あてがわれた穴倉部屋の中に、面白いものを発見した。
それは古びてボロボロになった日誌だった。
開いてみると、古めかしい文字で短い文が書き連ねられていた。
それは陣中日誌だった。
戦時中の兵士の中には、行軍の記録を残していたものもいたと聞いたことがあった。
これでいよいよ、この穴倉をもともと使っていたのは日本兵だということが明らかになった。
僕は、パラパラとページを繰った。
⦅〇月〇日⦆
〇〇江の畔に出向き、死骸の駆除を命じられたり。折り重なる死骸からはひどい悪臭なり。
⦅△月△日⦆
食料が足りず、村から調達せねばならなぬ。抵抗したものを突く。鬼になりし気分。
⦅□月□日⦆
敗残兵三名を見かける。刀を持っていたので銃殺する。
そんな簡潔な記述が連なる。
内容はまぁ、ほとんどが毎日のちょっとした出来事だ。
上官にひどい仕打ちを受けたこと、敵を殺したこと、遺体の処理を命じられたこと、刀の刃が欠けたこと、食料が足りないこと、捕虜の扱いに悩むこと。
大変な状況であるはずだが、簡潔な心理描写で淡々と進む。
それは、この日記を書いた男が、単純に乾いた文体であるのか、それとも戦争が毎日の日常であり、もはや心理の揺れを失ってしまっているのか。
僕にはわからない。
だが、危機的状況の連なりの中で麻痺していく気分はわかるような気がする。
さほどの内容がない記述であるにもかかわらず、僕はページを繰る手を止めることができなくなっていった。
やがて、日誌の後半のある個所から、明らかに記述の内容が変わっていることに気が付いた。
⦅…………いったい、何事であろうか。敵対と交戦中であったはずが、気が付けば全く違う場所にいた。私だけではなく、第三中隊の全員である⦆
僕はそこから先を目を皿のようにして読んだ。
どうやら、彼ら第三中隊は、この世界に転生したらしい。
そこには、異世界での戸惑いが描かれていた。
慣れないものを食べ嘔吐で死んだ者の話。
崖から足を滑らせ落ちてしまった者の話。
川におぼれて死んだ者の話。
あるいは大きな獣を狩ろうとして大けがをおった者の話。
そんな悲惨な記述の合間に、残った食料を奪い合った話や、隠れて食って殴られた者の話、故郷の思い出話や、下世話な話など、ちょっとした日常の出来事が挟まれていく。
やがて彼らは、この地域にたどり着いたようだった。
そこには、黒い川のほとりに野営を築くとある。
黒い川は、一見、濁って見えるが、実は安全である。
飲むことができる。
それどころか、非常に肥沃である。
魚がたくさんいて、食べるものに困らない。
また、羽虫と芋虫に関する記述もあった。
この地域の森の羽虫には気をつけるべしとある。
ふむ……。
ここまで読んで、僕は何か違和感を感じていた。
それが何なのかを考える。
考えて、そして一つ、行き着くものがあった。
“奴ら”に関する記述がない。
他のほとんどのことは記述があるのに、“奴ら”の記述が出てこない。
これはいったいどうしたことか。
……。
ページを繰る。
すると、文字は、そこで唐突に途切れていた。
この土地にやってきて、ようやく安寧を得る。
安全な水のある肥沃な大地だ。
そこまでで終わっている。
僕が日誌を閉じると、“奴ら”が入ってきた。
部屋をじっと見まわし、日の丸に頭を下げる。
そして出ていった。
この時、僕の頭の中に一つの想像が浮かんだ。
――まさか、日本兵は“奴ら”なのではないのか。
“奴ら”は、日本兵の慣れの果てなのではないのか。
気になったのは、川に関する記述だった。
黒い川は安全で飲めると書いてあった。
だが、本当だろうか?
もしも、黒い川の影響で彼らはあなったのだとすればどうだ?
僕は村木と坂口の差を考えてみた。
村木は、あの川のそばで撃たれた。
いや、川に手を浸してごしごしと手を洗っていた。
一方、坂口はそんなことはしていない。
そして日本兵たちは、あの川の水を飲んでいた。
僕は、宿主を動かす寄生虫の存在を、昔雑誌で読んだことを思い出した。
レウコクロリディウムという吸虫の一種は、カタツムリの触覚に寄生し、その脳をコントロールする。
異様に膨らみ、芋虫のようになったカタツムリの写真が載っていたような気がする。
他にも、猫に寄生する寄生虫がいて、それは人間の脳にも寄生しうるのではなかったか。
僕たちが暮らしていたあの世界ですらそういった寄生虫が存在するのだ。
この異様な世界では、もっと恐ろしいもの……人間に寄生し、その人格をコントロールし、外見も変化させる……そんな生物が潜んでいてもおかしくはない。
…………。
僕はため息をついた。
どうかしている。
だめだ。
嫌な想像が止まらない。
いったい僕は何を考えているんだ。
人格をコントロールされた日本兵?
それならばなぜ、彼らは国旗に敬礼するというのだ。
それは、生き抜くために必要か?
……。
…………。