あの時が初めてだよ。幽霊見たの。
カゲルは、目の前の対局に集中しつつ、再び隣の藤原一星を盗み見た。彼はやはり盤面に集中している様子。
「私は藤原一星(ふじわらのいっせい)。盤に宿る霊で、かつては本因坊算砂に憑き、彼の指南をした経験があります」
倉で出会った次の日、藤原一星は再びカゲルの前に姿を現し、そう自己紹介した。
カゲルには彼の言葉が信じられなかった。
しかし、彼が空中を浮遊して見せたり、人ごみの中を文字通り通り抜けて見せたりすると、もはや信じるしかなかった。
最初は怖いと思った。やがて鬱陶しいと思い始めた。しかししばらくすると、どうせ何をやっても付いてくるんだから、どうしようもないなとあきらめた。
カゲルが一星の存在を認めると、一星は「何でも良いから打ちたい打ちたい。誰かと対局させてくれ」と愚図りだした。カゲルは最初、彼の要求を却下していたのだが、彼が度々口に出していた、『本因坊算砂』という名前を辞書で調べ、気が変わった。
本因坊算砂。その実力を認められ、歴史上初めて、名人と評された者。
これは良い悪戯ができるぞ、と思った。
パチ。
カゲルが一星との過去に気を取られていると、まるでそれを打ち消すかのように、昇が次の一手を打った。
その手は、所謂、仕掛けであった。
相手から仕掛けてきた。ここは喧嘩を買うべきか、買わざるべきか。
昇の顔をチラと見る。何でもない顔をしているが眼鏡の奥の瞳は身震いするほど鋭く、盤を射抜くように見つめている。
カゲルは一瞬たじろぐ。
昇の気合の入りようは尋常ではなかった。昇は既にプロ入りを決めている。しかも制度の関係で既に一位通過は確定。この対局に勝とうが負けようが彼にとっては関係ない。それでも彼は絶対に負けたくなかった。カゲルだけには負けてやるもんかと思い、その気合が盤上に、そして盤外の空気にさえ滲み出ていた。
盤面は互角。しかし、盤外の気迫で負けていたら駄目だ。
カゲルは、すぐに気合を入れ直す。
ひるんじゃ駄目だ。びびっちゃ駄目だ。
そんなことではプロにはなれない。そんなんじゃ、あいつには追いつけない。あいつに勝つために、ここまでやってきたんじゃないか。
それにあいつは、こんな目にびびらない。あいつはこんなんじゃびくともしない。
あいつは・・・戸谷(とや)アキラは、もっと凄い。
戸谷アキラ…おかっぱで、育ちが良くて、そして、ものすごく強い…俺のライバル…
カゲルは、自身の、永遠のライバルに思いを馳せた。