真・這いよれ!ニャル子さん 嘲章   作:黒兎可

8 / 51
今回ちょっと短め



あなたは逃がさない

 

 

 

 

 

 ノーデンスは真尋を即座に追いかけることはなった。ただ一歩一歩彼に向けて歩くばかりだ。慌てた真尋は立ち上がり叫び走るのだが、それでもノーデンスから逃れることは出来ない。いや、それは明らかにおかしい。この貝の中で彼と老人との距離は明らかに5メートル以上開いていておかしいくらいに、移動速度に違いがある。にもかかわらず、ノーデンスが2、3歩踏むだけで真尋の全力疾走程度の距離が稼がれてしまうのだ。理不尽にもほどがある。

 

「ここは、こっちの空間だ。何が起きてもこっちの自由だ」

 

 無駄な抵抗だと言いつつも、ノーデンスが真尋を決定的に追い詰める気配はない。それが逆に不気味であるが、定期的に銛を真尋に向けてくるのでまったくもって油断が出来るわけでもなかったりする。なんにしても気を抜けば串刺し。死ぬことは確定なのだ。相手が殺すと言った以上、神性がそれを人間相手に言った以上、その意志は絶対であろう。真尋の想像力が決定的なまでに、彼にその事実を教える。

 いや、と。真尋は少し不信に思う。そういえば、なぜそんな確信を自分が持っているのだろうかという点に。持てるのだろうかという点に。そして本来なら恐怖で身動きできなくなるだろうところを、何故それでも身体が必死に逃げようとしているのかという点に。

 

「オレがなんで、なんで、アンタ、オレを殺そうとするんだアンタ!」

「言葉、乱れまくりだな。だがまぁ、知らない方が幸せだろ。ほらよっと」

 

 足を薙ぎ払うよう銛を振るうノーデンス老。ふくらはぎに熱を感じ、真尋は体のバランスが崩れ倒れる。熱はじくじくと痛みに変化、伝播していき、涙と嗚咽が真尋から漏れる。ただ、それでも真尋は匍匐、這いつくばるように腕だけでじりじりと、ノーデンスから離れるように前進する。

 嗚呼、そんな大した理由じゃない。この期に及んで意味が解らないまでも、それでも必死に生きぎたなく生き延びようとしている理由なんて、一つくらいしかないじゃないか。

 

 真尋さん――――♪

 

 あの綺麗な女性が。霧子を名乗っていた得体のしれない彼女が。自分を守って死んでしまったからという。ただ彼女に守られて、その結果、今生きているという。最後の最後で彼女が自分を守り切れず死んだのだとしても、それでも最初の段階で彼女がいなければ、遅かれ早かれ殺されることに違いはなかったろう。現に今、己を攫おうとしていた夜鬼の主たる老人が殺そうとしているのだから、その事実だけは変わらないはずだ。だからこそ、真尋はそもそも最初の段階で彼女に助けられたのだ。

 嗚呼、声こそ出なかった。あの赤い月を背景に飾った彼女は、名状しがたき美女のような何かは、それはそれは美しく、尊く真尋の目には見えた。つり橋効果だって構うものか、俗っぽいだのチョロいだの、なんとでも罵りやがれ。痛みと混乱の中、真尋は開き直る。あんな美しい――――もっと一緒にいたかった女性が、つないでくれた命なのだ。こんなところで、訳も分からず殺されてたまるか。ただそれだけの理由が、今の真尋を、生死の境という狂気から現実に引き留めていた。

 

「よくやるな。それもこれも、全部アレが仕組んだことだろうに」

「は? ……アレって、這い寄る混沌か?」

「ほーぅ、想像力は中々あるみたいだな。さぞ生きにくかろうに。だが、まぁそうだ。お前の今の状況も、おそらく今俺がお前を殺そうとしているこの状況も、全部アレのせいだ。『語るまでもなく』最初から最後までアレの掌の上で、全部が全部アレの『完璧な仕込み』だ。お前が今そんな『スリリング』な状況に陥っているのも、そもそも全部が全部、お前の自由意志が介在していない」

 

 そもそも俺自身が今はほぼ人間でしかないからなぁ、とノーデンスは忌々しそうに吐き捨てる。

 

「正直に言えば、アレの掌の上で転がされるのは癪に障る。が、お前を放置しておくのは後々のためにならん」

「オレがなんだっていうんだよ、アンタ」

「『奇妙な歳月』って小説があるんだが、知ってるか? 人類がアレの策謀の前に完全敗北する物語だ。お前が生きてる状況っていうのは、ちょっと誰かが手を加えれば、すぐソレと同じになるって話だ」

 

 真尋の想像力は、それだけの情報でなにがしかの答えを導き出している。そして、その結論に対する違和感に真尋はついに自分自身のこの認識の異常さに気づいた。想像力があるというには、明らかに彼の予想は現実のそれを射抜きすぎている。霧子(仮)との会話におけるリアルクトゥルフ神話小説群の知識から導き出されたろう予想とはわけが違う。いや、あれももしかしたら実際のところは違ったのかもしれないが、それはともかく。少なくともノーデンスの言葉が正しければ。おそらく、自身は「這い寄る混沌により改造されたヨグ=ソトスの落し子」なのだろう、という予想だ。そしてノーデンスの顔を見るまでもなく、彼に確認をとるまでもなく、それが事実であろう確信があった。その確信がやけに絶対的なものであるという認識が、まるで刷り込まれたかのように真尋の中に沸き立っている。そしてほぼ間違いなく、自分をとらえたダゴン秘密教団のような組織の連中は、己の使い方を間違ったのだろうということも。

 あれ、この被害妄想のような誇張の入った刷り込みめいた強迫観念のようなそれは、これって不定の狂気にでも入ってるんじゃないのだろうか、と疑いはすれど、彼の認識自体が大きく錯乱状態にないことから何かが違うという理解もある。ただし現状、どうあがいても真尋自身の正気を真尋が証明することは不可能である。すでにSANチェッカーは存在しない。この狂気の世界に、真尋一人で立ち向かうしかないのだ。

 

「わかるか? お前が生きているとまずいってことが。じゃあ、わかったら死ね」

 

 そしてそれだけ言って、今度こそノーデンス老は銛を構えて投擲した。投げ槍の要領で放たれたそれは、明らかに速度を増していく。真尋の身体が動くよりも何よりも、既に彼の目の前、刺さる直前の位置だ。このタイミングに至り、真尋の中の時間が静止する。徐々に徐々に近づいてくる銛の先端をかわそうとすれど、彼自身の身体はびくとも動かない。状況に違和感を覚えると同時に、嗚呼、これはいわゆる死に際に世界がスローモーションになるというアレだと納得した。脳裏に数々の映像がよぎる。冒涜的な映像だったり、母親や父親、学校の友人たちの顔やスピーカーフォンのような声も脳裏をよぎる。そして不思議と、最後に脳裏をよぎったのは、やはりというべきなのか、霧子(仮)の姿だった。記憶の中の霧子(仮)は、ひどくおかしそうに、それでいていつくしむような眼をして真尋を見ていた。

 

「――――――――」

 

 こんなところで死んでたまるかと。だが、すでに真尋にはどうしようもない。そして刃そのものは、もはや真尋には決して止めることができない。

 

 そんな時だった。

 

 

 

『さ ど く え し じ る む 』 

 

 

 

 

 真尋の声でない、聞き覚えのない声。男の声が、どこからか聞こえた。いや、どこからか? ――――それは間違いなく真尋の、喉から聞こえた声である。次の瞬間、銛が急激に錆びついた。真尋に激突すると同時にぼろぼろと原型をとどめないほどに崩れ去る。それに目を見開いたのはノーデンス。何事か、という顔を前に、真尋の方が意味がわからない。だが、わずかに真尋の視界の端にゼリー状の大型の楕円形の、牙のようなものを持った何かが見えたような、見えなかったような。

 おそるおそる周囲を見ると、しかし、それらがまるで気のせいだったように、まるで子供向け漫画にでも出てくるような星型をした黄色いマスコットキャラクタのような、顔のついたナニカが二つ。成人男性ほどの大きさを誇るそれらが真尋の両側に立っていた。わずかにその体が震えると共に、くすくす、という声が聞こえる。

 

星から訪れた者(ヴィジター)か。……また気色の悪いバケモノ呼び出しやがって」

 

 ノーデンスの言葉に、真尋は理解した。どうやら自分は本格的に狂ってしまったようだ。星から訪れた者。星の精と呼ばれるそれは、一番最初に真尋が見たときのシルエット通りの姿をしているべきである。つまり半透明のゼリー状に血液を滴らせ、ぎちぎちと牙のようなものを持っている怪物だ。だというのに今目に見えるこの『子供向け番組のフィルターでもかかったのような』、逆に不気味な光景こそが、すでに真尋の脳みそが異常動作を起こしている何よりの証拠だろう。

 いや、それよりも待て。さきほど自分から発された声は何だ。いや、あの超加速された認識の中で、そもそも「普通に聞こえるだけの速度で」声帯を動かせるものか? 自分の口は絶対に動いていない。喉も動いていない。だというのに何故そんなことが――――。

 次の瞬間、真尋は呼吸が出来なくなった。

 

「!? ――――――ッ、っ、っ!」

 

 次の瞬間、真尋は「強制的に」上を向かされ、口を大きく開かされた。感覚的には、まるで喉に向けて巨大な太い棒でも突っ込まれたかのような、そんな得体のしれなさだ。だが事実は違う。事実はより冒涜的なことに、真尋の「体の中から」、口を出口として、一本の、黒い、太い触手が這い出てきていた。うねうねと蠢き、そのたびに真尋の口から黒い吐しゃ物があふれ出る。ぎょろり、と、触手に三か所亀裂が入り、そこから目玉のような器官が出現する。と同時に、真尋に見えている光景に「フィルターがかかった」。触手は木の幹「のように見え」、目玉はまるで瘤のようである。と、木の頂点に花のつぼみのようなものが生まれた。それが徐々に、だんだんと、そして木全体を覆う程に強大なつぼみとなる。色は桃色、桜の花弁のようだが、おそらく現実に繰り広げられている光景ははるかにおぞましいだろう。吐き気と恐怖が真尋を支配し、彼は身動き一つとれず、だんだんと酸素が失われていく。

 木の大半を覆いつくすほどに育った花弁は、一切ためらうことなく開かれた。果たしてその中から現れたのは――――――――。

 

 

 

「――――せっかく気づかれないように色々苦心していたというのに。『私の』真尋に何をしてるんだい?」

 

 

 

 夢野霧子を名乗っていた女性。――――姿かたちは、彼が初めて会った時のそれであったが。だが、浮かべている表情は明らかに異なっていた。どこか楽しそうに、どこか残念そうに、そしてどこか退廃的に。超然とした笑みを浮かべ、口調、声音ともに『涼やかな男性の声』を発したそれは。

 もはやそこに立っていたのは、真尋が恋した女性ではなかった。

 

 

 

 

 

 




本作での声のイメージ
 ニャルラトホテプ:井上和彦

次回、一応決着? クー子もたぶん再登場
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。