「誕生罪、って言葉知ってるか?」
「存じ上げないであります」
「だよな。俺も知らない」
不意に脳裏に浮かんだ言葉を言い、返された返答に真尋はため息をついた。
現在の真尋の状態は、以前よりある意味劣悪だ。なにせ全身拘束状態。2時間に一度、トイレと軽い運動くらいのために外される以外は、どこかの隔離された施設の中で何もすることが許されない。さすがにテレビの刑事ドラマとかでもこんな状況に陥っているのを見たことはなかったので、既に彼は自分が法の通じる世界の外側に投げ捨てられたのだろうと判断していた。
しかしてそんな真尋とて、自身の生存までは脅かされてはいない。身動きをほとんどとれない代わりに、彼を世話する相手がいるのだった。
問題としては、その相手が既に真尋の理解を普段とは別ベクトルで上回っていることだが。
「……食事の時間であります。上半身と腕の拘束を解くであります」
「おう。頼む。……どうでもいいけど、なんで俺こんな風に拘束されてるんだ? 精神病棟とかで錯乱して暴れてるって訳でもあるまいに」
「存じ上げないであります。わたくし、あくまでインプットされた使命は、超危険人物の逆鱗に触れない程度の介護、といったところであります」
この妙な口調で真尋の腕のベルトを解いている相手こそ、真尋の目下悩みの種だ。まず、三頭身である。サイズ感は五十センチか六十センチ。おかっぱ風の黒髪にゴシック調のメイド服を着用した少女のような存在。時々「ぎぎ」とか金属がこすれる様な音がしたかと思えば「メンテにまだまだ問題ありであります」などと言いつつ、体の各所を「取り外して」グリスをさしたりと、色々現実を疑う光景が展開される。なによりおそろしいのは、そんな彼女の存在を見ても真尋が正気を失いはしないこと。つまりこれは、眼前の謎の存在は、絶対的に人間の科学力でどうこうされて誕生したそれなのだということだろう。
いや、謎存在とはいったが、名前くらいは知っていた。
『ベータと呼ぶであります』
『ベータ?』
『試作品であるが故、それが適切であります。プロトでも良いでありますが、それだと原初インターネットを想起させるでありますゆえ。別にわたくし、ロケットパンチやミサイルやレーザーは標準装備ではないのであります』
『何を言いたいかは俺、おおよそ分からなくもないが、アンタ明らかに世界観間違ってるだろ』
以前の真尋と彼女、ベータとの会話である。
ともあれ、真尋自身が決して認めたくない類の事実ではあるが、AI搭載の自律型起動装置、アンドロイドの類なのだろう。なお彼女本人が自称した場合は自律の字が自立である、という謎の主張が入るのだが、それはともかく。
現状、真尋は自身が置かれている状況について全く情報を得られなかった。少なくとも法律適用外の措置をとられていることは確実なのだろうが、直接、間接問わず、人間が真尋の周囲に誰もいないという状況はどういうことか。……残念ながら、おぼろげに真尋の直感はその理由を推察していた。
珠緒や健彦――――少なくとも真尋のクラスメイトたちを襲った超常的な事態と、真尋がそれをどうにかしたという事実は、さすがにもはや隠しようもなかったのだろう。あまりの事態に、それを直視した人々は、もはや真尋と直接かかわることを放棄したのだ。それゆえの隔離措置である。ただ、こうしてアンドロイドを派遣されてお世話をされている現状を鑑みるに、生存権くらいは認めてもらっているのだろう。わずかばかりそれに感謝する真尋であるが、同時にずいぶんと従順になってしまったなと苦笑い。さすがに数か月、更生施設に放り込まれたのは彼の正気度によっぽどダメージを与えたと見える。
「さぁ食べるであります、食べるであります」
「またレンコンか……。いい加減他の材料はないのかアンタ」
「レンコンは完成された食品であります。煮て良し茹でて良し焼いてよし揚げて良し、加熱すれど疲労回復度はかわらないのでありますし、触感もまた調理方法で千変万化であります」
「言われずともそれくらいは知ってるが、食卓っていうのは彩とか、バリエーションとか、結構重要なんだぞ。別にコース料理作れとかは言わないから、もうちょっと何かないのか?」
「そうは言いますが、囚人様は平然と高いレベルのを要求してくるところがあるので、ベータは信じないのであります。さあ食べるであります、食べるであります」
諦めたようにレンコン料理一色の配膳に手をつける真尋。まあ、これくらいの軽口を叩けるくらいに彼女、ベータと打ち解けてはいる真尋である。季節感が妙に感じられない気候のこの監禁室と、毎日調理方法のみが異なって出されるレンコン料理の山を前に、既に真尋は自分がここに来てからどれほど時間が経過しているのかを忘却していた。いや、認識することができなくなっていた。正気を失っていた頃を含めて半年は経過していないだろうが、話題も底をつきかねない状況での彼女とのやりとりなので、日々変わり映えしない毎日が続いている。
「まあ辛子レンコンは美味い。さすがに料理の腕はこういうアンドロイドらしく完璧ってところか」
「……というより、その、料理のレシピの半数近くは囚人様から教わったのであります、教わったのであります」
「そうか? といったって、せいぜい男子学生が一人家にいるときにやる程度の腕だぞ。大したものでもないだろ、普通に考えて」
「とか言いつつ平然とカルパッチョのレシピとか、包丁の挿し入れ方だとかについて語られた時は鳥肌が立ったのであります」
「アンドロイドのくせに?」
「もともと、わたくしの最終開発目的からすればあながち間違っていない機能なのであります」
ほら、と腕をぺろんとめくって見せるベータ。確かに鳥肌らしい凹凸のようなものがあるような、ないようなといったところだが、まあせいぜいが三頭身のデフォルメされたような幼女だ。まあ愛らしい、以上の感想は真尋には思い浮かばなかった。
「というか最終目的って何だ」
「黙秘権を行使させてもらうであります」
「そうかい」
「…………って、普通こういう場合は追及するのがセオリーなのであります? セオリーなのであります!」
「とはいったって、本人が進んで語ろうとしないことを聞くほど、俺も野暮じゃないぞ。そこまで野次馬根性もないし、誰だって秘密を持つ権利は平等にあるはずだ」
「いえ、その、囚人様が一男子高校生を自称する割に価値観が妙に達観していて、ベータは困惑するのであります……。というかベータに対して全く興味がないのであります……」
どちらかといえば諦めの極致が極まったのが真尋なのだが、感想を持つのも個々人の自由なので特には何も言わなかった。食事を終え、用を足し、休憩をし軽く運動した後に再びベッドにバンドで拘束される真尋。まあ代り映えしないいつもと同じ状況といえば、同じ状況だ。いつものように彼女に「これっていつまで続くんだ」と問いかける。
「判決が下るまで、であります」
「判決ってことは、一応ここは日本ではあるのか」
「黙秘であります、黙秘であります」
これも変わり映えしないやりとりだ。故に真尋もそれ以上は追及せず、うつらうつら意識を溶かす。
夢に見えるは、やはり何かの遺跡と、そこで正気度を失い墜落し、赤く美しい女に介抱されるあの夢。これもまた毎日のように見る、真尋から時間概念を失わせる原因の一つだ。代り映えが多少はする毎日でこそあるが、大部分が共通で、真尋も精神的な体力がすり減ったまま回復する様子はない。それでも手に残る嫌な感触から、自分がおそらく介錯をしたのだろうという認識と、巻き込んでしまった罪悪感とだけが強く胸に残っている。決して心休まることもないのに、日々繰り返すように似たような毎日。それが学生生活のように、自主性を発露する何かさえない毎日であるならば、もはや自身がそういった類の機械であると、それに等しい勘違いのような刷り込みがされているような、妙な感覚が真尋には残っていた。
ただ、それでも真尋の理性は死んではいなかった。必ず現状を打破し、己が巻き込まれた事実を明るみにするのだと。そうでもしないと誰もかれもが浮かばれないと――――。
気が付けば夜である。時刻はわからないが窓の外が暗く、照明のみがついている。テレビもなくラジオもなく、目覚ましがわりに食事の時間だけベータに起こされる状況だが、まあ最低限の健康な生活が保障されているだけマシかと苦笑いしつつ、視線を動かした。
「――――?」
ふと、真尋は違和感を覚えた。普段なら何か、ベータが調理でもしている音が聞こえそうな具合なのだが、しかし今日に限ってはそんな音も聞こえない。ただ時折、何か驚いたような声が聞こえるくらいだ。
「そ――――、では――――――、しかし、わ――――、――」
小声でどこかと電話でもしているのか、と納得し、真尋は天井を見上げる。どのみち聞き耳を立てることさえできないのだ、人生諦めが肝心である。時にそれが己の精神性の正気を守ることにつながるなら、よろこんで真尋は理解を放棄しよう。あくまでそれが生命を脅かさない範囲でならば。
やがて戸が開き、向こうからベータが現れる。どうでもいいことだが身長の丈があれだけ小さいのに、どうやって大人が通るくらいの高さで設計されている出入口の取っ手を握ることが出来るのだろうか。そんなことを真尋が考えているのとは裏腹に、ベータはどこか、つらいのを我慢するような、少し食いしばっているような顔をしていた。
「どうした。レンコンが切れたか」
「……いえ、レンコンは無尽蔵に供給されるものなので、あまり問題はないのであります」
「無尽蔵って何だ無尽蔵って。だったらなんだ、その妙に元気のない顔は」
「そう、見えるであります?」
「それ以外どう見えるのかってことだ」
「…………囚人様は、ストックホルム症候群ってご存知でありますか?」
「知ってはいるが……、なんだ、俺の判決が下りでもしたのか」
「――――っ、察し良すぎであります」
まあな、と軽く受け流しつつも、真尋の脳裏では龍子と彼女の姉が「アイデア!」と二人そろって言う姿が幻視された。
「それで、まあ反応からして、殺せとでも命令されたのか」
「…………」
「沈黙は是なり、か。あー、なんか悪いなアンタ」
「…………どうして」
「ん?」
「どうして、そんなに割り切ったような声を出すでありますか」
よく見れば、ベータの目元には涙のようなものが浮かんでいた。今にも目から零れ落ちそうなそれを見て、おいおい最新のロボットはヤバいな、などと現実逃避する真尋である。いや、確かに日曜朝の特撮番組とかでもアンドロイドが愛だの何だのうたって、ときに涙を流し友情を育んでいたりはするが、あくまでフィクショナルな世界だと切って捨てる程度には真尋は現実思考である。まあ、彼自身が巻き込まれている超常的な現実すら本来なら切り捨ててしまいたいという願望がそこには当然あるのだろうが、それはさておき。
「なんでアンタがそんな顔を浮かべるかが俺には分らないんだが」
「だって……、囚人様は、本来なら、無実なのでしょう?」
「そう聞いたのか」
「いいえ。でも、話していてわかるのであります。なのに、なんでそんな――――」
「――――正直まあ、詰んでるからかな」
もちろん無為に命を散らしたいわけではない真尋ではある。龍子の姉につないでもらった命だという自覚は当然あるし、だからこそ死にたくない、生きなければならないという意志も決して消えてしまっているわけではない。ただ、彼は疲れてしまっていたのだ。ただひたすら今日に至るまで、こう長く長く、追い詰められるという経験が彼にはなかったのだ。だからこそ、当然世界には彼以上に不幸な人間も多くいるのだろうが。それでも真尋は今の状態から解放されたいと、もはやその程度しか希望を抱くことができなかった。
そんな彼を前に、ベータは顔を手で覆い、涙を流した。元来、人間の世話をするような設計で作られているだけあってか、どうやら彼女も当然のように情緒を解するらしい。泣かれてしまって、逆に真尋の方が困惑してしまうくらいだ。
しばらく震えているベータ。と、ふいに顔を上げたかと思うと、何を思ったのか、彼女は真尋の両腕、両足の拘束を勢いよく破壊した。
「何の真似だアンタ。大丈夫なのか、こんなことして」
「駄目に決まってるであります。だから、逃げるであります。わたくしが――――囚人様を殺すより前に」
「どういうことだ?」
「わたくしの自由意志が保つのは、たぶん、あと数分でありますから、その間にできるだけ遠くに――――ッ」
がくん、と、首が折れるように傾く。と、ふわりと彼女の身体が浮き上がり、真尋を見下ろすような位置に移動した。
『――――Maiden the Revolution――――』
「って、だからアンタ世界観が違うだろっ」
何やら機械のシステム音声(にしてはどこか何かを嘲笑するような響きを含んだ声)が、彼女の胴体から放たれる。それと同時に黒いガス状の何かが、ベータを中心として渦を巻くように展開、回転する。
このあたりで、真尋は猛烈な頭の痛さと共に部屋を逃げ出した。ついさっきまでの停滞感が、いきなりの彼女の訳の分からない機能により破壊され、封印されていた正気が呼び戻されたらしい。というか、あれあの後絶対なにか科学的な現象とか飛び越えた形態変形を成すに決まっている。真尋は詳しいのだ。主にヒーロー特撮について。さらには背後から「アウェイク・アップであります。アウェイク・アップであります」など謎の妄言が聞こえる。それをひたすらに無視して、真尋は廊下を走った。
近代的な室内に反して、外は思いのほか木造建築のようである。ただ各所、各々の寂れ具合から既に放棄された、何かしらの実験施設めいた印象を抱く真尋。現実にこんな訳の分からない施設が現存していることも驚きだが、まぁあのベータを前提とすれば今更かと納得を放棄した。何か爆発でもしたのか炭化して破壊されている入り口を抜けると、建物の全体像が見える。旧い大学の研究所といったところか、しかして全くもって興味がわかない。ともあれ一旦建物を脱出したとしても、まだ終わったわけじゃない。
「北海道じゃないよな、さすがにここは」
陸続きの位置があるのでどこかしらの半島ではあるのだが、しかし真尋の前方、左右はともに海が広がっている。このまま海原に漕ぎ出せば明らかに難破すること必須であり、かつその脳裏に一瞬てらてらとした皮膚の醜いシルエットがよぎったことで、真尋はUターンした。建物の裏側を抜け、陸地へ走る。と――――。
『――――わたくし、降臨であります』
そんな声とともに、研究施設が爆発した。爆風で吹き飛ばされながら、真尋は見た。炎をバックとして、そこには一つの女性らしいシルエットがあった。それはスレンダーな体系のメイド姿だった。身長は真尋よりは小さく、全体の構造はアスリートを思わせる締まり方をしているのに、胸は劉実を思わせるほど大きく、真っ白な髪が地面に垂れている。ぎらり、と真っ赤な視線が真尋をとらえたかと思えば、次の瞬間に彼は首を締めあげられていた。少なくとも真尋が認識できるだけの速度ではなかった。彼女が伴っていただろう衝撃波が真尋の身体を襲う。うめき声をあげるが、それさえ眼前の、おそらくべータが変質しただろう彼女の万力は許しはしない。ぎり、ぎりと、骨さえきしむ音を上げながら、その手は真尋の息の根を止めにかかっている。
「――――ッ、ッ、」
『目的、排除。対象の、殺害。自意識、不要。命令違反、懲罰』
おおよそロボットもののテンプレートのような展開だ、と現実逃避したい真尋だったが、徐々に失われる酸素と止められた血流とが、真尋の意識を奪う。さすがに今度こそ死んだか、と思いはすれど、しかし何か、真尋は違和感を抱いた。決まっている。ニャルラトホテプである。
幸か不幸か、真尋の運命はかつてほぼかの邪神―――嘲笑う世界終末の獣、這い寄る混沌の掌の上にあったはずだ。だというのに、かの存在が、たかだか「自身の化身した」姿が破壊されたくらいで、こうも自分が手にかけた真尋を放置しておくものなのだろうか。否だ、と断言できる。真尋にはその確信があった。少なくとも、たった2日くらいしか実際に顔を合わせたことはなかったものの――――しかしかつて真尋を守った彼女のことを、真尋はそれこそ、最愛の相手であるかのように信じていた。いや、事実、恋していたのだから世話ない。嗚呼、断言してやろう。この八坂真尋は、たとえ騙されていたのだとしても、二谷劉実に惚れこんでいたのだと。
だからこそ、そんな相手が何一つ対策を講じず、己をこんな状況に追い込んでいるはずはないだろうと。これはそういう違和感だ。
痛みで意識が薄れゆく中、しかし、なぜか違和感を抱いた瞬間から、真尋の首が締まることはなかった。うっすら目を開けてみれば、眼前のベータの口が中途半端な開き方で止められている。いや、そうじゃない。視線を見回せば、周囲一帯、爆発で燃え広がっているはずの建物も、その火の揺らめきが中途半端な状態で固まっているではないか。
何がおこったのだと。まさか星辰が正しい位置について時間が止まり、かの海底に眠り神殿でも浮上したのかと、常人が聞けばかの正気を疑うこと必須な想像力が働き、妙な焦りを覚えたその瞬間である。
真尋をつかむベータの手に、真っ白な少女の手が伸ばされた。それはベータの腕を軽々と、それこそ「水あめのようにねじ切る」と、真尋の首から腕を外した。
地面に転がり、むせる真尋。そんな彼の眼前に、なんだかいつか見たような光景が存在した。
「少年、しばらくぶり?」
赤いツーサイドアップの少女がそうにっこりと微笑み。
「――――お前、さすがに気づくのが遅いぞ?」
銀の手袋を右手にした、金髪の青年が、真尋とベータの間に立ち半笑いを浮かべていた。
CVイメージ:
ノーデンス(若):島田敏