カゲルの碁   作:かろんかろんちょ

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2017年 退藤カゲル 16歳③

 

 局面は終盤の入り口。

 形勢は、ややカゲルの劣勢に見えた。数十手前、カゲルの打った手は、一目緩手であった。傍らで見守り続ける一星は、これは厳しそうだと顔を顰めた。

 対局者の昇は、表情に余裕が出てきた。

 とりあえずここまでは優勢。後は終盤、間違えなければ・・・囲碁は、将棋と違って逆転が起こりにくい。まして相手はトッププロでも何でもない。昇は、自分の勝ちが近付いていると確信していた。

 

 この時、カゲルの読みは、一星と昇を上回っていたのだ。

 

 パチ。

 

 カゲルが百十八手目を打った。

 それは狙いの一手であった。

 カゲルがその手を打った瞬間、昇の表情は、一瞬、呆然とし、次の瞬間強張り、また次に目を見開き、驚愕を露にした。

 驚いたのは、一星も同様だった。

 

「凄い・・・」

 

 自然と漏れた彼の言葉は、誰にも聞こえはしなかった。幽霊である一星の声は昇には聞こえず、対局に集中しているカゲルには、もはや一切の物音は聞こえていなかった。

 

 そんな馬鹿な。

 

 口に出しかけて、昇はさっと口を手で覆った。勝負事では、相手に弱みを見せてはいけない。勝負師の本能が、彼の言葉を寸でのところで引き止めた。

 

 昇は改めて局面を確認する。

 

 カゲルが先ほど打った一手。その一手で、盤面右上の勢力図は激変した。もはや昇は・・・黒は、抵抗することもできず、せいぜい被害を最小限に食い止め、他で勝負するしか選択肢はなかった。

 

 しかし、と昇は恨めしく思う。

 

 そもそも盤面右上は、こちらが優勢だったはずじゃないか!それが、それが・・・

 昇は、盤面にある、一つの白石を凝視した。その白石のせいで、今現在、右上の勢力図は白が完全に優勢となってしまっていた。

 この石のせいで。たった一つの石のせいで・・・彼の凝視した白石は、直前にカゲルが打った白石ではなかった。

 

 それは、数十手前に打った白石であった。

 

 昇も、一星も、つい先程まで、緩手と断定していた石だ。

 その石が、今さっきカゲルの打った一手で、突然変異したのだ。

 その石は、決して無駄な石ではなかった。むしろ、盤面全てを支配し、黒と白の勢力図を入れ替える、要の石へと変貌していた。

 

「緩手だった手が好手に化けた」

 

 一星は、今だカゲルにあらゆる勝負で負けたことはなかった。しかし、毎日打ってきて、彼の成長をひしひしと肌で感じ続けてきた。

 その中で、彼の特徴を一つ見つけた。

 

 カゲルは、読みが深いのである。

 

 囲碁は広さ。囲碁の読みは広さが重要と言われる場合が多い。他の知能ゲームと比べ、囲碁の盤面は広く、戦火が次々と飛び火していくからである。しかし、昔取った杵柄というべきか、カゲルの読みは広さよりむしろ深さに特徴があった。

 視野に欠けるため思わぬチョンボを仕出かすこともあった。一方、誰にも負けない読みの深さは、驚天動地の一手を導き出すことも間々あった。

 数十手前、カゲルの打った一手に、一星と昇は緩手の烙印を押していた。

 それは間違いだったのだ。

 カゲルは誰よりも深く読み、先を読み、その手が後々盤面をコントロールする強力な一手へと変貌することを、見抜いていた。

 

「成長しましたね、カゲル」

 

 一星は呟いた。

 同時に彼は、今までカゲルを見くびっていたことを、心の中で懺悔した。

 

 

 

 ある時、カゲルはプロ棋士になる決意をした。その決意を、カゲルは最初に、一星に告げたのだ。

 

「俺はプロ棋士になりたい。なって、戸谷アキラに追いつくんだ」

 

 一星は反対した。彼の決意は自分の信条に合わなかったし、また、どうせ無理だと見下す気持ちも少なからずあった。

 

 

 

 それが、もう少しで、彼は夢の実現へ一歩踏み出すのである。

 

 ごめんなさい、カゲル。

 

 また、一星は心の中でカゲルに謝った。

 その時、カゲルもまた、はじめて自分の夢を一星に語った時のことを思い出していた。

 

 あそこで決意していたから、今の俺がある。あそこで一歩を踏み出せなければ、ここまで来られなかった。

 

 カゲルは、人生のターニングポイントとなった日に、思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

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