「は? え?」
僕は間抜けな声を上げた。
続いて、数人の男が入ってくる。
彼らも同様に、とても人間的とは思えないのっぺりとした無表情だ。
そして髪型は一様に短く切りそろえられていた。
“奴ら”そのものだった。
僕は、足が震えるのを感じた。
どうした?
どうなっている?
僕は助かったのではないのか?
僕は助けられたのではないのか?
考えろ、頭を回転させろ。
待てよ、まさか僕を助けてくれた日本兵は、襲撃にあったのか?
この部屋の向こうで“奴ら”に襲撃されてしまったのか?
そして次の狙いを僕に定めて入ってきたのか?
そんな。
そんなまさか。
そんな。
“奴ら”にしか見えない、のっぺり顔が僕のほうへと一歩、二歩と歩み寄る。
そして、僕の目前に来るとぴたりと立ち止まり。
敬礼をした。
僕には訳が分からなかった。
僕が反応できないでいると、今度は部屋の片隅へと移動し、壁に貼ってある国旗に敬礼をした。
残りの数名も同じ行為をした。
そのあと僕は、彼らに連れられて、別の部屋へと移動させられた。
危害は加えられなかった。
どういうわけなのかわからないが、“奴ら”は、日の丸の国旗に対し、何らかの畏怖を抱いている様子だった。
そういえば、祭壇に掲げてあった国旗にも祈りのようなものをささげていたことを思い出した。
どんな経緯があるのかわからない。
だが、“奴ら”は、国旗を持っているから僕を攻撃しなかった可能性があるぞ、と思った。
別の部屋には、さらに数人の“奴ら”がいた。
その中には“奴ら”そっくりになった村木がいた。
村木は僕を見てもただただ無表情だった。
そもそも“奴ら”には表情がないのが特徴であるわけだが。
何をすればよいのかわからず、そこに立ち尽くしていると、また新しい人影が現れた。
それはなんと、坂口だった。
坂口は、服をはぎ取られ、丸裸だった。
生きていたのか、と僕は感嘆した。
だが同時に、奇妙さを感じた。
坂口の表情は、村木のようにのっぺりとしていなかった。
それは、顔立ちそのものは坂口のものだった。
だが、彼は彼で異常だった。
気力をすべて失い、意気消沈し、体の力がすべて抜けてしまっているような様子だった。
事実、彼は、後ろから“奴ら”の一人に押されて歩いていた。
その様子が何かに似ていた。
思い当たると、それは、あの猿だった。
だらっとダレた坂口は、僕の前まで来ると、少しだけ表情を変えた。
何かを言いたげだった。
だが、言葉は出てこなかった。
いったい、何が始まるのか。
そう思っていると、僕の背後にいた“奴ら”の一人が、一歩前に出た。
彼は僕を見た。
僕があいまいに笑っていると、今度は坂口のほうを向いた。
そして、小さな刃物を取り出して坂口の肩口を切りつけた。
坂口は呻かなかった。
その点もあの猿と同じだった。
呻かず、ただ悲しそうな眼をした。
そして、傷口に羽虫が群がった。
室内とはいえ、掘立小屋のようなものだ。
いくらでも羽虫は入ってくるらしい。
やがてすぐに芋虫が湧き出した。
切り付けた男が、それを口で吸いだして食べる。
悪臭が広がる。
僕はまた吐きそうになった。
食べ終えると、男が振り向き、僕に何かジェスチャ-をした。
もう、予想はついていた。
食べろ、という意味だ。
僕は、ほんの少し逡巡した。
だがほかに選択肢はなかった。
食べなければ殺されるかもしれない。
僕は、坂口の傷口にしゃぶりついた。
口の中に芋虫が入ってきた。
もそもそと動くそれは、ひどく気持ち悪かった。
ええぃ、ままよと噛む。
悪臭に耐え切れず吐き出すわけにはいない。
急いでそれを飲み込んだ。
※
この日から、僕と“奴ら”の奇妙な共同生活が始まった。
“日の丸”を持っている限り、僕が危害を加えられることはないようだった。
僕は比較的自由を許され、この竪穴式住居のような穴倉の中でぼんやりとしていることができた。
村木はこの穴倉には入ってこなかった。
彼を見かけるのは“食事”の時だけだった。
“奴ら”と寝食を共にしているらしかった。
彼はもう、完全に“奴ら”に溶け込んでいた。
何かに感化されやすい村木の元の特性通りといえばその通りだなと、つい苦笑してしまうことがあった。
いや、村木はもう、“奴ら”そのものになっているのかもしれなかった。
一方で坂口は、日に日に狂っていくようだった。
彼は猿と同じように麻痺させられ、茫洋の海に意識を漂わせていた。
しかし、食事の時間にナイフを突きつけられるとき、あるいは、僕を目の前にするとき、表情がかすかに変わる。
その目つきが、そのまま固定化され、沈着し、彼のそのままの表情になる。
恐怖や怒りや戸惑いやいろいろなものがない交ぜとなったその表情が、少しづつ深まっていく。
数週間もすると、彼の表情は元から歪み、やつれ、完全に狂人のそれとなった。
あるいは人間らしいとも僕は思った。
彼と同じ境遇の猿やら獣たちは、狂人の表情には辿り着かないからだ。
もしかすると単純に、人間の僕にはほかの獣の表情は掬い取れないだけなのかもしれないが。
そう考えると、“奴ら”も、僕がわからないだけで彼ら特有の表情の機敏があるのかもしれない。
芋虫を食べることにようやく慣れてきたころに、新たなひどい体験があった。
“奴ら”の娘仔を一人、与えられたのだ。
ある夜、唐突に連れ出され、柔らかい毛布を引いた部屋に寝かされた。
するとそこに、のっぺりとした顔の少女が入ってきた。
雌のタイプもいるのか、と、僕は独り言ちた。
その女が、僕に覆いかぶさった。
性行為をするようだった。
抵抗することはできなかった。
下手な抵抗をすれば殺されてしまうかもしれない。
抗うすべはない。
僕は完全な囚われの身だ。
飼われているようなものなのだ。
女は、まだ若く、その異常にのっぺりとした顔立ちを除けば、美しい体をしていた。
やわらかい乳房や丸みを帯びつつも華奢な腹が、僕に覆いかぶさると、僕は行く当てのない興奮を覚えた。
勃起をしてしまうことが悔しかった。
こんな得体のしれない生物に興奮したくない。
そう理性が叫んでいるのに、性的本能は抗おうとする。
僕は自分自身に反吐が出そうになった。
女は、行為の間、一言も発さなかった。
オーガニズムの際ですら表情一つ変えなかった。
しゃもじに絵でかいたようなのっぺりとした顔を震わせ、イったのかイっていないのかわからない様子でイった。
射精した時、僕は自分の体内に飼われている精子のことを思った。
まるで虫のような精子たち。
僕だってなんだ、体に虫を飼っているじゃないか。
折り重なるようにして、僕の体の上に倒れこんだ女の体温を感じながら、その女の体内に、大量のあの芋虫が巣くっている想像をした。