Prologue
0.prologue
——目を閉じる。
暗闇の中、鋭くなる感覚。
嗅ぎ慣れた硝煙と、乾いた空気の匂い。
風に吹かれる砂と枯草のざわめき。
背中に伝わる冷たい岩肌。
瞼の裏には憧れの人がいた。
1.
——目を開ける。
ゆっくりと開けられた瞼の隙間から最初に認識したのは、ピンク色。
芳ばしいクッキーの甘い香り。
サクサクと美味しそうにクッキーを食す音色と、上機嫌そうな鼻歌。
腹部に伝わる暖かい人の
それら全てが
まるで現実のように。本当にそこにいるかのように。
「………」
一人、改めて
感傷に浸っていたのは全体的に青色の服装に身を包んだ、物腰の柔らかい中性的な青年だった。大人びた雰囲気が彼の人の良さを醸し出しているようだ。目尻にある黒子が特徴的である。
現在、砂塵舞う広大な砂漠にある大きな岩に背を預けながら、砂上に座り込んでいる。
だが、青年は一人ではなかった。
彼の足の間にすっぽりと収まっている人影が。
「〜♪〜〜♪」
その正体は、小さな体躯をピンク色でデコレーションしたかのような全身ピンクの迷彩で覆われた少女であった。
青年に抱えられ、お気に入りの歌手の歌を口ずさみながら満足した面持ちでクッキーを頬張っている。
「ねえねえ、クッキー食べないの?」
青年の胸に頭を擦り付けるように上を向いたピンクの少女が青年に問いかける。
大きくてクリッとした目が大変可愛らしい。
口元についたクッキーの食べカスを発見した青年は、少女の口元に手を伸ばしながら持ち前のハスキーな声で返答する。
「んー。食べたいですが、この後夕飯があるので……」
「んむっ。ありがとう」
軽く口元を拭うと、
にへら。
と少女は口元を緩ませて笑う。
「でも、そっかぁ。
納得納得と言って、パクリと手にしたクッキーを一口。
少女が口にした『ここ』とは、VRMMO—仮想現実大規模多人数オンライン—の世界のことである。
近年発達したVR技術によってフルダイブを可能にしたVRマシンが開発されたことが発端で、今では数々のVRマシンを使ったゲームが作られている。
一時期、VRMMO関連で日本中を騒がせた事件があったが、その事件も解決し、更に安全性を重視したVRマシン開発の要因となったという。
そして、このほのぼのとした雰囲気の二人が遊んでいるゲームの名前が『ガンゲイル・オンライン』。通称——GGO。
最終戦争後の荒廃した遠い未来の地球が舞台でVRMMOで唯一のリアルマネートレーディングが可能なゲームだ。
銃撃戦がメインのゲームで、対人による大会も行われているほどの規模を有している。
何故この二人がこのような殺伐としたゲームをしているのか、それはまた別の機会に。
現在時刻は18時30分を少し過ぎた頃。
時間の流れに残念そうな表情を一瞬浮かべた青年だが、仕方ないといったふうに少女へ問いかける。
「僕はログアウトしますけど、レンはこの後も続けるんですか?」
「んー、どうしようかな?……フウがログアウトするなら、わたしも今日はやめようかな」
ピンクの少女——レンと呼ばれた少女は顎に手を当て、悩みながらも今日はゲームをやめることにしたようだ。
「僕のことは気にしなくてもいいんですよ?」
「いいのいいの!フウと一緒にやらないと意味がないし!」
「……レンがそういうのならいいんですけど」
レンの返事にレンを抱えている青年——フウは嬉しそうな、それでいて申し訳なさそうな表情で苦笑をこぼす。
「それに、もうお腹いっぱいだし」
「食べ過ぎですよ?」
「太る心配もないし、大丈夫だよー」
お腹をさすりながら体重をフウの方へと傾ける。
ぽんぽんと、ピンクの帽子越しに頭を撫でる。
「えへへ〜」
こちらも笑顔になってしまうほどの満面の笑み。
「レンは頭を撫でられるのが好きですよね」
「……だって現実ではこんなことできないし」
「……確かに」
ここはゲームの中。
つまりはこの姿はゲームの中だけのアバターなのである。
身長180cmを超えるフウも身長150cm以下のレンも現実では違う姿なのだ。
現実でのことを思い出して少しナイーブになる二人。
そもそもゲーム内では現実の話をあまりしないのがマナーなのだが。
ふと、フウは現在時刻が表示されている視界の端に目を向ける。
「あっ、もうこんな時間。ごめんなさい、今日はもうこの辺で」
「おっと、もうそんな時間だったかぁ。じゃあまた今度ね」
「はい。また今度」
左手を動かして、メニュー画面を開いたフウは慣れた手つきでログアウトボタンを押す。
すると背中に感じていたフウの温もりがレンから無くなる。
「……」
一瞬だけ不満そうな、寂しそうな顔をして、レンもメニュー画面からログアウトボタンへと手をかけ——。
ぴとっ。
ログアウトボタンへと伸びた手が不意に止まる。
「やっぱり、もう少しここにいようかな」
腰から銃を抜き、立ち上がる。
もう少し狩りをすることに決めた。
鬱憤を晴らす意味もあるのかもしれない。
「……っ」
その時、タイミングよくレンの耳に聞こえたのは数人の足音。
岩陰からそっと足音のした方を覗いて確認できた数は三人。
狩りの帰りなのだろう。談笑しながら特に周囲を警戒しているような素振りは見えない。
その余裕が、ここが戦場ということを少しでも忘れれば、それは隙だ。
一瞬の隙が、ここでは命取りとなる。
だから。
それは必然なのだ。
本日の獲物を、ピンクの悪魔が捕捉したことにも気付かないことは。
タイミングを見計らい、息を殺して待ち伏せをする。
愛銃を持つ手に力が入る。
「——ッ」
そして、敵プレイヤーが死角を見せた時、敏捷性を生かした速さで勢いよく飛び出す。
ピンク色の迷彩服で周囲の景色と同化したレンの奇襲。
自身の愛銃であるP90が火花を散らした。
至近距離からの奇襲に何もできす身体に無数の風穴を開けたプレイヤーは、死亡を意味するポリゴン片となり、虚空へと散らばっていく。
——フウもいてくれればいいのに。
そんな心の呟きは、砂漠を巻き上げる風の音に掻き消された。
2.
太陽が昇り始めるころ。
「…………んぅ」
僅かなカーテンの隙間から朝の光が差し込んでくる。
眩しい太陽の光と熱を浴び、煩わしそうに顔を背けた。
早朝。目を覚まし、ぐぐっと体を猫のように伸ばす。
「………ふぁ」
眠い目をゴシゴシと擦り、自室のため欠伸を隠したりすることもない。
寝ぼけ眼のままベッドからゆっくりと動き出す。
風音にとって、朝は忙しい部類に入る。
まずは朝食の準備。朝食はいつもパンだ。トースターにパンを入れてタイマーをセット。
楽で美味しく、ジャムなどのレパートリーによっては飽きもないことから重宝されている。
パンを焼き上げる間に寝巻きから着慣れた制服へと衣装チェンジ。
そのまま寝ぼけた頭をスッキリさせるために顔を洗い、寝癖なども簡単に櫛で梳かして整える。
パンが焼けたことを知らせる音が聞こえてくるころには着替えは終わり、ばっちり目を覚ました風音の姿が完成していた。
黄金色に焼け目が付いたパンをトースターから取り出し、軽くジャムを塗っていく。本日はブルーベリーのジャムだ。
冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注いだら簡素な朝食も完成する。
テレビも特に見る必要はない。今の時代、ニュースなどの情報は携帯で何でも入手できるのだから。電源の入っていない黒い画面はテーブルで一人朝食に勤しむ風音の姿だけを映していた。
牛乳で流し込むようにパンを食べ終えた風音は、食器を簡単に水に浸けておき、迷うことなく玄関へと向かう。
玄関には昨日のうちに用意しておいた荷物があり、靴を履いたらその荷物を手にして、
「……いってきます」
静かな部屋に、扉が閉まる音と共に小さく呟くような声だけが響いた。
3.
東京都内。とある高校の弓道場にて。
そこに弓道衣を身に纏っている風音が、一人瞑想を続けていた。
瞑想中、集中しなければいけないのは分かっているが、風音はGGOのことばかり考えていた。
風音のアバター——フウは自身の理想の姿であった。
180cm以上ある長身で切れ長の目。
手足も長く、声もハスキーでかっこいい。
細めの体と中性的な風貌が風音的には少し残念なところなのだが、概ね満足している。
しかし、それでもフウのプロフィール画面、性別の欄には『female』と表示されてしまうのだが。
それが意味するのは、フウは女性アバターということである。
現在爆発的な人気を誇るVRMMOは、現実世界と仮想世界において、性別が異なると現実世界の人格に影響を及ぼす可能性があるということで、自身の性別と異なる性別でアバターを製作することが理論上不可能になっている。
つまり、GGOのフウの性別がfemaleなら、そのフウを製作して動かしている小花衣風音もしっかりと
(そんなこと、自分がよく知っていることです)
女性であることに風音は不満はない。
だが、高校生になってから身体つきも前より丸みを帯びて女性らしくなり、胸も大きくなってきていた。日常生活で特に役に立つわけでもない脂肪の塊を恨めしく思う。
身長はいつからか止まってしまったが。
「…………」
雑念が集中力を途切らせたので、一旦瞑想を中止する。
おもむろに視線を下に向けると、邪魔な山脈が視界を遮る。
ふよん。
そんな擬音が聞こえた気がして、無意識のうちに顔を顰めてしまう。
「………ふぅ」
雑念を断つように息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。
これ以上余計なことを考えるより、練習に時間を割いた方が有意義という結論に至った。
弓を引いている時は余計なことを考えなくて済む。
およそ28m先に設置された、小さな的。
一度弓を手にすれば、先程まで乱れていた心も今では澄み切っている。
早朝の弓道場で、登校してくる学生が来るまで、
——タンッ。
小花衣風音は一人、弓を引き続けた。
4.
小花衣風音には、いつしか誰にも言えない秘密ができた。
家族も、親友も、友達も、教師も。
誰も知らない秘密がある。
「私は——」
誰にも知られてはいけない気持ち。
誰にも打ち明けてはいけない気持ち。
——女の子に、■■■■。
本当はギャグテイストで書きたかったけど、ギャグは向いてなかった。
書くと勝手にシリアスみたいな文になるのはゆるして。