“同病相哀れむの会”に村木が出席すると聞いた時、僕は少しうれしかった。
というのも、村木は僕よりもおとなしく、クラスでも殊更に目だぬ存在の男だったからだ。
“同病相哀れむの会”は、奇妙な名称ではあるが要するに単なる同窓会。
中学時代のいじめられっ子たちが集まって、年に2回ちょっとした飲み会をする。
社会人になってからはもっぱら会社の愚痴がほとんどだ。
僕は今、30歳になっている。
OA機器の販売会社の営業職を7年も続けている。
人と話すのが苦手だというのに、どうしてこんなことになってしまったのかと自問することがある。
だが一方で、人の立ち振る舞いは職業に左右されるというのは本当のようで、7年間も営業職を続けていると、生来の気質は置いておいても、ある程度の度胸はついてきた。
学生時代のように俯いて、もごもごと話す癖はなくなった。
というか、そういう話し方をしていると上司にどやされてしまう。
僕と同じように、会に集まってくる旧友たちもほとんどが、今はごく普通の大人になっている。
中学生時代のような、まごついたいじめられっ子ではない。
僕よりもずっと優れた経歴・社会的立場・立ち振る舞いを身に着けている連中がたくさんいる。
そんなわけだから。
あのクラスで最もおとなしく、噂によれば現在はニートであるという村木と再会することは、僕の自尊心を相当にくすぐることだったのだ。
会の当日、僕はいつものように居酒屋の端っこの席に座った。
向かいには、坂口がいる。
これもいつものことだ。
中学時代にはオタクでいじめられていた坂口は、今は売れないインディバンドのギタリストをしている。
“結局マニアなんだよな。アニメでも音楽でも。ハマったら掘り下げちゃう性質なのよ”
いつもそう言って苦笑いする坂口は見た目こそ派手だが、憎めない男だ。
売れないバンドのギタリストでは生活ができないので普段はコールセンターの深夜バイトをしている。
“このバイトをしてからさぁ、世の中にはこんなにもおかしな連中がたくさんいるんだなってカルチャーショックを受けたよ。広いねぇ、世界は”
月に一度あるかないかのライブを続けるために日々コールセンターでアルバイトをしている彼の本業は一体どちらだろうか。
そんなことを考え、ほくそ笑む僕は、心底意地が悪い。
不安定な彼を少し見下すことで、心の安寧を得ているのだから。
「おっ。誰だよあいつ」
2杯目のハイボールを片手にほろ酔いの様子で坂口が個室の入り口を指した。
つられて目をやると、小太りの中年が一人入ってくるところだった。
何とも言えない風貌だった。
不細工と表現して差し支えのない容姿のくせに、髪だけは金色に染め上げている。
一方で、その染めた髪をきっちりとセットするつもりはないのか、ボサボサのまま放置している。
服装はラフで安っぽいTシャツと短パン。
にもかかわらず、首元には不釣り合いなスカルネックレス。
一瞬、変わり果てていてわからなかった。
だが、彼の眼付には見覚えがあった。
「だっせぇな、おい」
小声でささやいてくる坂口に僕は言った。
「あれ、もしかしたら村木じゃないか?」
「え、マジか」
「うん。ほら、今日来るって言ってたし。目元とかちょっと似てるじゃん」
「んん?」
坂口が目を細めた時、小太りの金髪が言った。
「どーもどーも。遅れてすいません。そんでもってお久しぶり。村木智弘です」
正解だ。
雰囲気がすっかり変わってしまったが村木だ。
村木智弘。
クラス一の根暗男。
だが、こんなにも別人のようになっているとは思わなかった。
これでは……予想から離れすぎていて、優越感に浸るも何もない。
僕は小さく舌打ちをした。
村木は、笑顔で自己紹介を続けた。
「久しぶりにみんなに会えてうれしいわ。あ、こんな金髪にしてるけど、ちゃんと仕事してるねんで。政治家の秘書やってるねん」
彼がそういうと、嘘つけーという冗談交じりのヤジが飛んだ。
「いや、ほんまほんま」
にやにや笑いながら村木が答える。
そして空いていた席に座ると、生ビールを一つ注文した。
※
村木の変貌にたじろぎ、話しかける機会を失った僕はいつもと同じように坂口を相手に仕事の愚痴を続けていた。
会が始まってもう一時間程度は過ぎただろうか。
酔いが回り、饒舌になっていた。
そんな時、唐突に肩をたたかれた。
「よぉ。おひさ。藤原君」
「む、村木……」
いつの間にか隣の席に村木が移動してきていた。
「そっちは……ん? もしかして坂口か? お前変わったなぁ」
「そっくりお前にも言ってやりたいよ」
坂口が苦笑する。
そして、酔いが回った勢いなのか、唐突に問いかけた。
「お前、どうしたんだよその髪型」
「へへへ、センスええやろ」
村木が無邪気に笑う。
坂口は苦笑を続けた。
「さっき政治家の秘書とか何とか言ってただろ。嘘だろ、それ。そんな金髪でお堅い仕事が務まるかよ」
「それがなぁ、務まるんだよなぁ」
ニヤニヤとしながら、村木がポケットから一枚の名刺を取り出した。
“〇〇県議会議員 横尾美智也 私設秘書 村木智弘”
確かにはっきりとそう印刷してある。
「え、何これ。本物?」
「本物だっつぅの」
僕も思わずその名刺に目を奪われる。
「何これ。私設秘書って」
問いかけると、坂口が答えた。
「政治家の秘書ってさ、私設と公設があるんだよ、確か」
「おっ。詳しいやん、坂口」
「まぁ、いろいろ雑学とか好きだからな」
「ふぅん。それでな、こういう名刺も持ってるで」
坂口が今度は別のポケットから違う名刺を取り出した。
そこには、
“任意団体 〇〇県八重垣連合 会長 村木智弘”
とあり、オールバックにしてスーツを着込んだ村木の写真が載っていた。
名刺の右端には、小さく日の丸が印刷されている。
「任意団体?」
僕のつぶやきに村木が答える。
「まっ。法人格のない団体のことやな。横尾先生の応援とかしてるねん」
「へぇ。でも、なんで日の丸?」
「そら、日の丸は大事やがな」
そういうと、彼はカバンから白いハンカチを取り出した。
白いハンカチは、広げると真ん中に赤い円形が染め抜いてあった。
日の丸だ。
坂口が言った。
「お前、これいわゆる“愛国”団体か」
「まぁどうやろうなぁ」
村木がヘラヘラと笑う。
「敵対する政治家の家の前で街宣車とか回して小遣い稼ぎか」
「さぁな」
笑いながら細めた目が鋭く光った。
「でもまぁ、あんまりふざけたこと言ったら“いてまう”で」
冗談めかしてそうつぶやく。
ぞっとした表情で坂口がハイボールを手に取った。
「い、“いてまう”ってなんだよ」
「“いてまう”は“いてまう”やがな」
「知らないよ、そんな言葉。っていうかなんでお前、関西弁なんだよ」
「俺はもともと関西弁や」
「そ、そうなのか?」
僕も知らなかった。
会話の流れが変わったことにほっとしつつ、手元にあった焼酎の水割りに口をつけた。
「まぁ、学校ではほとんど話さへんかったからな。っていうか、この関西弁が恥ずかしくて喋らんかったんが真相や。ダサいって言われたくなくってな」
へぇ、と僕は思った。
横柄な態度のこの男が、ダサさを恥じる感覚を持ち合わせているとは。
しかし、振り返ってみれば、むしろ中学時代の彼はおとなしく、内にこもった少年だったわけで……。
「生まれが関西だったのか?」
「播州赤穂。小学生の低学年までな」
僕はそれがどこにある街かよくわからなかった。
「なぁ、自分ら、来週の土日って暇か?」
「なんだよ、唐突に」
「来週な、集会があるねん。集会。参加せぇへんか」
「はぁ?」
坂口が口を尖らせた。
「お前は否定的やったら来んでもええで。藤原。お前どうや? スキっとするで!」
「いや、どうと言われても……」
そもそも、何がスキっとするのかよくわからなかった。
こちらが返答しないでいると、村木が取り繕うように言った。
「怪しい集会じゃあらへん。偉い人がいっぱい来るんや。県議とかな、市議の先生とかなぁ。青年会議所の地域の偉い人も祭りの連絡協議会の偉い人もくるでぇ!」
「は、はぁ……」
それは偉い人なのだろうか?
まぁ、政治家は一応わかる。
しかし、政治家だって世論や状況次第で成り上がる職業だ。
偉いと一概には言えないのではないのか?
それに青年会議所や祭りにはあまりいい印象がなかった。
青年会議所は僕の中では地元の中小企業の二世のボンボンが溜まって酒を飲んでいる組織という印象だったし、祭りの連絡協議会というのも、どうにも地域の胡散臭い利権団体のように感じられた。
ごく普通の「地盤看板なしに毎日の仕事に努力している」人というのとは違う層のような気がした。
「村木、お前、どうしちゃったんだ?」
思わずそんな言葉をつぶやいていた。
隣で坂口がニヤニヤと笑った。
一方で村木は、心外というように目を見開いた。
「どうしたもこうしたもないがな。俺はもともとこうなんや。昔から、一日中。この社会が世の中がどうやったらよくなるかなって考えてるんや」
早口でまくし立てるその言葉は、どこか空虚に感じられた。
屏風に書かれた景色のような、紙をはがせば消えてしまうような。
坂口が横やりを入れた。
「お前さ、俺らと同級だった頃、そんな“憂国”の士だったか?」
「そ、そうや! そうやで!」
「そんなら証拠見せてみろよ。おまえさ、いつから政治にはまった? 政治に詳しくなった? 世の中よくしたいって言ってるけど、当時なんかやってたか?」
村木は答えなかった。
「右翼と左翼の語源知ってるか? 保守主義ってどこの国で生まれた思想か知ってるか?」
その問いかけにも村木は答えない。
坂口はさらに続けた。
明らかに酔っている様子だった。
「お前の世の中を良くする行動って具体的になんだ? その横尾先生の選挙の応援することか。そいつが当選するためにほかの議員の悪口を言って回ることか? ん? 大方そうなんだろ」
坂口はそこで大きくげっぷをした。
「大体予想がついてるんだよ。お前が入ってる組織、たぶん“本当“の愛国者団体じゃないよ。特定の候補の応援のために組織された偽愛国者団体だ。察しが付くよ。その横尾先生の応援のために妨害した議員の名前全部上げてみろ。本当に売国的な連中か調べてやる。選挙基盤が被るからって理由で、まっとうな保守系の議員にも難癖付けてるんじゃないのか? それともお前にはその違いも分からないか?」
そこまで言い捨てた時。
村木のごつい拳が机を叩いた。
激しく、強く。
「黙れ、黙れよ」
腹の底から響く声でそうつぶやいた。
坂口はそんな彼に流し目をして
「黙ればいいんだろ」
と呟き、ハイボールを飲む作業に戻った。
※
そのあとは湿っぽい飲み会になった。
我々の言い争いが響いていたのだろう。
どことなく気まずい、空しい時間を全員が過ごすことになった。
ふらつく足で居酒屋を出ると、入り口付近で“同病相哀れむの会”は解散となった。
僕と坂口は途中まで同じ方向だったので、二人して駅の北口の裏側の路地を歩いた。
後ろをついてくる人物があった。
村木だった。
「ほっとけよ」
坂口がつぶやいた。
だが、僕は少し気味が悪かった。
酒に酔った村木は何をするかわからないぞ。
そんな思いがあった。
事実、ふらふらと我々の後を追う村木は、「うぅ、うぅぅ」とおかしなうめき声をあげていた。
酔っている。
酔いすぎている。
そのとき、背後でガラスが割れる音が聞こえた。
振り向くと村木が、路地裏に放置されたビール瓶を蹴って割っていた。
飲食店の裏口でもあったのか、いくつかのビール瓶があった。
それを力任せに、蹴り、割り、まだ割れていないものに関しては手に取って壁に投げつけた。
「おい、やめろよ村木」
僕がそう言うと、村木は
「馬鹿にしやがって! 馬鹿にしやがって!」
と幾度も叫んだ。
そしてまた「うぅぅ、うぅ」とうなり、悔しげに唇をかんだ。
このまま放置すれば、問題を起こしてしまいそうだった。
少し逡巡して僕は、携帯を取り出した。
「警察。呼ぶよ」
そう言って110番を打とうとした瞬間。
「やめろ!」
叫んで村木が僕にとびかかった。
「ちょっ、やめろ、危ないだろ、おい」
取っ組み合いになる。
地面に倒されると割れたガラスで背中を切りそうになった。
「何してんだよ!」
坂口が叫んで、取っ組み合う僕たちに加わった。
この男も酔っていた。
今ここに加わってどうしろというんだ。
僕がそう思った時、喉元を強くつかまれた。
村木が僕の喉をつかんでいた。
ざらついた皮膚が僕の喉を絞めようとする。
後ろには割れたビール瓶があった。
このまま絞められても、あるいはビール瓶に向かって背筋を押し付けられても大怪我だ。
ぞっとした。
ぞっとしたが、どうすることもできなかった。
「村木ぃ!!」
坂口が声を上げて突進してきた。
彼の体が僕たちにぶつかった瞬間。
僕たちは、別の世界へと、飛ばされた。
(続く)