をメインに迎撃部隊が出されたが、鎮守府は大編成の敵航空隊による爆撃を受け、大きなダメージを受けることになる。

 

 この戦いで、第七駆逐隊も迎撃部隊として出撃し、そして仲間を一人失うことになった。

 

「……わたしが感じた違和感は、髪型でした」

 

 怒りか悲しみか、今にも泣き出しそうな朧を一瞥して、潮は語り出した。

 

「昔見た駆逐棲姫はサイドテール。そして一昨日出会って、今あそこにいる子もサイドテール。だからみんな駆逐棲姫と信じて疑いませんでした」

 

 なにも言わない朧の代わりに、漣はうんうんと首を縦に振った。

 

 でも、と潮は続ける。

 

「逆なんです。駆逐棲姫のサイドテールは左側。あの子のは右側。曙ちゃんと同じ、右側です」

 

「えっ」

 

 再びみなの注目が潮から深海棲艦に移った。下を向いていた朧も顔を上げた。

 

「でも、でもそれだけで……!」

 

「たしかに、髪型なんていくらでも変えられます。だから、わたし確かめたくってあの子に近づいたんです。そして、見つけました。サイドテールの根元の部分。黒い花飾りに結わえられた……」

 

 潮は自分の左手を見つめ、言った。

 

「指輪を」

 

 そして、開いていた左手をぎゅっと握りしめる。その薬指にはわずかな光を浴びてきらめく、白銀の指輪があった。

 

 かつて、練度が極まった艦娘に対し、提督から特別に与えられた指輪。

 

 艦娘の潜在能力を引き出し、より高い能力を発揮できるようになるという不思議な指輪だった。

 

 一体どういう原理なのか、なにで出来ているのか、誰にもわからなかったが、ある者は頰を赤らめ、ある者は戸惑い、ある者は声を荒げながらも、差し出された艦娘たちはみなそれを受け取った。

 

 まるでプロポーズみたい——誰とはなしにそんな冗談をささやき合ううちに、いつしかその指輪は「ケッコン指輪」と呼ばれるようになっていた。

 

「曙ちゃんは、指輪を髪飾りにつけていたんですか?」

 

 朧と漣が絶句するなか、神通が自分の左手と深海棲艦とを見比べながら尋ねた。

 

「はい。指にはめるのを恥ずかしがってて……」

 

 指輪は大体薬指のサイズで作られていたため、ケッコン指輪という呼び名も相まって左手薬指に付ける艦娘が多かったが、艦娘によってはポケットに忍ばせたり、ネックレスにしたりするものもいた。

 

 そして、第七駆逐隊で一番最初に指輪をもらった曙は、三人の羨望の眼差しの中、「こんなの絶対付けない」と悪態をつきながら花飾りにくくりつけたのだ。

 

 それ以来ずっと、曙の髪の上で指輪は輝いていた。

 

「肌の色も髪の色も、艤装も、全然変わってしまったけれど、指輪だけは……提督との大切な絆だけは変わってない……あれは、曙ちゃんです!」

 

「うそ……うそだよ……そんな」

 

 顔を歪ませて、朧はつぶやく。信じられないというより、信じたくないという風に。

 

「あのさ」

 

 漣がらしくなくおずおずと右手を挙げながら言った。

 

「今更言うのもあれなんだけど、ほんとはさ、漣もなんとなくだけどさ、そうかもしれないなって、思ってて……」

 

「漣ちゃんも?」

 

 潮は目を大きくして聞き返す。

 

「うん。はっきりとではないんだけど、漠然と。でも、そんなわけないじゃんって、思ってた。けど、潮の話聞いて、やっぱりそうだったんだって……だって、雰囲気が似てるんだもん。髪型もだけど、ピリピリしてる感じとかさ。深海棲艦だからって言われたらそれまでだけど」

 

 今までにずっと溜め込んでいたのか、漣は堰を切ったように言葉を並び立てた。

 

「いつだったか、噂があったっしょ。艦娘が沈んだら、深海棲艦になるっていう。それ思い出してさ」

 

 それは、まだ深海棲艦との戦いが小型艦の小競り合い程度だった頃、駆逐艦の間で広まった噂だった。誰が言い始めたのか、初めはちょっとした怪談話だったものが、いつしかまことしやかに語られるようになり、駆逐艦娘たちを震え上がらせた。

 

 なかには恐怖のあまり出撃拒否する艦まで出る始末。最終的に提督が駆けずり回り、落ち込む子達を必死になだめることでなんとか収束をみた。以後、この話はタブー扱いされ、話題に上ることはなくなっていた。

 

「でもまさか本当だなんて思わないじゃん。しかももう一年近く経ってるのに」

 

「もうやめて!」

 

 漣の言葉に覆いかぶさるように朧が叫んだ。

 

「わかったから……もう、いいから」

 

「朧ちゃん……」

 

「昨日、嵐の中であの子と目が合ったの。普通なら、むき出しの敵意を感じるはずなのに、あの子からはそういうのじゃない、ただちょっと怒ってるような、そんな雰囲気を……感じたの。それがなんでなのか、どういうことなのかわからなかった」

 

 一旦言葉を切った朧は「ううん」と首を振って続けた。

 

「本当はわかってたのかも。心の奥ではわかってたけど、漣と同じで、そんなことあるわけないって、信じられないって、頭で必死に押さえつけてたのかも。さっき潮が駆逐棲姫じゃないって言ったとき、怖かった。潮がなにを言いたいのか、きっとわかってたから。聞きたくなくて、でも聞かなきゃいけなくって、潮の次の言葉が怖くて、あたし……」

 

 饒舌に語っていた朧の口が止まった。その両目からつーっと一筋、涙がこぼれた。

 

「ごめんね」

 

 そう言って、今度は潮が朧の肩を抱いた。

 

 潮はなにも悪くない、と目頭を押さえながら朧は首を振る。

 

「潮が気づいてくれて、よかったって思う。本当に、よかったって……」

 

 朧は鼻をすすった。それから涙をぐいっとふき取ると、潮に向き直って尋ねた。

 

「それで、どうするの?」

 

「……曙ちゃんは多分、提督に会いたいんだと思うんです」

 

「提督に……」

 

 朧は困ったように繰り返す。漣も驚愕と困惑が混ざったような微妙な表情を浮かべる。

 

「わたしたちが邪魔をしたから、怒って攻撃してきましたけど、きっと敵意はないと思うんです」

 

 姿こそ深海棲艦だけれど、あれは曙ちゃんだから。潮の言葉に根拠はなかったが、朧も漣も無言でうなずいた。あとは、

 

「神通さん。曙ちゃんを、連れて行かせてください。提督のところへ」

 

 今日何度目の懇願か、潮は神通に向かって頭を下げた。ただこのときは一人じゃなかった。朧と漣も並んで、一緒に頭を下げていた。

 

 大きなため息の後に、神通ははっきりと答えた。

 

「ダメです」

 

「そんな——」

 

 しかし、がばっと顔を上げた三人が見たのは、さきほどの砲撃戦のときとは打って変わった、神通の優しい微笑みだった。

 

「なんて、ここまで聞いておいて言えるわけないじゃないですか」

 

 神通の思わぬフェイントに、三人はほっと肩を撫で下ろして、笑った。

 

「ありがとうございます!」

 

 三人は再度頭を下げた。今度は感謝の意を込めて。

 

「ただし、もしなにかあったときは、撃ちます」

 

 今度は真剣な面持ちで神通は告げた。

 

「……はい」

 

 潮がうなずくと、神通も小さくうなずいて、また笑顔を浮かべた。

 

「では、行きましょうか」

 

「はい!」

 

 波が揺れて潮が動き出す。その目指す先は深海棲艦——駆逐艦曙。まだ距離は近く、すぐに追いつける。

 

 気が急って速度を上げすぎた潮は、曙を追い越しつつも、急いで転回してなんとかその側まで近づいた。

 

 もう潮は砲は構えていない。潮に敵意がないことを感じたのか、曙も戦闘態勢をとる様子はなかった。

 

「曙ちゃん。曙ちゃんだよね?」

 

 速度を合わせて横にぴったりと並んで、躊躇することなく潮は曙の顔を覗き込んだ。

 

 見開かれた紫色の瞳が、潮を見つめ返す。

 

「ウ……」

 

 曙がなにか口にしたようだったが、風の音にさらわれて、潮の耳には届かなかった。しかし、潮は迷うことなく曙の右手を取った。

 

「あたしたちが引っ張ってあげる」

 

 後から追いついてきた朧も左手を取る。

 

「漣は押したげる!」

 

 背後からは漣が両手を添えた。

 

 きょろきょろと首を回して、明らかに戸惑っている曙。そんな曙に、潮は優しい声で言った。

 

「一緒に行こう、提督のところへ」

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