イス=カと人格が入れ替わっている珠緒と別れ、二谷龍子は帰路についていた。
といっても、札幌駅周辺をうろついているさ中である。自宅は真尋の家とは異なりむしろ駅前に近いこともあり、特に用事がなければあまり家に帰ることはない。真尋ほど趣味があるわけでもなく、また何かしら没頭するものがあるわけでもなく。それでいて、「
そしてそれは、彼女の姉とは別な目的で存在している自分自身としての、「役割」を果たしていることにもつながっている。つながっているが、そのことに彼女は自覚的ではなかった。彼女自身、その大本からはそれなりに乖離して生み出されている存在でもあり、そしてそれは「乖離している」が故にこそ必要とされる役割でもある。
なんにしても言えることは、真尋が絡んでいないときの彼女は存外、普通の少女ということだった。
「あ……、これですかね、真尋さんが読んでいた雑誌は」
ぱらり、と手に取りめくる龍子。「ムテキ」と書かれた金色のキャラクターやら、左下には青く眼付きの悪い銀と赤黒の巨人。中を見れば緑と黒のラスボスらしきキャラクターの写真が散見される。
医療がテーマに組み込まれているらしい特撮ヒーロー作品らしいが、そのテーマに真っ向からけんかを売るようなキャラクターデザイン具合に、龍子は読みながらも若干引いていた。合うとか合わないとかではなく、よくわからないものに対する拒否感、さながらキリスト教圏におけるラブクラフト御大が表現していた「冒涜的」という概念に近い拒絶かもしれない。
「って、私、別に見ているわけではないので特に興味がわく訳でもありませんが……」
ひとえに何をしているかと言えば、少なからず好意を抱いている男の子の趣味のものをちらりと見てみようということだ。そんな健気? な女の子としての一面であるが、しかし実際問題としてその手のものをあまり彼女は有していなかった。
「まぁそこまで真尋さんも、このテの話題が通じる相手を欲しているわけじゃないみたいですから、そのところは別に私が補う必要もないんでしょうけどね。とは言えど、姉との関係を抜きにして私のことを見てくれるっていうのは、時間がかかりそうですけれど……。
それに私、そこまで『考える』役割ではない化身のはずですけど、本当に大丈夫ですよね……? なんというか、地球滅亡とか言っている割に、割かれてる人員が少ない気もするんですけど――――って、あれ?」
伸びをして本屋を出て、寄り道をやめ自宅に向かう龍子。西四区沿いを抜け赤れんがなテラスの前を歩きながら、今日までの流れを思い返し、そこはかとない不安にかられていた。
そんなタイミングでふと気が付くと、龍子の視界がどこか赤っぽい状態に変化していた。
否、空を見上げれば、どこか赤らんだ色をしている。月もそれは同様に赤く、周囲の状況が何かおかしい。街明かりはあるものの人の気配は感じられず、まるで世界で自分一人だけ取り残されてしまったかのよう。
突然の状況の変化に、龍子は周囲を見回す。
「……なんというか、この妙な感じの仕掛け方は覚えがあるような」
そして言っているそばから、ちょうどそのタイミングで電話がかかってくる。名前は「辰隆(父)」。龍子はらしくなく、眉間にしわを寄せながら電話に出た。
『やぁ、私だ』
「…………何の用事で――――」
『後ろを』「みたまえ」
そして言われるがままに後ろを振り返ると。そこには自転車のベルを鳴らし、自転車がやってきていた。黒いスーツ、緑のシャツ、黄色のネクタイ、黒いソフト帽とその上から白衣を纏った男が一人。長髪を後ろにまとめた男。二十代から三十代くらいの年齢で、整った顔立ちは龍子や劉実と共通する部分がある。男は手に電話をもっていなかったが、しかし「みたまえ」は間違いなく男の口から発されたもので、そして電話口と同じ人物の声だった。その姿はあまりにも素っ頓狂極まりないものだったが、しかしこの赤い空の下で態度一つ変えない超然さがあり、そして龍子は幾度となくこの男のことを見知り、そして理解していた。
彼女の立場からすれば、次のような呼称になる。
「何なんですか、その恰好は――――
涼し気な笑みを浮かべ、男は――――二谷辰隆、ひいては這い寄る混沌「本体」は薄く微笑んだ。
「何、たまには様子を見に来ようと思ってね。愛しい我が娘の交友関係とか」
「どの口でそれを言いますか。大体筒抜けじゃないですか私の側については」
龍子の言葉に、はははと笑みを絶やさぬ辰隆。「それはそれ、これはこれ」と取り付く島もない。もっとも、対する龍子とて彼には取り付く島もないのだが。
「ところで真尋には、まだ君と姉との『実際のところ』については、まだ話していないのかな」
「姉が話すつもりがないことを、私がわざわざ話すつもりもありません。大体何ですか、都合がいい時だけ現れて父親面するの。そういうの、私いっちばん大嫌いですからっ」
「おお、昔はあんなに純真無垢だった龍子も今じゃこんなのだよなぁ……。お母さんも泣いちゃうぞ?」
「そもそも私に母はいませんし、私が生まれたのは『割と最近』ですっ。
大体、様子を見に来たとか言ってますけど、今の私たちの状況だって全部把握しているんですよね?」
「まあね」
この一言で済ませるあたりが実に這い寄る混沌であり、そして事実這い寄る混沌であるので、事情はすべて把握しているらしかった。
「だったら、私のこの不安が何なのかわかってますよね」
「ああ、わかっているよ。だけれど、本当に君はそれを知りたいのかな?」
「何ですか、その微妙な言い回しは……」
「いや何、真尋にとっては今の状況の方が、むしろ幸せじゃないかと思ってね。」
「幸せって――――」
「今、真尋は劉実と会っている。過去ではなく、まぁ、別な時系列といえる場所でのね」
「姉と?」
くすりと微笑みながら、自転車から降りて白衣を脱ぐ。そしてそれをそのまま龍子の肩にかけ、耳元でささやいた。
「つまり見ようによっては、真尋は今、幸せの絶頂期という訳だ――――――――人間的にどうかというのは置いておいて」
「なんでさらりと人間性をささげる必要があるんですかっ」
「そこはほら、大体私の采配で私の手の内だからね。まともな方法での生存を期待する方が間違っている。
ともあれ、龍子。君が今かかえている不安を解消する術はある――――本当は今までの作戦すべてが失敗で、真尋にもう二度と会うことが出来ないかもしれないという、その不安を解消することはね」
だが、それが果たして真尋にとって幸せなことなのかな――――――。
這い寄る混沌の、「本体」のつきつける選択肢に、龍子は腕を振り払った。エルボーの一発でも腹に当たれば少しは気が晴れるかと思ったが、当然のようにさらりとかわされた。
「おやおや。独立性が高い化身はこれだからいけない。大本に簡単に逆らいすぎだよ、君たち。そんなのだから私に『顔を剥がれる』んだ」
「……いえ、はぎませんよ貴方は。私に対しては」
「ほう。その自信はどこから来るのかな?」
「姉です」
「――――――なるほど。まぁ確かに、私は君を再び私の中に溶かし込んで、化身としての大本を消す必要性は感じていない。むしろ、君はそのまま独立性の高いままを貫くべきであるとさえ思っている。
まぁそうだ、とりあえず、そろそろ『良い頃合い』だろう」
「はい?」
「――――真尋のいる病院へと今から行きなさい。真尋から、ある意味で本当の幸福を奪う覚悟が出来るというのならね」
そういいながら自転車にのり、いずこかへと走り去る辰隆。そしてその姿は、周囲の景色が本来の有様を取り戻すよりも前に見えなくなっていた。
数秒、まるで嵐でも過ぎ去ったような呆然とした様子だった龍子だったが。しばらく父親の言葉を思い返し、やがて一つの違和感に思い至る。
「……何故、わざわざ真尋さんの見舞いの話を、今?」
気になることはそれだ。平日、行ったりいかなかったりといった真尋の見舞いとは別にして、確かに今日はいくつもりはなかったのだが。わざわざ出てきてそれを進言するということは、一体何か、理由があるのだろうか。
否。
「いえ、そうではありません。私が今、行くことで、真尋さんと姉とを引き離すことになる……? 真尋さんは、別な時間軸、世界の真尋さんと人格交換されている? そしてそれを引き離せる?」
理由は定かではないものの、しかしどうにも言葉から不穏さが漂う。否、猛烈な焦燥感を伴い、龍子は走り出した。面会時間はぎりぎり夕食が終わった後か、走り窓口で手続きをする時間さえもったいない。しかし彼女はそれを待ち、(途中で白衣姿にいぶかしがられながらも)真尋の入院している五階へと向かう――――。
そして、この階層に人気を感じないことに気づいた。窓の外の色こそ変わらないものの、まるで全員殺害でもされたかのような、環境音の聞こえない異様な静かさだった。思わず手近な病室の扉を開く。足元を見る龍子。その場では看護師が白目をむいて倒れていた。奥の病室もそう大差はあるまい。
「気絶させられてる……? っ、まさか、真尋さんが狙い!?」
駆ける龍子。病室までは十数秒といったところか。そして真尋の部屋の扉から、あわく、緑色の光が漏れ出ていることに気づく。クー子は呼べない。そもそも龍子が契約しているわけではなく、作戦会議の結果として現在は長谷部秀太に預けてある。真尋本人が動けばまだしも、現状では彼女で対応できない。
できないが――――しかし、同時に辰隆の言葉を思い出す。ああまで思わせぶりな言葉を語った以上は、少なからず自分でどうにか対応できる範囲の事柄であるはずだ。そうでもなければ、わざわざここで「使いつぶす意味がない」。必然、龍子はためらいなく扉を――――鍵がかかっていた。
「…………はぁ、仕方ありませんね」
ため息をつくと、懐から安全ピンを取り出し、何やら指先で改造する。穂先の変形したそれなりの強度を誇る鍵開けに変形させ、がちゃがちゃと鍵穴に突っ込む。秀太がいれば「鍵開け技能、点数は80か?」などと世迷言を言いそうな雰囲気であり、実際それだけの高い精度で彼女は病室の扉を開けた。
がらがら、と引き戸をスライドさせ――――。
※ ※ ※
「大前提の、問題だ。ポリプが召喚される、ことが、問題だというの、なら。少なからず、対策された、時点でも、ポリプの召喚は、成功していたはず、だ。だったら、そもそも、相手は全く、別な手段で、召喚をして、くる」
劉実は胸元、真尋を撫でながら話の続きを促す。真尋は表情一つ
「外部で、召喚されると、考えた、時点で、俺の精神交換、されるのが、一番、意味がわからなく、なってくる、そもそも、巻き込む必要はないと、考えられるからな、」
「では、何故真尋さんの精神交換をする必要があったのでしょうか」
「ネフレン=カと、同じだ、ろう、おそらく、俺の、ネクロノミコンとしての、力が、必要だった、はずだ、」
「何故、わざわざ真尋さんを必要とするんです?」
「基本的に、その時代にあるものでしか、イースの連中は、活動できない、んだろ、だから、精神交換の道具も、例の光線銃とかも、現地にある、材料で、作るはず、だ、ただ、同時に、文明度が俺たちと同じ基準に、合わさっているなら、避けて通れない概念が、ある、」
「それは?」
「正気度喪失、つまり、SANチェックだ、やつらも、冒涜的恐怖ってのを感じて、正気を喪失する、だから、あまりに冒涜的な情報群を、そのまま持っていることはないだろう、」
イス=カの言動から統合して――――もっともこの真尋は劉実の口から間接的に聞いた情報を統合してというレベルだが、その上で真尋は、想像力を極限まで働かせて思考する。そもそも神話生物の類に近い今の自分が発狂しないというのが、一つの答えだろう。イス=カがクー子の出現を見て発狂したというのが、一つの問題点だ。劉実の言動からして「意外と」CoCのTRPGに現実が即しているらしいことをふまえてみても、ならばなぜイースである彼女が発狂して気絶したのかという説明ができない。とするならば、その扱いは一般人のNPCないしPCに近い立ち位置――――正気度を喪失し時に発狂する側であると考えられる。
そしてそれは、何もイス=カのみに適用されることはあるまい。イース全体がそうであるならば、その手の正気を失う類の情報の取り扱いは、かなり厳重になっているとみていい。間違っても、物質として持ち込めないだろうそれらを情報として持ち込む、つまり「記憶して」持ち込むなんてことは、そうそう出来るわけはあるまい。そう考えれば、本来ならばそういった暗黒神話的情報を(自分たちが暗黒神話的な存在であることに目を瞑って)現地で調達していると考えられる。
ならば、どこから調達するか――――。
「それくらい可能だとは思いませんか? 真尋さん」
「可能でも、確率は低いと、俺は、見る」
「その心は」
「現地の時間軸でバレないように干渉する、が基本的な鉄則だったな。たぶんだが、つまり大体的にやらかすと、そのやらかした相手が実際、如実に情報として残るんじゃないか? だからこそ最後の最後まで隠蔽につとめ、自分たちの情報を観測されないようにする。そうするなら、片っ端からその手の情報を収集するなんて目立つようなことは、あまりやらないだろうという推測が立つ」
つまり、敵も味方も、どちらのイースも条件はほぼ同一とみれるということだ。これについては真尋の予想も多いが、しかし真尋はこの推測を疑っていない。他ならぬネクロノミコン――――「過去・現在・未来における暗黒神話群に対する解決への方策」が記された自分であるからして、そこに端を発する想像力に左右されているのだ。才能という単純な言葉ではなく、論理としてそれは正当を導き得るものだろう。
劉実はそれに、正解とも不正解とも言わない。だがその寂しそうな目が、何よりも雄弁に真尋の推測を物語っていた。
「なら後は、簡単だ。一番、その手の情報が寄り、集まっている、俺自身を使って、必要、な呪文、情報を集、めればいい」
「なるほど。…………でも、それだとイス=カさんが指摘されないのは、おかしくありません?」
「とはいえ、そのイス=カって、いうのも、普段からこの時間軸、にはいないんだろ。だ、ったら、どれ、だけ他のイースが情報を持、っているかとか、何を普、段からしているかとか、そういっ、たことを全く知らなくて当たり前、だろう。現に、自分以外、に誰がイースに人格交代さ、れているか、自、分だけで特定できないん、だから」
バイクが再び地上を走行し始め、しばらくして。劉実は真っ黒な正方形の大きな建造物の前で留める。そこから降りて胸元の真尋を下すと、彼女はそれを抱えながら一歩一歩前進し、続きを促した。
「だったら、真尋さんは誰が精神交換された相手だと思います?」
「…………あー、つまり、そもそも、学校にいる必要がない、んだから、最初から学校に居ないや、つが怪しいだろ。俺の面、会、にそれほど違和感なく潜り込、めて、なおかつ俺、が休む、前から休んでいて、たぶん今も休んでいるヤツ、――――――――たぶん、余市だ」
※ ※ ※
――――がらがら、と引き戸をスライドさせ、龍子が目にしたものは。
「余市さん……?」
「――――をのれ、嗅ぎつけられたかっ」
真尋のベッドの上に、何やら魔法陣を描き。彼の胸元から「光る文字のような何か」を吸い出していた、クラスメイトの余市健彦だった。
本作のCVイメージ
二谷辰隆:井上和彦
まぁ原作既読の方は割と予想できたのではないかな、という犯人でした;
次回、いよいよ真尋さんが帰ってきますよ~!