本章、真の虚飾に棲むもの。
※本話は後日談的なものになりますので、事件終結の前話をご覧になられてからを推奨します
――――眠りの果て、気がつけば、真尋は巨大な螺旋階段を下っている。大理石で作られたそれは下方果てがないように見える。いや、厳密にいえば暗黒に包まれており先が見えないが正解か。だが百段までは下っていないだろうが、ある程度の時点でひんやりとした鉄の扉にぶつかった。完全に不意打ちで激突したため、そのまま正面から直撃。倒れ鼻を抑えて眼前のそれを見やる。丈は3メートルから5メートルほどだろうか、輪郭がぼやけているので真尋に全容は把握できない。ただ取っ手については1メートルの個所にもついており、真尋はそれを手に取り、引いてみた。扉は意外と軽く、彼の侵入を拒むことはなかった。先は薄明りの洞窟、足元がきらきらと宝石のように輝いて見えるが、どこかに光源があるのだろうか。天井から垂れるつららのような鍾乳洞。ロマンチズムをあまり介さない彼なので特に感想はないだろうが、なかなかに幻想的な光景だ。と、足の異様にひんやりとした感触から、真尋は自身が全裸であることに気づいた。しかしどこを見ても服に該当するものも布もなく、諦めて前進する。
先を歩くほど光源は濃くなり、やがて真尋の目にも見えるようになる。それは点々と数か所に設置された火の柱だ。中心に芯となる何かが存在しているのだろう、暖色と寒色とがいったりきたりする、不可思議な光の明滅である。思考がぼやけたまま、真尋はそれをじっと見て、さらに足をすすめた。柱を5つほど経由したころだろうか、やや開けた洞窟の場所の先。異様に背の高いシルエットが真尋を見下ろしていた。ゆうに3メートルは確実に超えるだろう巨体である。その背後には、明らかに洞窟の中のそれとは異なる舗装された道があった。
『――――――』
老人の片方が言葉を話すが、明らかにそれは日本語ではない。かといって英語のそれでもなく、真尋は意味を介さない。しかし、ぼんやりとした頭のまま、真尋もまたそれと同様の言葉を口から紡いだ。
『――――、』
『――――――――』
『――――――、』
どこかで、ふと猫の鳴き声が聞こえると、老人たちは道を開ける。真尋は何かに導かれるように、そのまま足をすすめた。先に足を進めていくと、やはり開けた場所に名状しがたい色をしたテーブルが一つ。小袋と銀のナイフ、ポシェットとベルト。さらにはレンジャーといったらいいか、テンガロンハットめいた何かと、中世ヨーロッパの商人でもまとっていそうなジャケット、シャツ、パンツ。それぞれ妙に収納スペースが多い。見慣れない服であるにも関わらず、ぼんやりとした頭のまま、真尋は慣れた手つきでそれを着用していった。
道はやはりどこかで螺旋階段へと変化した。石造りの階段は、長い。底が暗闇で見えず、しかし歩いている途中で段々とその作りが木製の建造物のような感触になっていく。だがこれも、真尋は特に疑問も覚えず慣れた風に最下層まで下った。装飾が彫り込まれたアーチの先はまばゆく見えない。装飾に目を凝らせば、そこには雷を降らせる男性の神、三又のトライデントを手に荒れ狂う神、首が複数ある獣を退治し尾から刃を取り出した神、龍にしか見えない神……様々な装飾が彫られていることに気づく。それが何か、デジャビュというか、以前と変わったような印象を真尋は抱いた。ここに初めて訪れる彼であるからして、明らかに矛盾する感想であるが、それさえ彼は無視して足を進める。
光の量が一気に変わったため、一瞬目をやられる真尋。やがて眼がこなれてくると、そこが森の中であることに気づく。背後を振り返れば木の幹なので、明らかに物理法則を逸脱した構成になっているが、そんなことは今更であると肩をすくめた。
「なるほど、ここに繋がってるのか」
次第に真尋は、ここは最近よくみていた夢の中で見た光景であると認識する。背の高い木々はそのまま枝と葉が天蓋となり、それだけで自然のトンネルである。無数にそんな場所が続く様は一見してかなり幻想的であり、さしもの真尋でも今度ばかりは思わず感嘆した。あの夢の中の彼はそんなことに気を配る程の余裕さえないのが原因ではあるが、ちょっとした癒しスポットだな、とか、かなり卑近かつ場違いな感想を抱く。なお足を進めると、天蓋のせいで光が薄い箇所も多く、そういった個所こそにそこかしこにいる菌糸類がわずかに燐光を放っている様がまた不気味で、真尋は直前の感想に辟易した。
真尋が一歩一歩踏みしめるごとに、木々の間、木の上など様々な場所から何かが動く音が聞こえる。それは真尋の様子をうかがっているというよりも、まるで天敵にでも遭遇したかのように逃げている形だ。と、そんな森を抜けている途中、真尋は見覚えのある猫の姿を見た。
『――――』
ついてこい、と言われているような錯覚をする。真尋はそれに従い、猫の後ろを追う。直進すれば町がある、という直感に逆らうかの如く、猫は入り組んだように道なき道を進む。と、だんだんと真尋の視界が霧に覆われ始める。突然ふって湧いたようなその霧に違和感を覚えつつ、黒く映る猫のシルエットを見失わないよう足早に続いた。その先には広い湖と、そこに浮かぶ湿地帯の島があった。
猫はその手前にある小船に乗り、再びなく。続いて真尋が乗り込むと、いかなる力が働いたのか、ゆったり、ゆらりゆらりと船が勝手にその島に向かって進む。
船の漂着した個所には緑色の魔法陣――――真尋は持ってきた小袋を開けると、その中から琥珀のような宝石を一つ取り出した。その上に置くと、不意に周囲から大量の猫の鳴き声。と同時に、巨大な影が真尋たちの横に倒れる音が聞こえた。
やがてどこからともなく、巨大な蟻のような竜のような名状しがたいシルエットが現れる。細部は見えないがおそらくビヤーキーだろうそれの背に乗り、真尋は身を任せた。ほぼ数秒で、気が付くと真尋は見覚えのある名状しがたい緑の塔の中にいることに気が付く。足を踏み出し壁にふれると、めきめきと嫌な音を立てて外への穴が開いた。
街は以前来た時よりも暗がりに包まれていた。具体的に言えば生命を感じない。道中、見るも無残に引き裂かれ崩れ落ちていた人のような死体の数々と、マゼンタ色の巨大な触手とを見て、真尋は猛烈な不安感にかられ、そして脳裏で劉実に抱き着いていた。そのまま慈愛の表情で真尋の頭を撫ぜる彼女のふくよかな胸に頭をうずめ、ただただ泣きはらすイメージである。そして数秒後に何を考えているんだと妄念を振り払い、転々とする死体の山のその先へと向かった。
「――――――あっ」
やがてその先に
「良かったって言うべきか。まだ他の層に行ってなくて」
真尋の声を耳に、彼女はうっすら目を開ける。赤く深い色のそれを一目見た時点で、真尋は言葉がなかった。夢の中でみたその彼女は、今また真尋の認識における現在現実において、もとより形容することが出来ない程に、すべてを取り込んでいた。見る者すべての視線を離さず、それこそ時が止まるような錯覚。劉実をはじめてみたときの鮮烈さとはまた違った、そう、その在り方はむしろ暴力的とさえいえた。
そして彼女は――――赤の女王は真尋に微笑んだ。
「はじめまして、でよろしいでしょうか?」
「……ああ、それで合ってるはずだ」
こんな呪われた場所に何の御用で、と彼女は続けた。
礼を言いに来ただけだ、と真尋はつづけた。
「はて、何のことやらわたくしにはさっぱり」
「誤魔化し方が本体と全く同じだなアンタ。……こっちにとらわれた時、何度か助けてもらったからな。そのお礼をと思って。『なんとなく』来れる気ではいたが、本当になんとなくで来れたのがいろいろと恐ろしいところだが」
「なんとなく、ですか。……貴方、正気は大丈夫でして?」
「今更だ」
真尋の苦笑いに、彼女は少し寂しそうな笑みを向ける。
「少なくとも、アンタは最低でも2回は俺を助けるために手を貸してくれたと思ってる。だったら、頭くらい下げるのが筋だろ」
「ですから、何のことかさっぱり――――」
「少なくともあんなに俺の夢にアンタと、ここが出てきたことが、無関係だったとは思っていない」
真尋の夢の中のそれは、こことさらにより『下層』であったという謎の確信が彼の中にある。だがそれはともかくとして、何度も何度もここを徘徊し逃走する映像が、真尋が逃げるのになんら役に立たなかったはずはない。少なくともここの構造の把握に一助していたことはまず間違いないだろう。
「まあ、そうはいっても引っかかりはあるが、それは後に回そう。次はノーデンスだ」
「はて?」
「『一人の尊厳ある人間として、あらん限りに常識とその豊かな想像力を武器に戦え』――――これはニャルラトホテプの言い回しだ。ノーデンスのじゃない」
「……」
クー子に対してサジェスチョンをしただろうノーデンスの言動で、真尋が違和感を感じたのがそれだ。その言い回しだけ、必要な情報以外のものとして明らかにノーデンスの発言として浮いている。だが逆に言えば、ノーデンスがそんな言い回しを使ったというのが既に、ノーデンスと這い寄る混沌との接触をうかがわせているともいえた。真尋に直接言及しなかったのは何かの意趣返しというか、嫌がらせの目的もあったのかもしれないが、そこまではさすがに彼も察しきれはしない。
またしいて言えば、ノーデンスが呼び出していたクトゥグアの化身――――その大本に、おそらくはその召喚の生贄か何かの素材として「夢野霧子」を、すなわち二谷劉実を使っていたことも、そう考えると怪しい。まるであつらえたかのように、あのタイミングで這い寄る混沌を真尋が直感的に呼び出せるとわかっていたかのような配置であり、実際にその配置でなければ真尋はあの場でネフレン=カに取り込まれていたことだろう。自ら輝くトラペゾヘドロンを破壊し、通常のトラペゾヘドロン同様の状態にしたうえで這い寄る混沌を呼び出す条件を満たすという、その一連の流れが例え存在したとしても、そもそも彼女の死体があそこになければそれは決して成立しえない事柄だからだ。
ただ、それをもってしても彼女が真尋を助ける理由に心当たりが薄いが、化身同士の対抗意識だの何だの説明がつけられなくはない。
「あともう一個くらい言い逃れ出来ないのがあるぞ? ここの惨状だ」
「…………」
「俺たちが逃げるのを助けるように、ムーンビーストやらなにやらと戦ったアレ。初見の時はハスターの化身か何かかと思ったが、考えてみればいわゆる『黄衣の王』とハスターを結びつけるのも創作が前提だったと思うし――――ドリームランドを徘徊する這い寄る混沌の化身に、そんなのがいたような、いなかったような」
「…………」
「そうすると、アンタの正体が何かってことだが……。たぶん、当然、這い寄る混沌の化身ではあったはずだ。だが明らかに本体のあっちと連携している気配がない。とするなら――――アンタもまた、ネフレン=カ同様に本体から独立した化身だって考える方が自然だ。ここが『サルナスの遺跡』であるならなおのことな」
「――――――っ、そ、それをわかっていて貴方はここまで来たとおっしゃいますの!?」
赤の女王は真尋の言葉に、明らかに慌てる。まあそれも当然か。かつてここにあったサルナスと呼ばれる国は、とある経緯からボルグルと呼ばれるトカゲの神の怒りを買った。結果を見ればわかることだが、現在この場所は滅亡しているも同然である。人が住む気配はなく、本来ならばこの赤の女王以外は誰も居なかったのだろう。ノーデンスは言った。真尋が拷問を受けていた場所は、這い寄る混沌本体でさえ手を出すのを面倒がる場所だと。とするならばこの呪われた地において、這い寄る混沌が真尋を自分から進んで助けることはするまい。であるなら、ここまでお膳立てされた流れがあったのだとすれば、それは誰かが、真尋に手を貸していたとみるべきだ。
おそらく真尋がここに足を踏み入れても何も問題がないのは、そもそもその呪いの意図していた存在ではないからであろう。とはいえ細かい条件が分からないので危険であることに変わりはないのだが。それにもかかわらずわざわざ礼を言うためだけにここに来たと言っていた真尋のその言葉が、彼女には甚だ理解できない様子である。
「なんで……、せっかくわたくしが助けたといいますのに、そんな自分を大切にならさないですの?」
「その発言が既に色々とキャラ崩壊も甚だしくないかと思うんだが……。アンタって傾国の美女的な性格付けをされてなかったか? 悪女だろ立派な」
「別に今、それをする必要はありませんし。それよりも、本当に貴方は正気ですの?」
十分正気だと断言する真尋は、改めて頭を下げ顔を上げた。目の前には驚きながらも、それでも頬をほんのり赤くして、まるで初心な少女が照れているような反応を見せる赤の女王がいた。いっそう、真尋は彼女から目を離せない。真尋は自分の中に、確かに彼女に対する妙な依存心が生まれることを認識していた。嗚呼これが彼女の問題点かとも納得していた。どんなに優れた為政者の理性をも溶かす、絶対的な生物としての魅了、おそらくそういった類のものが、現在真尋にも働いているのだろう。この場でずっと彼女に甘やかされ、溶かされてしまいたいという願望すら脳裏をよぎる。だが真尋は、劉実の笑顔を思い浮かべ、それを振り払った。振り払えてしまえるほどに、彼の中で彼女の面影はいまだ大きな影を残しているらしかった。
「……どういたしまして。ですが、もうお帰りください。今の貴方にとって、わたくしという化身はただの毒にしかなりませんわ」
「そうかもな。……じゃあ、また」
「とはいえ帰りは大丈夫ですの?」
「『蜂蜜酒の琥珀』はまだ残ってるから、上に上がるだけなら問題はない。……行き来はなんか、猫が色々やってくれた感じがする」
「ああ、『アゥリス』ですわね」
「名前あるのか。……っていうか、アンタの飼い猫か?」
「さあ? まあ、半分はと言っておきますわ」
くすくすと笑う彼女に、真尋は背を向け足を進める。相変わらず違和感の残る左腕をさすりつつ、ふと空の天蓋を見上げ、そして背後を振り返った。
「変なことを聞くが」
「はて?」
「――――俺、かなり昔にアンタと会ったことがあるか? それこそ、俺が生まれるより前に」
――――君が生まれるはるか昔から、そう、前世よりもずっとはるか先から定まっていた運命だ――――
真尋を取り込もうとしたときの、這い寄る混沌の言葉である。そしてそれは、もし仮に彼の前世が――――むろん前世なるものが存在すればの話だが――――夢の中の、真尋の視点だった誰かのものなのだとすれば。あの説明のつかない夢の内容に対する解答になりえ、そして真尋と無関係であるはずの彼女が、彼を積極的に助ける理由にもなりえるが――――。
「……さて? ただの気まぐれですわ」
真尋のその問いに、赤の女王はただ楽し気に、いたずらっぽく微笑むばかり。そんな彼女に背を向ける真尋を、彼女はいつまでも見送り続け。
真尋の姿が塔の中に消えた途端、両手で顔を覆い、ただただ肩を震わせて、小さく、嗚咽を漏らした。
【真・這いよれ!ニャル子さん 嘲章】
【ドゥエラー・イン・アフェクション】
【END】
以上で完結となります。正確には次回予告? 的なのを更新したら、正式にいったん終了です。
続きがあるかについては前回同様、ここまでの評判、感想の状況と、あとは冒涜的天啓が再び降ってきたらになるかと思います;
前回ご好評いただきまして2部と相成りましたが、割と需要が読めないと(感想とか?)続かせ辛いところがあったりなかったりです。まあ最後は冒涜的天啓が降ってこないと手も足も出ないのですが・・・;
それではまた深淵に\ドロップ/\ドロップ/