真・這いよれ!ニャル子さん 嘲章   作:黒兎可

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神話的全員行軍

 

 

 

 

 

 ふと我に返り直前までの行動の意味不明さに頭を抱えるも、真尋は思考することを止めていない。ただただ眼前の、致命的にどうしようもない光景を前に、それでも打開策を練ろうと――――。

 

「いや無理だろ、この状況でスニーキングミッションとか出来るわけないって。高校生なめんなっ」

 

 早々に潜入やら忍び歩きを放棄した真尋である。いや、確かに彼が直感するまでもなく、足の踏み場もないほどのショゴスの山を前にそんな余裕めいたことなど出来るわけはないのだが、いささかあきらめが早い部類である。単に眼前の光景を長時間直視したくないというのも、そこには含まれているのかもしれない。そしてそんな真尋のリアクションにも何一つ反応を返さず、不思議そうに見上げるクー子であった。

 

「階段はだめ?」

「さっきちらっと見た感じだと、あっちもあっちで駄目そうだったが……。どっちにしても、何がトリガーになるかわからない以上、調べる必要が――――Mad World?」

 

 スピーカーのノイズ音が真尋たちの耳に届く。数秒もかからずに校内全体にシンセサイザーが響き渡った。真尋が口にした、古い海外の曲をベースとしたアレンジメロディ。何かの連絡などに使われるような具合に調整された、その割に妙にもの悲しいそれを聞き、そしてぴくぴくと眼前の物体たちが脈打ち始める。それはタール状の液体からうねうねと複数の黒いムカデかワーム状の長い胴体を形成していく。そしてそれらが蠢きながら、まるで人間が直立したようなシルエットに集まっていく。あくまで人間に擬態しているのではなく、ワームの集合体という姿だ。シルエットの細部はどう見ても繕いきれない程に正気の世界の代物ではなく、また生理的な嫌悪もあいまって、真尋はその場に体が根を張ったかのように固定された。ただただ夥しいほどの恐怖が真尋の全身を縛る。

 ただそんな真尋の手前に立ち、クー子は右手を振り上げる。よくみればその右腕は既に何かしらの異形と化していた。手の甲には目玉のような文様が浮かんでいる。肘関節近くからは雄牛の角のようなものが左右に這い出ており、腕自体は既に「プラズマ化でもしているのか」炭化した骨のシルエットと、既に輪郭が崩壊しかかっている。そのまま彼女は、勢いよく右腕を振る。神々しく輝いていた右腕の、その骨以外の個所が剥がれ、というか勢いに乗り吹き飛ぶ。右ひじから下は角の生えた黒々とした骨のみが残る状態となる様もかなり酷いものがあったが、しかして飛び散った腕の肉だったろう何かしらの物体の威力は絶大である。一瞬で眼前すべての光景が一切合切光と共に灰塵と化し、真尋はさらなる恐怖に固まったまま背中から倒れて、なお動くことが出来なかった。しゃがみこみ、真尋の頬をぺちぺちと軽くたたくクー子。よく見ればその右腕は何事もなかったかのように回復しており、先ほどの光景が未だ彼女の本領の欠片も発揮していないことがうかがい知れる。こと火力、破壊力のみに関して言えば最強クラスの化身といえるかもしれない。いえるかもしれないが、再生した手だろうその右手のひらは異様に熱かった。

 

「って、いやいやちょっと待てって……」

 

 いろいろと事態が連続したせいか一気に正気を取り戻した真尋だが、その眼前、校舎の状況はなんともひどく形容しがたい有様だった。壁や教室、窓などについては木っ端みじんと吹き飛び、基礎もその存在した痕跡すらうかがわせないありさまであるというのに、どういうことか廊下と階段のパーツのみ、まるで何事もなかったかのように堂々と鎮座している。もとが真尋の夢なのだから何でもありといえば何でもありなのだろうが、しかしそれにしては色々と物理現象に喧嘩を売っている。我がことながら内心で突っ込みを入れる真尋であるが、しかしそれと同時に、この光景についての説明がついてしまった。

 

「……そうか。夢の中でもより存在が強固ってことは、それに紐づいている別解が存在するってことか」

「?」

「あー、つまりだな。そもそもここが夢の世界だっていうなら、俺自身がより詳細に知っているとか、より重大に感じているものに対してイメージの強度が担保されるだろう、っていうのはわかるか? この場合の強度っていうのは、ディティールの細かさとか、あとは物理的な強靭さも関わってくる」

「それで?」

「だからこそ、よりディティールが細かいところが怪しいとにらんでいたんだが……。総合すれば、その中でもさらに強度が強いところっていうのは、つまり俺以外の相手のイメージの強さが影響してると考えられる。学校そのものにそこまでの強度はないだろうからな。とするならば、この階段の上を辿っていけば、ゴールって言っていいか分からないが、少なくとも目的とする何かにはたどり着く、かもしれない」

「少年、弱気」

「仕方ないだろ、前例も何もないんだから」

 

 人をそんな、なんでもこの世に起こることすべて己の掌みたいな神様と同列に扱うのは止めろ、と真尋は心底真剣な声で言った。クー子は興味がそこまでなさそうに「わかった」とだけ返すと、真尋に肩を貸し立ち上がらせる(厳密には身長の関係もあるので、一度膝立ちを経由するが)。ともあれクー子は、真尋の言わんとしていることをある程度理解したのか確認してくる。

 

「じゃあ、これから学校、燃やす?」

「…………いや、止めておく。強度が高いのは確定なんだろうが、たまたまアンタの火力で燃え尽きなかっただけかもしれないし、どれくらいの威力に耐えられるかなんて見当もつかん」

「そう。……お腹すいた……」

 

 ぶぅ、と少しだけ頬を膨らませ、不機嫌そうなクー子である。ひょっとしたらだが、彼女の燃焼能力は文字通り、供給されたカロリーを燃焼しているのかもしれない。もっとも「網目模様……」とか金額的に不穏なことをつぶやいているのが真尋の耳に痛い。決して真尋に落ち度があるわけではないが、彼がそもそも邪神に頼っていること自体弱みといえば弱みであるし、クー子の趣向はなかなかに財布をえぐってくる。

 

「もっと火力を抑えて戦うこととかって出来ないのか?」

「少年、面倒」

「そこをなんとか、本当に……。ほら、帰ったら何か作ってやるから」

「……少年の料理、意外と美味しかった。わかった、今日は任されとく」

 

 ぶい、とピースサインを突き出してくるその様は、場と状況の緊張度合いに似つかわしくないくらいゆるい印象を真尋に与えた。彼女の見た目もそうなのだが、その能力がそもそもあまりにも物理的に強すぎるのが原因の一端か。ここに来てからの経験によって軽くトラウマになりかけているショゴスに対して、まったく妥協と容赦のない殲滅を繰り出す様は、圧巻とか爽快とかを飛び越えて疑問符しか浮かばない。「はい?」とか「今何がおこった?」とか、その類の現実逃避の疑問符である。

 そしてそれ故にか、真尋は階段を上る際に警戒が緩んでいたのだろう――――珍しく、本当に珍しく彼の直感が危機を煽らなかったのだから。

 

 

 

「――――――」

「っ!?」

 

 

 

 真尋がその音を知覚した時点で、既に色々と遅かった。いや、音と言うのは正確ではあるまい。声、呪文のような文章の連なりであるが、しかし真尋が知りうる限りその音は彼の知覚に該当しない。該当しない以上それは「死者の書(アル・アジフ)」に連なる系統から外れる類の呪文であるということだが、それはともかく。瞬間的に視界すべてが真っ白な光につつまれ、真尋から聴覚が失われた。いや、それはあまりにも大きな音と、強烈な、破壊力をともなう光だった。決してクー子が行っているような、熱エネルギーを基礎とするものではない。純粋な光エネルギーが破壊力を伴って放射されたのだ。

 真尋の視界が徐々に回復すると、そこには頭部から雄牛の角めいたものをはやしたクー子が、真尋をかばうように眼前に立っている姿が最初に見えた。次に突き出された両手、その先に赤い円形のバリアのような壁、その隙間から見える、クー子の破壊と異なり「元から何も存在しなかったかのように」消し飛ばされた校舎のパーツと、未だ残存する階段と三階の廊下。

 やがて音が回復するころには、真尋は上空にたたずむ相手の存在を視界に入れた。

 それは端的に言えば騎士だった。銀色に鈍く輝くそのシルエットは中世騎士の大柄な甲冑のようであり、しかしその様態はどう見ても華奢な女性でも中に入っていそうなくらいには細い。そんなシルエットが翼をもち、また右手に光り輝く突撃槍を構えているのだから、いよいよもって真尋の夢は世の限界を超えている。アンドロイドの登場の時点でも既に相当だが、このファンタジー感マシマシの有様はいかんともしがたい。

 

「ヴァルキリー? ……まあ幻夢境だし、少年が拷問される前に目撃してもおかしくはないか」

「は? いや、っていうかヴァルキリー?」

「はい。ヴァルキリー。評価値とか知らないけど、間違いなく戦乙女」

「ひょ……? いや、北欧の戦乙女ってのはわかるんだが、なんでそんなものが俺の夢の中に……? って、いや、そこはなんとなくわかった」

 

 おそらくだが、まさに真尋の危機察知能力を発動させないためのトラップとして、真尋のイメージを媒体に作られたのだろう。実際、クー子が動いていなければ「じゅわっと」蒸発していただろうことは確実である。

 そもそも戦乙女、ヴァルキリーとは由来を北欧神話にもつ存在であり、概略だけ搔い摘めば「英雄の魂を回収することを専門とする天使」のようなものである。確かにクトゥルフらしさは欠片も関係をにおわせないが、まあここの立地――――現世における「地上の神々」が緊急避難的に住んでいるこの場所でならば、目撃していてもおかしくはないかもしれない。

 真尋のその予想が真実かどうかはともかく、クー子はいつになく真剣な声を出す。

 

「敵もきっと、あれが最高戦力。少年、さすがに私も負けるかも」

「マジでか? 今までの状況を見てるとそうでもなさそうだが……」

「少年が私を『詠唱して』使えば余裕だろうけど、そのかわりたぶん少年も巻き込まれる」

「だったら使わない方が賢明か……」

「というわけで足止めするから、少年は先に行くべし」

 

 頼むと頭を下げると、やはり得意げに「ぶいっ」とピースサインを突き出すクー子。挙動の一瞬一瞬は完全に小さい女の子そのものだが、ことこの状況に至っては頼もしい限りである。背を向け真尋は、いまだちりちりと音を立てつつも全くの無傷の、強度だけ残る階段を駆け上る。

 

 真尋が3階廊下に立つと、その瞬間に奥の教室の明かりが点滅する。まるで真尋に「こちらに来い」とでも言っているかのような様に、不思議と彼は苦笑いが浮かぶ。やがてそれを何度か繰り返し、目の前には真尋たちのクラスの教室。ついに消灯しなくなった教室こそが、この学校においてなにがしか仕掛けられているものなのだろう。真尋は家から持ってきたフォークを取り出すとおそるおそる扉に手をかける。少なからずクー子が戦闘中である今、戦えるのは真尋本人のみである。もともとの振り出しに戻ったと言えるかもしれないが、しかしてその先にショゴスがいないことを祈りつつ、真尋は扉を開け――――そして、絶望した。

 

 

 

 

 

 

「まひ……、ま……、」

「――――――っ、そういうことかよっ」 

 

 

 

 

 

 眼前の光景に、真尋は納得と同時に猛烈な自殺衝動にかられた。その場には誰もいなかった。ただただ椅子と机と、見覚えのあるような教室があるのみだった。――――そこに倒れる龍子の死体を除いて。

 そして、その死体の有様をみれば、なぜあそこまでショゴスが闊歩していたのかという事実にも説明がつく。まず最初に目につくのは切断された龍子の首だ。切断面から奇怪な緑色の粘液をまき散らす人間の右手めいた物体をはやし、頭を側面に向け引きずるように蠢く。周囲を見回すためなのか、上方、つまり頭の左側の目玉だけが「伸びて」、くるくると周囲を見回している。それは既に首単体で別な生き物と言っても過言でない有様だ。おまけに胴体は胴体で服を中心に亀裂が走り、強大なタコのような、と形容できるシルエットへと変貌していた。

 真尋は龍子のその姿を見て確信した。真尋のこの夢に出てきた存在は、クー子やノーデンスを除き「すべからく」ショゴスであったのだと。だからあれほどの数が存在したのだと。真尋をただ狂わせるために、彼の体感において数か月もの間、ショゴスたちは一種の茶番を演じていたのだ。さらにこのショゴスはクー子と同様に真尋の夢の中に召喚された本物のショゴスであるのだと。

 だが、そんなこと真尋にとってはどうでもいい。些末な問題だ。彼にとって一番重要なのは、ただただ眼前の彼女の姿と、己がそれに対して為さねばならないだろう事柄に関してである。

 

「俺に、アンタをまた殺せっていうのか……?」

 

 すべての希望が断たれたような声を上げ、真尋は膝をついた。眼前に蠢く龍子の首だったものと、胴体。既に双方ともにショゴスらしい挙動をしているが、しかして一方で元になった人物の個我を踏襲している。首はいまだ「真尋」と彼の名前を呼ぼうと、まるで生前最後の言葉を繰り返し続けている。だが真尋にとっての問題はそこではない。そもそも真尋は龍子と「積極的に」交渉を持たなかった。彼にとって二谷龍子という人物は、意外とその人格を知らない存在なのである。にもかかわらず夢の中に投影されているとするならば、それは必ず、誰か別に元になった人物がいるはずなのだ。それが誰かなど、真尋が今更思い出すまでもない。二谷龍子の姉である、彼女。結局最後まで偽名を名乗りとおした彼女。真尋の恋した彼女――――。

 その成れの果てを殺せというのだ。いくらこれが夢の中であっても、それがたとえ真尋のイメージによって構成されたそれを模したものであるのだとしても。もう二度と会うことができないだろう彼女を前に、真尋がどうこうすることが出来るわけはない。

 真尋の精神は折れていた。こと、この夢の中で龍子の首が落された時点で。彼自身が思い出すことを拒否した記憶、すなわち二谷劉実の首が。無理やりねじり切られたかのごときひしゃげた、顎が物理的に千切れかかった、驚愕に見開かれた白い、あの頭が―――。

 そんなものを思い出したら、もう二度と真尋は立ち上がれまい。だからこそ、それを怒りに変えていたというのに。こんなものを今更見せつけられれば、嫌でもそれを重ねてしまうではないか――――!

 

「まひろ、さん、にげ――――」

「――――っ」

 

 嗚呼、そしてこれもまた果てしなく彼にとって救いがない。例えショゴスが変態した姿であったのだとしても、その踏襲された人格そのものは、生前の彼が知るそれでしかないようだ。珠緒や健彦を例に考えてみても当然といえば当然か。少なくとも殺された時点で真尋には違和感の欠片も存在しなかったのだから。それはつまり、踏襲された人格は人格で、本人がいたら為すべきことを為しているに過ぎないのだ。

 とするならば、眼前の彼女はいかにその根本が異なれど、彼女に他ならない。乾いた笑いが漏れ、真尋は膝から崩れてうつ伏せに倒れた。ひたひたと音をたて、首が、胴体が真尋に寄ってくる。伸びた左目だけが、真尋に逃げろと繰り返す彼女の意識とは別な生命体のように彼の現状を観察している。やがて胴体が開き、中央からイカかタコかあるいはクリオネのそれのような口のような器官が展開し、彼の左腕に伸びる。と、口部から黒いタール状の粘液を出し、真尋の左腕を覆い始めた。おそらくこのまま微動だにしなければ、真尋はあの珠緒のごとく取り込まれてしまうのだろう――――いや、それも元をただせばあちらもショゴスであったのであろうが。とたんに真尋はそれが不思議とおかしく、己の現状を嗤う。

 胸をかきむしる程の自殺衝動は、すなわち今までやってきたことが無意味であったと決定づけられてしまったことへの喪失感もつながっているだろう。真尋はここにきて、彼自身の見通しが甘かったことに気づいた。もしかしたらこの教室に、何かしら鍵と呼べるものはあるのかもしれないが――――最後の最期まで、真尋にとって最大の弱点ともいうべき彼女の存在が出てこなかった時点で、これを予想しておくべきだったのだ。なにせ本質的には無関係であるにも関わらず、似姿一つでこの様だ。ばかばかしくて自分自身を嘲笑うくらいしか、できることがない。

 

「にげ、にげ、て――――、まひ、ろ、さん、まひろ、さん、」

「……本物のアンタも、同じ状況ならそういうことを言ってくれるのかな」

 

 いや、状況次第ではきっとそんなセンチメンタルなことを言っていられないような再登場を果たすのだろうが、それでも真尋は、本物の彼女の首がねじり切られた後のそれを見ている。彼女の死に様を目撃していない彼が何か知ることはない。しることはないが、それでもなんとなく、自分を生かすために生まれたと豪語した彼女の面影が、眼前のショゴスに重なった。

 

「正直もう疲れたんだけどな。だけど、少しくらいは、何か反抗しないといけないよな。アンタに顔向けできない」

 

 自虐しながら、真尋は仰向けになりながら、右手にもったフォークを左腕に振り下ろした――――この時点で真尋は既に正気ではない。形式上の反抗として、「取り込まれつつある自分の左腕」を切断ないし消し飛ばそうとしていた。

 

 ――――だからこそ、そこで違和感を覚えた。

 

 振り下ろしたフォークは、確かに真尋の腕を貫通しているはずだった。実際、それだけの威力が放たれ、教室の床に刺さっている。にもかかわらず、真尋の左腕は全くの無傷であった。「腕をフォークが貫通しているのに」無傷である、という、明らかに夢だからこそ成立しうる矛盾がそこに存在した。

 

「……? いや、最低でも切り傷くらいは負うだろ、その気で振り下ろしたんだから直撃してなくとも」

 

 実際、真尋の持つ加護は破壊のみに特化しているそれであるからして、自分の人体を守る類の性能は持たない。自分のその加護を用いて自分に攻撃すれば導き出される結果は当然傷を負うはずだ。にもかかわらず、この現状は―――――。

 

 

 

「――――っ、そういうことかっ、聞こえるか!」

 

 

 

 何かに気づいた真尋は大声で叫ぶ。と、彼の脳裏に『少年、どうしたし』とクー子の返答が返ってきた。テレパシーの類なのかは知らないが、想像以上にクー子の性能はフィクションとかの神様らしいそれである。

 そんな彼女に、真尋は大声で繰り返した。

 

「俺ごと、殺せ! 爆発して燃やし尽くせ!」

『? それでは、少年が危険なのでは――――』

「それが答えだ。嗚呼どおりで知ってるとか抜かす訳だ、だがそんな問題じゃないだろこれっ。『基本条件は同じ』くらいヒントを与えろっていうんだ」

 

 教室窓の向こうでは、やはり人間には認識できないだろう速度と威力の、猛烈な戦闘が繰り広げられているらしい。時折光の柱や火柱が出現するのが見えるあたりからして、真尋は理解を放棄していた。

 既に左腕が自分自身のものでなくなりつつある現状を無視し、真尋はクー子に叫ぶ。と、左手の甲に猛烈な痛みが走る。見れば複数の陣形と重なり合ったような、五芒星をゆがめた形状のサインが爛々と輝いていた。

 

『別にいいけど、呪文が必要』

「呪文?」

『少年なら知ってるはずだって、ひげの人が言ってた』

 

 まあ知ってるだろう。知っていなければおかしい。これには真尋も一定の納得をしたが、しかし今の真尋がその知識を呼び出すことは難しい。初めて彼が魔術を使ったのは、這い寄る混沌自らの手による導きに従ってのそれである。彼自身が、彼自身の接続されているだろうかの魔導書に手をかけることは、難しいと言え――――。

 

「――――?」

 

 真尋の視界に一瞬ノイズが走る。そこには夢で見た誰か、赤いドレスをまとった美しい女性が真尋を見下ろしている。彼女がうすく微笑んだそれを見た瞬間、視界が回復し――――――。

 なぜか、本当になぜか、真尋は「クトゥグア召喚の術式」を理解していた。

 

「――――――いあっ」

 

 細かい詠唱など不要。神を限定する必要も不要。真尋の脳裏に浮かんだそれは、ノーデンスがかつて「深き者ども」を焼き払う際に使用したそれ、その原文ともいえる膨大な「魔法陣」。その認識のみをもってして、真尋は左手の甲にフォークを振り下ろした。

 瞬間、真尋の眼前にクー子が突然現れた。その彼女は全身を、いつか見たように人体の原型もとどめない程のメルトダウンを発生させる。以前と違うのは、そこから崩れ落ちることもなく、黒々とした骨のみを残し、体のシルエットを中心に淡い光が一瞬ほとばしり――――。

 

 

 

 真尋の脳回路は、文字通り『焼き切られた』。

 

 

 




校内放送で流れたBGM:
 Gary Jules 「Mad World」(シンセサイザーアレンジ)
 
次回からようやく幻夢境です;
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