「『文明保護機構』って知ってます?」
「ニャル子、知らない?」
「そこまで多くは情報を持っていないとしか。姉ならいざ知らず、この私はパンピーなんですって……。
「把握。SANチェッカーある?」
「ないですが、まぁそこまで大きく減点されないことを祈りますかねぇ」
真尋の鍵をクー子に使ってもらい、八坂家に入る四人。リビングの、さきほどまで居たソファに真尋と気絶した珠緒を背もたれに寝かせる。真尋は相変わらず廃人同然であり、珠緒の意識が返ってくるのもしばらくかかるだろう。その間に、と彼女の手足に「準備」をしていると、クー子が龍子の手を引っ張る。
「何です?」
「ん、対価」
「あー……、そういえばそういう話でしたっけ。真尋さんが今何もできないので、私が代わりにやれと」
「ん」
「いいでしょう。で……、何がいいです?」
「アイス。メロンバー。冷凍庫」
言われるままに冷凍庫を開ければ、名前の通りの品が箱で鎮座していた。残りは三本、下部が緑色で他は橙色のそれをはがして手渡す。クー子は目を閉じてかぷり、とかじりつき「んー!」と額を抑えながらテンションを上げた。
「網目模様!」
「いえ、アイスバーと化したそれに網目はなさそうですが……。んん、珠緒さんも下手に起こすとまた変な形で発狂しそうな気もしますし、しばらく寝かせておきますか」
真尋の突然の症状に対して嫌に冷静な龍子である。アイスをしゃこしゃこ機械的に食べながら、クー子は不思議そうに見つめる。龍子はその視線に気づいているのか気付いていないのか、真尋の額を撫でて、光を当てて目を見る。瞳孔の動きから生理現象として反射があるか、意識自体が断絶しているのかの確認である。結論から言えば、彼女は突き飛ばされた。背中と頭を打ち、ひるむ龍子。痛たた、と声を上げながらも、しかし一切動揺することなく安堵の表情だった。生来の愛らしさに根付いた可愛らしいものではあるが、真尋本人の意識があったのならば辟易した表情を浮かべられるだろう。それだけ彼女と彼との関係はややこしいものがあり、手放しで正面から向き合るものとは言えなかった。そして彼女は、そのまま彼の頭を撫でる。あたかもそのいつくしむ視線は母が愛子に向けるそれであるかのように、あるいは愛する誰かが生きていることを承認する行為であるかのように。いっそ神聖とは無縁なものであるが、日常でもここまでの優し気な顔とて滅多に見ることはあるまい。
それはさておき、手慣れているともいえる、龍子の一連の動きである。ここでクー子の視線に気づいたらしい彼女は、率直に質問を返した。
「どうされましたか」
「ニャル子、慣れてる?」
「姉も昔はしょっちゅう気絶したり発狂したりしていたので、慣れていると言えば慣れていますか。それとこれとは別にして、思うところがないわけでもないです」
「思うところ?」
「ええ。そこはまぁ、企業秘密ということで……。私もその、乙女ですから」
真尋が正気なら鼻で笑われそうな一言であった。
そして、そうこうしているうちに少女のうめき声。声の側、真尋の隣を見ると、目をこする珠緒の姿である。
「これは、いったいどういうことなんですョ……? って、えーっ!?」
そして自分の両手足が、ものの見事にロープで縛りあげられていることに気づいた。びくん、と飛び跳ねて、そのままソファから転げ落ちる。現在の状況を完全に理解していない風である倒れた彼女に、龍子は視線を合わせる。
「あ、はい。どうも珠緒さん。いえ、イス=カさんでしたか? とりあえず知っていることをジャンジャン吐いちゃってください。でないと――――」
「で、でないと、どうなるんですョ?」
素足の彼女の足へ向き直り、龍子はブレザーのポケットから何ら脈絡なく、名状しがたい猫じゃらしのような先端がふわふわした物体を取り出す。龍子は自分の体を使い、珠緒の足とその道具とが見えないように壁になり、つん、つん、と土踏まずをつつく。人体において視界に入っている箇所の刺激と、入っていない箇所の刺激とでは後者の方が脳の処理が追い付かない分ダメージが大きく、結果としてそれは効果てきめんに現れた。
「ョヨヨっ」
「継続してくすぐると10分くらいで慣れてしまうようですが、こうして刺激を調整すればまぁ大丈夫ですかね。さぁ、キビキビはいてください、でないと数時間はこの状態を継続しますよ?」
ある種の拷問である。良い子も悪い子も真似をしてはいけない拷問である。それにしては明らかに手慣れた拷問方法であった。つんつんと頻度をランダムに調整することで、珠緒、いや、イス=カに継続的にダメージを与えていた。こころなし、龍子の両眼が「きらり」と光っているような漫符が見えるような、見えないような。
この間、クー子は興味がなさそうな目でそのやり取りを見ていた。
「さぁキビキビ吐きなさい! にゃるこつんつんっ、あんっ、どぅ、とろあっ」
「ひ、ひう、うううう、にょ!? や、やめてくださいですョ、このままだと失禁しますョっ」
「あ、そっちにくすぐったさが行くんですね。大丈夫ですよ、さすがに真尋さんのお宅をクラスメイトの『あれ』で汚すのは忍びないので、すでにビニールシートを敷いてあります」
「確かに私が今寝かされているところはビニールシートですョ! って、されなくても吐きますョ、敵対の意志はないのですョ、白旗! 白旗ですョっ」
悲鳴と嬌声、涙目といろいろと惨憺たる状態の珠緒であった。拷問をかける龍子に容赦の文字はないらしい。ギブアップ宣言された後も、反骨心を折るためか数分はくすぐりを繰り返し、やっとのことで彼女を開放した。様子を見る限り、ぎりぎり失禁は免れたらしい。ただ解放された両腕と両足をまるめ、体育座りの状態でいじけていた。涙で顔のメイクが軽く崩れた彼女に、ティッシュを差し出すニャル子の絵面はあまりにマッチポンプ感があふれているが、それはさておき。
「ご、拷問は犯罪なんですョ……、うう……」
「嫌ですねぇイス=カさん。される謂れがない相手には、そんなことしませんよ? 私。それこそ姉じゃあるまいし」
「お姉さま……、二谷、劉実とおっしゃっておられましたですョ?」
「ええ。クローとか夢野霧子とか色々別名はあるみたいですが、一応、戸籍上はそうなってます。私の実の姉にあたり、先月亡くなりました」
龍子の言葉がほとほと予想外だったのか、目を見開いて動きを止めるイス=カである。そんな彼女にお構いなしとばかりに、龍子は質問を突き付けた。ちなみに手には携帯端末、ボイスレコーダーをONにしているあたり抜け目がない。
「それで、貴女は一体何なんですか? なぜ、真尋さんを『そんな』にしてしまったのでしょうか。貴女の目的は一体何なんですか?」
「や、矢継ぎ早なのですョ。ちゃんと、順を追って説明をするですョ。それはそうとしてですョ……? さ、さすがにもう一回あのスタングレネードごっこは、されないですョ?」
どうどう、としながらも、彼女の視線はアイスバーを食べているクー子へと注がれる。拷問めいた所業もそうだが、明らかに先ほどの閃光が彼女の警戒心に尾を引いていた。スタングレネード以上の閃光で、音もなく一撃で意識を刈り取られるその衝撃が、イス=カの精神にトラウマを植え付けているようだ。
なお龍子はそれを見て、人の悪い笑顔を浮かべる。見た目の愛らしさに反して、彼女もまたそれなりに恐ろしい性格をしているらしかった。
「さぁてそれは……、ちゃんと私を納得されてくださいね?」
「ョ、えっと、龍子サン、出会ってますョ? 貴女は
イス=カの一言に、龍子は彼女がどういう理解を示しているかをおおよそ把握した。二谷劉実の正体――――這い寄る混沌、邪神ニャルラトホテプの化身であるというところまで、把握できていないらしいということに。もっともそれを知ったところで、龍子はすべてを正直には語らない。詳細を知れば知るほど眉唾になる以上、必要最小限の情報を提供するのが妥当な場合もあるのだ。
「姉が、某組織の『原理主義派』の所属だってことはご存知のようですかね。その、私は姉と二人暮らしでしたので、姉の稼ぎが私たちの生活費で、現在の私の生活を補填している保険なんですが……、特に守秘義務とか、あまり隠すような性格ではなかったので。多少、多少は正気が削れていますし、その手の知識も持っているんですよ。暗黒神話群、つまり宇宙より飛来した神々や、それにまつわる真実を」
「ョ……、なかなかお辛い家庭環境なのですョ。ご両親は……」
「父親はいますが、母親はいませんかね。肝心の父親も失踪状態ですので」
「ョョョ……。でも、そういうことでしたら、八坂真尋サンも起こして――――――って、あれ?」
ここでイス=カは、ようやっと真尋の方を振り返り、彼の様子が異常であることに気づいた。真尋のその廃人めいた様子を前に、彼女は目を見開き、不安げに眉を寄せ、困惑に口を歪める。おや、と龍子が違和感を抱くのとほぼ同時に、イス=カは彼女の肩をもって詰め寄った。
「わ、私のっ! 私の銃はどこにあるですョ!?」
「それ、でしたら、キッチンテーブルの、上に、あの、揺らすの、止めてくだ――――」
龍子が言い終わるよりも先に立ち上がり、ビデオカメラのような、その尾部に拳銃のトリガーのようなものがついた、端的に言えば奇妙な形状をした銃のようなそれを手にとり、猛烈な速度で分解を始めた。何をしてるんですか、と龍子が詰め寄る。イス=カは龍子の言葉に答えず、その場で膝をついた。愕然とした表情を前に、龍子は彼女が手に持っている、デジタルでないアナログなビデオカメラでいうテープのような個所に該当するだろうそれを見る。
「いったい何があったんですか?」
「…………すり替えられてました。これは、まずいことになったんですョ。組織に裏切り者がいるんですョ」
「それだけだと意味がわかりません。ちゃんと話してくださいっ」
有無を言わせずニャル子は立ち上がらせ、イス=カをソファに座らせる。明らかにイス=カは動揺しており、平静の状態ではない。冗談ではない、一体何がどうしたというのか。真尋の安否を優先しているニャル子からすれば、今のイス=カの状態は明らかに宜しくない。
「まずは順を追わなくてもいいから、質問に一つずつ答えてください。真尋さんに、何をしましたか?」
「…………本来は光信号によって、軽い催眠をかけただけのはずだったんですョ。でも」
「でも、何ですっ」
「――――内部のカートリッジを丸ごと入れ替えられてました。私が『ここに』派遣されたタイミングでは確かに催眠カートリッジだったのに、あれは、精神交換カートリッジだったんですよ」
「精神、交換?」
居住まいを正し、咳払いをして。改めてイス=カはニャル子たちに名乗った。
「私はイス=カ。先ほども言いましたが、文明保護機構のエージェントです。この時代の言葉に置き換えれば、タイムパトロールみたいなものです」
「タイムパトロール……、ま、まあ話を聞きましょう」
「我々の種族は、様々な時空、時代の知的生命体、我々とある程度の相性が良い精神性を持つ知生体と精神交換を行い、その文明を学習し、また文明が滅亡の歴史を歩む場合、それとなく保護してきたんですョ。その仕事をしているのが、文明保護機構。具体的に言うと――――」
「あー、その具体例は良いです。
姉相手の対応で慣れているのだろうか、実際妥当な判断であった。もし仮に詳細を聞いていれば、確定で6面ダイス1ロールの正気を失い、何かしら直後に会話ができないだけのダメージを精神に負っているはずである。基本的に自分が人間の体と精神性であることを、龍子は当然のこととして熟知していた。
「ョ? それなら省略するですョ。じゃあ必要そうなところだけ。我々に観測できる時間の流れというのは、結構おおざっぱでおおよそ。だからこそ、ある程度は我々の介入によって状況を変更可能なのですョ。そして、微々歴史もまた変化し、こちらも観測を続けるのですョ。だからこそ我々が派遣されて動くのですが、今回それなり大きな異常が観測されたため、この時代で『最も解決可能性が高い』相手に協力を依頼する予定だったのですョ」
「それで姉にお鉢が回ってきたわけですか……」
確かに、姉の弁であれば今年の春先に一度「機械仕掛けの神」から世界を救っているとのことである。TRPG的に言えば、直近のセッションで好成績を残したプレイヤーキャラという訳だ。事象をおおよそ遠目から観察する分には、好成績を収めた相手に似たような仕事を割り振るというのは発想として理解できる。
もっとも理解できるが、詳細を知らないということが中々に致命的であったことを龍子は察してもいた。
「今朝がた、この少女の体を借りてこの時代に転送されたのですョ。……この珠緒サンを含め、協力を仰ぐにしても、極力現地人には干渉しない鉄則があるのですョ。だから昏倒ないし気絶させるために銃をつかったものの……」
「道具が、本来予定したものとすり替えられていたと。…………、あの、事前に気づかなかったんですか? それくらい」
「そ、それくらいと言われても困るのですョ! 基本的に我々が持ち込めるものは『非物質装置』のみなので、該当する時代で道具を別途新たに作る必要があるんですョ! だからほかのエージェントが作った道具を、指定の場所に取りに行くというのが通例の流れで、ミスは絶対にありえないのですョ! つまり偽装されていたのですョっ」
「本部とか、もっと偉いところとかと通信は出来たりしないんですか? そういうのって。内部に裏切り者がいるって話を」
「それが…………、この時代の通信所、米国にあるものしかないのですョ」
「あー、日本からじゃすぐいけない訳ですね。納得です」
「今にして思えば、ニャル子サンを劉実サンと誤認していたのも、事前に与えられていた情報に誤りがあった可能性が高いと思えてきたのですョ。そして今から米国に向かっても、すでに手を打たれてる可能性が高いのですョ。
時間転移は『一往復で固定される』ので、ここからさらに過去に遡ったりは出来ないですョ」
「つまり、イス=カさんの立場だと、やり直しが効かないってことですね……。未来に精神が紐づいてはいると。フューチャーアンドパストか何かですかね」
「ョ?」
「いえ、映画のたとえですので……。
あ、ところで真尋さんに撃たれた精神交換って……」
「本来は、特定の座標にある本人の精神と現在の精神とを入れ替える装置なのですョ。我々の精神交換が失敗した時に、発狂したり精神崩壊してしまった相手を元に戻すのに使われるのですョ。座標、時間を設定して、それに対応した当人の精神を呼び出すイメージ」
「でしたらその、この真尋さんは一体……」
「流石にこればっかりは、私もわからないのですョ。カートリッジの肝心の部分が黒塗りにされていて…………。本部と連絡がとれれば、何とかなるかもしれないですが」
色々と彼女の側も事情が混迷しているらしい。ひとつわかることは、故意犯でなかったことと、現状の彼女ではどうにもできないことの2つ。
そして、クー子はいい加減メロンバーを食べ終え、二人の話にうつらうつらしていた。
「こうなっては仕方ないのですョ……。妹サン、私に協力してほしいのですョ! 裏切り者をあぶりだし、地球滅亡を食い止めて、一緒に真尋サンの精神を取り戻すのですョっ」
「いえ、最後のについては当然の話なんですが……、地球滅亡とは大きく出ましたね。まさか後三日で月がそらから降ってくるとか言いませんよね」
「流石に三日ではないのですョ――――1週間」
イス=カを名乗る彼女は、珠緒の体で、ひどく真剣な顔をして断言しきった。
「1週間後、ある条件を満たさない限り、この惑星は『惑星保護機構』の先兵――――『星の戦団』によって、宇宙の藻屑とされてしまうのですョ」
わかりやすい世界の危機