真尋の指示に従い、まったくもって他の道同様の通りにしか見えない場所で降りるクー子たち。と、真尋はそのままあけっぴろげに開きっぱなしの扉の中に入っていき、奥の棚をあさり始めた。明らかに普段の真尋らしからぬ行動であり、さしものクー子もついさっきまでの様子と異なることから、いぶかし気な表情であった。しかし数秒も経たず、金属製の樽のような何かを引きずり出した彼は、それを引きずりながらクー子の元に歩いていく。
「開封する必要がある。あと杯替わりが……」
頭に痛みを覚えているのか額を抑えふらつきながらも、しかし真尋は黙々と目的と向かう場所を口にし、それぞれの場所でおそらく適切だと思われる行動をとっていた。まるでそう、見知った、見慣れた、自分の縄張りとまではいわないがそれでも土地勘のある場所で動いているかのような、そういった効率の良さがあった。「後で行く」と真尋が指定した緑の塔の前に来る頃には、彼は背中に身長ほどある大きな棒と、表面に名状しがたい文様の彫り込まれたこれまた身長ほどある大きな瓶というべきか缶というべきか。内部にはありったけの黄系の液体が注ぎ込まれており、わずかに漂うアルコールの刺激臭が鼻をつく。なおそんな彼の懐には数本、古い型のフォークのような何かが発掘され装備されていた。
ちなみに基本的に移動については、クー子が真尋と酒と両方を別個に抱えるという、なんともいじめのような構図であったことを一応明記しておく。
と、そんな真尋の手元を見て、クー子は不思議そうに尋ねた。
「少年、なんでそれ?」
「どうした?」
「なんで、その器選んだ?」
「でかいからだったんだが……。何か、まずかったか?」
「だってそれ、中身入ってなかったけど、脳缶」
真尋は思わず噴き出した。あまりの衝撃に手元のそれを倒し、その場で蹲って何度も咳き込む。さしものいささか正気を失っているような様子の彼であっても、クー子によって明かされたその事実はいかんとも受け入れがたかったらしい。多少落ち着きを取り戻し、缶? が割れていないことを確認してから、クー子に問いかける。
そもそも脳缶とは、とある異星の種族が友好的な人間に対して、低コスト低リスクで宇宙空間を移動する際に用いる道具の一つでもある。端的に言えば脳みそを媒体の内部に保管することで、安全に宇宙空間を運ぶ装置である。内部の脳はといえば、外宇宙の映像なども無問題で知覚することが出来、また原文の記載こそないもののコミュニケーションをとる方法さえ用意されているとみるべきか。もっとも文献に記載されている情報元をたどれば、このクリアケースのようなパーツが存在すること自体色々と微細事実が異なっているものであるのだが。
「で、これ、脳缶?」
「はい」
「いや、待ってくれ。普通、人間ベースで考えたらこの大きさは明らかにおかしいよな? 人間の頭のサイズどころの大きさじゃないぞこれ」
「答えはシンプル。別に、人間用だとは言ってない」
「――――――――ッ、止めよう」
瞬間、何かの真実に到達しかけた真尋は現実から目を逸らした。
眼前、見上げる緑の壁面は、四方歩けど隙間のようなものは存在しない。扉もなく、窓もなく、穴もない完全な壁面に見える。そんな壁を何度か叩き、真尋は何かを探しているようだ。
「少年?」
「――――――」
「少年」
「――――――」
「…………少年っ」
「熱っ!」
やはり先ほどから様子のおかしな真尋である。声は既にもとに戻っているが、クー子に蜜酒を手渡した後は、ひたすらにこの様子。時折頭を抱えながら動く様は何か毒電波でも受信したか、あるいはすでに気が狂ってしまったかといった様子である。クー子にしてみれば真尋の状態が自身の化身存続に関わる部分も大きいためか、軽く真尋の頬にぱんちした。
「な、なんだ、どうした? というか本当に熱いぞアンタ。身体の中にフェニックスさんいるんじゃないか?」
「それはどうでもいい……? まって、最後の意味が分からない」
「すまん、妄言だから流してくれ。で、どうした?」
「壁、壊す?」
クー子の言葉に、真尋は頭を抱えた。
「いや、確かに壊してくれるとありがたくはあるんだが、ただなぁ……」
「何か問題?」
「あー、そうだな。ここ、確か建物全体で『召喚のための魔法陣』になってるんだよ」
突然の真尋の発言に、クー子は頭を傾げる。
「だからちゃんとした入り口を探して破壊するのが一番安全なんだが―――――」
「少年、色々飛ばしすぎ。説明して」
「説明?」
「というかさっきから、少年、おかしい。ここ初めてくる場所なら、もっと迷子になったりしてるはず」
「…………、あー、こう言うと変かもしれないが」
クー子に前置きしながら、真尋は塔を見上げる。
「夢で、ここの中に入ったような、気がする」
「夢?」
「ああ、夢。最近、こういう景色の中をひたすら逃げる夢を見てるんだ。……で、なんというか、実際ここまで夢の通りにいろいろと準備することに成功した以上、俺のみてた夢が単なる脳みそが作り出した潜在意識による記憶の整理だとか、そういうのを基盤とするものじゃないと考えてる」
それにクトゥルフだと大体、夢って毒電波受信する定番だし。苦笑いしながら断言する真尋だが、やはり妄言の類だと自覚があるのだろう。と、上を見上げているとふと、何かに気づく。クー子に頼みそのまま上空へ行き、塔の頂上に下ろしてもらう。と、そのままこれまた平面の、妙に摩擦の高い地面に顔を寄せて横から観察する。数秒とかからず「ビンゴ」と声を上げた。そのまま真尋は数歩歩き、先ほど回収したフォークをそこに引っかけ、弾き飛ばす。明らかに物理的にパワーが足りないところであるが、そこについてはもはや真尋も慣れ始めているので、今更動揺はしない。
果たしてそこにあったものは、今までの文明的な進歩を感じさせない程に古代的な魔法陣めいた文様のような、パズルのような何かだ。しいて言えばスライドパズルである。が、真尋はそれを数秒眺め「六回だな」と言い放ち、まさに有言実行で完成させた。やはり完成したそれは魔法陣めいたもので、さらに言えばそれが出来上がった瞬間、真尋とクー子の身体は「玉虫色の光に包まれ」、おそらくは塔の内部に転移させられた。そこは外見の人工物っぽさと一切無縁な、玉形の、緑色の筋肉がひしめき合う空間であり、さらに言えばその表面に黒々とした刺青のような魔法陣のようなものが走っている。奇跡的にも絶叫を上げるのみにとどまった真尋と、そんな彼が何をするのか興味津々といった様子のクー子。はたから見ると完全に小さい女の子な彼女であるが、やはりここにおいて真尋は頭を押さえ、普段の彼らしからぬ様子に逆戻りしていた。
「――――――――」
何事か、それこそ日本語でない言葉を唱えながら、内部に走る文様の中心部に蜂蜜酒の入った脳缶を置き、何事か呪文を唱える。いや、それは呪文なのかは定かではない。おそらくそれを口にしている真尋でさえ、それの正体について察してはいないだろう。果たして、建物の緑の肉の束の内から、その繊維の奥が「裂け」真っ黒な空間が壁のいずこかに発生する。さらにその向こうから、暴風を伴ってなにがしかの生命体が現れた。
それは全体としては、羽蟻が人間大のサイズに巨大化したようなシルエットをしていた。もっとも顔は骸骨化した、フィクションなどに出てくる龍を連想する。背中に生える羽根は昆虫類のそれではなくやはりドラゴン的であり、ただし頭、胸、腹という構成がどこか蟻のようであった。よく見ればその手もまたトカゲなどの爬虫類種の進化系譜の延長上に存在するかのような鱗に覆われた特徴的な形状で、まず間違いなくこの世のものとも思えない有様である。気持ち悪さなどとは別なベクトルとして、その実在を一目で不思議と認めたくないような、そういった文明に根差した違和感と嫌悪感が存在する。
「少年?」
「…………」
そして真尋は、猛烈に口を開きたくなかった。言い知れぬ違和感と、吐き気こそ催していないが喉から意味のある言葉を発することを、彼の本能が拒否している。何度か真尋に声をかけ、反応されないのを見て少し悲しそうなクー子には申し訳ないが、それでもかたくなに真尋の意志は言語を発することを拒否していた。当然のように、これが一種の発狂状態であると察している真尋だが、残念ながらそれを伝えるすべはない。もっとも真尋が何をしないでも、既にここの場所のシステムは彼らが何かするまでもなく自動的に動作しているのだが。
降り立ったその怪物――――バイアクヘーと呼ばれる神話生物は、眼前の脳缶を大きな口を開けて飲み込む。腹がそれで物理的に膨れたりと言ったこともなく、明らかに質量保存の法則を無視した光景であるが、まあ四次元ポケットか何かだろうと、卑近な例えを出すことで真尋は自らが正気を保護する。そしてバイアクヘーはその場で羽根を倒し、背を地面に添わせるよう伸ばし、まるで真尋とクー子に「乗れ」とでもいっているかのような体勢へと変化した。ばきばきと、背中からまるでハンドルか何かのように、鱗のような角のような何かが生える。
「……」
言葉はしゃべらずとも、バイアクヘーを指さしながらクー子に視線を送る真尋。意図は伝わったのか、やはり寂しそうなままクー子は前に乗る。真尋はその後ろから、彼女を後ろから抱きしめるような体勢で座った。単純にこの神話生物の「移動速度」が読めず、下手をするとクー子が振り落とされるのではと危惧したからこその配置である。
二人が乗ったことを確認すると、バイアクヘーは立ち上がり、飛び上がる。やはりその体勢が傾くとバランスをとるのが難しく、案の定クー子は振り落とされそうになっていた。抱きすくめるような体勢のまま踏ん張る真尋と、それに背を預けながら必死にハンドル(?)をつかむクー子。やがて二人は、もともとバイアクヘーが侵入してきた黒い孔に落ちる――――。
そして真尋の体感では、次の瞬間に体に猛烈な痛みを覚え、そして全員、雨の降る森の中で倒れていた。
「――――は?」
おそらく孔の中に入った瞬間、真尋たちの身体は光の速度を超えた移動に巻き込まれたのだろうという事実は認識していた。認識していたのだが、いや、そういう問題ではない。
眼前、異様に背の高い木々が生い茂る森の中。目の前には見事に「二等分」に分割され、ぴくぴくと蠢くバイアクヘーの姿。口から泡のかわりに白い粥のようなものを吹いているが、ひょっとしたら吐しゃ物だろうか。分割された身体からは黄緑色のどろりとした液体が噴射されており、未だそれが真尋の身体にもかかっている。
左腕が使えない関係もあり無理をして体を起こす真尋。みれば、やはり地面に横たわりながらも、顔をしかめつつ立ち上がろうとしているクー子の姿。と、右腕のバランスが崩れそのまま、どしゃり、と再び仰向けに倒れる。ちかちかと忘れていたかのように視界が明滅する中、彼の耳には、深い男性の声が聞こえた。
『残念だが、その脱出方法は一度体験済でな。対策はとられている、というわけだ』
真尋の視界の端に、わずかに巨大な獅子か虎かの、「真っ黒な」腕が映る。と、それが姿を消したかと思えば、かつかつとこちらに足を向ける男の姿が一つに「入れ替わる」。睨むように見上げる真尋。すらりとした長身はやせていながらも筋肉質。浅黒い肌にまとうは白い外套。かなり古いどこかの民族の装束であろう、要所要所、例えば首などに金細工が施されている。頭はほぼ刈りあげられており、後ろに流す茶髪は縛られている。目元には目を強調するような、壁画めいた隈取は、これまた古い印象を与えさせた。
その様相は真尋に嫌でも古代エジプトの雰囲気を思い起こさせる。そして彼の想像力は、彼の望むのと望まざるとに関わらず結論を導き出した。
「しかしそなたもまた、十全に育った育った。結構結構、改めて我が糧となるが良い」
「――――アンタは、っ、」
男は尊大に、しかしどこか誇らしげに叫んだ。
「――――――――我は古き王よ! 最も古き、『ただ一つの』闇を照らせし者! ネフレン=カの名、知らぬとは言わせぬぞ」
結局、這い寄る混沌じゃないかと叫びかけ、しかし真尋は、眼前の男に対してどこか違和感を抱いた。
本作でのCVイメージ
ネフレン=カ:山寺宏一