GoGoがんばれ!ヘイローちゃん 作:竹林の春雨
「……後悔とはまた不穏な言い回しですわね」
いつになく神妙な雰囲気のマヤノトップガンに対し、キングヘイローはそう切り返す。
夜の帳も降りた小笠原諸島、父島のホテルでの出来事。
静かな夜なら声が響く――というわけでもない。
さすが日本より遥か南に位置する離島とあってか、全方位からの波の音が周囲を静かに包んでいる。
また夏の夜に大挙してくる虫の音も彼女たちの会話を、程よく内緒話をしやすい範囲に狭めていた。
どちらも部屋の明かりは付いてはいない。
レヴァティの備品として持ち出された蚊取り線香をベランダに焚いていたおかげか、煙たさと引き換えに虫が近づく気配もなく、二人の邪魔をする者たちは皆無だった。
「そうかなぁー? おじーちゃんって寂しそうにしてるなぁーって思うけど」
「付き合いの短い私ではそこまでは感じ取れませんわ。ただ思慮深い方だとは思いますが」
言葉を選びつつ、オブラートに包んだ物言いに留める。
少し抜けている点や言葉足らずな時もあるが、キングヘイローの印象としては『老練さに見合った観察眼と知識を持つトレーナー』というのが第一にくるだろう。
合宿初日に自身の弱点を事前調査からキチンと見抜き、改善策を提示できる点からもその能力は理解できる。
なぜ分かったのかと後に聞いたところ、
『多くのウマ娘を指導していけば自然に身に付くトレーナーの基本技能じゃよ』
と苦笑いをしながら答えていた。
それが本当なのか、ただの謙遜なのかは分からない。
しかし短い言葉ながらも、積み重ねてきた研鑽の足跡を窺わせるものだった。
そんな老トレーナーの坂戸だ。
年老いた分、多くの出会いと別れも経験したと察せられる。
マヤノの言う寂しさなるものも、そこまで深刻なものなのかという疑念があった。
そんな彼女は星の瞬く夜空を見上げながら話す。
「マヤノはさ、昔は身体が弱くて病院に行くことが多かったの」
「……今の元気な姿とはまったく違いますわね」
一呼吸おいて考えたあと返事をする。
元気一杯とはいえ、小柄な体格のマヤノだ。身体が弱かったという告白も納得がいく。
とはいえ素直に同意するのも悪いかと思い、お世辞込みの言葉だ。
それを察しているか分からないが、相手は苦笑いしていた。
「あはは、そうかも。でも、うーん……身体が弱いというか、ちょっとだけ表現が難しいかなぁー。無茶をし過ぎる体質というのかな?」
「無茶?」
「うん。ほら5月のときにヘイローちゃんと学食で再開したときや、ターボちゃんがレヴァティに初めてやってきたときに、どっちともマヤノの動きに驚いていたでしょ?」
「ああ、あの急加速ですわね」
頭で考えるより脚が先に動く癖のことだろう。
無自覚かと思っていたが、どうやら自覚があったようだ。
ただそれが身体が弱いという話とどう繋がるのかがイマイチ分からない。
「マヤノからすると普通に走り寄ってるつもりなんだけど、周りはそう思ってくれなくてねぇー……。危ないから手加減しなさいってよく怒られてたんだ」
「衝突すると危ないのは事実ですから、仕方ないことですわね」
「むぅー、ヘイローちゃんのいけず」
「事実は事実ですもの。でも、それが身体が弱いのと関係あるのかしら。現在の元気なマヤノ先輩と同じように思えますけど」
「うぅーん……マヤノからすると、よく分からないんだけどね。おばーちゃんが言うには『身体が出来てないのに脚が早すぎるのがいけない』って言われてた」
「脚が早すぎるのがいけない? いえ、それより、そのおばーちゃんとはどなたですか」
「あっごめん、そこ抜けてた」
てへっと笑うマヤノトップガン。
『おばーちゃん』と言うのが誰かは分からない。
しかしその名称を読んだ時の彼女の言葉には親しみがこもっていた。
坂戸に対しておじーちゃんと呼称することといい、年上に対して甘えたがりなのかもしれない。
彼女の話は続く。
「病院で知り合った人でね、マヤノの体調をよく気遣ってくれたおばーちゃんなの。一緒に遊んでくれたし、ウマ娘に関する知識も豊富らしくて、色々とアドバイスとか貰ってたんだ」
「なるほど……」
「うん。名前をね――――
「坂戸京子…………坂戸? それって――」
一度、口に呟いたが、聞きなれば苗字が混じっていたことに気付き、再び復唱する。
佐藤や鈴木などと違い、あまり聞きなれない類の名前だ。
マヤノもそれが分かっていたらしく頷く。
「ヘイローちゃんが思った通り、おじーちゃんの奥さんだよ」
「……そこで話が繋がっていきますのね。坂戸トレーナーとは昔からの知り合いだったと」
なるほどと頷く。
マヤノトップガンは坂戸トレーナーとは昔からの知り合いであった。
それなら事情を知っているのも理解できるというもの。
キングヘイローはそう考えていたのだが。
「ううん、おじーちゃんとは知り合いじゃないよ。知っていたのはおばーちゃんだけ」
「え? でも奥様と知り合いならトレーナーとも……」
「おばーちゃんは長期間入院してたけど、マヤノは一日か数日間だけだからおじーちゃんとは直接話す機会がなかったんだよ。おばーちゃんが、おじーちゃんにマヤノのことを話していたらなら別だけどね。ただおじーちゃん、トレーナーさんだから昼間はトレセン学園だし、他のウマ娘さんと一緒に遠征に行くことも多いし。夜に面会に来ていたようだけど、マヤノは寝てる時間帯が多くねぇー……」
「ん、んんー……ちょっと待ってくださいまし。少し整理しますわ」
「? うん、いいけど」
少し頭がこんがらがってきていた。
キングヘイローは腕を組んで思考を張り巡らせる。
マヤノはトレーナーの後悔した話――出来事を告白しにきた。
そしてマヤノトップガンはトレーナーの奥さんと過去に病院で知り合っているが、トレーナーとは直接面識がある訳ではないという。
現在はまだそこまでの話だ。
「出会った経緯は分かりました。ですが初めに仰った後悔の話というのは結局のところどうなのかと」
「あー、うん。そうだよね。まず、そこから話さないといけないよねぇー……」
途端に歯切れが悪くなるマヤノトップガン。普段の彼女の態度とは大きく乖離していた。
先ほどから引っ掛かっていたが、どうにも言いづらそうにしている風にも取れる。
話したいけど言葉にするのを戸惑っている、ということだろうか。
「言いづらい話なら、ここでお開きにしても良いと思いますわよ。無理に話してもよくないかと」
「……ううん、やっぱり言うよ。たぶんいずれ話さなきゃいけない時がくると思うから」
キングヘイローの申し出を聞くも、相手は意を決した様子で断る。
遠くの海の風景を見つめながら彼女は話し始めた。
「おばーちゃんと知り合ってマヤノは色々楽しかったの。病院って検査ばっかりでつまらないからさ。おばーちゃんはマヤノのようなウマ娘に真摯に向き合ってくれて、無理のない走り方とかのアドバイスもしてくれた。そのおかげか体調を崩したり、怪我をすることも少なくなったの」
「……ええ」
ポツリポツリと語られる思い出話。
どこか遠く離れた空を眺めながら話しているようにも思えた。
「それで旦那さん……おじーちゃんも凄腕のトレーナーさんだっていうから、もうびっくり。いつかトレセン学園に入学して頑張ちゃうぞーってよく二人で話してたの。病院の夕陽を眺めながら」
「…………」
「マヤノって休みがちだから友達も少なくってさ。たまーに休み時間とか追いかけっこできても、他の子は追いついてこないし、本気で追いかけようとする子もほとんどいなかった。……そんなのただ走ってるみたいで凄くつまらなかった」
「…………」
「同世代がそんな感じだから、余計おばーちゃんにはよく懐いていたなあ。お話も一杯聞かせてくれて、昔のウマ娘さんの名レースとか古いテープで見ながら解説してくれてた。『この子は普段一人でいるのが好きなのに、世話焼きのせいでよく騒動に巻き込まれてたー』って裏話とかね。…………本当に、一杯教えてくれてた。だけど――」
そこでマヤノの声のトーンが落ちる。
悲痛に満ちた声だ。
静かに聞いていたキングヘイローだったが、話の流れから次にくる言葉を何となく察することができた。
「……おばーちゃんが死んじゃったんだ。マヤノが元気になって病院に行くことがあまり無くなってきた頃に」
「それは……悲しいですわね」
予想できた言葉に、無難に返すしかできなかった。
表情は見えない。ただ人懐っこいマヤノに襲った悲劇は筆舌に尽くしがたいものがあるのかもしれない。
「もっと、いっぱいいっぱいお話するつもりだったんだ。昨日と今日と明日と、未来の話をいっぱい。マヤノは馬鹿だったんだよ、無邪気に毎日が変わらないって信じてた」
幼い頃というのが、どの程度の年齢だったのかは分からないが、非常に辛い経験だったのは容易に把握できる。
老人が病院に長期入院しているという事実――健康な者が入院しているわけがない。
何かしら病などを患っていたのだろう。
長期の入院をしていたということは、それほど健常者とほど遠い健康状態のはずだ。
ただ幼いマヤノにそれを予測しろというのも酷な話だ。
キングヘイローができることは静かに耳を傾けることだけだった。
「たぶんずっとずっと後悔してる。言いたかったこととか言えなかったこととか、たくさん」
生きている以上、誰もがいつかは亡くなってしまう。
ただどちらにせよマヤノの心痛を慮るなら、それ以上踏み込んで言えるわけがなかった。
「久しぶりにおばーちゃんに会おうって思ってて、病院へ行ったの。その時かな、初めてトレーナーさんを見かけたのは」
「坂戸トレーナー、ですか」
「うん。おばーちゃんの個室に、お医者さんとか普段見ない大人とかが一杯いたんだ。人が集まってたから少し怖くて、扉からそっと覗いてね。…………それで聞いちゃったの」
「聞いた?」
「……おじーちゃんはこう言ってたの」
彼女が言葉にしたのは、老人の酷く後悔した言葉だったという。
――間違えていた。
――大切に扱うあまり儂は多くの若者の未来を犠牲にし続けたのか?
――それをヘラヘラと笑いながら他人に披露するなんてとんだピエロもいいところだ……っ!
――決して諦めなかった……
マヤノから語られたのは言葉。
老人が慟哭しながら最愛の女性が息を引き取った場所での嘆き。
普段の温厚な姿からは程遠い――いや遠くて当たり前なのかもしれないが、激しい感情の発露があったという。
あまりにプライベートな話題だけに、聞いてしまっても良かったのかと戸惑ってしまうほどだ。
「その話を聞いてから言うのも何なのですが、それは私が知ってしまっても良いのかしら……」
おそらく坂戸に聞いても話したがらない類の出来事だ。
それをマヤノの口から聞いてしまっても良いのか。
本人が話すまで待った方が筋は通るのではないかという疑念。
しかしマヤノはゆっくりと首を横に振った。
月光を浴びたままの、マヤノの艶やかな栗毛は僅かに揺れる。
開いた口調は真剣なものだ。
「ヘイローちゃんは知ってた方がいいと思う。たぶんおじーちゃんが自分の夢を託しているのが、きっとヘイロー……ううん、キングヘイローってウマ娘だと思うから」
「……私が?」
「たぶん、だけどね。おじーちゃんも平等に接しようとしてるみたいけど、ヘイローちゃんに対しては妙に肩の力が入ってる気がするもん」
「それが事実かはともかく、実力など総合面で言えばマヤノ先輩の方が遥かに先を行ってますけどね」
「あはは、ありがとぉー♪」
キングヘイローは負けず嫌いではあるが実力は素直に認める主義だ。
目の前のマヤノトップガンという少女は、現時点の自分より何段も上のステップにいる。
ツインターボとキングヘイローがバトンタッチ形式で行った併走トレーニングでもそうだ。
長距離もイケるらしく、3000mを走り続けるマヤノに追いすがるのが精一杯。
日を追うごとに彼女の実力が花開いていくのを感じている。
だからこそ、まだ発展途上であるキングヘイローよりマヤノトップガンの方に期待を寄せるのが普通だろう。
二人の実力差を目の当たりにして、どちらに軍配が上がるかすら分からないほど目が曇っているトレーナーでもない。
「――ただ、ね」
笑い気味の声は静かにトーンダウンする。
譲れない想いがあった。
「マヤノはGⅠに勝ちたい。絶対に勝ちたい。おばーちゃんと約束したんだよ、凄いウマ娘になってみせるって。身体の弱かったあの小さなウマ娘が、こんなに成長したんだぞーって、お空の向こう側にいるおばーちゃんに伝えたい」
「ええ」
「おじーちゃんも、たぶんGⅠを勝ちたいって凄く思ってる。だからその想いも叶えたい。そうすればきっと、みんな笑顔になってくれるって信じてるから」
「そうですわね」
「マヤノも、おじーちゃんも……もしかしたらおばーちゃんも。みんな後悔しているのかもしれないから――だから決着を付けたいの。後悔だけで終わらせたくないから」
「GⅠに勝つことで、ですか」
「うん。レースに勝って、区切りをつける。ね、簡単でしょ?」
実にシンプルかつ明瞭な方法。
レースに勝つことで自分なりの決着を付けたい――それがマヤノトップガンの想いだった。
他人から見ればそんなことかと笑われるかもしれない。
しかしGⅠに勝つという事実は、ウマ娘に限らずトレーナーたちにとって悲願の一つだ。
誰もが栄光を掴めるわけではない。
数百、数千人のウマ娘の中で、GⅠの栄誉を得られるのとは極わずか。
夢の舞台はそれほどまでに遠く険しい道のりだ。
だからこそ大舞台で勝利することができれば、誰もが諸手を挙げて抱き合い、歓喜に包まれる一大イベントとなる。
騒がしくても強くなろうとする少女。
いい加減なようで真面目に取り組む姿勢。
しかし幼き頃の哀しみが、彼女に勝利への渇望を与えた。
表向きだけ見れば天才的な実力を持つウマ娘。
しかし裏を返せば。
(血は繋がっていなくても孫が祖母に孝行したいような、願い続けた想いなんでしょう。……たぶん私も、きっと同じ)
坂戸京子とトレーナーに対して精一杯の御礼をしたいという純粋な想い、願い。
それがマヤノトップガンを突き動かし続けてきた源泉なのだろう。
――偉大な両親が胸を張って自慢できる娘でありたい。
キングヘイローが真摯にトレーニングに励み続ける大きな理由の一つだ。
そしてマヤノトップガンも細部は違えど、胸に秘める決意に差異はない。
初対面のときは相性が悪いタイプかと思ったが、意気投合するのも早かった。
それはもしかしたら根っこの部分が同じだったせいなのかもしれない。
分かったのなら話は早かった。
(――ならば、これ以上の話は蛇足ですわね)
もうこれ以上、悲しい話題をする必要はないだろう。
だからキングヘイローは笑みを浮かべることにした。
いつも浮かべている不敵な笑みだ。
「……凄いウマ娘というのも曖昧ですわね。もう少し明確な目標を立てた方がいいですわよ」
「あはは、そうかもっ! でも、そういうヘイローちゃんだって『キング』の名を知らしめるって割とよく分からない言葉だよぉー?」
「き、キングはキングですわ。王の名を広めるのは、それだけで意味がありますもの!」
「やっぱりあいまーい!」
話は終わりだとばかりに茶化すと、マヤノも乗っかるように茶化し返してくる。
互いにどう反応するか理解しているという雰囲気。
すっかりいつもの空気だ。
もとより共に辛気臭い雰囲気が苦手なタイプ。
深刻な表情を浮かべるより、前を向いて歩いた方が建設的というものだ。
この話を真に終わらせる方法はたった一つ。
とてもシンプルで簡単な方法。
「マヤノ先輩」
「うん?」
「勝ちましょう、レヴァティでのGⅠ初勝利。来年以降は私がバンバン勝って見せますから、今年の一番槍はちょっと悔しいですがお譲りします」
「うんっ、譲られました! ……これからもよろしくね? ヘイちゃん♪」
「へ、ヘイちゃん? なんですかその珍妙な名前は」
マヤノはキングヘイローの方に満面の笑みを向けながら、不思議な愛称を呼んだ。
戸惑う彼女に気にすることなく彼女は弾んだ声で言う。
「ヘイローちゃんを短くしてヘイちゃん♪ みんなヘイローちゃんって呼ぶし、マヤノだけの呼び方が欲しいなぁーって。マヤノのことも、親しみを込めて『マヤちゃん』って呼んでも良いよ♪」
「先輩に対する呼び方は後日の宿題として。せめて、こう……その挨拶みたいな呼び方以外に、もうちょっとありませんの?」
あまりに安直な気がしたので提案するとマヤノも思案気な顔で悩み始める。
「むぅ? ならキンヘちゃん?」
「更におかしくなっているような……」
「じゃあローちゃん?」
「何故か分かりませんが、水着を着たとても幼い少女に対する呼び方になっている気がするのでちょっと」
「ならングヘちゃん!」
「どこぞの未開の部族みたいな名前ですわね……」
ことごとく変な名称を思いついてくる。
普段から考えていたのだろうか様々な愛称を提案してくるが納得のいくものは少ない。
最終的に肩を竦めながら、
「……分かりましたわ、ヘイちゃんで良いですわよ」
「わーい、よろしくねヘイちゃん♪」
「まったくマヤノ先輩には敵いませんわね」
押し切られる形で新たな愛称を名付けられた。
キングヘイローからすると珍妙極まりない呼び方ではあるがマヤノは至って上機嫌だ。
「ヘイちゃん」
「なんですの」
ベランダの柵越しにマヤノはグッと拳を突き出してくる。
小柄な体格ゆえか、少しだけ足をプルプルさせていた。
「また改めてよろしく――絶対に勝とうね」
「ええ、よろしくされます――負けるつもりなんてさらさらないのだから」
ふっと笑うとキングヘイローも拳を突き出してコツンと突き合う。
いつかの柔らかい手による握手ではなく、硬い拳による挨拶だ。
形は違えど、いや違うからこそ、前よりもずっと親しみを感じる。
月夜に照らされた小さな約束。それはささやかながらも、お互いを認め合う力強さがあった。
パワプロだったらたぶん走塁練習の友情タッグが解禁される