第一章「ネクロノミコン計画」の「あなたは逃がさない」途中から続く形となっておりますので、未見の方は一章を先にお読みいただければと思います;
そしてグロ&クトゥルーエンド注意
「――――正直に言えば、アレの掌の上で転がされるのは癪に障る。が、お前を放置しておくのは後々のためにならん」
「オレがなんだっていうんだよ、アンタ」
「『奇妙な歳月』って小説があるんだが、知ってるか? 人類がアレの策謀の前に完全敗北する物語だ。お前が生きてる状況っていうのは、ちょっと誰かが手を加えれば、すぐソレと同じになるって話だ」
真尋の想像力は、それだけの情報でなにがしかの答えを導き出している。そして、その結論に対する違和感に真尋はついに自分自身のこの認識の異常さに気づいた。想像力があるというには、明らかに彼の予想は現実のそれを射抜きすぎている。霧子(仮)との会話におけるリアルクトゥルフ神話小説群の知識から導き出されたろう予想とはわけが違う。いや、あれももしかしたら実際のところは違ったのかもしれないが、それはともかく。少なくともノーデンスの言葉がただしければ。おそらく、自身は「這い寄る混沌により改造されたヨグ=ソトスの落し子」なのだろう、という予想だ。そしてノーデンスの顔を見るまでもなく、彼に確認をとるまでもなく、それが事実であろう確信があった。その確信がやけに絶対的なものであるという認識が、まるで刷り込まれたかのように真尋の中に沸き立っている。そしてほぼ間違いなく、自分をとらえたダゴン秘密教団のような組織の連中は、己の使い方を間違ったのだろうということも。
あれ、この被害妄想のような誇張の入った刷り込みめいた強迫観念のようなそれは、これって不定の狂気にでも入ってるんじゃないのだろうか、と疑いはすれど、彼の認識自体が大きく錯乱状態にないことから何かが違うという理解もある。ただし現状、どうあがいても真尋自身の正気を真尋が証明することは不可能である。すでにSANチェッカーは存在しない。この狂気の世界に、真尋一人で立ち向かうしかないのだ。
「わかるか? お前が生きているとまずいってことが。じゃあ、わかったら死ね」
そしてそれだけ言って、今度こそノーデンス老は銛を構えて投擲した。投げ槍の要領で放たれたそれは、明らかに速度を増していく。真尋の身体が動くよりも何よりも、既に彼の目の前、刺さる直前の位置だ。このタイミングに至り、真尋の中の時間が静止する。徐々に徐々に近づいてくる銛の先端をかわそうとすれど、彼自身の身体はびくとも動かない。状況に違和感を覚えると同時に、嗚呼、これはいわゆる死に際に世界がスローモーションになるというアレだと納得した。脳裏に数々の映像がよぎる。冒涜的な映像だったり、母親や父親、学校の友人たちの顔やスピーカーフォンのような声も脳裏をよぎる。そして不思議と、最後に脳裏をよぎったのは、やはりというべきなのか、霧子(仮)の姿だった。記憶の中の霧子(仮)は、ひどくおかしそうに、それでいていつくしむような眼をして真尋を見ていた。
「――――――――」
こんなところで死んでたまるかと。だが、すでに真尋にはどうしようもない。そして刃そのものは、もはや真尋には決して止めることができない。
そして――――すべては決した。
八坂真尋は、八坂真尋という意味を失った。
思いも、決意も、何一つこの場に残ることはなかった。
※
真尋の頭蓋を跳ね飛ばした銛は、そのまま巨大な貝殻の内側にぶつかり跳ね返る。
どしゃり、と倒れた真尋の体みて、ノーデンスの化身はそれに近づいた。足元、いまだ脳漿とも血液ともつかないそれらを吐き出す肉塊となったそれを見下ろし、嘆息。
「念のため、こっちもやっとくか」
片手右手を振り上げると、先ほど投擲された銛が再びノーデンスの手に収まる。それを持ち、ノーデンスはさっきまで真尋だったものの胸の中央に振り下ろす。あたり一面に転がる肉片と体液のようなもの。それらの色は最初は赤いそれであったが、徐々に緑色に変色し、玉虫色を帯びていった。
変色する死体の液体に顔をしかめることもなく、ノーデンスは当然のように銛を引き抜く――――。
そして、違和感に気付いた。
「なんだ――――?」
真尋の失われた頭部の箇所に、同じ肌色をした何かがめきめきと盛り上がる。当然それに銛を振り下ろすノーデンスだったが真尋だったものの胴体が猛烈な勢いで飛び跳ね、彼の腕を払う。そのままごろごろと転がり、ノーデンスから距離をとった。
一方のノーデンスは右手を抑える。病的に白い肌、真っ黒な爪先の右手が、がたがたと震えていた。
「何をやった、てめぇ」
「――――ぁ、う、ううあ――――――――」
びくびくとしながら、まるでマリオネットか何かの様に、糸につられるように立ち上がる真尋の胴体。そのまま真尋だったものの体は、両腕をだらりとし、猫背になり、そして首を地面に対して直角に上空に向けた。びちびちと、かろうじて肉によって形成された頭部が、残った下あごのそれに対応して穴が開き、口のような形状をなす。そのままうめき声のようなものをあげながら、「それ」は現れ始めた。真尋だったもの体の内側から、口を出口として、一本の、黒い、太い触手が這い出てきていた。うねうねと蠢き、そのたびに真尋の口から黒い吐しゃ物があふれ出る。ぎょろり、と、触手に三か所亀裂が入り、そこから目玉のような器官が出現する。目玉からは黄色い粘液があふれ出し、しかしそれらは重力に従うことなく触手の先端へと向かっていく。やがて自重に耐え切れなくなったのか、真尋だったものはその場に膝をつき四つん這いの状態に、しかし首だけは相変わらず状態を変えずじょうくうをむいているさまが、すでに彼の体が死んでいることを表していた。
黄色い粘液のそれは、先端に集まり球体のようになっていく。わずかに赤黒い色の渦が表現にうごめいており、独特の刺激臭を伴い周囲に放つ。ノーデンスもそのせいか一瞬顔をしかめたが、ばしゃり、と飛び散る、膿のようなそれの中から這い出て、現れ出た存在に鼻で笑った。
「ニャルラトホテプ――這い寄る混沌か。相変わらずだなぁ」
立ち上がったのは、「黒い外套を着用した」「肌まで真っ黒な」男の姿だった。フードを後ろに払えば、額に赤いチャクラのある、黒い肌の、剃髪の男。決してそれは人種が黒人だという問題ではなく、正しく男の肌の色はこれ以上なく真っ黒に染まっていた。容姿の美醜は不鮮明。しいて言えば眉毛の形状にわずかに特徴があるくらいか。だが、そもそも輪郭をとらえることに意味などないことを、ノーデンスの化身は正しく理解している。閉じていた目を見開くその「神父」。わずかに黄土色なその黒い瞳をノーデンスの化身に向け、彼は薄く微笑んだ。
「思ったよりすんなりと、計画通り進んだね」
何? とノーデンスが返すのとほぼ同時に、神父は指をはじく。
「わかっていないなノーデンス。そういうところが、君がよく地球人から顰蹙を買っている箇所だというのに」
「なんだと?」
「愚かだねぇ。『この少年』はもう死んだ。君が、殺したんだ。つまり――――君の加護はもう『適用されない』ということだ。私がいくら手を加えても、もう問題はない」
「はぁ?――――――――」
次の瞬間、神父の左手には、さきほどノーデンスが銛で吹き飛ばした頭部の破片や眼球が結集していた。
マリオネットのように不気味に折れ曲がった胴体へと指をはじくと、それが名状しがたい音を立て、液体を吹き出しながら、その形を大きく変えていく。肉と、骨とが、圧縮され丸まり変形する途中とで、明らかに粉砕され、吹き出し、その場に飛び散っていく。その様を前にしても、ノーデンスは動かない。いや左手を差し向けて何やら念を送っているようではあるが、何か違和感を感じているのだろう、顔をしかめている。
やがて這い寄る混沌の手間に現れたのは、形状の欠けた本のようであった。そこに、残りの頭部のパーツを、無理やり接合する。まるで侵食されるかのように、徐々に徐々に形が変貌していくそれ。
「…………悪趣味だぞ、てめぇ。最初からそいつが生まれるように、自分でデザインしておきながら、最後は『そう』するのか」
「ああ。もともとはだね。君の血筋に紐づけた結果、うまいこと『
――――よし、完成だ」
その手元にあったのは、一冊の、赤黒い本だ。表面には人間の顔の半分が張り付いたような異形のデザイン。ただおぞましい見た目に反して表面の触り心地は悪くないらしく、さらさら、つるつると神父は撫で続ける。
「かの青年が狂い死してから、幾星霜……、13回は星を読んだかな」
「はン、知ったこっちゃねぇなぁ。こっちにも切り札は居る――――」
「―――――まだ分かっていないようだね。この少年が『こうなってしまった』時点で、この『流れ』において君はチェックメイトだ」
「何?」
次の瞬間、ノーデンスの横に火柱が上がったとたん、その場には焼死体が一つ転がったのみ。唖然とした表情の老人に、神父は腹を抱えて嘲った。ようやく、ようやく、ここまで含めてすべてが這い寄る混沌の手中にあったと気付いたノーデンスであったが、時はすでに遅かった。指をはじく神父。と、その背後から、名状しがたい、顔面のない、頭部に黄金の装飾のある黒いライオンが――――。
「『
「ほざけ――――」
ノーデンスの化身の右腕には、銀の鎧が装着されていた。銛はより大型の、先端が三又に分かれた槍へと変貌し、襲い掛かってくる獣相手に応戦する。だが、それを横目に「神父」は、真尋だった書物を開く。そのうち、血と骨と肉とで創成された項のとある箇所を開き、唱えた。
「”それは永遠の死にあらず、死すら超える未知なる永劫なり――――”」
「っ? てめぇ、まさか『アレ』をそのまま実行しようっていうんじゃねぇだろうなぁ」
「そのつもりだよ。もともと、『私』が動いている以上、予想は付きそうなものだったがね」
神父の読み合せた一節から、ノーデンスは『
薄く、嘲るように微笑みながら、神父はノーデンスの化身を見やる。
「古き時代、探索者――――『闇を照らせし者』との契約は、ここに果たされる。彼らが守りし仮初の希望は、『われら相手に生き延びることができる』物語は、ここで、我々に、回収される」
「…………少なくとも、テメェがやることじゃねぇだろ」
獣の首を刎ねると、ノーデンスは神父へ駆ける。一方の神父は、ローブの下に本を閉じてしまいこんだ。そして銛が、かの神父のカソックの胸元に突き刺さる――――首から下げるロザリオは十字架でなくいびつな五芒星、エルダーサインであるところが嫌に皮肉が効いている。ただ、貫通と同時に上半身すべてを消し飛ばしはしたものの。
「知っているだろう? 私の化身は君たちと『意味が違う』から、撃滅は無理だと」
その背後に、さも当たり前のように立つ神父の姿がある。
構わず右腕を振りかぶり、その頬から頭部を右腕のメイルで抉る。
だがこれも、さも当たり前のように、目の前に倒れる死体とは別に、その奥に全くおんなじたたずまいをした神父が一人。
「いたちごっこだな。テメェの本体をどうにかしないと意味がないってことか」
「そもそも、もはや無駄ではあるのだけどね。――――見たまえ」
神父の指さす先――――貝殻を通して見える外の景色。
振り返ったノーデンスの化身が見たものは。
嗚呼、なんということか! かの巨大な石造りの都市は! 湾曲されパースの狂った、見ているだけで距離感を喪失しそうなその荘厳さと、奥に潜む、息づく何かの胎動は!
「『
「…………もとはといえば、それもまわりまわってテメェの仕業だろ」
「そうだな。ともかく数分も経たずに、彼らは自分たちが抱いた、地獄のような有様の恐ろしいインスピレーションに耐えられず、ここに『核』を打ち込む」
ノーデンスの化身は、深いため息をついて腰を下ろした。神父は薄く微笑みながら、再び本を取り出す。
「お前、楽しかったか?」
「さて、それを判断するのは、私でなく私の『上司』だ。
かくして――――」
その言葉が続くよりも前に、ノーデンスや神父たちは、光と熱に包まれその姿を溶かし。
時は止まり、死も死に絶えた。
※
「”かくして、すべての物語に書かれていることは、すべての時代において必ず何かしらの形での実現を見る――――そしてそれらは、我々が認知できていない世界において、あるいは時間軸において、まったく順不同にばらばらに、いついかなる形であっても必ず履行され、そして滅亡につながる。”」
霧子(仮)は、その一節を読み上げたのち、本を閉じた。赤黒い肉片と、いびつな顔のような模様で構成された、一見して触るのもおぞましいその書物。その、目を閉じたような顔にも見えるその拍子を、どこか愛おしげにさえゆっくりとなぜる。
その表情は、微笑んでいて、でも、何かを堪えるような、悲しさやさみしさを含んだものだった。
「あーあ。私、真尋さんに告白どころか、本名すら名乗れませんでした」
地面に座り、バイクに腰掛け、彼女は堪えるように、微笑むばかり。目は下を向き、何かをあきらめたような、そんな色。
「私は――――二谷劉実は、あなたとずっと一緒にいて、お話したかっただけなんですけどね。なんでこんなことになっちゃったんでしょうね。
…………って、私が言えることではないですか。私も『這い寄る混沌』である以上は」
その本を抱きしめ、彼女は微笑んだまま、泣きもせず、ただただそうしていた。震える肩を叩くものはない、風はどこか湿り気を帯びて潮の香りがする。目を閉じ、空を見上げる霧子、いや、劉実。暗雲には巨大な巨人のようなシルエットが複数見え隠れしている。その目がほんのわずかにこちらを見下ろしているような、あるいはどこか遠くを見ているような、いないような。
劉実は立ち上がり、本を片手に、叫ぶ。
「誰かいませんか――――!」
見渡す限りの、何もない、コンクリートの平原。
彼女の声が響き、そして数秒を置いて静まり返る。
「…………誰もいませんよね。せっかく、アキバに来たのに」
真尋さん来たがってたのに、と。本人が聞いたら色々と突っ込みを入れそうなことを言いつつ、彼女は視線を右手の本にふる。当然のように、そこにはただただ人体を変じて生み出された書物が一つあるばかり。
劉実はそれを自分の顔の前に持っていき、額をつける。ぬちゃ、という音とともにわずかに彼女の顔に血がつくが、気にした様子もなく、閉じられた表紙の目を見る。
「どこに行きましょうか、真尋さん」
返事はなかった。
返事は、当然なかった。
「…………どこか行きますか。誰かしらまだ、生きてる人がいるかもしれませんしね」
彼女が背中を預けていたバイク――――バイクにしては異様に生々しいシルエットを持つそれにまたがり、彼女は本を再び抱きしめる。と、胸元から肉が裂けるような音が響き、ぐちゃぐちゃと何かを埋め込むような酷く嫌悪感をもたらす音が続く。しばらくして何事もなかったかのように、素肌についた血痕をぬぐい、ライダースーツのチャックを閉めた。
エンジンをかけ――――エンジンは明らかに生命体の唸り声のような音をとどろかせているが、ともかく彼女は走る。
「真尋さん――――」
自分の胸元を撫でる劉実。すぐに視線を前に戻し、ハンドルを切る。
さきほどまで平原のようだったこのコンクリートのそれは、実際は何かの壁面であったようだ。彼女はつまり、先ほどまで壁面に「直角に立っていた」ということだろう。
そのまま彼女は走らせる。と、いつの間にか壁面だったそれは、海原にかかる一本の鉄の線路と化していた。海の底にはうようよとおびただしい数の目と巨体がうごめていることがわかるが、彼女は気にせず走る。
「――――大好きですよ」
やがてその進路の先も不気味なほどの闇につながり、バイクのランプの光もまた遠のき、見えなくなっていった。
後には――――ただ無限の暗黒だけがそこにあった。
※こちらの展開と本編の展開の違いは、ある意味では伏線? ぽいところがあったりします。