第六回異種頭脳格闘技戦は、囲碁のプロ棋士、退藤カゲルが、将棋のプロ棋士、戸谷アキラを七対〇で下した。カゲルは今日のために全ての競技の研究を怠らなかった。次の機会があるかどうかは分からないのだ。自分の棋士人生を賭けるつもりで必死に研究に励み、絶対に負けない手を選び続け、終始戸谷を圧倒した。
(現在の)将棋や囲碁の七番勝負は、どちらかが四勝した時点で番勝負は終了する。しかしこの異種頭脳格闘技戦はあくまでお遊び企画であるため、どちらかが四勝しても番勝負は最後まで行うのがルールとなっていた。
あっさり四連勝した時点で、さすがのカゲルも辻褄合わせに後は負けようとしたのだが、棋士の性か、わざと悪い手を選ぶことは出来ず、無傷の七連勝を決めてしまった。しかし、司会の反応を見る限り、それはそれで盛り上がったみたいで、スタッフから責められはしなかった。
対局相手の戸谷も、参ったなと苦笑いするだけで、特別怒るわけでも・・・また悔しがってもいなかった。
「ちょっと常軌を逸してるな・・・凄い。本当に、凄い。尊敬す・・・いや尊敬はしないけど、本当に、ただただ凄いよ」
七番勝負が終わった後、戸谷アキラは退藤カゲルを食事に誘った。戸谷としては、自らの準備不足を後悔していたようで、「まったく勝負にならなくて申し訳ない」とカゲルに謝った。
カゲルはそこで、自分の計画を告白した。
戸谷アキラをどうしても倒したかったこと。しかし、大会での一戦から、将棋では敵わないと悟ったこと。異種頭脳格闘技戦で倒すしかないと閃いたこと。そのために、囲碁のプロ棋士となったこと。ずっとお前だけを想い続けていたこと。
戸谷は、カゲルの言葉を聞いてまず絶句し、そして前の台詞へと繋がる。
ただただ凄いよ。
その「凄い」には、「気持ち悪い」とか「気味悪い」とかそんなニュアンスも含まれてるんだろうな、とカゲルは受け取った。
「お前を信用してよかったよ。俺の計画はさ、お前が新人王になってくれないと意味ないんだ。完全に他力なんだ。
だから、俺はお前をどこまでも信じてた・・・ありがとな、新人王になってくれて。勝手に感謝されても困るだろうけど」
「いや、こちらこそ感謝したいな。違う業界のプロにこれだけ敵対視されて、悪い気はしないよ」
「・・・嘘吐けよ。内心気持ち悪がってるくせに」
「なんだ、自覚があったのか?」
二人は笑った。笑い合ったのは初めてだった。
「・・・・・・でもさ、これでよかったのかな、とも思ってるんだよ」
「なにが」
「俺はさ、元々、お前を超えたかったわけじゃないんだ」
「なぜ?異種頭脳格・・・ああ、面倒だな。七番勝負でいいや。その七番勝負で私を負かそうとしたんだろう?」
「そうだけどさ、元々は、たぶん違ったんだ。
今日のお前、本気じゃなかっただろ?」
「・・・馬鹿。七連敗しといて手抜きをしたとか本調子じゃなかったとか言うはずない。
本気だったよ」
「違うな。本気じゃないよ。
本気ってのはさ、現状の能力を最大限使うってことじゃないんだ。絶対に勝ちたい、この相手には負けたくないっていう、気持ちなんだよ」
「・・・何となく分かるよ。プロ棋士は如何なる状況でもプロ相手なら絶対に手抜きはしない。でも、とっておきの研究とか、隠し玉とか、それらは大事な対局でしか使わない・・・そういうことだろ」
「ああ、そうさ。手抜きしないイコール本気ってわけじゃないんだ。気持ちが大切なんだ」
カゲルは一口ウーロン茶を飲む。未成年の彼らは、まだ飲酒できる年齢ではない。
「で、話を戻すけどさ。俺は元々、ただお前に勝ちたいと考えてたわけじゃないんだ。
たぶん本当は、お前に、認められたいって思ってたんだよ」
「・・・・・・勝敗じゃなく、認める?」
「うん。それで、本気ってことは、そいつを認めるってことだろ。だから俺は、別にお前に勝ちたかったんじゃなくって。本気で、一人の敵として、全力で戦ってほしかったんだ」
「・・・悪かったよ。今度は事前にしっかり勉強しとく」
「だから、そういうことじゃないって。分かるだろ」
「・・・・・・ああ、分かるよ」
「本気ってのはさ・・・相手を認めるってことはさ、簡単じゃないんだ。
例えばその辺の不良とかおっさんに絡まれて腹に一発もらったからって何とも思わないだろ?そりゃ悔しいは悔しいけど。
対等な立場で、お互いのプライドを勝負の天秤に賭ける。それを許す。それが、本気ってことなんだ」
カゲルの目から涙が溢れ出した。
彼は泣いた。しかし、そんな彼を見ても、戸谷は特に反応を示さなかった。ただまっすぐ、カゲルを捉えていた。
「もう、無理なんだよ。将棋と別のジャンルで倒すって発想を持った時点で、それは逃げだったんだ。
俺は囲碁のプロ棋士。そしてお前は将棋のプロ棋士だ。両者は絶対に交わらない。目指す場所も、戦う場所も、丸きり違うんだ。
「それは・・・分かりきったことだろう」
「俺たちにとってはな。でも、本質を理解しているのはほんの一握りさ。
読みの種類が違う。歴史が違う。文化が違う。空気が違う。雰囲気が違う。考え方が、全然違うんだ。
だからもう、無理なんだ。
今日みたいに頭脳勝負で競うと対等の勝負みたいに見えるけど、ちゃんちゃらおかしい。
俺は囲碁のプロで、戸谷は将棋のプロ。この二つは、絶対に交わることがない。絶対に、俺達は、心の底から認め合うことはない。
それが・・・悲しいんだ」
涙は流れ続けた。しかし、彼が取り乱せば取り乱すほど、逆に戸谷は、冷静にその様子を観察する。
「なあ、君は、本因坊算砂って知ってるだろ?」
突然、ライバルの口からその名が飛び出し、カゲルは身を硬くした。
知ってるも何も、その指南役が俺に憑いてるんだぜ。
「彼に限った話じゃないんだが。戦国時代の棋士は、将棋も囲碁も両方出来る棋士が多かったらしいよ」
「それがどうかしたのか」
「じゃあ、こう考えることも出来るんじゃないか?
将棋と囲碁は確かに違う。でも、深いところでは繋がってる。
たまたま現代のプロ制度がその枷になってるだけで、本来目指すところは同じじゃないのかって」
「こじつけだな」
「ふふっまあね。
でもさ、将棋だろうが囲碁だろうが、プロ棋士ならば目指すところは全員同じ。全員が名人を目指し、そして・・・
その先にある神の一手を求めている」
「・・・・・・詭弁だ。そんなの。
というか、そういう共通項が将棋と囲碁なんて似たようなもんっていう誤解を招いてるって、さっき言っただろ」
「君は考えが浅いな。やっぱり読みの深さでは将棋が上だね」
「喧嘩売ってんのか。七番勝負で七連敗したくせに」
「・・・それは言ってくれるなよ。
つまり私はさ、こう言いたいんだよ。
『君は、戸谷アキラが下手な詭弁を使ってまで何で君を慰めようとしてるのか分からないのか?』って」
「・・・・・意味が分からん」
「鈍感な奴だな」
そう言うと、戸谷はテーブルに身を乗り出し、向かいに座るカゲルに顔を近づけ、その唇にキスをした。
唇と唇が重なる感触。カゲルは、何が起こったか理解すると、涙などピタリと止まり、全身を震わした。
「お前は、何て事をっ」
戸谷は愉快そうに微笑む。
「私だって、君からあんな計画聞いて、それで泣きながら思いを告げられて、大いに動揺したんだよ?
だってあれ、愛の告白じゃないか」
これだからすぐ色恋沙汰と絡める奴はと反論しかけて、カゲルは自分が涙ながらに告げた言葉の数々を思い返した。
―ずっとお前だけを想い続けていた―
―だから、俺はお前をどこまでも信じてた―
―たぶん本当は、お前に、認められたいって思ったんだよ―
―俺は将棋のプロ棋士。そしてお前は囲碁のプロ棋士だ。両者は絶対に交わらない―
―俺達は、心の底から認め合うことはない。それが・・・悲しいんだ―
ニュアンスが違うニュアンスが違う。カゲルは心の中で抗議した。確かに字面だけだとなんか愛の告白っぽい気もするが、それはあくまで言葉の表面だけで、自分は戸谷を倒したいと思ってたんであって・・・確かに、ここ何年間かお前を想い続けてたのは事実だし、信じてたのも事実だし、勝ち負けとかじゃなく認められたいと思ってたのも事実だけど・・・
あれ?もしかして俺は・・・そうなのか?俺は自分も気付かぬ内に戸谷にそういう感情を抱いていたのか?いや、そんなはずは・・・
自分でも気持ちの整理がつかないうちに、戸谷はカゲルの隣に座り、スマートホンを取り出した。
「連絡先、交換してくれ。
私達、これからちょっとずつ会わないか?別に変な意味はないぞ。
ただ、あんなに正直に想いを告げられると・・・さすがに私も…」
戸谷アキラはそう言って頬を赤らめた。
その仕草に、カゲルの心臓がとくんと高鳴る。
こんなはずじゃなかったのに・・・別に、こんなこと狙ったわけじゃないのに・・・カゲルは必死に否定し続けたが、一旦意識すると、戸谷アキラの表情、動き、息遣いをどうしても意識しないわけにはいかなくなってしまった。
こんなはずでは・・・後悔してももう遅かった。彼はこの瞬間、戸谷に恋してしまった。
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