真・這いよれ!ニャル子さん 嘲章   作:黒兎可

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3章前に、SAN値回復ポイントこと日常編


 旋律の前の閑章
マシュルフマイハート その1


 

 

 

 

 

 

 八坂真尋の脳裏を打つのは、トントントン、とリズミカルな包丁とまな板の音。音の感覚からして野菜、大根か何かを切断しているのだろうという目星はつけられる。そういえば入院前に大根の糠漬けを作っていたな、と思い出し、そしてそんな真尋の寝覚めは最悪と言えた。

 

「暑っ」

 

 四月末から五月の連休もとうに過ぎ、既に初夏。なんだかんだと熱気がこもる室内で、軽く脱水症状を引き起こしているのか頭がぼうっとする。唾液を飲み込めば喉が痛く、まるでひび割れてるような感覚だ。おそらく水分が足りず、かぴかぴに乾ききっているのだろう。時期は早いがそろそろエアコンを動かそうか、掃除をしようか、色々考えながら上体を起こし伸びをした。

 寝ぼけたままの真尋であるが、本能的にか習慣的にか、体は学校へ向かうモーションをとっている。カバンの中身を一度確認し、財布やら筆記用具やらをチェックした後、ぼんやりしたまま洗面所へと向かっていた。

 

「今、何時だ……。顔……」

「――――あら、おはようヒーロ君……、うぷっ」

 

 途中、真尋に、酷い顔色で声をかけるのは彼の母親だ。正面から行き違いという状態なので、おそらく洗面所かトイレからやってきたのだろう。あきらかに青いその顔色と、頭を押さえている様子から、それとなく後者だろうと真尋は察した。ほんのりアルコールの刺激臭と、消化液の刺激臭との混じった、なんともいえない匂いが漂ってくる。しかし朝、こうしてだらけている様子の母親と遭遇するのは珍しい。そもそも仕事が忙しく、朝はほとんど家にいない母親であるし、父親に至ってはめったに家に帰ってこられない八坂家である。理由を思い出そうと活動が鈍い脳みそのギアをあげようと考えこむ真尋だったが、しかしやはり異臭が鼻につき、集中できなかった。

 

「…………ヒロ君は止めろっての。あと母さん、ちゃんと口濯いでこいって。すごい臭うぞ」

「あらやだ、そう? 駄目ね、清定さんにイヤミ言われちゃう――――」

「あ、でも俺が顔洗ってからにしてくれ。さすがにゲロ臭い蛇口から出た水を、顔に浴びる趣味はない」

「あら酷い。こんな妙齢のレディに向かって、ゲロ臭いまましばらく待ってろって言うのー?」

「自爆してる母さんにまで付き合うつもりもないぞ。大体、逆に言えば、それって俺に今日午前中しばらくゲロくさいまま過ごせって言ってるじゃないか。そんな無茶苦茶なことを言う母親なんて世に居ないと、俺は信じたいけどな」

「う、容赦ないわねっ。どうしてこんな口悪く育っちゃったのかしら……。

 ちなみにアンタ、そんなだと学校に友達とか、あんまり居ないんじゃ――――」

「うるさいっての。いちいち親に心配されることじゃないっ」

 

 実際、片手で数えられるくらいの交友関係だった。真尋の慌てたような挙動に「わかりやすいわねっ」とニヤニヤ笑いながら抱き着く八坂頼子(年齢不詳)である。

 

「はなれろっての、というかマジで酒臭いっ」

「ふふ~ん? 離れろと言われて離れるお母さんはいないのじゃっ。あぁ~、ムスコニウムが補給されるんじゃ~、いいわいいわぁ、若返る……!」

「アンタさては二日酔いどころか、まだ酔ってるな!?」

 

 意味不明すぎる母親の言動に、真尋は想像力を働かせるまでもなく結論を導き出した。おおよそ迎え酒とかやって、その状態で酔いが回ってる有様なのだろう。よく見れば目の下にくっきり隈が出来てる。この様子からしてほぼ夜通しで、かつ仮眠くらいしかとっているまい。一目でわかる、不健康ここに極まれりだった。

 組みつきに対してなんとか腕力(と舌戦)で事なきを得て顔を洗いリビングに向かう真尋。と、キッチンには背の高い男性のシルエットが見える。少しだけ嫌そうに眼を細め、しかし頭を振り自分の席を引いて座った。

 

「珍しいな。おはよう――――親父」

「おはよう、真尋」

 

 こちらに振り返る父親は、どこかで見たことのあるような涼し気な微笑みを浮かべていた。顔形は全く違うし、振る舞いやらその正体やらを考えても絶対に違うのだが、どうしても真尋の脳裏に、真っ黒なローブをきた、存在自体がかなり危険な男の涼し気な微笑みが浮かぶ。表情にもその何とも言えない嫌悪感が出てしまっているのだが、父親は特に気にせず、目を閉じて受け流した。おそらく真尋よりも、普通に人間が出来ているのだろう。それを察して、真尋はまた何とも言えない気分になった。

 

「昨日の夜に帰国してね。真尋は再検査の後、ぐっすりしてたから気づいてなかったか。まあそう言いつつ、今日の午後には雲の上に戻るんだけどね」

「相変わらず忙しいな」

「まぁね。実のあるフォールドワークとかなら喜ぶべきところだが、ありていに言えば楽しいものではないかな」

 

 父親と母親、双方ともに大学で教鞭をとる立場である。母親が近隣の大学で民俗学、父親が都内で考古学をそれぞれ担当している。母親はそこまで忙しくはないのだが、父親はどうやら何か大きなプロジェクトに関わっているらしく、研究目的でも、また発表やらイベントやらでも引っ張りだこらしく、ここ数年は特に忙しい時期が続いていた。反抗期を迎えて久しい真尋からすれば、ケンカすることもなく、なんとなく清々するのもあって有難い話ではあるが、同時に悶々とするいら立ちのようなものの当たり所がないということでもあって、中々難しい問題でもあった。

 

「後、おはようとは言ったけど、今は十一時だね。気を抜くとお昼を回るよ」

「マジか――――って、あれ? 今日、休み?」

「土曜日だね。しばらく入院していたから、体内時計が狂ってるとみえる」

 

 微笑みながら現在洗っているらしい硝子のコップをちらりと魅せる父親。もう朝食は終了してるということらしい。

 

「何か食べるかい?」

「あー ………………、いい」

「そうか。お湯はポットで沸かしてあるから、ご自由に」

 

 とりあえずということで、常備してある粉末コーンスープを溶いて食べる真尋だった。と、食べ終わるころに洗面所から、もうすでに今朝がたの酔っ払いここに極まれりな有様から完全に脱した、それはそれは美しい母親が帰っていた。まぁ父親を見るなり「清定さぁん♡」などと言いながら、千鳥足で抱き着きに行くあたりは、酔いがさめてるという訳でもないらしいが。

 

「二度寝でもするか」

 

 ダンナ酸なる謎の栄養素を夫から吸収しようとする母親の言動から目を背け、真尋はそのまま自室に戻り、ベッドにダイブした。

 休日の二度寝は基本しない真尋であるが、父親がいるときはどうにも治まりが悪いのか、不貞寝のような感覚で顔を合わせづらい。別に喧嘩をしているということも、親子仲が悪いということもないのだが、どうにも真尋は父親が苦手だった。いなければ寂しいし、長い間会ってなければ顔を合わせたいとも思う。何か事故があったとなれば心配にもなるし、そういう意味では普通に親子らしい感情はあるのだが。どうにもこればっかりは、思春期特有の、親がうざったいという感情のアレだろうと、真尋は納得していた。いや、明確な原因はわかっているのだが、それを直視することこそを真尋は避けているのかもしれない。別にそのことを受け入れなくとも人生困ることはないし、自分は自分で十分やれている自負もある。ただ、そういうのとは別に感情の問題として、八坂真尋は無理やりに納得をしている。そして、そのことを考えるのを止め、意識を無意識の虚空に手放した。

 入退院してからしばらく、真尋はもう思わせぶりな夢を見なくなっていた。一度だけ、もうどうやったのかさえ定かではないが意図的にその思わせぶりな夢を操作(ヽヽ)したことはあったが、それは、やろうと思ってみている夢、つまり覚醒夢というやつだ。なのでそういうのとは無縁として、特に何か「念じたりしなければ」、真尋の夢は真尋だけのものである。すなわち、夢を見ることもあれば意識を簡単に手放すこともあり――――。

 

『――――真尋ー、お客さんよー』

 

 頭からすっぽりかぶった布団に、玄関からかけられているだろう声が聞こえて起こされることもある。

 

「……、誰?」

『あの、髪の長い可愛い子ちゃん』

 

 言い方が微妙にオヤジ臭い。

 瞬間、脳裏に二人の顔が描かれ、ヘアスタイルから相手が絞られる。そして真尋はさも当然のように。

 

「チェンジで」

 

 やはり寝ぼけているのだろうか、微妙に意味不明な返答であった。気のせいでなければ、誰かの堪忍袋が「ぶち」とキレる音が聞こえたような、気がする。失礼します、と聞き覚えのある声が八坂家の侵略を開始したあたりで、真尋は特に気にせず意識を無意識の虚空へと再ダイブさせようと――――。

 

 

 

「ま、ひ、ろ、さんっ! チェンジとは何ですかチェンジとは!」

「ぃっ!?」

 

 

 

 どしん、とベッドの上からのしかかられ、顔のあたりのタオルケットをはぎ取られた。見上げればこう、やはり想像通りの人物というか、つまり二谷龍子がそこに居る。ピンクのシャツに黒のワンピース、黒タイツと、なんとなくおしとやかな服装で似合ってはいたが、何やら真尋の直感は、本来これはクー子あたりが着てそうな服のイメージであると思い至った。全くなんて無駄な想像であろうか。ともあれ駄々っ子のごとく、ばし、ばしと真尋の身体を軽くはたき続ける龍子に、彼は諦めたように問うた。

 

「全く、休日だっていうのに……。何しに来たんだ?」

「何しに、じゃないですよ。この間、約束したじゃないですか、真尋さんの快気祝いにどこか遊びに行くって! どうして忘れてるんですかっ」

「そんなこと、やりたきゃ一人でやってくれ。今日は眠いん――――」

「真尋さんっ」

「!? こ、こら、何ベッドに入ってこようとしてんだっ」

 

 強硬手段とばかりに、タオルケットに潜り込み真尋本体を連れ出そうとする龍子と、さすがに女の子相手だから蹴ったりできずじりじり追い詰められる真尋の戦闘が、小一時間繰り広げられた。不毛である。お互い疲れによる一時休戦を挟んで、あきらめように真尋は立ち上がった。

 

「とりあえず下の階、降りてろ。あとスカートの裾は直しておけ」

「え? きゃっ」

 

 きょとんとして言葉通りスカートを確認、ストッキング越しとはいえかなり大胆なくらいに露出されていた太ももとエトセトラに、あわてて照れたようにばっと直して、股間のあたりを隠した。今時あざといくらいのしぐさである。狙ってるのか素なのかは、さすがに真尋も判定できないくらい、龍子との付き合いは短い。

 

「むむぅ……、こうなったら等価交換です。最近はやりの」

「最近じゃないけどな。で、何がだ。早く出て行って欲しいんだが」

 

 じぃ、と、真尋を見つめる龍子。

 

「まさかとは思うが、俺の着替えというか下着見て、等価交換だとか言いたいのか。止めとけ止めとけ」

「な、なんでですか?」

「どう考えても、今、扉の手前で聞き耳立ててる母親が、変なこと言いながら乱入してくるから。変な既成事実でも作られたら、たまったもんじゃない」

「うっ、わ、わかりましたよ……」

 

 見られ損じゃないですか、などと言いながら部屋を出て戸を閉める彼女。ちらりと開けた扉の手前で、母親が「あ、ばれた?」みたいにてへっ、ぺろっ、というしぐさをしていたのがやや面倒臭かったが、ともあれ扉が閉まり、階段を下る足音が二つ。真尋はさきほどのうっとうしい視線を無視してパジャマ上着のボタンをはずし。

 

「今時、かぼちゃパンツであんな恥ずかしがるなよ……」

 

 膝近くまであった暖かそうなドロワーズを思い浮かべながら、ため息をついた。

 

 

 

 

 

 




本作のCVイメージおさらい:
 八坂真尋:鈴村健一
 二谷龍子(ニャル子):浅野真澄
 クー子:堀江由衣
 真尋の母:三石琴乃
 真尋の父:佐々木望
 
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