真・這いよれ!ニャル子さん 嘲章   作:黒兎可

36 / 51
大変長らくお待たせいたしました。
更新自体はちょっと遅めになるかと思いますが、三章はじめさせていただきます;


03.超旋律の影
さながらそれは初恋の味のように/R分岐


 

 

 

 

 

「――――ふふ、ずいぶん余裕がありませんのね」

 

 生暖かい空気に煽られる八坂真尋。八坂真尋は暗所にて、何かを急いでいた。意識していなければ自分の精神をつないでいられないような、そんな断絶が周期的に訪れる状況下において、とにかく何かしていなければならないと行動をしている。ただ、それが一体何であるのか、何を作っているのか、何を操作しているのかというところには意識が回らない。ただ紙に書いてある何かに従事しているという認識しかなく、それがどういった事柄を意味するのかを理解するだけの「自我がない」。

 ただ、眼前に現れた圧倒的な存在に、真尋は目を離すことが出来なかった。赤と黒の豪奢なドレス。胸元と背中が開き、煽情的なスタイルの良さを強調している。頭には黒いベールと、両目と共に光る額のチャクラ。三眼であるかのように錯覚させるその美貌の主に、真尋は心当たりがあった。

 だが、名前が出てこない。

 真尋のそんな様子を、薄く微笑みながら観察する彼女。と、何かに得心が言ったように目を細めて、くすくすと愉し気に笑った。

 

「……あら? そういうことですの。ふふ、また変なことに巻き込まれていらっしゃいますね」

「――――――――」

「あら、そこまで発狂(ヽヽ)していらっしゃいますか。でしたら私の力だけではどうこうできませんね」

 

 そんな真尋を穏やかな様子で見つめ、その頭を抱き込み、撫でる誰か――――。まるで自分の理性を溶かされ、そのすべての丈を彼女へとぶつけてしまいたい。そんな衝動が彼の本能を焼く。だが、彼はそれに抗いながら、やはり作成するのを止めない。

 

「ふふ、ええ、それでこそですわ! それでこそ私と『アゥリス』が焦がれた旦那様ですもの」

 

 真尋の脳は彼女の言葉を正しく理解できない。いや、言葉だけは脳に入ってくるが、それを正しく意味を持った文章として羅列し、整理し、解読できないといったほうが正解か。真尋の脳は著しく断絶が走る。あたかも、彼の思考を形成するための部位が物理的な欠損をしているかのように、彼の行動を彼自身は正しく把握できていない。ただやはり、頭のどこかにある理性だけはその自身の有様を冷静に見つめていた。

 場所は不鮮明である。ゴシック建築のような様相でもあるし、しかし同時に近代的な都市のようなそれにも思える。実態としては判然としない広さの土地で、人の気配がしない――――そんな場所の何処か、どこかの工房のような場所に真尋は引きこもっていた。その工房にたどり着いた時点で、真尋はいつの間にか握っていた紙片一枚を頼りに、何かの道具を作成しようとしていた。薄暗がり、陽光が望めないだろうこの地底の都市で、真尋は黙々と、機械のように作業を進めている。

 そんなさ中に現れたのが、見覚えがあるはずの彼女であった。

 

「どうせ、わたくしの名前も思い出せないでしょうし……、クイーンとお呼びください」

 

 返事がないだろうことを彼女は、クイーンは理解していたが、それでも真尋にあえてそう名乗った。何か欲しいものはありませんか、と言う彼女に、震える指先で絵の箇所を指し示す真尋。ほとほと嬉しそうに、彼女はそれを嬉々として探しに行き、とって戻ってきた。

 

「しかし、意外と本格的ですのね。さすがに『こっちで』アレを再現しようとすると、かなり無茶をする必要があるということなのでしょうが…………。ふふ、でもまともに考える頭もないながら、必死に足掻く旦那様はそれはそれは『おいしそう』ですわね」

 

 じゅるり、と舌なめずりをする音を前にしても、真尋は何も反応を示さず黙々と何かを作る。

 

「万物に愛を、とは言いませんが、何か変化があるというのはうれしいですわね」

「…………………………………………」

「ふふ」

「…………………………………………」

「…………」

「…………………………………………」

「…………」

「…………………………………………」

「…………」

「…………………………………………」

「…………」

「…………………………………………」

「…………会話が出来ないというのも退屈ですわね」

 

 ため息をついて、彼女は真尋の背中にしなだれかかる。感じるやわらかな押しつぶされる感触も、ほんのり香る匂いも、頬にかかる髪も、同時にくっついた相手の頬の冷たさや柔らかさも、すべてが彼をかき乱す。一瞬手が止まり、彼女へと向き直る真尋。これを幸いにと彼女は真尋の膝の上にのり、胸を彼の体に押し付けるよう腕を首に回す。視界のほとんどを彼女の、「女」を凝縮したような美貌に埋め尽くされた真尋。いっそ蠱惑的な表情を浮かべて彼の頬に手を伸ばし、顔を近づける。しかし真尋は、それ以上の行動をとらなかった。

 

「…………」

「…………………………………………」

「…………」

「…………………………………………」

「あ、やっぱり何をしたらいいかもわからないのですわね」

 

 残念、と彼の膝の上から降りようとする彼女だったが、ぐらりとバランスを崩し椅子事倒れる真尋達。そのさ中、一瞬だけ真尋が彼女の腕を引きその下敷きになる。そのまま倒れ、真尋を下敷きに押し倒したようになるクイーン。一瞬、自分たちの状況を見て、そしてぽかんとしたように目を見開いて呆然とし、そして頬を朱に染めて、彼の体を撫でる。

 

「いけませんわ……、これではルール違反じゃありませんの、わたくし」

 

 そう言いながら、しばらく真尋の体を愛撫するクイーン。やがて満足したのか立ち上がり、真尋を抱き起し、椅子に座らせた。真尋は震える体のまま、無理やりにそれを動かし、再び作業に取り掛かる。ぷるぷると、最初から最後までずっと震える身体での精密作業はほとほと困難を極めているが、それでもかまうまいと彼は動いていた。段々と組みあがっていくそれは、一つの羅針盤かルーレットのような何かであった。いや、それにしては妙に小さい。懐中時計を二回りほど大きくしたような、手では収まらないサイズである。中央に回転円盤と、針のようなものが五つ。目のような刻印を彫り込む真尋に、クイーンはひどく楽しそうな笑みを浮かべていた。

 時折、指先が狂って盤のパーツをどこかにやってしまいそうになる真尋。クイーンはそんな彼を支えて、何処かへいってしまったパーツを回収していた。仕方ありませんわね、と言いつつもその表情は酷く慈しみに満ちていた。男を惑わせる魔性のような美貌の持ち主であるクイーンのその振る舞いは、どこかいびつであり、しかし、しっくりもきていた。

 

「――――――――」

 

 真尋の手が止まる。完成したのか、ルーレットのような、羅針盤のようなそれを手に取り、図面と確認する真尋。と、図面がべきべきと音を立てて圧縮されるように消失する。「あらあら」とクイーンは驚いたものの、興味深げな様子で真尋の手元のそれを見た。中央のくぼみ――――それ以外は図面の通りに出来上がっているように見える。しかし、そのくぼみを真尋が調達できるわけもないことを、クイーンは知っていた。

 

「んん、これ以上は本格的にルール違反になってしまいそうですわね。でも……」

 

 真尋一瞥し、考え込む様子のクイーン。だが表情はわずかに微笑み、頬は紅潮している。明らかに結論は出ているようであり、実際、思案するポーズもそう長くは続けなかった。

 

「よろしいですわ。でもわたくし、これをしたらしばらく『何もできない』と思いますので。後は旦那様の独力に期待させていただきますわ」

 

 ぱちん、と右手でフィンガースナップ。指を鳴らしたと同時に、彼女の背後の空間に「亀裂が走る」。三つの亀裂はそのまま展開し、巨大な三つの瞼の向こうには見るもおぞましいほどに大きな赤い目玉が存在した。ただ、そのサイズは彼女の身長の半分ほどか。そこにクイーンは自らの右手を入れた。ぐちょぐちょと音を立て、黄色い粘液やら赤い血しぶきやらが飛ぶ。それに不快感を示すこともなく「どこにありましたっけ」と言わんばかりに、軽い様子で探る彼女。と、やがて何かを引き当てたのか、「やりましたわ!」と愉し気に引き抜いた。手元には、ぼんやりと光る黒い多面体。いっそ球形に近いそれを、彼女は真尋に差し出した。彼はそれをじっと見ている。と、飛び散った粘液やら何やらが蒸発し既に姿もなく、背後の目玉も消えていた。

 震える手でつかみ取ろうとする真尋。と、一瞬それを取り落としそうになり、クイーンが彼を支えるように手を握る。

 

「本当に仕方ありませんわね、旦那様は……」

 

 言葉に反して酷く嬉しそうに、そしてどこか寂しそうにクイーンは微笑む。真尋の脳裏には、やはり何も浮かばない。ただ、完成させなくては。自らに流れる情欲を切り離した、ただ一つの狂った目的意識だけが存在した。

 完成した盤面は、それと同時にうすく、鈍く、紫色の光を放ち、薬品のような鉄のような、しかしそれをしても異様に腐ったような刺激臭を漂わせ始める。それにわずかに顔をしかめる真尋であったが、彼は迷わずその盤の上に手をのせた。

 中央のそれを起点に、五つの針が高速で回転する。あたかも時計のそれのような動きを見せる五本のそれら。一本が半回転する周期ごとにおおよそ別な一本が動作を開始する程度の速度であるが、順繰り、時間を多少かけて、やがて十二時の位置で針同士が一致する。

 

 

 

「――――――――っ、はっ、」

 

 

 

 その瞬間、真尋はようやく我に返った。己の格好が普段着用しているような制服やら洋服の類でないことを認識し、見覚えがあるような見覚えのないような、まるで夢の中にいるような自分の足元と現在の場を正しく認識し、そして体の震えすら治まり、猛烈な吐き気が彼の体を焼いた。慌てて口を押える真尋だったが、そんな彼を後ろから抱きしめる女性の感触が一つ。頭を抱きかかえるように撫でるその彼女を、その己の欲求全てを崩壊させかねないような「化身」に心当たりが真尋にはあり―――――――。 

 そして、気が付けば真尋は、どこへとも知らない虚空へと投げ飛ばされていた。ただ無限の暗黒だけがそこにあた。暗黒の中にあって、真尋の視界は正しく現在の空間を見ていたのだが、見ていたからと言って光を観測できなければその空間の詳細もディティールが判然とするわけもなく。ただ漂う靄のような霞のような、己の思考がただただ広がっていくのを感じる。手や足の感触はあるが特に力が入る訳でもなく、動けるわけでもない。電気信号の移動先が断絶されているような、そんな不快感がある。俗にいう幻肢痛とかいうやつか、と真尋の想像力は状況に対して考察を導き出したが、そこで真尋ははたと気付く。自分の体そのものの違和感にだ。まず呼吸を感じない。生理的な動作としての拍動もなく、そして気が付けば自由がない。自らの生命活動に対する認識が、正しく自らを生命ではないと導き出せるほどに、現在の真尋の体感はただの夢見における思考のみであった。例えるなら、テレビ画面を見ている自分の視界だけが存在しているような、そんな感覚だろうか。真尋自身、形容ができないような、恐ろし気な状況である。

 まるで頭脳だけで生かされていたりするのでは、と彼の直近において一番有り得そうで、かつ一瞬物騒な思考が脳裏をよぎる。しかし彼の想像力は、それとは何か違いを感じていた。真尋のそれではない拍動が聞こえる。息遣いが聞こえる。それと同時に、この闇をさまよう「何か」がいる。何かの悪夢でも受信したか、直前の状況自体がそれかと思い一瞬目を閉じてから開きなおすも、疑いようもなく現在の場所は自分の部屋ではない。頬をつねろうにも腕はなく、そして唯々絶句した。

 手だ――――自分を掴む何か、こう、女性の手のような感触がある。それがずぶずぶと、まるで傷口でも切り開いて内部の臓器でも取り出すような音を立てながら、血を吹き出しながら己を引きずり出そうとしていた。そしてその手の感触は、円形のものをつまもうというそれではない。まるで「本」か何か、辞書でもつかんで取り出すような、そんな感覚であった。

 引っ張り出された真尋は、愕然とした。血肉と、白い肌と、胸の感触と、それらから解放され、ぱらぱらと表紙を適当に叩かれた後。

 

 

 

「――――いやー、やっぱり新婚旅行といったら熱海ですかね! 最近は古いかもしれませんが、温泉、温泉! ……まぁ、このありさまを前に温泉も何もあったものではないんでしょうけど。別に私たち結婚した訳でもありませんが」

 

 

 

 視線は、強制的に固定されている。自身を掴んだ何者かの手によって、己の目の向いている方向が固定されているのだ。

 真尋は目撃した。まるで未開の地のような有様で、白亜紀かジュラ紀の地球のイメージ映像とかでありそうな、そびえたつ崖の方々から滝のように温泉が流れ落ちるさまを。遠くで何かの声が聞こえ、空は赤く暗雲たちこめ、それを貫通する光を放つ「目玉のような月」。それを前にして聞こえた声は、くぐもって聞こえたような「彼女」の声は言った。熱海? ここが熱海だと? 何だこの未開の地以前に人間が暮らせるかどうかさえ定かではない世界は。確かにハネムーンのメッカとして彼の両親もこちらに来たことはあったとか聞くが、こんな有様であるはずがない。これではまるで「世界でも崩壊した」ようじゃないか。

 そして彼を持つ「彼女は」、胸に抱きかかえて言葉を続ける。

 

「アキバもあの状況でしたし、新宿には隕石が降ってきてましたし、東京駅なんてスパイラル! な感じでしたし。横浜はなんか建物が自己増殖してましたし、小田原は…………、まぁ思い出すのもアレですか。せっかく関東まで遊びに来てみたんですが、中々儘なりませんね」

 

 真尋は、口が動かなかった。いや、動かせはするらしいし、声も出るようではあるのだが、それでも彼は二の句が継げなかった。やがて彼女は真尋の顔を自分に向けて、どこか寂しそうに微笑んだ。

 

「――――――、まったく我ながら感傷ですね。おセンチってやつですか」

「…………あん、た」

 

 発音こそできたが、言葉はたどたどしい。まるで何かに引っ張られているか、はりつけにされているか、筋肉をうまく動かすことが出来ない。そんな真尋を前に、彼女は表情が一瞬死に、目を見開いた。

 

「えっ――――――、真尋さん?」

 

 

 

 真尋を抱きかかえていた彼女は――――死んだはずの、夢野霧子こと二谷劉実(るみ)は。彼女の顔は真尋に対して、まるで死人でも生き返ったかのような、驚愕に染まった。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。