「やった! やったぞ! こいつら、身じろぎもしない。死んだような目でじっとしてやがる。飯だ。飯にありつけるぞ! おい、藤原!」
「あぁ……」
僕は気のない返事をした。
体から力が抜けていた。
妙な気分だった。
体がふわふわと浮ついて夢遊しているようだ。
体に芯がなくなってしまっている。
その理由はなんとなくわかっている。
僕は空しいのだ。
これからの先行きが不安すぎるのだ。
今、仮にあの芋虫の食料を手に入れて一日を生き延びられたとしよう。
だが、明日も生きられるという保証はない。
明日になるともう我々の存在に気づいた“奴ら”が猿を隠してしまうかもしれない。
そうなると、お手上げだ。
今後もずっと、何らかの方法で猿を見つけ出して、芋虫のおこぼれをもらうのか?
どこかに隠れて?
それでは我々があの血にたかる羽虫ではないか。
図体のでかい、人間という羽虫。
羽虫になるにはデカすぎる。
何かに寄生するようにして“おこぼれ”をあずかって生きていくには、どこまでも小さくなくてはいけない。
それにそもそも、坂口だって心の奥底ではわかっているのではないのか。
こんな異世界で長期間生きぬことなど不可能に近いということを。
先ほどの日本兵の遺品。
おそらくは武器を持っていた日本兵ですら、“奴ら”に捉えられて殺され、生贄か何かにされた可能性が高い。
祭壇に遺品を鎮座させてあるのは、そういうことなのではないのか。
古代神話などではよく、強敵を殺し、その魂を鎮めるために祀ったりする場面がある。
それと同じことだろう。
多分異世界転生して、武器を持っていた日本兵は“奴ら”の強敵だったのだ。
それを駆逐したからこそ、あぁやって祀っているのではないのか。
僕は……祭壇の旗をもう一度見た。
日本国旗。
村から見送られて戦地へと赴くはずだった日本兵。
何の因果か異世界へと転生した日本兵。
「藤原!」
思考を中断させるかのように、坂口が僕の名を呼んだ。
彼はもう、檻の扉をはずしていた。
それはかなり簡素なもので、木材一本をつっかえ棒にしているだけだった。
「……なんだ」
「なんだじゃない。手伝え。少しでも早く食料を得よう」
そう言いながら坂口は、一匹の猿を連れてきた。
先ほどの猿だろうか。
猿はぐったりとして、力ない様子だった。
“奴ら”の命令に従うことに慣れているのか、坂口が、首に巻き付けられた首輪の紐を引くと、うな垂れて後についてきた。
「お前、こいつを動かないように抑えていろ」
「抑えるって、どうやって!」
「簡単だろ。ほとんど動かない。後ろから羽交い絞めにしておけ」
彼はもはや、僕たち二人の間では、行動の指揮者だった。
僕は、従うしかなかった。
言われるがままに猿を後ろから抱きかかえる。
動物独特のごつごつとした筋肉の硬さがあった。
パサついた体毛が、どこか気持ち悪かった。
「傷さえつけばいいんだ」
そう言って、坂口が足元に転がっていた石ころを握りしめ、猿の体を強く殴打した。
猿は、声なき叫びをあげるように口をぴくぴくとさせる。
その様子はむしろ、坂口のサディスティックな部分を喜ばせたらしかった。
彼はさらに続けて猿を殴打する。
石で殴られ、皮膚が破ける。
血が流れる。
するとすぐに、羽虫がたかってきた。
僕はたかってくる羽虫を気持ち悪いと感じたが、坂口は気にならないようだった。
彼は、羽虫がたかってきても、そのまま無言で、無我夢中で、猿を殴打し続けた。
そうすることだけがいま彼の至上の喜びであるかのように。
「見ろよ。芋虫だ。芋虫が現れたぞ」
息を荒くして坂口が言う。
確かに、傷ついた皮膚を割き、芋虫が這い出していた。
「食料だ。食料。俺は食う。俺は食うぞ」
彼は、その一匹を手に取り、口に含む。
プチっと音がして、あのひどい臭気が広がった。
僕はハンカチで鼻を覆った。
坂口は、涙目になりながら、匂いをこらえているようだった。
急いで芋虫を飲み込む。
「はぁ、はぁ……くそっ。この匂いだけはどうにかならないか。だが……まったく耐えられんというものではないな」
そう言いながら、口元をぬぐう彼の掌に、何かが蠢くのが見えた。
「お、おい、坂口、それ……」
僕はつぶやいた。
「ん?」
何気ない表情で坂口が己の掌を見て、唖然とした表情になった。
芋虫だった。
坂口の掌の小指に近い部分から、芋虫が這い出している。
「うわっ!」
坂口は大慌てでその芋虫を払い落とした。
「お前、けがをしたのか?」
「くそっ。どうやら、強く石を握って殴ったから俺の皮膚も少し裂けたらしい」
そう言って、猿をにらみつける。
「この! くそが!」
今度は石を握らず、猿を右のこぶしで強く殴った。
「馬鹿にしやがって! お前のせいで!」
地面に転がった猿に、力いっぱいの蹴りを入れる。
数発目の蹴りを入れた時。
猿が突然、首をもたげ、坂口の足首に噛みついた。
それはあまりにも唐突な動作だった。
猿を舐め切っていた坂口は、突然の反撃になすすべもなく、足元を掬われた。
彼は、足を噛まれてその場に倒れこみ、猛烈な痛みにのたうち回った。
それとほぼ同時に、羽虫が大量に彼の足元……おそらくは肉が破れ、引き裂かれている……に群がってくる。
「うあっ、やめろ、くそっ!」
はたくように羽虫に抗うが、人間の手で完全に払いのけることはできない。
小さな小さな羽虫が、次々と坂口の足の深い傷跡に卵を産み付けていく。
傷跡が深ければ深いほど奥深くに。
卵が植え付けられていく。
どうすることもできず、その様子を見ていた僕の背後に何かが立った。
気配で分かった。
恐ろしかった。
「おい、藤原。助けてくれ! 藤原!」
坂口の声を無視して、僕は振り返った。
そこには。
のっぺりとした表情に変わった、村木がいた。