会社を出て、手が外気にさらされないようにポケットに突っ込みながら、僕はいつものおでんの屋台を目指していた。
それは彼女との約束があったから。さらに言えば彼女に取り付けたい約束があったからだ。携帯電話を使えばいいじゃないかと思うかもしれない。
けれど、こういう大事な事というか、大きなイベントに関しては直接会って伝えたいと思っている。
電話は苦手という訳でも無いけれど、それだと彼女の驚く顔も、喜ぶ顔も見れない。単純に楽しみが減ってしまう気がする。そんな適当で、曖昧な理由だった。
一度、彼女にその理由を伝えたときは呆れられたけれど、最後に「なんだか先輩らしいです。嫌いじゃないですよ」なんて、締めくくられたっけ。あの時の照れてる顔はカメラで撮って、永久保存したい可愛さだったなぁ……。
そんな事を考えていると、おでん屋の暖簾が見えてきた。隙間から中の明かりが漏れ出している。強い風が僕の頬を撫でる。思わず体を震わせて、体温が下がるのを誤魔化した。
「早い所中に入って、温かいものを頼もう」
そう小さく呟いてから、僕は小走りをしてポケットから手を抜くと、暖簾をくぐった。
「あ、先輩。お疲れ様です。待ってましたよ」
小さな後ろ姿が振り返り、僕に向かって手を振った。ショートボブの黒髪。猫の様にパッチリと可愛らしい目つき。それにすらりとバランスの取れた体躯。間違いなく僕が待ち合わせしていた女性。僕の彼女、七咲逢だった。
「逢? 早いじゃないか。僕はてっきりもう少し遅くなるかと……」
「ふふっ、今回は根回ししておきましたから」
微笑みの裏には何かが隠れているような気がしたけれど、深くは追及することは止めた。何が出てくるのか分からない。
「まあ先輩。取りあえず座って、何か注文したらどうですか?」
「それもそうだね。じゃあすいません。注文、大丈夫ですか?」
屋台の店主さんに話しかけ、注文して席に着いた。彼女の隣。肩が触れそうで触れない距離。もう何年と居座り続けている距離だった。
ここに居るだけで、すり減らしていた精神的エネルギーが満ちていっている。そんな気がする。我ながら単純だとは思うけれど、理屈ではないのだ。
少し待つと皿に盛られたおでん、コップに注がれた焼酎のお湯割りが目の前に出された。
「じゃあ、乾杯です。先輩」
「ああ、乾杯」
コップとコップをぶつけると、一口含んだ。高校生の時はこんな風にお酒を飲んでいる自分を想像でなかったけれど、なんてことはない。ただ、年を取っただけ。中身は高校生とほぼ変わっていない。強いて言うならほんの少し、知恵がついただけだ。
逢に言ったら「そんな事無いですよ」って言われるとは思う。だけれど、これは僕の思い込み。他ならぬ僕自身が、成長できたと思えていない。それが拭えない限りは永遠にそうなのだろう。
だから、僕自身が胸を張って、成長できたと思えるようにならなければならない。そのためには……
「……ぱい、先輩っ。聞いてますか?」
「ああ、悪い、逢。何だっけ」
「まったく、話があるって呼び出したのは先輩じゃないですか」
逢が僕を肘で小突く。
「ああ、そうだった」
「しっかりして下さいよ。もう……」
「ゴメン、ゴメン。話したい事って言うのは、これの事でさ」
僕は上着の内ポケットからある物を取り出して、逢の前に差し出した。赤と白で彩られた封筒だった。
「これは……何の封筒なんですか?」
「まあ、いいから開けてみてよ」
「はい」
逢は僕に言われるがまま、封筒を開封すると、中から更に紙切れを取り出した。
「『二泊三日・温泉旅行ペアチケット』……これ、どうしたんですか、先輩?」
「実はさ、この間当てたんだよ。福引で」
「福引、ですか?」
「逢も知ってるだろ。あの商店街の福引だよ」
「ああ、あの。ふふ……」
逢は口元に手を添えて、笑いを抑える。
「なんで笑うんだよ、逢」
「いえ、ちょっと……思い出してしまって」
「思い出したって、何を?」
「忘れちゃったんですか? あれですよ、あれ。一等、ハワイです……」
逢は僕にそう伝えるとこらえきれなかったのか、再び笑い出してしまう。
それを見て、僕も思い出す。一度美也に福引を忘れないようにって落書きされた事があった。その時最初に僕を見たのが逢で、これ以上ないってくらいに笑われたのだった。
「勿論、覚えてるよ。美也にされた落書きだよね」
「あの時の先輩の顔はもう……傑作でしたよ……」
「笑いを堪えてまで思い出さなくていいよ」
逢はすいませんと肩を震わせながら、笑い過ぎて滲んだ涙を拭った。
「あの時は外れちゃいましたけど、今回はきっちりと大物を引き当てたんですね」
「うん。今回の一等だってさ。それで、逢さえ良ければなんだけど、二人で一緒に行かないか?」
「はい。勿論ですよ。いつですか?」
思ったよりも素早い返事だった。躊躇いが見られない。付き合っているとは言っても、二人っきりでの宿泊なのに。もう少し恥じらいだとか、距離感というものがあると思っていた。だから僕は思わず聞き返す。
「……逢、そんなにすぐに決めていいの?」
「先輩はすぐに決めたら困るんですか?」
「いや、そういう訳じゃ……」
逢から視線を逸らして、皿にあった大根へ手を付けた。
別に困るとか、そういう訳じゃ無い。逢はもう少し奥手で、猫の様にゆっくりと距離を詰めるべき、これまでの経験からそう考えていたのだ。だから、普段と少し違う、彼女のアグレッシブな姿勢に虚をつかれた。それ故に少し戸惑ってしまっただけだ。
「ふふ、すいません。ちょっと、意地悪しちゃいましたね」
「まあ、別にいいけどさ」
「それで先輩。いつになるんですか。この旅行は」
「場所と、日程の予約もあるから早く決めた方が良いのは確かかな。都合の良い日はどこかあるかな?」
「そう、ですね――」
逢はバックの中から手帳を取り出して、パラパラとページをめくっていく。僕はそれを眺めながら、少し遠い未来へ思いを馳せる。彼女との二人きりの旅行がどのような物になるのか、今から楽しみで仕方がなかった。
▽
車内で小さく流れる音楽。それに合わせて鼻歌が聞こえる。運転席から見る声の主は頬杖を付いて、窓の外をぼんやりと眺めていた。
「ご機嫌だね。逢」
「え? そう見えますか?」
僕の方を見て、パチパチと瞬きをした。僕は前方を見つつ「うん」と肯定する。すると彼女は照れくさそうに頬をかきながら、目線を散らした。
「たぶん、そうですね。だって先輩とのデートも久しぶりですし、それこそ旅行なんて……って先輩っ、なんで笑ってるんですか!」
「いや、だって――」
「だって、じゃないです! 逆に聞きますけど、先輩は嬉しくないんですか?」
「嬉しいよ。嬉しいから笑ってる。僕が顔に出やすいのは逢がよく知ってるだろ」
意識してキメ顔を作ってみる。一瞬、彼女は戸惑いを見せたが、二度首を振るとすぐに表情をいつも通りに戻した。
「騙されませんよ。先輩がそうやって時々、見せる為に表情を変えるの、知っているんですから。気が付いてないとでも思ってましたか?」
「え、ばれてたのか……」
「ええ、バレバレです。でも、まあ……そういう姿勢は嫌いじゃない、ですよ」
「そっか」
ハンドルを握り直して、途切れそうだった集中力を奮い立たせた。僕の『アタック』が見透かされていたのは勿論だけど、その後のセリフは予想外だ。手痛いカウンターを貰った気分だった。この攻撃に僕は勿論、仕掛けた逢本人まで照れて、黙ってしまう。
お互いにだんまりを決めたまま、車を走らせていると今回の目的地が見えてくる。カタログでは緑に囲まれていたが、今の季節は冬。覆い隠す葉は落ちて、和風の建物の全景がよく見て取れる。それを機に僕は沈黙を破った。
「逢、あそこ、旅館じゃないか?」
「えっ、ああ。みたいですね」
「カタログで見た通りって訳ではないけれど、落ち着いたいい雰囲気だね。これなら期待通りゆっくり羽を伸ばせそうだよ」
「確かに楽しみですけど、先輩、最後まで気を抜かないでくださいね。気が緩んだ時こそ事故は起こりやすいんですから」
「そんなこと言わないでくれよ。何か、不安になっちゃうじゃないか……」
不安を漏らしつつも僕は最後まで安全運転を続けた。車を駐車して外に出る。無事たどり着けたことに安堵しつつ、ホッと息を吐く。白い蒸気が天へと上がった。
「やっぱり寒いですね」
「そうだね。ずっと車内にいたのもあってより一層、って感じだ。早く中に入ろうか」
「ええ、そうしましょうか」
トランクに積んでいた荷物を降ろしてから鍵をかける。チカッとランプが光るのを確認してから二人分の荷物を抱えた。
「あ! 先輩。大丈夫ですよ。自分の荷物ぐらい、自分で持ちます」
「いいって、普段は逢に頼りっぱなしだからさ。こういう時ぐらい、僕を頼ってよ」
「とは言ってもですね……」
逢は不満げに声を漏らすと、顎に手を当てて横目でこちらを見た。
別に、旅行だから特別気を遣っているわけでは無い。それに実際の所、普段は要所要所で頼っている。
だから、こういった形で還元しないとフェアではない。そう思っている。だけれど女は納得していないようだった。
「僕は僕で、また今度逢に頼るからさ。それじゃあ、駄目かな?」
「先輩って、変な所で強情というか、意地っ張りというか……。まあ、いいです。分かりました。少しだけ、頼りにさせて頂きますね」
「少しだけ、か」
そう付けられてしまうあたり、自分の甲斐性の無さがより浮き彫りにされた気分だ。だけど、まあ自分の要求を通せたのは悪くない。
それから二人分の荷物を持って旅館に向かい、自動ドアをくぐって、足を踏み入れた。
木材が多く使われた開放的なロビー。照明は会社で見るような、蛍光灯の白色とは異なって、暖色で落ち着いたもので、なんだか柔らかい雰囲気を醸し出していた。
非日常感漂う空間に視界を泳がせて、カウンターを探す。しかし広すぎてどこに何があるのかさっぱりだ。見当もつかない。
困った僕は逢に助け舟を求めることにした。
「逢、カウンターがどこだかわかるかな? 取りあえず受付を済ませたいんだけど、なかなか見当たらなくて」
僕が問いかけると逢はキョロキョロと辺りを見渡した後、ビシッと手を伸ばして何かを指差した。
「でしたら、あれじゃないですか? 前に人が立ってます」
「ん? ああ、本当だ。流石逢」
「はぁ……こんな事で感心されても嬉しくありません。ほら、行きますよ」
先行した逢に続いて、受付に向かう。立っていた女性に逢が声をかけた。
「すいません、予約していた橘なんですが」
「はい。お待ちしてました。二名でご予約の橘様ですね。この紙に必要事項の記入をお願いします」
「はい。分かりました」
逢は受付の女性からペンを受け取ると、その場で書き始めた。荷物を持ったまま彼女を眺める。
書類に書き込みながら、ときたま垂れた髪を一度耳にかける。耳が見えたり隠れたり、なんだかチラリズムを刺激される。
彼女と一緒に仕事をしている人は毎日このような仕草を見ているのかと思うと、何だか羨ましかった。
「すいません。記入が終わったので確認をお願いします」
「はい、ありがとうございます。……はい大丈夫です。ではご案内させていただきますね。こちら――」
それから僕たちは一通り説明を受けた。夕食の時間だとか、温泉などの施設の利用方法。最後に部屋の鍵を受け取って、その場を後にした。
荷物を部屋の隅に置いて一息付く。僕たちに割り当てられた部屋は和室だった。畳にテーブル。お茶菓子とケトル。テレビと冷蔵庫。オーソドックスな面々が出迎えてくれる。でも、この部屋にはありふれた物だけじゃない。
「先輩、この部屋って確か、露天風呂が付いているんですよね」
「うん。そうだね。夜は星空を見ながらお風呂を楽しめるらしいよ」
逢の問いかけに頷く。そう、この部屋には露天風呂が付いている。大浴場の運営時間なんて気にせず、いつだって温泉に入って疲れを癒すことができるのだ。
その気になれば混浴だって……。いやいやいや。逢がそんな簡単に乗ってくれるわけないじゃないか。現実を見ろ、僕。
そもそも、彼女と二人きりで温泉旅行なんて既に非現実的なのだから、これ以上を望んだらバチが当たるだろう。
気持ちを切り替える為に僕は首を左右に振った。
「ところで逢、せっかくお茶菓子もある事だし、お茶でも淹れようか?」
「はい。そうしましょうか。あ、先輩は座ってていいですよ。私がやるので」
「え、ああ。ありがとう」
逢はそう言うと手際よく急須にティーパックを入れて、ケトルからお湯を注いだ。それを眺めながら僕は手元にあった煎餅の袋を開けて齧った。バリッと軽く音が室内に響く。
「あ、先輩。私にも一枚頂けますか?」
「ん? ああ、ほら」
「ありがとうございます」
逢は僕から煎餅を受け取ると、封を破って僕と同じように一口。ゆっくりと咀嚼してから再び口を開いた。
「しかし先輩。この後、どうしましょうか」
「どうって、何?」
「いえ、夕飯にはまだ時間がありますし、かといって温泉に行くにはまだ早い気がします」
その言葉を受けて僕は時計を確認する。時刻はまだ三時過ぎぐらい。逢の言う通り時間には余裕がある。知らされた夕食の時間は、たしか七時。四時間もの空白だ。
そのうちの一時間ぐらいは温泉に当てることができるけれど……。
「そうだね。温泉にはまだ早いか。逢はいつごろに温泉に行きたい?」
「えっと、できれば食前が良いんですけど。いいですか?」
「うん。僕は逢に合わせるよ。となると、あと三時間ぐらいは暇があるんだね」
「そうなりますね。でも、たまにはこうやって先輩とゆっくりお話をするのも悪くないです。最近は夜遅くまで仕事だったので」
「そっか、じゃあお疲れ様だね」
逢は座椅子の背もたれに体を預けるとグイーっと両手を広げて伸びをした。閉じた口から洩れる声と、前面に突き出される胸部が何とも色っぽい。
あまり見続けると逢に呆れられてしまうので、観察もほどほどに留めて会話に意識を戻す事にする。何を話そうか少し考えて、煎餅を持っていたので『食べもの』の話題から入ることにした。
「この煎餅美味しいけど、どこのなんだろう?」
「そうですね。こういうのは御土産コーナーにあるのが定番じゃないですか?」
「じゃあ、後で見てみようか。出るときに美也には御土産をねだられた事だし」
「美也ちゃんにですか。そういえば最近会えていないですね……」
「まあ、逢も美也も社会人になって忙しいだろうし、仕方ないよ」
話題に出て来たところで、僕は美也について思考を巡らせる。美也は高校を卒業後、短大を経て社会人になった。
兄としてはちゃんと仕事が出来ているかどうか不安ではあるが……。でも、いつまでも美也も子供じゃない。ちゃんとやっているはずだ。そう信じたかった。
逢は頃合いと見たのか急須を取って、二人分の急須にお茶を注いでいく。僕は一言お礼を言って受け取ると話題を『世間話』へと切り替えた。
「そういえば、逢の弟はどうなんだ? 確か、もう高校生じゃなかったけ?」
「郁夫ですか? 今丁度、高校三年生ですよ」
「へぇ、あんなに小さかったのに」
そうか、僕たちが高校を卒業してから十年が経っているんだ。だからもうそれぐらいになってても、おかしくはない。
「昔に比べれば、随分と手がかからなくなりましたし、今じゃ積極的にお手伝いをしてくれるんですよ」
「へぇ、あれだけのわんぱく小僧からは、想像がつかないな」
「まあ、私の矯正の甲斐、という事にしておいてください」
「そっか、流石逢だね」
僕が褒めると逢は照れくさそうに笑って「ありがとうございます」と返した。両手を合わせて首をかしげるその仕草は、なんとなく高校時代を思い起こさせる。改めて見ると時間も経って、大人びた雰囲気になった。
でも相変わらず、いや、より可愛らしくなったと言ってもいい。それはこの長い付き合いの中で距離を縮めたから、本当の表情を見せるようになってくれたのだと、僕は勝手に解釈していた。
いい感じに空気が柔らかくなってきた気がする。逢もすっかりリラックスしているようだし、このタイミングなら何か「行動」を起こしても上手くいきそうだ。そう思った僕は早速、逢に声をかける。
「なあ、逢」
「どうかしましたか先輩? あ、お茶のおかわりですか?」
「いや、そうじゃなくてさ。ここ最近は忙しかったって言ってたじゃないか」
「ええ、まあ。最近はデスクワークが長くて……」
逢は右肩に手を当てて腕を動かして見せる。どうやら肩が凝っているらしい。それはある意味好都合だ。僕は席を立って、彼女の肩に両手を置いた。
「え、先輩? 何を……」
「いや、せっかくだしマッサージでもしようかなって」
「ああ、結構ですよ。せっかく休みに来たんですから、先輩はゆっくりしてていいですよ」
逢は手を振ってやんわりと否定する。
「だからこそじゃないか。僕は逢の疲れがきっちり取れるように手助けをしたいんだ。……駄目かな?」
耳元で囁く。逢はそれに驚いたようで身を震わせた。そしてしばらくの沈黙の後で、口を開いた。
「そこまで言うのなら、分かりました。じゃあ、先輩……お願いします」
「うん。じゃあ早速だけどさ、逢。うつ伏せで横になってよ」
「横に、ですか?」
想像していたこととギャップがあったのか、きょとんと目を丸くして僕を見た。僕はそんな事を気にせずに更に押す。
「うん。だってそうじゃないと体全体をマッサージできないじゃないか」
「わ、私は別に肩だけでも構いませんよ。先輩だって大変でしょう」
「往生際が悪いぞ、逢。そこまで気に病むようだったら、後で逢が僕にやってくれればいいから。さあ、観念して横になるんだ!」
「分かりましたから……」
そう言うと逢は座布団を枕代わりにしてうつ伏せになった。その状態の彼女を僕は上から眺める。
こうしてみると、なんというか、こう……官能的な刺激を受けるな。今日最初に会ったときは、セーターにジーンズという露出度が低く、もこもことしていてラインがあまり出ていない服だけれど、じっくりと見ていると分かる。
その中には彼女のしなやかな肢体が隠れていることが! 逢の身体については僕がここ数年で一番見ていると言っても過言ではない。実物を見ればその上からゆっくりと、全体像が浮き出てくるようだ。今からこの体を揉む、いや、マッサージをすると思うと……。そんな事を考えて唾を飲み込んだ。
「えっと、先輩。やるならやるで、早くしてくれませんか」
首を回して、チラリと立っている僕を見て指摘した。そうだ。ここで引く訳にはいかない。自分で『行動』したとはいえ、ここまで上手くいったんだから。
僕は……逢の身体を、揉む!
そう決心すると僕は拳を握り、逢の真横に正座で座った。
「じゃあ、いくよ。逢」
声をかけて彼女の腰に触れた。セーター質感と彼女の体温を同時に指先から感じ取る。そして、手の平まで密着させて、少し力を入れて彼女の身体を揉み解す。僕の身体には無い弾力、柔らかさを感じた。
「んっ……」
「逢、痛かったら言ってよ」
「いえ、大丈夫です。もう少し強くしてもらってもいいですか」
「え? そう、分かったよ」
僕はさらに力を強くして逢の腰を揉んだ。所々骨の感触がうっすらと感じ取れるけれど、やせすぎているってわけでは無い。最低限の表面の脂肪に内側にしっかりと筋肉が付いている感じだ。きっと逢は高校を卒業してからも、適度に運動をしているのだろう。
「これぐらいの力でいいかな?」
「ええ、丁度良いです。それにしてもこんな特技があったんですね。気持ちいいですよ」
「そうかな? よく両親にはやってたけど、特技って言えるほどじゃ……」
「私が気持ちいいと思うんですから、素人目に見れば十分特技ですよ」
「そうかな? じゃあちょっと張り切っちゃおうかな」
それから僕は腰から肩甲骨付近、肩から腕に指先と、揉むポイントをずらしつつ、マッサージを続けた。最後に足を
「……寝てる、のか?」
瞳を閉じ、片腕を枕にして心地よさそうに寝息を立てていた。マッサージに夢中になっていたせいで気が付かなかったけれど、いつの間にか寝てしまったらしい。疲れも溜まっていると言っていたし、仕方ないだろう。
このまま寝かせていると風邪を引いてしまうかもしれないし、上着でもかけておいた方が良い。鞄と共に持って来ていた自分のコートを手に取ろうとして、手が止まった。それは僕の頭にある思い付きがよぎったからだ。
……これは、チャンスなんじゃないか? いや、チャンスに違いない。
逢はこう見えて、シャイ。恥ずかしがり屋だ。大胆になる時もあるけれど、それは例外。基本的にはスキンシップには消極的だ。逃げてしまう場面だって見られる。
だから僕は手を繋いだり、その……キスをしたりするときも、どこか遠慮してしまっていた。本人の嫌がる事を無理にはさせたくなかったからだ。
しかし、今回に限りそれを配慮する必要性はない。何故なら本人の意識はないから。嫌がるという感情が起こる余地はない。
一度深呼吸をして、僕はある場所へと手を伸ばした。起きていたなら彼女は絶対怒ると思って、マッサージする箇所から外していた場所。
そう、お尻だ。
逢とは
でも、彼女の持っている物の素晴らしさは見ただけで分かる。かつて水泳部で鍛え上げた肉体は健在だし。腰からお尻のボディラインはそこらのグラビアにだって、引けを取らない美しさを持つ。その蠱惑的な場所、未知の感覚を追求したかった。
指先が触れる。セーターとは違うジーンズの感触。その奥にある温かみ。弾力は、腰よりも大きく僕の指を押し返す。
満を持して、手の平まで接地面積を広げる。ほんの少しだけ力を入れた。指先でマシュマロを弄繰り回しているような感覚だ。それを味わうと同時に、
「ひゃっ!」
軽い悲鳴が鼓膜を揺らした。慌てて彼女の上半身に視線を移す。逢は首を回して、僕の方を睨みつけている。
「あ、逢。起きてたんだ……」
「『起きてたんだ』じゃありませんよ。先輩! な、何をするんですか!」
逢はかなりのスピードで体を起こして、僕を上から見下ろした。腕を後ろに回して、自分のお尻を撫でている。触られた場所を確認するような仕草だった。
「何、ってその……」
「ハッキリと言えないようなことですよね。私がうたた寝している時に仕掛けてきたんですから。最低です!」
最後の一言を強めで言い放ち、ゆっくりと僕に詰め寄って来た。座っていた僕は後ろに後ずさりをしながら説得を試みる。
「いや、そのなんというか、その……出来心だったんだ! 逢のお尻があんまりにも柔らかそうだったから」
「先輩は柔らかそうな物を見つけたら、何でも揉みしだくんですか!」
「いや、それは違う! 僕が揉みしだくのは逢の身体だけだ!」
「誇らしげに言い返さないで下さい!」
逢は呆れたように「全く……」と漏らして、腰に両手を当て仁王立ちをした。
「でも確かに僕が悪かった。逢が怒るのはもっともだ」
「分かっているなら、実行する前に思いとどまって下さい」
「そう、だね。これからはなるべく気を付けるよ」
「なるべくじゃなくて絶対です! 分かりましたか、先輩?」
「は、はい」
僕が縮こまりながら返事を返すと、逢はため息をついてから話し始める。
「分かったのなら今回はこれぐらいで許します。せっかくの旅行で不機嫌になるのも、馬鹿みたいですし」
「逢……」
「ただし!」
ビシッと人差し指を立てて、付け加える。
「先輩には罰を受けて貰います」
「ば、罰って……」
「私だけが恥かしめを受けるのは不公平です。先輩にもここで一度、痛い目に会って貰わないとフェアではありません」
「それは、確かにそうだ。分かった。逢が納得いくように煮るなり焼くなり好きにしてよ」
「変態的な部分はともかくとして、そういう潔い所は嫌いじゃありませんよ、先輩。では早速ですが、さっきの私の様にうつ伏せで横になって貰えますか?」
「うつ伏せで、横に?」
「ええ」
逢は頷く。僕は言われるがまま、さっきの彼女と同じようにうつ伏せになる。ほんの少し前に逢が寝ていたのもあって畳が温かい……って、僕は何を考えているんだ。首を振って、思考を振り払う。
「実は前々から試したい事があったんですよ」
「試したい事?」
「ええ、最近ある本を買いまして。自分で自分にやろうとしたんですけど、上手くいかなくて。だから先輩には実験台になってもらいます」
そう言うと逢は僕の腰に跨った。彼女の体重が僕に預けられる。彼女は小柄で軽量級だとはいっても心の準備ができていなかったから、心掛けずうめき声が漏れた。
太ももから彼女の手の感触。その感触はふくらはぎ、足先へと移動する。そして、靴下の中に指を入れられた。
「あ、逢!? 何を……」
「これからやる事の準備ですよ。裸足になってもらいます」
スルスルと僕の靴下を剥いで、むき出しにすると両手で包まれる。彼女の温もりが伝わって心地良かったけれど、それと同時に寒気も感じた。
「えっと、さ。逢。一応聞くけどさ、どんな本なんだ? その本って。まさかプロレス技事典とかじゃないよね」
「そんなんじゃないですよ。考えが
「そ、そうか。良かったぁ」
ホッと息を付く。罰ゲームとは言っても武力行使ではないらしい。
「内容はかなり奥深かったので省略しますが、タイトルだけ伝えると……『プロが教える足裏マッサージ! ~痛みで疲れを吹き飛ばせ~』ですっ」
「え?」
「覚悟は良いですか先輩?」
「え、ちょっと逢? 待っぁああ――!!」