GoGoがんばれ!ヘイローちゃん 作:竹林の春雨
7月中旬となり、夏季休講期間となったトレセン学園。
自由に使える時間が増えたことで必然的にできることから多くのウマ娘たちが動き出す季節でもある。
ある者はデビューを目指し、ある者は皐月賞、日本ダービーの連戦した身体を癒しつつ菊花賞を目指す。
夏は力を蓄える大切な時期だ。
そしてキングヘイローもまたウマ娘の一人として行動する。
トレセン学園に、道路を一つ挟んで先にあるチーム<レヴァティ>の拠点である貸しビル。
正面には白いワゴン車が止まっており、キングヘイローは自分の旅行カバンを載せていた。
「……これで全部ですわね」
「いざゆかん夏合宿! 楽しみだねぇーヘイローちゃん」
「前のチームでは夏合宿は遠出しなかったから楽しみっす!」
女三人寄れば姦しいといった風に賑やかに話す3人。
主に騒がしいのは2名だが、場が華やぐことには変わりない。
チーム<レヴァティ>の夏合宿。今日はその当日だった。
茶褐色の髪を気分良く払いながら空を見上げる。
いつものように暑苦しい空だがちょっとした旅行だからか不思議と嫌になる印象も少ない。
程よい大きさの胸を張り、これからの合宿に想いを馳せる。
「この合宿で更なる実力を身に着け――そしてライバルたちと一気に差を付ける。楽しみですわ」
「ヘイローちゃんは真面目だなぁー。もっと楽しくしてもいいと思うよっ」
ニッコリ笑顔で万歳をするマヤノトップガン。彼女なりに意見を出すときの癖のようだ。
しかし先輩といえどもこればっかりは譲れない。
「夏合宿ですわよマヤノ先輩。遊びではないんですから――」
人差し指を立てながら注意する。
夏は地力を付けるための大切な期間。多くのウマ娘たちが秋や冬、そして春に向けて動き出す。
キングヘイローからしたら他チームに水を開けられないよう努力しなくてはならない。
遊んでいる暇などなかった。
しかしそんな彼女の言葉にツインターボが疑問そうな表情で指摘する。
「あれ、今回は勉強メイン合宿って聞いてたっすけど」
「ターボちゃん違うよぉー。みんなゆっくりじっくり、観光地で遊ぶ合宿だよ。おじーちゃんが確かそう言ってた!」
「え、まさか……ちょっとトレーナー。夏合宿ってトレーニングのための合宿ですわよね?」
なぜか三者三葉の意見に分かれてしまう。
それぞれの意見が、勉強、観光、合宿となっているのは明らかにおかしい。
キングヘイローは近くで別スタッフと話していた坂戸に問いただすと。
「いや、みんな正しいぞ。今回はそれぞれが別の目的で合宿を行う予定なんじゃ」
目的が違うとあっさり事情を話した。
「別の目的?」と誰かが疑問符を上げる。
その言葉に坂戸は再度、頷いた。
「まずキングヘイローは夏合宿で地力を底上げすると共に弱点の克服に入る」
「弱点、ですか? 心当たりがないのですが……」
自惚れているわけではないがキングヘイローも地道に努力し続けてきた過去がある。
パッと見の至らないところは塞いできたつもりだ。
もちろん足りない部分を挙げればキリはない。
マヤノトップガンとの併走トレーニングでも碌に先着したことがないのは確かだ。
とはいえ明確に弱点と言えるような自覚はない。
それ故の呟きではあったのだが、相手は違ったようだった。
指先を一つ立てると、
「まずお主は暑さに弱い」
「うっ、それは――」
最近、夏バテ気味だったことを突かれ声が詰まる。
体質的なものだとスルーしていたキングヘイローだったが、老練のトレーナーには見逃せない事項なのだろう。
「別にウマ娘に限らず人間だって暑さに弱い者はおるじゃろう。しかし夏場のレースだってあるのだ。そこを曖昧にしたままにしてはいかん。最善を求めるというのなら尚のこと見捨てておけんわい。だから今回の小笠原諸島の特訓でキッチリ修正してもらう」
「だからあの質問をしましたのね……」
先月やっていたアンケート調査なるものの内容だ。
「夏がきついか」という趣旨の質問に若干バテ気味なのを話していたことを思い出す。
さすが抜け目がないと言うべきか。
坂戸の話は続く。
「二つ目に、雨に弱い」
「うぅ……」
反論できず呻いた声しかでない。
正確には雨と一緒にくる雷の方が苦手だが、練習中に雨が降るとやる気が無くなるのも確かだった。
「梅雨の時期も嫌がっておったろう。潜在的に雨に打たれることが苦手だと判断した。これから行く小笠原は夏場とあって雨が多い。特訓を通じていくらか雨の中で走ることに慣れてもらうぞ。そして三つ目――」
「まだあるんですの……」
「あるから言っておる――砂に、あるいは泥もかの。汚れを被ることも集中力をなくすじゃろう?」
「それは、その、やっぱり汚れるのは嫌と言いますか」
「……キングヘイローはお嬢様暮らしだったから仕方ないかもしれんが、レース中は例えどんなことがあっても勝利の執念を失ってはいかん……心の炎は決して絶やしてはいかん。それは一流のウマ娘同士が戦うとき、必ず差となってしまう。いつも綺麗なレースが出来るわけではない。時には泥を被ってでも――――そう、例え見てくれが酷くたって、泥だらけの手をしていたって、勝ってこそ浮かばれるものもある」
「……はい」
反論はできない。むしろ当然のことだと同意する。
キングヘイローにとって耳の痛いことではあったが、勝利を目指すならそういったメンタル面も気を配らなくてはならない。
坂戸の指摘は的確で、自然と見て見ぬフリをしていた部分を突いていた。
(……これがプロトレーナーという職業の方々ですのね)
ウマ娘では分からない部分を的確に見抜く能力。
トレーナーになるにはライセンスが必要だ。
普通の部活の顧問などと違って専門の資格を有する者たち。
両親が自分たちが教えるより、トレーナーに習った方が良いというわけだ。
知識、情熱、経験、才能など幅広い能力を持たなくてはウマ娘のトレーナーになどなれない。
その狭き門を潜った一人が彼なのだろう。
キングヘイローには連絡し終えたと判断したのか、ツインターボの方へ向いていた。
「ツインターボは事前に伝えていた通りじゃ。既に看護師国家試験を通過しているヒリュウマルに勉強を教えて貰いなさい」
「了解っす! ヒショウマル先生、お願いしますっす!」
「ふふっ、まだ本職になっているわけでもないし、お手柔らかに頼むよ。ワタシも資格を持ってるだけだし」
左のサイドテールを弄りながら苦笑いしているのは、今回の合宿に帯同することになったヒリュウマル先輩だった。
チーム<レヴァティ>は指揮している各グループのトレーナーの判断によって合宿先が違う。
本来はヒショウマルも彼女が所属しているグループと一緒に動くべきだったのだが。
「すまんな、ヒショウマル。本来ならお主も自分のグループに行かせたかったのじゃが……」
坂戸の要請で今回は特別に一緒の合宿となっていた。
スタッフがいないわけではなかったが、さすがに医療課程を専攻しているツインターボの先生役になれるものは少ない。
すまなそうに謝るトレーナーに対し、手を横に振りながら彼女は気にしないでとジェスチャーする。
「いえいえ坂戸さんには長いことお世話になりましたし、どのみち後は単位を取って卒業するだけなので気にしなくていいですよー。二週間もタダで南のバカンスが楽しめるんで儲けってーやつです」
「それでもスタッフの仕事を任すんじゃから、合宿が終わったあとに相応の報酬は渡しておくぞ」
「トレーナーの報酬は豪華なものが多いですから期待しておきますね」
悪戯っ子の笑みでそう返すヒリュウマル。
彼女なりに合宿を楽しもうとしているようだった。
そして最後になったのが、
「マヤノトップガン」
「んー? おじーちゃんどうしたのぉー?」
キングヘイローと坂戸の長話に飽きていたのか、物珍しくワゴン車をぴょこぴょこと覗いてたマヤノトップガンが振り返る。
白のTシャツに短パンというラフな格好だが、少女らしい愛くるしさは変わらない。
夏の光に反射するように栗毛が輝いていた。
「今回の合宿なんじゃが」
「うん」
「完全休養ということで遊んでてよいぞ」
「遊ぶのは良いんだけど……走るのは?」
「駄目じゃ。レース続きで知らず知らず、疲労が蓄積しておる。今回は肉体の回復に重点を置く」
「……どうしても?」
「どうしてもだ」
「おじーちゃんのケチっ」
上目遣いで坂戸に頼むもにべもなく断られる。
ブスーとわざとらしく頬を膨らませていた。
しかしそんな彼女の様子をキングヘイローはおかしく思う。
「普段から楽しいことには目がないのに、珍しいですわねマヤノ先輩」
「そういえば、そっすね。いつもはうちと一緒にわちゃわちゃしてそうなもんですが」
「ターボ先輩も自覚あるなら、少しは落ち着いてくださいな」
「藪蛇っす!」
相も変わらず青いゴーグル姿のツインターボが大袈裟に驚くがスルーしておく。
問題は件のマヤノトップガンだ。
普段の彼女なら合宿と聞いて一も二もなく喜ぶのが常だ。
実際、先ほどまでウキウキした様子だったはずだが、今の様子は明らかに不満を持っているようだった。
キングヘイローたちの言葉を聞いていたらしく、マヤノが反応する。
「……だってさー、折角レースもノリノリで勢い付いてるんだよ? ここは一つ、みんなで楽しくドカーンと練習して菊花賞に向けて動いた方がいいんじゃないかなぁーって」
「まあ、気持ちは分かりますが」
もしかしたらキングヘイローやツインターボと一緒に走れることを楽しみにしていたのかもしれない。
遊ぶことは遊ぶが、練習もキッチリやるつもりだったのだろう。
普段から天真爛漫なマヤノだが練習に関しては存外、真面目だ。
休憩時間は騒いではいるものの、かといっていい加減にやるわけではない。
むしろ菊花賞のこと聞いて以来、更に真面目に取り組んでいるといっていい。
キングヘイローが先輩と呼ぶ大きな理由の一つでもある。
高い素質を持ちながらも、それに胡坐を掻くわけでもなく、キチンと練習できるのがマヤノトップガンという少女の魅力の一つだった。
ただそんな彼女に坂戸はキチンと指摘することを忘れない。
「……初のGⅠ挑戦を目指しているとあって気合を入れるのは良いが、少々イレ込み過ぎじゃ」
「そうかなぁー……」
「そうじゃ。小笠原諸島の父島は直線も少ないし、全力ダッシュはできない――そもそもウマ娘が走る速度も制限されておるが。まあ今回はゆっくり海を楽しんだり、料理を楽しむとええ。いくつかのグループも小笠原を合宿先にしておるから、一緒に遊ぶこともできるぞ。要望があれば近くの島を観光できるよう手配するから我慢してくれい」
「むむー…………むー、分かった」
渋々と引き下がる。
彼女なりに思うところはあるのだろうが休むこともトレーニングと思い直したのかもしれない。
坂戸が手を叩いて注目を集める。
「よし、行くぞ。小笠原へは船で丸一日ほどかかる。酔い止めも持ってきたから苦手な者は申し出るようにな。……運転は頼みます、
「分かりました」
高梨はレヴァティのスタッフではなく、学園専属の運転手だ。
彼が運転席に座り、坂戸は助手席の扉を開けて乗り込む。
出した車を戻す人員も必要なため、高梨がそれを担っていた。
昨今は高齢ドライバーの事故が多発しているということで、高齢のトレーナーはウマ娘の安全の確保のため、基本的に運転はしない。
キングヘイローは後部座席の扉をスライドさせて開ける。
「さて、乗り込みますか」
「マヤノは窓側! ヘイローちゃん一緒に座ろうっ」
開けた途端、先ほどの不機嫌さはどこへやら。マヤノトップガンが早いモノ勝ちとばかりに乗り込んだ。
それを呆れたように肩を竦めながら、
「はいはい、分かりましたわ。ヒショウマル先輩とツインターボ先輩もそれでよろしいですか?」
「席にこだわりないっすから良いっすよ。うちらは後ろの方へいくことにするっす」
「そうしよっか。それじゃあ奥いくね」
メンバーの中で一番背が高いヒショウマルが後ろの座席へ行き、ツインターボも続いて乗り込む。
中央窓側はマヤノトップガンが陣取っていた。
キングヘイローも乗って車のドアを閉める。
全員がシートベルトをしたのをバックミラーで確認した高梨が、車を静かに発信させた。
坂戸率いるチーム<レヴァティ>――――小笠原諸島へ向け出発。
☆
東京湾のようなドブ色の海とはまったく別物の世界。
白い日差しが
しかし海上とあってか吹き付ける潮風が丁度いい具合に暑さ中和していた。
眼前に広がるのは空をそのまま映し出したかのように深い青色の海。
ボニンブルーの海を進んでいた船が目前に迫っていた小笠原諸島――その中で主にホテルや住宅などが立ち並ぶ父島へと近づいていた。
「暑いけど……まだ、大丈夫ですわね。良い風景だわ……絵描きがいれば、風景画にして欲しいくらい」
左手でひさしを作り、空を仰ぎ見る。
快晴の二文字が思い浮かんだ。
一面の青空、一面の海――に浮かぶいくつかの島々。
夏合宿には違いないがまるでバカンスにでも来たような錯覚を覚える。
トレーニングはまだ始まってはいないものの、この風景を見ただけでもお釣りがくる気がした。
ただ誰もがその光景を楽しめるわけではないらしく、
「うっぷ……気分悪いっす」
「暇だよー……」
「先輩方は風情がないですわねえ」
酔い止めを飲まずとも余裕と豪語したツインターボは船酔いで轟沈中。部屋で休めば良いものを、負けた気がするという謎理論で甲板に来ていた。
マヤノトップガンは最初こそはしゃいでいたものの、代わり映えのない風景に飽きたのか、日除け用のパラソルの下でぐだっている。
坂戸とヒリュウマルは合宿の打ち合わせらしく、船内で会議とのことだった。
「それにしてもお姉さんは酔い止めを飲まなくても、うっぷ……余裕綽々っすね……」
「私のお母様が海外出身ということで、祖母に会うために海外へ旅行へよく行っていたもの。飛行機は危ないからということで、船での旅がメインだったから、こういう揺れは慣れたものよ」
「思った以上に、ブルジョワな理由っすねぇ……」
お姉さんにツッコミを入れるか逡巡したが、さすがに相手もグロッキーなので指摘するのはやめておいた。
その後は特に問題らしい問題もなく、小笠原諸島、父島へと無事上陸を果たす。
三階建てのこじんまりとしたホテル『シュ・ラ・フロンティア』に到着した一行。
真横には細い道と木々がアーチになっている道があり、独特の風情があった。
内部は白を基調とした床と壁。冷房が効いていて汗が徐々に引いていくのを感じる。
坂戸が従業員と話しながらチェックインを済ますと三人は別々の部屋へと案内された。
「相部屋ではないんですのね」
「二週間じゃからな。一人部屋の方がリラックスできるじゃろう。もちろん暇なときは互いの部屋に行っても問題ないぞ」
キングヘイローの疑問に坂戸が答える。
長期間とあってか彼なりの配慮なのだろう。
それぞれの室内へと入っていったマヤノトップガンとツインターボが同時に喜色を帯びた声を挙げる。
「うわーっ、カーテン開けると海が広がってるっ! 風が気持ちいい~♪ ヘイローちゃんも入ってみなよ!」
「全員個室とか豪勢っすねえ」
その言葉にキングヘイローも自分に割り当てられた部屋へ入る。
清潔感のある白壁に、本来は二人用なのかベッドが二つ。
トイレとバスが併設された個室と冷蔵庫。もちろん冷房もある。
だが何より目の前の景観だろう。
ホテルのすぐ裏は山なのか木が生い茂っているが、逆は道路を挟んで海が広がっている。
何もせず、飲み物片手に眼前の風景を楽しむだけでも良い時間潰しになるかもしれない。
「とはいえ、やるべきことをしなくてはなりませんね」
ドアを閉めるとキングヘイローはおもむろに衣服を脱ぎ棄て、やや日焼け気味の肌を晒す。
既に健康的な小麦色へと変化し始めているが、特に気にすることなく白と赤の体操服に身を包む。
上は半袖、下はハーフパンツだ。
それから麦わら帽子を被り、旅行カバンの中から小さなリュックを取り出す。
坂戸から事前に用意するよう言われていた品だ。
指差し確認を済ませると彼女は再度、自室から出る。
「坂戸トレーナー、準備が出来ましたわ」
「……今日は別に休んでもいいんじゃぞ」
「既に船内で丸一日身体を休ませました。これ以上は身体を動かさない方が毒だと思います」
「出発前に少し強めにトレーニングをしたはずだが……まあ、キングヘイローがそういうなら良いか。ヒショウマル、準備はできておるか」
「はいはーい。できてますよートレーナー」
坂戸が声を掛けると随伴出来ていたヒリュウマルが姿を現す。
体操服姿のキングヘイローと違って、女の子らしい黄色を基調とした半袖とスカートに麦わら帽子。
向日葵を背景にすると良く似合いそうな出で立ちだった。
「着いたところすまんが、キングヘイローに随行してルートの確認を行ってくれ。ルートは整備された道路じゃし、240号線をぐるりと回るだけだから、迷うことはないと思うが念のためにな。儂はマヤノトップガンとツインターボの面倒を見るから頼んだぞ」
「了解です。……それじゃ立ち話もなんだし、さっそく行こっか?」
「無理言って申し訳ありませんヒショウマル先輩……ではトレーニングに行ってきます」
「うむ。無理はせんようにな」
坂戸の声を背に受けながらキングヘイローとヒショウマルはホテルを出発したのだった。
テクテクと歩いていく二人のウマ娘。
島民もさすがに珍しいのか、彼女たちとすれ違うと後ろの尻尾をまじまじと見る者が幾人かいた。
ただ元々視線を集めても気にしない身。
府中に比べれば振り返る人数が圧倒的に少ないこともあって特に問題はなかった。
――しかし、別の問題が発生していた。
黙々と歩く二人。何かするわけでもなく、ひたすら真夏の太陽の下を歩いていく。
「……トレーニング、ということだったのですが」
「うん? どうしたのかなキングヘイロー」
「いえ、ふとした疑問が……」
そう言いながらリュックを担ぎ直す。
中にはわずかに塩を混ぜた水2リットルとお菓子数点。
迷ったときのためのGPSに、不審者がいた場合の警報器。
更に遭難したらいけないからと、なぜか渡された未開封のマヨネーズ。
山歩きに行くわけでもないのにかなり慎重なのか色々持たされている。
それはそれで重しとなっているので良かったのだが、腑に落ちないのが現状だ。
ルート確認という意味では歩いていくのが問題なわけではない。
だが二人がやっているのは、延々と島の道を歩くだけの作業。
それはトレーニングというよりも、
「これウォーキングではありません?」
「ウォーキングがトレーニングだよ」
「……本当に?」
「マジです。ほら指示書に書いてある」
「本当に書いてありますわね……あのトレーナーは何を考えているのかしら……」
『約12kmのルートを2時間ほどかけてゆっくり歩くように』などと書いてあるトレーニングメニュー。
一般人が毎日行うならとても健康的な内容だが、キングヘイローはウマ娘だ。
本気を出せば自動車を追い抜くこともできる強靭な脚力を有している。
こと足を使うことに関しては、並の負荷ではまったく意味がない。
何より距離が短いため手を抜くならぬ、足を抜いても2、30分もあれば余裕で走破できる距離。なぜこんな生易しい内容なのか疑問しかない。
ただ日差しが強いのも確かで、十分なポテンシャルを出せる状況でもない。
時折、タオルで汗を拭いながら歩いていると、ペラペラと資料を読んでいたヒリュウマルが声を掛けてきた。
「あ、もう一つあった。『夏の暑さに慣れるトレーニングだから毎日午前と午後、2時間ずつ歩くように』だってさ」
「そういうことなら納得ですが。他にはありますか?」
「午後は歩いたあと、浜辺で――――うわ、物凄く練習メニューがあるよ」
「ちょっと貸してください……ふむふむ、なるほど」
ヒショウマルから資料を受け取ると何点か記してあった。
砂場では短距離ダッシュ、シャトルラン、タイヤ引き、水泳等々を予定していようだった。
またラジオ体操や、筋トレ、スクワット、もも上げなど徹底的に下半身を苛め抜く内容も含まれている。
他にも細かい部分も記されているが更に、
「特記事項、と」
最後のページあたりにメモ書きのようなものがあった。
――キングヘイロー用トレーニング特記事項――
一つ、雨天中止は台風及び大嵐がこない限り、全てのメニューを必ずこなしておくこと。
二つ、リュックの中身は日を追って重量を増やして行う。
三つ、強い日差しの下で常時行動させ、暑さへの耐性を養う。またキングヘイローの部屋のみクーラー使用禁止。
四つ、雷雨発生時は特殊なトレーニングを準備。
以上の内容を実施し、弱点克服の叩き台とする。
ヒショウマルに渡してあるということは、キングヘイローが読むことも想定しているのだろう。
細かいことは書かれていないが大体の内容を察することができた。
そしてあっさりと先ほどの評価を覆す。
「――どうやら思った以上に考えてますのね。とりあえずぬるい気はしますが、納得のいく内容なので安心かしら」
「え、えぇ……それでもかなり多い気がするけど。キングヘイローってもしかしてドM?」
「痛いのはお断りです。と言いますか、勝つためのトレーニングなら努力をしないにこしたことはありませんし、マヤノ先輩たちは更にトレーニングを重ねていますわよ」
なぜかヒショウマルが引いているが、キングヘイローからすればまだ手ぬるいレベルだ。
今回は弱点克服を重点に動いているので仕方ないのかもしれない。
普段の練習ならマヤノトップガンなどかなりの練習量をこなしているし、ツインターボも同様である。
だからこそ、このメニューも当然のものと考えていたのだが、ヒショウマルは違う感想を抱いたようだった。
「これが本気用のメニュー、か。……坂戸トレーナーも本気なんだね」
「どういうことですか?」
「――ううん、何でもない。ほらさっさと行かないと」
「……そう、ですね」
ヒショウマルはどこか憂いを帯びた表情を覗かせるがすぐひっ込めてしまう。
いつもの癖で、すぐ感知してしまったが問いただすのは止めておいた。
自分よりも付き合いが長いので思うところがあったのかもしれない。
結局、言葉少なくなったあとは淡々とウォーキングを行うだけだった。
その後、数日間は代わり映えのない日々が続く。
ツインターボはヒショウマルに指導を受けながら勉強を行い、マヤノトップガンは日々、他のグループと遊びながら休養を楽しむ。
そしてキングヘイローはというと。
「――よし、休憩10分! 憩分後に、もう一度シャトルラン10分じゃ」
「ぜぇ、ぜぇ……は、はいっ…………ふぅ」
精一杯、息を吸い込み肺に酸素を送る。
日差しで身体がほてっているが、手近にあったペットボトルの蓋を開け、乱暴に頭へ掛けて身体を冷やす。
自慢の髪や肌に、砂が盛大に被っているが気にする余裕はない。
トレーニングはなかなかハードな様相を呈していた。
スパルタとは言わないまでも、キングヘイローのギリギリを狙った絶妙な強度が多い。
ただ元から身体の頑丈さが自身の特徴の一つ。
何度も呼吸を行っていると次第に息が落ち着いてきた。
「はぁ……ふう、良い天気ですわね……」
手に持ったままのペットボトルをそのまま口元へ運び、少しずつ水を口に含む。
うがいをするかのように口内に馴染ませながら胃へと流し込んでいく。
飲みすぎると盛大に腹が痛くなる。
二日目にやらかした失敗を思い出しながら体調を整えていた。
横合いから坂戸の声が聞こえる。
「……息の戻りが早いのう」
「伊達に昔からトレーニングを重ねていませんわよ」
苦笑いしながら返答する。
キングヘイローのちょっとした特徴として『疲れてもすぐ回復する』というものがあった。
健康第一のレヴァティの方針に、お嬢様ながら健康そのものの身体が合致していたのかもしれない。
トレーニングを通じて更にその傾向は強まりつつあった。
「ふぅむ……そうか。…………うーむ、そうか」
「どうかしましたかトレーナー?」
「……いや、すまん。考えすぎててな。休憩時間が既にオーバーしておったわい」
「駄目ではありませんか。さっさと走りますわよ」
「……本当に元気じゃのう」
立ち上がってすぐ定位置に戻り、再度トレーニングを開始していく。
普通の合宿の風景。
何事もなくそのまま日々が過ごしていくはずだった――
――――のだが。
合宿も一週間が経とうとしていた頃。
それは突然やってきた。
「ヘイローちゃん、いる?」
「マヤノ先輩? どうかしましたか」
時刻は既に夕食を終えた夜のひと時。
耳に届くのは虫の音と、海のさざ波。あとは時折吹き付ける風が木々を揺らすだけ。
薄闇のぼんやりと街灯が灯っているのが眼下に見える。
暑さ克服の一環としてクーラー禁止令が出された自室。
地味にサウナ化していたので、キングヘイローはのんびりベランダで涼んでいた。
その彼女の隣室であるマヤノトップガンがベランダ越しに話しかけてきていた。
暗闇で表情は窺えない。しかしどこか決意を秘めた声に思える。
「……ヘイローちゃんには話しておきたくって」
「話しておきたいことですか?」
「……うん」
普段の楽しげなことはどこへやら。
視線を向けるが彼女はベランダの手をかけたまま、海を真っすぐ見つめている。
その様子にただならぬもの感じたキングヘイローもまた同じ方向に向き直った。
何分か、そのまま静かな間が空く。
そして真面目な雰囲気のまま少女はおもむろに口を開いた。
「トレーナーのこと――――おじーちゃんの、後悔の話」
唐突にも思えるマヤノトップガンの告白。
彼女の真意は薄闇の中、まだ窺い知ることはできなかった。
※6/9
思うところあってシリアスタグを追加しました
※6/13追記
ヒショウマルの名前をヒリュウマルと盛大に間違えていたので訂正
誤:ヒリュウマル→正:ヒショウマル