「詩的で宗教的な調べ」第三曲
「はうぅぅ、甘いっ」
運よく(?)冷蔵庫にしまってあったメロンゼリーで妥協させた真尋である。が、果たして運よくなのかどうかは定かではない。実際問題真尋の夢の中なので、こういうディティールが雑でよいところは突然ふって湧いた可能性もある。ともあれ満足したらしいクー子を相手に、真尋はインタビューを続けた。
「まあ詳しい話はともかく、なんで俺が今ここにいるのかってのがよく分かっていないんだが、何か情報もってないか?」
「関係ない」
クー子はばっさりと言いつつ、テレビのチャンネルを変える。画面に一瞬「うー! にゃー!」なる奇怪かつ名状しがたくも媚び媚びしい歌声と、意味もないほどに宇宙規模の映像とが発されたが、かまわずザッピング。どこかのアーティストのピアノリサイタル映像で止め、真尋を無表情に見つめる。
「少年が死にかけてるのと、こっちにいるのは別問題らしい。たぶん」
「いや、たぶんって……」
「ひげの人がいってた」
「いや、ノーデンス若い方は髭ないだろって」
「?」
そこで頭を傾げるなよと、真尋は疲れを覚える。いまいちコミュニケーションがちゃんととれているか心配になってくる真尋と、特にそういったことに気をつかっている様子のない少女である。困惑する真尋であったが、しかしノーデンス由来の情報ならばおそらく間違いはないだろうという確信があった。そしてさらに、「ひげの人が言うには」とクー子が続ける。
「別口」
「あー、つまりその、惑星保護機構とか、文明保護機構とかと別なところが俺をここに追い込んでると。まあ、だろうなって感じではあるが」
「でもどちらにしても、少年が自力で脱出するしかない」
「それもそうだろうが……。何かヒントとかないのか? 皆目見当がつかんのだが」
「出口があるらしい」
出口? と問い返す真尋に、そう、とだけ返すクー子。やがて曲が詩的な宗教的な調べにさしかかると、それに耳を澄ますようにクー子は楽し気に目を閉じた。それはともかくとして、出口というフレーズと同時に、真尋の脳裏に電流が走る。確かに出口があってしかるべきではあるだろう。そもそも拷問とはいえど元は真尋の夢なのだ。真尋の夢であるということは、すなわち「邪神ヨグ=ソトスの眷属」の認知であるということだ。もともと元来、異邦、さまざまな場所、世界に接続されているであろうかの神、その「繋がる」能力を限定的に再現されたはずの真尋の存在であるならば、確かに時間概念にも干渉してそうなこの夢――――具体的にいえばどれほど過ごしても時計の針が一向に進んでいないあたり――――に、通常人類とは別な切り口で踏み込むことはできるかもしれない。問題としては。
「だからヒントがないのかって。出口があるっていう解答例じゃ証明にはならないんだぞ」
「少年なら知ってるって、ひげの人は言ってた」
「まあアレも大概、元をただせば人間的な価値観とかわからないような存在だったし、俺が察しきれるか切れないかっていうのに問題をかかえていても不思議ではないが……。だったら何のために化身したのかって話だし」
そもそもの問題として、肝心のノーデンスの化身本人が登場から数分待たず粉みじんになったあたりからして、そこを問うのはナンセンスか。ため息をつき、真尋は現状の情報だけで意図を推察しようとする。
「要は、俺が現状知りえている情報だけで推理することが可能だってことか。その出口っていうのは」
「はい。あらん限りの常識と、豊かな想像力を武器にすれば、なんとかなるって言ってた」
「……ノーデンスがそう言ったのか?」
「?」
「いや首を傾げるなよ……」
いや、もしかしたらもっと重要な情報とかをこのクー子は聞いているのかもしれないが、いかんせん真尋のコミュニケーション能力でそれが引き出せるかは別問題である。ただでさえ邪神な相手である上に、化身した姿が年端もいかない少女なのだから、真尋に勝手がわかるわけもない。そもそも女の子の相手は苦手なのである。そういう意味では、暮井珠緒は少々珍しいケースといえるのかもしれない。
「少なくとも俺の持ってる基本的な能力で正解を導き出せると。……直接解答を言われなかったのは、そこまでやってしまうと色々あっちにも問題が出たとかか。あるいは敵側が操作している夢の範囲だから、その分の音声だけ聞き取れなかったり、あるいは不都合にノーデンス本人が殺されたり……。後者だな、たぶん。実際、敵の名前を言おうとしてすぐ殺されたし」
「少年、頭いい」
「そうかい」
「でももっと早く結論を出さないと駄目。少年に残されてる時間は意外と少ない」
「は?」
口調こそ変わらないまでも、声音の情緒は豊かなクー子である。それが珍しく真剣そうな声を出したので、真尋は違和感を覚える。
「少なくとも私と契約する前に、出口にたどり着いているべきだった。それくらい出来ないと、たぶんもたない」
「もたないとは」
「少年は、外部の情報に頼りすぎ。もっと自分の能力を信じるべき」
「意味がわからないって言ってるだろ、アンタも。何度も言うが、基本的に単なる子供なんだぞ? 俺。何か、じゃあそっちの言ってることが分かるくらいの狂気に、その知識に身をゆだねろとでも言うのかアンタらは。そんなもんは御免だね。俺は俺だ。人の平穏な日常を脅かさないでもらいたいね」
「脅かしてるのは別に私じゃない。少年もそれはわかってるはず。私に八つ当たりしても、私は受け止めない。そういうのはもっと別な相手にするべき」
「…………」
「それに、少年の存在がそもそも普通の人間でないのだから、その論理は根本から破綻している。いい加減腹をくくるべき」
「何を、覚悟決めろって」
「きっと少年が思っている以上に、少年の日常には日常じゃない何かが既に紛れ込んでいる」
何を馬鹿な、と真尋は馬鹿にできない。実際、そういうことも考えなかった訳ではなかったのだ。龍子が転校してきた時点で、そのクラスへの溶け込み具合が全く違和感がなかった時点で。そもそも真尋自身の正体が正体であるのだから、色々と真尋の知らないところで、真尋の知らない悪意や何かの魔の手がまわっていても不思議ではないと。だがそれを気にしていては、彼自身正気を保てない。一時それを忘却することで、日常を確保していたにすぎないのだから――――。
「……止めよう。たぶん平行線だ。少なくとも俺は日常に帰りたい。それだけは間違いない。そのためにもまずはここを出る必要があるわけだが……、状況をもう少し整理しよう」
「うんうん」
「今のところ分かっている情報としては、相手方の動きと俺の夢についてだ。一つは、相手は俺を殺さずに発狂させるなり何なりしたいってこと。もう一つは、俺の夢は俺の印象に薄い部分は細部がかなり省略されてるってことだ。前者は今までの話の流れからおおよそ見当がつくのと、後者はまあ実際に見て回った情報からの推測だ」
「どれくらい省略されてる?」
「基本はシルエットとしておかしくない程度の造形になってた。ただ細かくは適当だと思う。……このテレビのチャンネルとかな」
実際は録画ボタンやらなにやらがついているはずなのだが、真尋が手に取ったそれは電源ボタンと番号のボタンと、あとはなんとなく適当に色がついてボタン「らしき」何かがぺたっと張り付けられているようなビジュアルをしている。
「一つのものに対しても、ディティールの細かいところと、そうでないところがある?」
「まあそうだろな。……いや、待てよ。そういえばもう一つディティールが細かいのがあったな」
真尋の脳裏に浮かんだのは、己が拘束されていた少年院なり監禁所である。あるいはベータという存在もだが、これらに共通する要素はかなり明白であった。
「――――相手が用意したもの?」
「嗚呼。俺の中に存在していなかった要素だが、そいつらについては嫌にディティールが細かかった。というか、俺自身が気づかない程度には現実の造形物と同じだったと思う」
「それが分かったのに、なんの意味が?」
「少なくとも相手が手を加えたものに関しては、一目で区別がつくってくらいだ。……まあしいて言えば、それが出口に繋がるかもしれないってくらいか」
「なんで?」
ほとんど真尋の直感であるが、こういう場合において真尋の直感は真実を射抜いていた。
「相手が俺の夢に干渉するにしても、『干渉に使われる入り口』がどこかにあるはずだ。それはもちろん、もともと俺の認識の中にあるはずがない。必ずどこかに辻褄の合わない矛盾点が出てくる」
真尋の脳裏には、例えばベータの存在がある。仮にあの衝撃的なアンドロイドが現実の世界に存在するものであっても、そんなものが存在するという認識が「真尋の中にあったわけがない」。少なくともこちらで初めて知り、衝撃を受けたのだ。とするならば、それはもともと真尋の中になかった知識を夢の中で新たに学習したに他ならない。
「そいつを見つけることが出来れば、とりあえずは合格点なんだが……。どうしたものか。とりあず、学校にでも行ってみるか」
「学校?」
「向こうの手が入ってるかどうかは解るだろ。少なくとも、俺がこっちで目を覚ましたのは学校で、その時点で違和感を抱かなかったんだから、それが俺の認知に『眠っている』からこそのバイアスがかかったものだったか、それとも疑うまでもなくディティールが現実のそれに準じていたからなのか、くらいは調べられるだろ」
「わかった。じゃあ、すぐ出る?」
首肯する真尋に、とて、とクー子は足をついた。とっさに台所からフォークを数本持ち出し、下駄箱から運動靴を取り出す。
「……っていうか全然気にしてなかったんだが、アンタ、そういえばずっと素足か?」
「どうせ焼くから問題ない」
「いや問題あるだろ。痛くないのか?」
「慣れてる」
「慣れてるからいいってものじゃないだろ。ちょっと待ってろ……」
下駄箱の奥を調べると、彼にとっては案の定と言うべきか、昔の真尋の靴箱が出てくる。それをいくつか探すと、中に小さなサンダルが入っていた。コメディ色の強い作風を全く感じさせない恰好の良い特撮ヒーローのイラストが描かれたそれを、とてとてと歩いてくるクー子に差し出した。
「とりあえず、これでも履いてくれ。多少はマシだろ」
「? きょうだいでもいるの?」
「いや。単に物持ちが良いだけだ」
真尋が生まれる際に難産だった関係がほぼ直接の原因で、真尋にはもう弟や妹が出来ることはない。それ故に両親は彼を大事に大事にしているのだが、そのため彼の昔の物は結構な数家に現存していたりするのだった。このサンダルもその一つではあるが、まあそんな情報はノイズでしかないし、言ったところでこのクー子がそういった情緒を解するかわからないので、真尋は詳細説明を軽く流した。クー子は手渡されたそれを見て「はぅぅ」となぜか声を上げてから装着した。サイズ的にはぴったりであるが、ますます小さい子じみた印象を見ている相手に抱かせる様相となった。
扉を開けると、足早にすすむ真尋とクー子。信号機のディティールがしっかりしている割に路上を走る車が低予算アニメのような様相になっているのに辟易したり、あるいは道を歩く人間がジャージ以外が某名探偵漫画の犯人さんのような有様になっているがそれはそれでホラーである。思わず頬が引きつる真尋と「網目模様……」と八百屋を前に視線をロックしたままだったりしたクー子。それはさておき、この道順もほぼ一直線といって過言ではないルート構成となっている。わきの細道やら何やらといった細かい部分についてはばっさり真尋の認識からは消されているらしく、夜道においてもあまり迷子の心配もなく、高校までたどり着いた。
「良かった。……いや、良くはないか」
真尋の予想通りというべきか、学校のディティールは全く真尋の認知にバイアスのかかったような遜色もなく、当たり前のように学校である。学校の入り口の看板を見ても、正門にかけられた南京錠を見ても同様。ただ窓から見える教室の数か所に不自然に明かりがついており、それがいかにも「何か仕掛けがありますよ」と自己主張しているかのように真尋には感じられた。半眼であからさまに嫌そうな表情の彼の手を、なぜかクー子はとった。
「どうした、アンタ。……って、いや、暖かいな。カイロみたいだ」
「落ち着いた?」
「もともと別に混乱とかはしてないが」
真尋の言葉に頷くと、クー子はさっと手を放す。
「とはいえど、ここまで来ておいて入り口が封鎖されて入れませんじゃ、色々示しがつかないよな」
「少年、登ったらいいと思う。別に問題ない」
「今更不法侵入くらいでガヤガヤは言わないけどな。俺の夢だし。ただ前提として、俺、そこまで体力ない」
単なる帰宅部である真尋からして、懸垂一回でさえギリギリである。明らかに塀や門を越えようとするなら、それ相応の腕力と気合が必要なはずだ。残念ながら真尋にはそのどちらもない。いくら敵対者の手が加えられているような場所であろうとも、前提となる真尋の認知というか、科学知識、物理法則が働いている世界であるだろうからして、さすがにそれをどうこうすることは難しいだろう。
「つまり、門がなければいい?」
「結論としてはまぁ、そうなるな」
「わかった。ちょっと離れてて」
疑問符を浮かべる真尋だが、いや、すぐさま彼女が何をやろうとしているかについて推測が立ったので、言葉通り彼女の背後に回り、数メートル距離を置く。と、クー子は門の鉄さくを両手で握ると、「はぅぅぅぅぅ……!」と気合でも入れるように声を上げた。
変化は数秒も経たずに訪れた。まず彼女が手に持っていた個所が、夜目にもわかるほどに爛々と赤く灼いた。さらに時間をおかずその光は門全体を覆い、やがて何かこらえきれなくなったかのように「木っ端みじんに」爆発した。
「……いや待て、最後のがおかしい。熔けるならまだしも何で爆発したっ」
おおむね相手がクトゥグア、火の神性であるのはわかっている故に「熔ける」までは想定しきっていたが、最後の最期で爆風に煽られ、わずかに目に熱風のダメージを負う真尋である。目を抑えてうずくまりながら、思わずクー子に文句を言った。半魚人を目視して気絶していた初期の真尋からしたら大した成長ぶりであるが、いや、確かにこういった物理現象に近いものの方が正気度の減少は少ないのだろう。大してクー子は「ノリ」と答えた。
「ノリ?」
「ノリ」
「いや、全然説明になってないんだが……」
「溶かしきると手がべたべたするから、ふっとばした」
そういえば真尋の吐しゃ物も燃やして爆発させていたか、と思い出す。どうにも手でも洗うようなノリで爆発を使っているのではないか、と真尋は訝しんだが、要件は達成できたのでこれ以上の追及はしなかった。目薬を取り出して両目に点眼し、見るも無残に破壊されつくした校門に苦笑いを浮かべる。そのまま警備員が出てくることもない校庭を抜け、校舎の中に入る真尋とクー子。なるほど確かに、実際のところかなり省略されていてしかるべき下駄箱にも一つ一つ名前が明記されているからして、このディティールは明らかに夢としては異常だ。
「長谷部、秀太?」
と、そのうちの一つの名前を見てクー子は頭を傾げる。背後からその、なぜか上履きが存在しない下駄箱を見て、真尋はおや、と疑問符を浮かべた。
「どうした?」
「なんでもない。……シュータくんが居る? いてもおかしくないけど、変な感じ」
「いや、だから意味がわからないんだが……」
もはや本題ではないのと、メロンに目が釘付けになったりするような彼女の性質からして、おそらく真尋にはよくわからない何かの情報をキャッチでもしたのだろう。したのだろうが、追及したところでまともな返答があるかは怪しいので、彼はクー子の手を引いて先行した。
そして数秒と経たず、先行したのが失敗だったと気づいた。
「いやいやいや、ちょっと待てって……」
声を潜める真尋の眼前には、大量のゲル状の何かが存在した。いや、存在したという形容が正しいかはわからない。ただタール状の茶褐色をした、ぶつぶつとできものでもあるようなその軟体とも液体とも個体とも言い難い皮膜の集合体のようなそれぞれは、一階の廊下全土にまるで雑魚寝するかのごとく、大量の塊として堂々たる風に鎮座していた。
「これ全部ショゴスか……? いやいくら何でも多すぎるだろ」
「? 少年、なんで私の頭を撫でる?」
「特に意味はないが、こうしてないとなんか、正気が消し飛ぶような気がする」
そして突然クー子の頭を「いい子いい子」とでもいわんばかりに撫でまわしまくり始めた真尋。妙にさらさらとした少女らしい髪のつやと質感に癒される彼である。「少年、それはすでに狂気」と、冷静に現状の真尋の状態について本人から指摘が入った。
※現在の真尋は一時的な狂気で「異常な髪フェチ」と化してます