八雪です、コメントとかもらえると嬉しいです。

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魔女と俺

 

まだ新しい朧気とした朝にコーヒーを啜っていた。気づけば時計の針はもう7時半を指していて、そこでやっと学校のことを思い出し我に帰る。

 

「そろそろか」

 

そう言って椅子から立ちコーヒーのカップを台所に置く。準備は既に済ませていた。後は鞄を持って玄関を出るだけなので焦る心配はなかった。だが昨日のことを思い出すと家を出る時間は早めるべきだ思って、出来るだけ時間は早めを意識する。

外に出て玄関先を見れば。幼馴染で、ここ10年変わらない立ち姿の雪ノ下雪乃がいる。そいつは俺が出て来た事に気付くと、偶々出会ったかのように振る舞って、ニコリと優しい微笑みを浮かべた。

 

「あら、おはよう比企谷君。偶然ね」

 

「ああ、偶然」

 

「今日は起きれたのね」

 

「昨日は悪かったよ」

 

「私まで早足で歩く羽目になったわ」

 

そんなら別に待たなくてもいいだろうに。直接そう言うわけにもいかず。なんなら起こしに来てくれよと言ってみれば、雪ノ下は嫌よと簡素でテキトーな返ししかしないのだった。

 

「ああそうだ。昼飯の時でいいからノート貸してくれよ」

 

「仕方ないわね、なんの教科?」

 

「数学」

 

「相変わらずなのね」

 

「気づいたら寝てた」

 

「馬鹿……大方新しいゲームでも買って夜更かしでもしたのでしょう」

 

「なんで知ってんの?」

 

「夜中でもカーテンがチカチカ光ってうっとしいものだから」

 

「ごめんなさい」

 

「わかればいいのよ」

 

はぁ、ゲーム控えるかな。いやでもモンハンの新作はほんといいゲームだと思うわけですよね。だからといって雪ノ下の睡眠を邪魔し続けるというのは、若干自殺志願と変わらない様な気がする。その話題が出たからなのか、思い出した様に雪ノ下はあくびを漏らした。

 

「大丈夫か?」

 

「……そうね、時間もないし缶コーヒーで許してあげるわ」

 

少しいたずら気味な優しい笑顔に、まず視線が、そして心が、吸い取られていくようだった。長い黒髪は地面に向かってフワリと神秘的な曲線を描いている。睫毛は上から覗けばウェディングドレスのベールさながらに美しく、更にベールを上げて見ればその青みがかった瞳に見惚れることは必至である。俺はもう気がつけばもう雪ノ下しか見えなくなってしまって。

……なんてな、彼女は魔女なのだ。たった1つの微笑みでどんな男でも惚れさせてしまう。それはそれは怖い魔女。

 

 

* * *

 

 

そんな朝を終えて学校に着いた。テキトーに別れて教室に着いて机に突っ伏していると、昼休憩まであっという間だった気がする。というか本当にあっという間だった。国語とたった今終了した移動教室での授業以外は寝ていたからね!

だからこその雪ノ下製完璧ノート!若干良い匂いがする!おいキモイぞ八幡!

 

テンションは長い睡眠のおかげで高く保たれたまま、ぐるっと校舎を一周していつものベストプレイスへと足を運んでいた。

 

「ずっと前から好きでした、俺と付き合ってください」

 

なんてタイミングの悪い事だろうか。若干めんどクセェと思う、そして自然と誰が告白されているのかが気になってしまう。わざわざ覗き込んでみるとそこにあったのは長い黒髪。目を見開いて、ほんの少し動揺する。風に吹かれて靡くそれは俺が追いかけて来たものだったからだ。つまりその長い黒髪を揺らすのは雪ノ下雪乃という事だ。

 

そしてよく見れば告白している男子は学校中の人気者である葉山隼人。葉山隼人と言えば、学校一のイケメン、性格はよし(経験談である、癪な事には変わりないが)。スポーツ万能、成績優秀。そんな男なら。成功の可能性がそこらの男子よりよほど高いだろう。それは残酷な事実だった。

雪ノ下がもし、この告白を受け入れてしまったら。そんな考えが脳裏によぎる。そしてその不安はたった数秒で俺の思考を支配した。雪ノ下が誰かと付き合うだなんて考えられない。しかしその憶測で安心しきってしまって、ただ彼の恋が実る瞬間を眺めるだけになるかもしれない。

そうしたらずっと後悔するだろう。でもこんな状況でどう動けばいいのかなんて、多分誰にも分からなかった。

一度離れたら二度と元に戻れない。俺が恋した雪ノ下雪乃に、俺ができる事。それを探しているうちに、昔あった事を思い出した。

 

 

* * *

 

 

靴箱の前で、呆然と立ち尽くす見慣れた横顔。

俺は彼女が一応幼馴染であるにも関わらずほとんど話したこともない。ずっとその横顔を眺めることしか出来なかった。彼女はまだ、その赤いランドセルに相反した暗い表情を浮かべている。上履きのままの彼女がどこかへ行ってしまって、俺は彼女が先程までいた靴箱の前に立つ。目の前には、普通ならこの小学校まで来たはずの外履が置いてあるはずである。

しかしそこには何もなかった。それは彼女がどういう状況に置かれているかを暗示していて、俺は消えてしまった外履を探し始める。

 

なんとか見つけた外履を彼女の靴が置いてある下駄箱に置いて、何事もなかったかのように家に帰った。なんだかすごく良いことがあったような気がして、気分が良かった。

 

またある日。依然として友達がいない俺は図書室で1人本を読みふけっていた。ガララと図書室のドアが空いて、入ってくるのは彼女だった。

パタパタと足音を鳴らしながら、ぽっかり口を半開きにして見惚れる俺に目もくれず、本棚から好みの本を探し始めた。全く俺のことなんて気にするそぶりもなく対面に座ると。ペラペラ本を読み始めたので、俺も本を読んでいるふりをした。視線の端では彼女の事をずっと捉えていたなんて、誰にも言えない。数分ページを捲る事を忘れて彼女をちらりと覗き見ると(もちろん、本を読んでいるように装って)、彼女もこちらを覗いていることに気がついた。思わず目が合って、彼女は自然に口を開く。

 

「あら、気が合うのね。私も好きよ、その本」

 

少し緊張してしまったけれど、表には出さなかった。

 

「へぇ、こんなの読むのか。意外だな」

 

「そうかしら、でも面白いわ、それ」

 

「ああ、面白い」

 

それだけだった。今思えば小学生に、その中でもよっぽどコミュニケーション能力に欠ける俺達にそれ以上の会話は難しかったのかもしれない。

 

ただ、彼女はそれだけで俺を変えてしまったのだ。気がつけば彼女の隣にいたし、その事に何の疑問も浮かばなかった。

それから先俺は彼女と会うたび彼女の表情を見て、暗い顔でいると条件反射の如く悪意の群れに飛び込んだ。

 

ただそんな自己満足の、誰の為にもならないようなやり方は、俺よりも誰よりも、彼女自身が認めてはくれなかった。

 

「私、やっぱりあの子達と上手くできないわ」

 

「しなくていいだろ、人間関係なんてあっさりさっぱり塞翁が馬。こってりはラーメンだけで十分」

 

「でも、それだとあなたが……」

 

変にどもる彼女に違和感を感じながら、でもそれは優しさなのだと言い聞かせた。そんな言い訳も虚しく。彼女は1人、泣き出してしまう。

 

「……あなたが傷ついて、私だけが救われて。そんなのおかしいじゃない」

 

「別にいいだろ、好きでやってる事だ。……泣かないでくれよ」

 

その涙は、愛する彼女にできる事を、見て見ぬ振りくらいにしてしまうから。胸の苦しみを何倍にもしてしまうから。

 

「だって!……比企谷君が傷つく事を容認してしまったら私はもう……何もできなくなってしまう」

 

その嗚咽が、涙が、何より必死な顔が気付かせてしまった。俺のしている事がどれだけ醜い事なのかを。

ああ、これでは駄目なのだ。彼女を救えない。やり方を変えなければ。

 

* * *

 

それから今まで、結局何ができただろうか。それでも彼女を追いかけ続けた先に何があったか。俺はまだ、何もできない。

彼女に振り回されるのみである。そんな事にも慣れてきた。そんな自分に嫌気がさす。俺は……彼女は、どうするのだろうか。

 

「ごめんなさい。あなたとお付き合いすることはできないわ」

 

「……そうか、君らしいな。

見て見ぬ振りしかできないのは、もう嫌だったんだけどな」

 

葉山は似合わないやさぐれたような、がっかりともいかない結果を知った上での落ち込み方をする。そんな表情を見て俺はそうかと知ったような気になった。あいつもまた、見て見ぬ振りを魔女に強制された悲しい人間だったのだ。そうだった、俺は知っている。こうして見て見ぬ振りにも嫌気がさして、いつか彼女に近づいて寄り添って、正しい愛し方をする人間がいる事。この切なさを抱える人間が俺だけじゃないって事。

でもどうせ彼女が俺以外の誰かのものになるのだとしたら。彼女の生まれながらに持つ力と、生き抜く中覚えた呪文を。それを俺に使ったのは……ただの気まぐれだったのだろうか。

 

人影がこちらに寄ってきて、俯いていた俺は逃げるタイミングを失った。曲がり角から出てきた彼女は、俺の顔を見て驚く。

 

「……悪い。わざとじゃないんだ」

 

「……そう。

ならタイミングもいいし、ノートは持ってるから行きましょう」

 

その言葉に少し安堵する。どこまでも優しい彼女は俺に見て見ぬ振りをさせてくれる。また彼女に全てを理解されてしまった。俺は、雪ノ下の事を何も知らないのに。

 

 

* * *

 

「その暗い顔、お昼には似合わないわ」

 

それが、2人で昼食を始めてからはじめて出た言葉だった。

 

「悪い。気にしちまって」

 

「私だって、少しくらい気にするのよ?」

 

「だよな……」

 

続きの言葉が出てこなくなって、また沈黙が訪れる。雪ノ下は、思い出したように持ってきていた数冊のノートから数学と書かれたノートを差し出す。

 

「今日は寝てないでしょうね」

 

「……2時間ほど」

 

「馬鹿」

 

そう言って雪ノ下は俺の頭を軽く小突いた。

やけに顔が近くなって、つい目を逸らしてしまう。未だに、この距離だと緊張してしまう。

 

「夜中までゲームなんてしているからでしょう。遅くても12時には寝なさい」

 

「お前はかーちゃんかよ。雪ノ下みたいに健康生活できるほど真面目じゃねーよ」

 

「ええ、ずっと不真面目さんだものね。呆れ通して呆れることにも呆れたわ」

 

少しだけ、そこには笑顔と日常が戻っていた。それは雪ノ下の尽力によるもので、結局俺は魔女の呪文に従って動いているだけなのであった。

ただ、彼女に胸を締め付けられるのはもう限界だった。俺は彼女の隣でいたいのに。

 

「何か、悩んでる?」

 

こう簡単に見抜いてくるものだから、俺は益々天邪鬼になってしまう。でもそこからはいつものパターンだ。潤んだ声で唱える呪文1つで俺は逃げられない。

 

「……何も」

 

「大丈夫。

私はいつも、誰よりあなたの味方だから」

 

そしてまた、魔女の呪文に身を委ねる。

 

 

* * *

 

 

1人の男の子がいた。

子供の頃から人間関係で上手くいかず、毎日1人寂しく帰宅して、何の面白みもない生き方をしている哀れな男の子だ。

そんな奴にも、小さな希望というものがあった。隣の家に住んでいて、ほとんど話した事もないのに、不思議とその子の事しか考えられなくなるような魔力を持った女の子の存在だ。

小学校に上がるまで、度々顔を合わせても無愛想なまま母親の陰に隠れて話すこともなかったけど。

 

でもいつか転機があった。

あの時はただ悪意に蝕まれるその幼馴染を助けたかっただけなのだが。それが結果的にその子と友達になるきっかけとなったのだから、その悪意を今じゃあ恨んでも恨みきれない。

 

中学に上がって、その子から俺は距離を取り始めた。自分に自信がなかったからだ。

小学校の時点で自分の人望や人徳は無いのだと分かりきっていたし、わざわざでしゃばる必要もないと思って。

学校ではもう殆ど話さなくなって、でもそれでも、朝家を出ればいつも通り変わらない笑顔で彼女はそこにいる。

 

その優しさがとても嬉しくて、学校以外の人目につかない場所で遊んで、遊ぶって言ってもそれは河辺でずっと空を眺めながら話してるだけのものだったけど、そうして逃げた。

見て見ぬ振りが得策なのだと信じているふりをして、彼女もまた見て見ぬ振りをしたんだと思う。

 

でも事情が変わった、考えが変わった。

もしかしてもう彼女は違う誰かの隣にいいんじゃないのかと。彼女の優しさは気まぐれかもしれないと。

 

だから、ずっと言いたかった。

それはいろんな意味で終止符を打つ為に。

 

* * *

 

 

「雪ノ下、好きだ。

小学校始まる前から、あの笑顔を見てからずっと」

 

そうして、やっと言うことができた。ただ言えただけだから何が変わるとは言わないが。でも大きな一歩なのだ。

 

「ありがとう。

でも、先に私の話を少し聞いて貰ってもいいかしら」

 

若干、彼女がでもと言った瞬間にビビり倒したのは隠し通して。俺は相変わらず無愛想な声で返事をする。

 

「私、とても嬉しかった。

あなたがあの時、助けてくれたことじゃない。私のことを、見ていてくれたこと」

 

毅然とした表情で空を見上げる雪ノ下雪乃は、どの雪ノ下にも負けないくらい愛おしかった。

 

「あなたが見ていてくれたから、自己嫌悪の世界から抜け出すことができた。あなたは私の隣にいてくれた。

 

……でも、あなたが傷つくのが嫌だった」

 

今度は落ち込んだ、儚げな顔で地面を見ている。励まして寄り添って、笑顔の雪ノ下を見たいと思う。けどそれは無粋な事だ。

 

「だから私、あなたに助けてもらえなくなっても。次は私が助けてあげられるように頑張ったの」

 

「だから、大丈夫」

 

二度目の大丈夫は、きっと彼女強がりだった。

彼女はもう、自分がどうなるか知っている、その準備をしているのだ。1人でも大丈夫なように。

 

* * *

 

それが起こってしまったのは、ある意味で必然だし。でもとても残酷な事だった。

俺は今、国際教養学部の2-j組。自分のクラスではない教室の前に立っている。

それは俺だけではなかった。規律のない人混みは出口も入口も塞がずただ邪魔になることだけを考えた配置たった。

 

丁度出口の前に辿り着いた俺は、言わずもがな彼女を見つめている。昔よりもっとひどい、誰かによってなされた悪意を受けている彼女を。

 

雪ノ下雪乃は、先の昼休みで全てを変えてしまった。押さえつけられていた嫉妬心は引き金を引かれ暴発する。雪ノ下は悲しげな視線を落書きでぐちゃぐちゃの机に向けていた。

 

まだ、こんな状況でも見て見ぬ振りしかできない自分に嫌気が指して。いつしか目立つところにまで進んでしまった。雪ノ下がこちらを向く。目が合って、でもすぐ逸らして。

そしてなるべく俺を遠ざけるように教室から出て行ってしまった。残された俺はどうしようもなくなって、1人地面を見下ろした。

落ちる視線は昼休みの雪ノ下の視線に似ている、雪ノ下もこんな気持ちだったのかも知れない。

 

俺1人じゃあ、結局救うことはできないんだ。ようやく諦めがついたみたいだ。

ため息を吐いてから携帯を開いた。数件の電話番号しか入っていない連絡帳を開いて、とある人に電話をかけた。

2コールほどで、その人物は電話に出る。

 

「ひゃっはろー、珍しいどころか初めてだな。君から電話もらうの」

 

何年ぶりか忘れてしまったくらいに時間が空いていたにも関わらず。彼女はいつも通り陽気な声音で言う。

 

「お久しぶりです。陽乃さん。

いきなりなんですけど、相談に乗って欲しい」

 

「……いいよー、じゃ、放課後ね。集合場所はテキトーにメールして」

 

余りに簡素さに、あっけないように感じた。

その返事は今の俺に合っていない、訂正する必要があった。

 

「今からじゃ、無理ですか?」

 

「今からって、君学校でしょ?抜け出すつもり?」

 

「仮病使います」

 

「わかった。いいよ、じゃあ取り敢えずララポで良いね。スタバで待ってるから」

 

間違いを正した後は、正されるためにそこへ向かう。颯爽と仮病を使う事が出来るのは、腐った陰気な雰囲気と目のおかげだった。さっさと学校を出て、住宅街を通り抜けながら進み10分かそこらで駅に辿り着く。

そうしてララポまで着くのは、20分程度で済んだ。駅からその待ち合わせに着く頃には、陽乃さんは既にカップを片手にコーヒーを啜っている。

昔からそうだったが、久々に見る雪ノ下陽乃というのは、非常に華々しく、それこそ話しかける事を躊躇する程に完成された人間だ。その事を意識しながら気を引き締め直して、久しぶりです。と声をかける。彼女は相変わらずな作り笑顔で、久しぶり、と答えた。

 

「話、聞くよ。無駄な話はいらないでしょ」

 

「ありがたいです。

雪ノ下の事なんですが」

 

「いじめられてるだろうねぇ」

 

「知ってたんですか」

 

また、質が悪い。この人らしいといえばこの人らしいけど、でもそれは何か自虐的なものがある。俺はそれが嫌いだ。その達観して悲観してこれが現実だと突きつけるその目が嫌いだ。どうしようもない事を知ってるような彼女。しかし彼女は答えを知っている。

 

「隼人から聞いたの」

 

「ちょっとくらい、相談に乗ったりしてあげるんじゃないですかね」

 

「できないのよ」

 

「なんで……」

 

「君が一番知ってるはず、一個人にできることなんてない」

 

それを言われると弱る。

少数派は、いつも多数派に押しつぶされるのだ。彼女に対して何かしてもそれは自己満足でしかなくて、それは誰も救えない。きっと彼女は悪意からも少数派で、一見味方の様な人間からも少数派だ。彼女が多数派になる為には彼女が1人で悪意立ち向かわなければならない。

 

「じゃあ、また」

 

「そうだね、いつもと同じ」

 

「悲しくないですか」

 

「自分の悲しさを埋めるために、雪乃ちゃんを悲しませたくないもの」

 

「そりゃあ、そうですね」

 

どちらかが悲しくならない様に、どちらかが傷を負う。ああ、全く当たり前のことを言うんだな。少なくとも俺の知る陽乃さんはそんな現実に囚われる人間ではなかった。きっと誰もが現実に囚われていて、彼女だけはそれを誤魔化しうる術を知っている。だから頼った。相談して、俺一人じゃあなんにもできないからわざわざ彼女を呼び出した。

その結果は、悲惨で杜撰で酷く盲目的で。

 

魔女に人間が取り入る隙はない。

雪ノ下雪乃という魔女を、なんとかそれを上回る黒魔術で陥れたいと言うのに。

そんな魔法はどこにもない。

 

陽乃さんは、はぁと軽くため息を吐いた。

 

「辛気臭い顔しないでよ、意味のないことにこの私が付き合うと思う?」

 

「まぁ、確かに普段なら一方的にまくし立てて通話切ってますね」

 

「その言い方は多少腹立つけど……そう、方法ならある。

 

雪乃ちゃんを救う、誰にでもできて誰にもできない救い方が」

 

「それって」

 

「私や雪乃ちゃんが、君にしている事だね。

他にも色んな人が君にそれをしてくれた筈だよ。君だって答えを知ってるはず」

 

ここに来て陽乃さんは、やっと俺の知る陽乃さんへと回帰して行く。相変わらず意味がわからないけど、それでも何か筋の通った言葉だった。そういえば雪ノ下も、そんな発言ばかりだった気がする。

その言葉は希望を与えてくれた。

まだわからない、けれどきっと方法はある。ヒントも貰った。そのヒントに基づいて考えるだけ。それが結構難しい、それでも。

 

「ありがとうございます。

雪ノ下の為なら、頑張れる気がします」

 

「あら、雪ノ下って私のこと?照れるなぁ」

 

「まためんどくさいことを……」

 

「ほら、バラさないから。練習」

 

いや絶対バラすだろ、そう言ってバラさないなら警戒なんてしねーよ。この天然最強悪魔め。

だが仕方ない。礼と言ってはなんだけど。与えられたヒントにはキチンとそれなりの対価を支払う必要がある。

 

「雪……雪、乃の為なら」

 

ああやっぱダメだ!恥ずかしい!

と赤面する俺をみて爆笑する陽乃さん、そして追い討ちをかける様にワンモアタイムと続ける。

 

「……雪乃の為なら、頑張れる気がします」

 

言い切ってやった、顔が熱い心臓が跳ねる膝はガクガク震えてる。雪乃に告白するときより全然緊張している。

それでも、言ってやった。

 

「ほら、いつまでも私に構ってないで、言ってあげなよ。雪乃ちゃん泣いてるよ」

 

「助かりました」

 

そう言って駆け出す。彼女はどこにいるだろうか。そんなことは関係ない。どこでもいい、俺は思う、早く雪乃に会いたい。

 

そして……1人残された雪ノ下陽乃は溢す。

 

「私が君にしてあげられるのは、いつも見て見ぬ振りくらいだったけど」

 

白銀の涙が頬を伝う。その上擦った声は誰にも届くことがない。

 

「最後は、何かしてあげられたかなぁ」

 

それは雪ノ下陽乃の零した、最後の涙だった。

 

* * *

 

大見得を切って走り出した比企谷君でしたけど、学校に今から行けるわけがなく、雪ノ下の帰宅まであと1時間はあることに気づいて仕方なく通学路の公園で待つことにした。

 

「情けねぇ……」

 

ため息を吐きながらどうしたものかと考えてみる。それでも答えは全く見えてこない。こうなると泥沼、公式を忘れた数学の問題みたいにどう考えても解ける気がしない。

 

糖分を、糖分をおくれと言わんばかりに自販機の元へフラフラ歩き出す。財布から小銭を抜き取り、自販機へ差し込んでいつも見慣れた黄色のコーヒー、マッ缶を買う。

高校生が制服着て公園でコーヒー飲んでるとか。学校サボり組は普通家帰ってゲームでしょ。何、会社サボり組なの、時代の先取り?未来の俺先取り?そんな先取りしなくていいんですけど。

 

馬鹿な妄想に耽りながらベンチまで戻る。

やけに厳しい冬の風が沁みる。俺に吹く世間の風当たりみたいだ。ま、仕方ないんですけどね……。

 

長い間1人でいると、いつもより脳内会話の密度が上がる。あぁ、結局答えはわからないままだ。

今更ながらどうしようかと考え始めたところで、やっと1人の女子高生が道路を歩いてきた。遠目からでもよくわかる。確実に雪ノ下雪乃だ。

 

「雪ノ下……!」

 

「比企谷君、何してるの」

 

「俺は……なんつーか、学校サボって」

 

「浮気?」

 

「なんだよ浮気って、誰とだよ」

 

「姉さんと」

 

「……なんで知ってんの?」

 

嫌な予感がする。

雪ノ下は鞄から携帯を取り出して、簡単な操作をする。そしてそれをこちらに向けるとその携帯から、雪ノ下陽乃俺が放った言葉が流れ始める。やっぱりね、薄々気づいてたよ。ていうか、こうまで清々しく裏切られるともう逆に信頼してしまうまである。

 

「まぁ、比企谷君は私のこと小学生の頃から好きみたいだし、別全然。嬉しくなんてなかったけれど」

 

振り向いて、顔を隠しながら雪ノ下は言う。けれど隠しきれていない耳が真っ赤に染まっていた。俺はなんだか陽乃さんの事を恨むに恨みきれなくなっていく。

雪ノ下は、多少持ち直したみたいだった。休み終わりに見たあの暗い表情は残っていても、普通に話してくれるくらいに。

 

「雪ノ下、ちょっと話そう」

 

俺はベンチを顎で指してそこへスタスタ歩き始める。俺がベンチに座ると、雪ノ下も隣にチョコンと座った。

 

「大丈夫だったか?」

 

「……ごめんなさい、心配かけて」

 

しょげながら雪ノ下は謝った。けどもしかしたら原因を作ったのは俺かもしれない。葉山の告白を断った後俺と昼休みを共にする姿を見られている可能性が十分ある以上、謝る必要があるのかもしれなかった。だから言い訳するみたいに口から言葉が溢れる。

 

「いや俺も……何にもできねぇで」

 

「私が一人で頑張るって言ったから、別にそれはいいの」

 

「俺は、お前が心配だ」

 

「ありがとう、優しいのね」

 

「女には優しくしろって、小町に躾けられたからなぁ」

 

雪ノ下は口角を上げつつも、笑うことは無かった。雪ノ下がどうなっているのかがわからなくて慎重に言葉を選んでいるのだが、それには無理がある気がした。

 

「いいえ、あなたは元々結構優しいわ」

 

「んなこたねぇ、卑屈で自己満足野郎だし」

 

「いつもそうやって、そんなところは嫌い」

 

「ああ、俺も俺のこんなところが嫌いだ」

 

俺は俺のしてきたことに未来があるとは思わない。ただ俺にできる事が余りにも少なく何もできずに追い詰められて行くのを、きっと彼女がなんとかしてくれると心の底で信じていた。誇大な誰かに言わせればそれは甘えだったのかもしれない。けど甘えて何が悪い。見ろよ、こんなに可愛くていい子だぜ。甘えない方が馬鹿なんだよ。

 

「話の続き、聞いてもらえないかしら」

 

心の準備は、整ったみたいだった。それがどう転ぶのか予想が全くつかないが、雪乃の為なら、がんばれる筈だから。

 

「よし、聞くぞ」

 

「……私、昔から無愛想で人懐っこくない子だったから、基本的にどこでも1人だったわ」

 

語り始める雪乃の影には、辛い思いが混じっていた。そして、俺はその辛さを知っている。

 

「でも、心のどこかで1人が辛かったのかもしれない。だからみんなと仲良くなりたいって、そう思って近寄ってみたの」

 

その先は、いつも通りだ。

 

「攻撃されたわ、そういえば私変に嫌味なところがあるから仕方ないことかもしれないけれど。でも……」

 

私(雪ノ下雪乃)には理解できなかった、自分の正しさは彼女達の過ごしやすさにはならなかった。それは悲しい事で、夜な夜な1人で泣く私が嫌いになる。けど。

 

俺(比企谷八幡)には理解できなかった。あんなに可憐でお淑やかな女の子がああまで人に馴染めない理由が。言うなれば、彼女と彼女達は磁石であるかのように反発し合う。

 

「けれどそんな時、あなたが私を見ていてくれたことに気づいた」

 

「それが嬉しかった」

 

世界が変わった。私の暗い世界の中に、同じような無愛想で不器用な男の子に、私はかけがえのない恋をする。

 

「俺のそれは間違いだったかもしれないって思った」

 

今思えば、そうなのかもしれない。でもそれは違うと確かな真実を持って否定することができる。雪ノ下の存在が、それら全てを否定する。

 

「私、あなたが初めての友達で良かったと思うわ」

 

「俺も、お前が初めての友達で良かったと思う」

 

俺の世界は変わった。横顔を眺めるだけの日々が、色んな話をして楽しむ日々に変わった。美しい思い出の中で、俺は雪ノ下雪乃に恋をした。

 

「でもそれから私に2人目は訪れない、それどころか、今日もまた敵を増やしてしまった」

 

「お前のせいじゃねーだろ」

 

「いいえ、私のせい」

 

断固たる言い分には、言わずとも筋が通っている。

 

「でも、あなたがそう言ってくれると、心が楽になる。辛い気持ちを忘れられる」

 

また、雪ノ下は強がってみせる。あぁ、彼女はずっと辛かったのだ。自分と対等である人間があまりにも少ないことに苦しんでいた。だからどうにかする為に、ずっと1人で歩いてきた俺は、やっと雪ノ下雪乃を理解した様な気持ちになる。

 

「雪ノ下、1人じゃ辛いだろ」

 

「うん。

……私だって、みんなと仲良くしたい」

 

そう言って、雪ノ下は泣いた。

今度は1人じゃ無く、俺の隣で小さな涙ををぽつぽつ零している。

 

「俺が、隣でいてやる。

それでどんな話でも聞いてやる。嬉しかった話には一緒になって笑ってやるし、悲しい話なら慰めて、一緒に泣いてやる」

 

それがきっと答えだった。

陽乃さんも、雪ノ下も、俺の話を聞いてくれて考えてくれて、苦しい現実に立ち向かう勇気をくれた。そしてそれこそが誰にでもできて誰にもできない。唯一雪ノ下を救う方法だった。

 

「ありがとう…….比企谷君。

私、最初から比企谷君の事が好きだった」

 

雪乃は、俺に本当の笑顔を見せてくれた。

その思い出だけで余生を過ごしてしまえる程に綺麗な笑顔を、抱きしめる事でしか表す事が出来なかった。

 

「こんな話聞いてくれてありがとう。私にとってあなたはとても大切な人よ」

 

雪ノ下は、俺に存在意義をくれた。そしてそれが、彼女が俺を傷つけたくない理由になった。

 

* * *

 

 

「ほれ、君たちに貸せる教室はここくらいだ」

 

「ありがとうございます、助かります」

 

「ま、部活という大義名分があれば簡単な事だよ」

 

平塚静は、そう言って親指を立ててこちら突き出し格好つけて見せた。かなりかっこよく決まってはいるが部屋は埃を被っていて、なんだかそれどころじゃ無い感じがするから平塚先生の為にも、この部室は掃除の必要があるように思えた。

 

「はなから掃除とか、大変な作業だな」

 

「いいじゃない、これから卒業までお世話になるのだから。部室まであなたの部屋ほど汚いとやる気が失せるわ」

 

「あーへいへい、そろそろ小町ちゃんにお手伝いしてもらいますよっと」

 

「なんなら私も手伝うけれど」

 

「お前俺のパンツ触る覚悟あんの?そうでなくてもパンツ見た瞬間に罵倒の嵐だろ」

 

「それはそうね。あなたの管理は小町さんに任せることにするわ」

 

管理て……なんて物言いだ、さすがは雪ノ下雪乃といったところなのか。俺を最大限に馬鹿にする発言を繰り返しながら着々と掃除を進めている。パタパタ箒を動かしていると、埃が散って息苦しくなる。窓を開けて見ると、桜が綺麗に舞い散りながら入ってくる陽気な心地よい風は春を感じさせるのに充分だった。

 

「椅子は……これを借りようかしら」

 

「じゃ、俺はこれで」

 

そうしてすることもなくなって沈黙が訪れる。この沈黙がいつしか心地よくなる事も知らずに俺は話し出した。

 

「で、これ具体的に活動するまで何すんの、やる事なさすぎるでしょ」

 

「まぁ、人が来なければ仕事はないし、教室を私物化する同好会のような立ち位置になるのが癪だけれど、読書……とか?」

 

首を傾げて、雪乃は提案した。そーだなとまぁ簡素な返しをして、鞄から本を探すものの、その中にはマッ缶と、本といえば教科書しか見当たらない。

 

「貸してあげるわ」

 

「サンキュー」

 

なんて気が利くのでしょう。気が利く美人なんてラスボス魔王より戦闘力高いんですけど。

また沈黙が訪れて、その頃にはこの沈黙の価値を理解していた。今度は大切にしながら、雪乃から借りた本を読み始める。そうして少し時間が経つと、俺たち2人以外の手で、その扉は開けられる。

 

「し、失礼しまーす……その、奉仕部ってここであってますか?」

 

若干ピンク味のある茶髪を斜めに垂らしながら、扉の隙間から顔を覗かせて女の子が言う。

初仕事だな、と思っていると雪乃は誰よりも早く……そうだな、まるで期待していたかの様に応えた。

 

「ようこそ奉仕部へ、歓迎するわ」

 

優しい笑みを見て、世界で一番可愛い彼女が出来てしまった事に感激しながら俺と彼女だけの一幕を閉じる。


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