というわけでお待たせいたしました。
前よりはゆっくり目だと思いますですが、第二章「虚飾に棲むもの」スタートです。
そしていきなりの、ゆっくり(グロ)注意警報
未知なるカナンに真実は求めない
八坂真尋は迷子になっていた。いや、当然ながらそれは彼が今いる場所が既知の場所ではないからに他ならない。見知らぬ森をほぼ直感で抜けた際、巨大な落とし穴のようなスライダー状の何かに落とされ、気が付けば石造りの遺跡が跋扈するこの領域に落とされた訳である。
時折ささやき声というか、何か生き物がうごめいているような音が聞こえる――――。真尋はひどく慎重に足運びをしていた。これは彼自身がすでに体感しているいくつもの不条理な経験に基づく判断力からくる行動である。抜き足、差し足、忍び足。真尋自身、思えばこういった行動もだいぶ慣れてきたと思い始めていたが、しかして考えてみればそういうあれこれは一週間、二週間も経過していなかったのだという事実が口を開けている。もはや考えるだけ無駄という世界の話ではあるが、世は中々不条理に満ち溢れていた。あるいは狂気が跳梁跋扈しているといえるかもしれないが、あいにくとそれを考える余裕は彼にはない。左腕に巻かれた腕時計状の道具、十面ダイスが二つ取り付けられたような装置の動作に気を配りながら、真尋は壁伝いに足を運んでいた。
「いやいや夢だよな、これ」
俗に夢の中において、それが夢であると当事者が自覚的である夢のことを明晰夢と呼び、当事者の想像力によりある程度の統制が可能であるとか言われているが、しかし残念なことに真尋の眼前に広がる遺跡からは、とてもそんな生易しい気配を感じ取ることが出来ない。というか、そもそも真尋の身体もどうかしている。声も違うし、視界はほんのり緑色のフィルターがかかっており、皮膚はざらついた感触。こころなしか爪先は玉虫色の輝きを帯びている。現実には決してありえまいこの状態であるが、しかして八坂真尋という存在の実態、真実について考えた際はあながち的外れでもないかもしれない状況でもあり、それが彼の中に嫌な感触を覚えさせる。
「これ地下鉄か? ……妙に人類文明を想起させるんだが、ここ」
最初の落とし穴こそ土だの石だのといった作りではあったが、しかし抜ければ抜けるほど、地下に行けば行くほど、どんどんとその場所は鉄やらコンクリートやらで出来た、れっきとした文明を感じる造形へと変貌していく。そんな中を、真尋は「得体のしれない何か」と遭遇しないよう注意しながら足早に、かつ音を立てないよう動いていた。と、生物らしき足音がこちらに向かってくる音が聞こえる。とっさに入った曲がり角は行き止まりで、下の方に横穴があいている。人間一人程度が入ることができそうではあるが、それがどれくらいの長さを誇っているかまではわからない。
とっさにしゃがみ込んだ真尋。横穴は開けた場所には続いていないが、すぐに壁伝いの棒梯子が下に続いている。横を見れば、どこか人間らしからぬ獣のような尾をもった影が見え、真尋にとって判断する時間はなかった。すぐさま穴に入り、足を踏み外さないよう慎重に梯子を下る。
梯子は異様に長く、下方に明かりが転々としているがとても底が見える範囲にない。だが、下に降りれば下りるほど逃げ場はそこにないのだが、しかしなぜか真尋は下方に向かうべきであるという直感があった。そこに何か、自分の探しているものが存在するという確信があった。しかし「何を探しているのか不明慮である」というのが明確に彼の脳裏に刻まれてはいたのだが、そこに疑問をもてど、そもそもここそのものが当てのない場所である。事実上とれる選択肢がない以上、真尋にできることはもはやそこを下るばかり。
ふと思い出したように、真尋は口にくわえていた松明を見る。何故、ペンライトをもっていたはずなのにこんなものを持っているのか、そもそもこんなもの咥えられるほどに自分は顎の力があったかとか、色々疑問を思い浮かべながら真尋は梯子を伝っていく。途中に休憩するところもなく、ただひたすらにそれしかできることもすることもない。かつかつと、彼の足音だけが場に響く。他の音もなく、閉鎖された環境。周囲を見渡せば、どうやらここは何か巨大な壁の一角であるということだけは解る。しいて言えば、何かとてつもなく天井の高い通路の一角というのが正解か。松明を除けばぼんやりと紫色の光がどこからか灯っているのみで、これはこれで段々と思考が鈍化していく。ひたすらに下りることに注意を払わなければ、腕や足の筋肉が悲鳴を上げるのみだからだ。
と、そんなタイミングで視界の端に赤い光が見える。どうやらこのあまりに巨大な通路の奥側から、何かがこちらに向かって動いているような。ごうごうと風の音とも、それとも「巨大な生物の呼吸音」ともつかないそれが聞こえ、真尋は思わず止まり、その方向を見た。目を大きく見開き、わずかに体が震え、左腕の装置がからからと回転する。
「あっ」
一瞬注意が散漫になったからか、口から光源を取り落としてしまった真尋。だがさほどかからず、下方で光が散り、木目から割れるような音が鳴る。どうやらここのゴールは近いらしい。だが、真尋は本能的な恐怖からか腕が震えるのを抑えることができなかった。気が狂う、ということだけは決してない確信があるも、何か、人間がふれてはいけない、人間が見てはいけないものがこの奥で蠢いている――――。その確信が全身にいきわたった瞬間、ここまでの蓄積していた疲労がいっきに吹き出し、腕も足も力が入らずそのまま落下した。
肩から激突した真尋は、痛みよりも全身の震えの方の感覚が大きかった。骨が折れている様子もない。大きな打撲をしたわけでもない。だが、とてもではないが動くことが出来ない。いや、震える以外の動きがとれない。
「な、なんだよこれ、なんだよここ――――いや違う、オレはこれが何か知っている。知っていなきゃおかしい。いや、絶対おかしいだろ知ってたら。でも知っているはずだ。知っている。なんでここは――――こんなに――――」
次第に真尋の視界に、彼の記憶にない光景が映し出される。それだけの高さを誇る建物の天井に合わせたような「巨大なサイズの人類が」、中世風の服をまといこの場を行き来している映像がフラッシュバックする。見渡せば紫の明かりはより爛々と輝いており、その場所でさらに人間が歩く先は、そしてその人間たちが何を目的にしているのかは――――。左腕の装置の回転が止まる。21、という数値が真尋の脳裏に描かれると同時に、そのフラッシュバックは一度止むが、止んだところで彼の絶叫はとめられるはずもない。
気が付けば真尋は、まったく別な場所にいた。いや、これも記憶が混濁しているせいなのだろうか、いやに現実感を否定したかった夢と違い、さらに現実感が薄い。周囲一帯は暗い空に白い渦が巻いている。その割に自分の視界は異様にはっきりしており、ぐるぐると渦を巻いている雲の形も、やけに懐かしく感じる。そんな場所で真尋は膝枕をされていた。感触はやわらかく、だが決してそれはふくよかな感触ではない。必要な大きさ太さであり、かつ必要な弾力を併せ持っている。
ふと見上げれば、彼女は真尋の頬をやさしく撫でて微笑んでいた。肩の大きく開いた、赤いドレス姿。大きな胸部を強調する形にはなっているがいやらしさというよりも妖艶さを感じさせる。流れるような肩甲骨からのライン、白い肌に整った顔。頭には黒いベールをかぶった黒髪の女性。ワンポイントでレースがついており、そして真尋を見る目は慈愛のようなものが含まれている。目の色は赤く、額にはチャクラが一つ。長い黒髪は後ろにまとめられており、絶世の美女といって差し支えない。だが真尋は知っている。この姿が一体何に由来したものであるかを知っている。これは自分以外の人間がみれば、大半は世を惑わせかねないような、そんな醜悪な悪意が裏にある姿であると。
「選択肢は、貴方に与えられているのですわ。貴方が留まるか、それとも流れ落ちるかは」
「アンタは――――」
「ただ、お気をつけなさってください、旦那様。留まるということは、常に走り続けるということ。たとえどれほど、わたくしが手を貸したところで、最後の最後で選び取るのは貴方なのです。それでも願わくば、わたくしは旦那様を愛していたいのですが」
だが何故だろう、真尋はこの女性を知っている気がする。
気が付けば場所は変わる。もともと自分が落ちただろう、上の見えない境界の壁。膝枕をしている彼女は薄く微笑むばかり。視界を下にそらせば、黒い、人間のようなシルエットの腕や足が転がっている。全体的なことで言えば暗所ゆえに見えないというのが、功を奏しているのかいないのか。
「あ――――」
* * *
「――――っ」
脂汗が唇を伝うような、妙な感覚を覚えて八坂真尋は目を開けた。
学校の屋上。はて、何故こんなところにいるのだろうかと真尋は違和感を感じる。いつものように教室で、彼の親戚である彼女(親戚を自称する彼女が正確)と他愛もない話をしていたはずなのだが、一体全体何が起きたというのか。腕時計をちらりと見れば、もう間もなく午後一時に差し掛かるか差し掛からないか。
風は春を少し過ぎているころ合いにもかかわらず寒さを感じさせる気候で、彼の居住区が本州北方に位置していることを如実に意識させるにもかかわらず、真尋の全身は濡れていた。寝汗というにはじっとりとしたもので、何か言い知れぬ違和感を覚える。
なんだと思いながら現状を思い起こそうとするも、おぼろげな夢の記憶を放棄することができない。真尋の直感が、その夢が何か、これからの彼に必要な事柄を示していると如実に語っている。ただ残念なことに、うすら寝ぼけているせいもあってか、その記憶には異様に美しい、赤い女性のことしか残らなかった。
「って、今何時だっけ? ……あ、いや、やばいやばい。昼休み終わるじゃないか」
ぼうっとした頭を振って二度時計を確認し、真尋は慌てて立ち上がる。そのまま屋上出入口に走れば、扉の鍵は当然のように空いていた。あとで教師に教えないといけないか、と案外と真面目なことを考えながらも走る。途中、少し踏み外しそうになりながらも、真尋は器用にバランスをとって速度を落とさなかった。
「なんで屋上で寝てたんだ……? いや、教室で寝てたっていうんならまだわからなくもないけど」
まあしいて、そんな意味のなさそうなことを自分に仕出かすとすれば
「……そこはかとなく『アレ』の亜種にそんなのがいたような、いなかったような気がしないでもないが……。って、いや、まああえてそういうのを、お約束みたいに網羅するようなヤツでもないか?」
他者が聞けば訳の分からない、しかし真尋にしては如実に真実を示すだろうひとりごとをつぶやきながら、途中ぶつかりそうになる生徒たちをかわす。
「しかし、最近あの女の顔、よく夢に見るような気がする。……例の、あの後くらいからか」
数週間前、真尋はこの世のものとも思えない凄惨な、この世と自身の真実に直面し、命からがら生還した。もっともそれが彼の現在の生活に何か影響を与えているかと言えば、まあ大きくはない。いつものように学校に通い、普段通り帰宅し、ときどき寄り道したりするくらいだ。変わったことといえば転校生が来たことくらいだが、意外と彼は、初恋の喪失感を感じずに暮らしている。
「いや、まあ喪失というかそれ以前の問題ではあるんだろうが……」
そして教室の扉を開けた瞬間。
――――――真尋の全身に、真っ赤な液体が降りかかった。
「……は?」
眼前。真尋の理性は理解を拒もうとしたが、しかし手遅れだった。
真尋に降りかかった液体、間違いなく正体は血だ。人間一人の首を掻っ切ったものが、直接噴射され、まったく勢いを殺さず彼に襲い掛かったのだ。真尋の正気度はその襲撃、光景の鮮烈な赤さと充満する鉄の匂いと、人肌の生暖かさに近い温度に一気にやられた。
茫然と立ち尽くす真尋の眼前で、「彼」はフォークを使い、何度も何度も振り下ろす。掻っ切られた首からその威力に負け、ごろりと落ちた。
「まひ――――」
「――――――――!、ッ、ッッ、」
声が出ない。転がった、赤く染まった、驚愕に見開かれたその目が真尋と合った。わずかに口が動き、彼の名前でも呼ぼうとしたような音が零れたのが、彼を追い詰める。
見知った顔だった。数週間前から、彼を襲った事件に立ち会い、その後もなんやかんや転校してきた彼女である。もっとも彼女は、真尋を守護していたかの人物の「妹」に当たるらしいのだが、案外とそこに大した違いはない。日本人離れした綺麗な顔立ち。もっとも今やそれだけが転がり、まるで裏切られたかのような悲壮ささえ覚える状態だった。
震える真尋。動けない真尋。しかし視線だけは、未だ胴体を支える、フォークを握る誰かを見た。
よく見る顔だった。毎朝見る顔だった。それは朝起きて、顔を洗いに鏡の前に立つときに見る顔だった。水面を見れば見る顔だった。自身の生徒章に映る写真の顔だった。その顔が、顔を持つ誰かが。
「――――つまり、これは俺のせいなんだ」
眼前の誰かは――――真尋にしか見えない誰かは、自嘲げに、にやりと笑った。
CVイメージ
夢の中の真尋:石田彰
赤の女王:川澄綾子