いつもポッケに日の丸を   作:忍者小僧

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「なぁ」

 

坂口が問いかけてきた。

 

「なんだ?」

「あのさ、匂いが風に乗って強くなっていないか?」

「そうだな」

「ということはさ、匂いの源があるということだと思う」

「え?」

「考えてもみろよ。この悪臭が、空気と同じだというんなら、どこにいたってどの状態でも同じはずだ」

「ということは」

「あぁ。発生源があるんだ」

 

坂口が指先に唾液をつけて宙にかざす。

 

「風上は……あっちだな」

 

森の奥深くを指した。

 

「…………」

 

僕はその森の奥をじっと睨んだ。

 

「行ってみようか」

 

坂口が言った。

僕は唖然として問いかける。

 

「行く? 森にか?」

「あぁ」

「何を言ってるんだ。こんな得体のしれない場所で。何が起こるかわからないんだぞ」

「何が起こるかわからないのはここだって同じだ」

 

坂口が強い口調で言った。

 

「ついさっき。ここにいて。村木は死んだ。川の向こう岸には敵がいる。ここが開けた場所だからって安全なのは幻想だ」

「だからと言って」

「食料もない、水もない。どのみちこのままここでじっとしていても飢えて死ぬ。それなら俺はなんだってやる」

 

いうや否や立ち上がり、森へと歩を進める。

 

「ま、待ってくれ」

 

一瞬戸惑いながらも、僕も後を追う。

駄目だ、麻痺している。

感覚が茫洋としている。

正確な判断が失われていく。

 

「見ろよ」

 

数歩、森に踏み込んで、坂口がどこか嬉しそうに言った。

 

「道だ。獣道だ」

 

足元に視線を移すと、確かにそこには踏み均された跡があった。

この森を定期的に行き来する何かがいるということだ。

 

「進むぞ」

 

自分に言い聞かせるように坂口がつぶやいた。

僕も、覚悟を決めるようにうなづく。

森は静かだった。

音という音がしない。

時折ただ風が吹いた。

この深いうっそうとした森の一体どこに風の通り道があるのかわからなかった。

夜が近づいていた。

日の光を遮断する森はなおさらに暗くなるのが早い。

獣道はほぼ一直線ではあったが、それでも自分たちが本当に正しい道を歩んでいるのかどうか、恐ろしくなる。

そもそも、この先に進んでいくことが正しいのかどうかもわからないのだが。

どうすればよいのかわからない。

そんな恐怖は、僕の心の中で雨漏りの雫のように溜まっていく。

それはすぐにあふれてしまい、心の中に海ができる。

僕はその海に浮かび、どうすればよいのかわからず途方に暮れている。

がさり、と音がした。

何かが少し先に落ちてきた。

 

「木の枝だ」

 

坂口が言った。

それは確かに木の枝だった。

だが、まるで動物が木から降りてきたかのように錯覚した僕は、足が震えてしまった。

ポケットをまさぐった。

日の丸のハンカチを強く握りしめる。

今や僕は、村木の後継者のようになってしまっていた。

この、何かを握りしめるという行為。

偶像に身をゆだね、己の心を補強するという行為。

それがこんなにも、この圧倒的な恐怖の渦中にあって、有用だとは。

僕は震える声でつぶやいた。

 

「だ、だめだよ」

「どうしたんだ?」

 

坂口が不審げに問いかける。

 

「怖い。怖いんだ。足が、すくんでしまった。村木と同じだ。同じになっちまった」

「何が同じなんだ」

「さっきから、その。日の丸を握りしめてなきゃ、心が落ち着かないんだ。壊れてしまいそうになるんだ。前に進めないんだ」

 

ちっ、っと坂口が舌打ちをした。

 

「そんならそれでいいじゃないか。ずっとそれを握ってろ。それで安心するならそうやって前に進め」

 

僕は、こくこくと頷く。

頷くと、汗が顎を伝い落ちた。

 

「お前がうらやましいよ」

 

坂口が言った。

彼の口調にはわずかに柔らかさが戻っていた。

 

「そんな布切れ一枚に心を委ねることができるんだ」

「お前はだめなのか?」

「俺は駄目だね。俺は、ギターが欲しいな。かき鳴らしたい。めちゃくちゃに。そんでもって、あぁ!って叫びたいよ。でも無理だ。こんな世界にギターがあるはずがない」

 

そこまで言うと、彼は唐突に足を止めた。

 

「な、なんだ、坂口?」

「静かに」

 

そして、鼻をスンスンと鳴らす。

 

「匂いが強くなっていないか?」

「……確かに」

 

例の激しい悪臭が備考の奥底までぬとぬとと犯してくるような感覚があった。

確かに、匂いが強くなっている。

それは断続的に、強くなり、少し弱まり、また強くなる。

 

「駄目だ。頭が痛い」

 

坂口が顔をしかめながら、大きな樹木の木陰へと移動した。

そしてそこから僕を手招きする。

僕が同じように木陰に移動すると、指で先を指した。

 

「……見てみろよ」

 

その先にあったのは信じられないような光景だった。

まず目に飛び込んできたのは、一匹の獣だった。

地球で言うところの猿に近いような獣だ。

それが、祭壇のようなものの前で縛り付けられていた。

そう、祭壇だ。

それは明らかに宗教色の強い建造物だった。

つくりそのものはいかにも未開の文明といった様子だ。

石を不格好に削り作り上げた、ごつごつとしたプリミティブな石段が円形に並べられている。

その円形の中央に、木を結わえて敷居のようなものを作っている。

その敷居の中が神域という意味合いなのだろうか。

猿は、そこに寝ころばされ、何らかの紐のようなもので動けなくされていた。

 

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