蒼き雷刃のゼノグラシア ~灰かぶりの呪子と守る乙女ゲーシナリオ~ 作:雨在新人
「アナちゃん!」
少し焦りぎみにわたしがお茶していた学園の生徒なら誰でも来れる広間にどたばたと走ってきた赤毛の青年に、わたしはほんの少しだけ反感を抱きながらもそれを表には出さずに対応します
エッケハルトさんは皇子さまの友達ですし、わざわざ酷い対応なんてしたくないですから。いくらわたしを好きなんだって事は分かっていても、特別何かしたくはないです
「エッケハルトさん。聖女様とのあれこれは無事に終わったんですか?」
だから、そんな風に聞いて、それには彼は頷いて……そうしてわたしの手を握ります
それをわたしは良いとは全く言ってはないですけど……文句をつけるタイミングを逃して、あまりごつごつしていない滑らかな手に包まれます
そんな感触は、あまり良くなくて。皇子さまの皇子らしからぬ手に比べて嫌で。でも、何にもやれずに握られるに任せるしかない
「終わったよ。何とか」
そんな風に言う彼の顔はかなり疲れた風で。本当に色々あったんだなって思わせます。それは良いんです。良いんですけど……
「大丈夫でしたか、エッケハルトさん?」
と、わたしはそんなことを聞きます。実際、目の前に居るってことは無事だったなんて当たり前なんですけど、それでも聞かずには居られないです
というか……本当の事を言えば皇子さまの事を聞きたいって話です。エッケハルトさんは無事なのは分かるんですけど……遠巻きに見た皇子さまは何処か脚を庇ってるようで。それは何度か(見たくはないですけど)見た折れた脚を引きずって動いている時と同じ行動なようにも見えて。だから、何か無かったのか聞きたいなと思うんです
わたしも着いていけたらって思うんですけど、わたしの持つ腕輪は……わたしは何の役にも立ちません。皇子さまの傷を癒してあげたり出来ませんから。ただ足を引っ張って苦しめるだけならそんなの嫌です
「いや、キツかったよ」
って言いながら、彼は自前の白い制服の上着をはだけて、肩を露出します
ちょっと色々と言いたくはなるんですけど……周囲の人々、特に女の子からはきゃーっと黄色い声が挙がるので特に何も言えません
「あの、ちょっとこういうところで脱ぐのは困りますよ?」
なんて言って、わたしは顔を手で覆います。皇子さまの体なら……って、絶対に細かい傷が沢山あってそれはそれで見たくないものですし、そもそも男の人の裸なんて見るだけで恥ずかしいので隙間なんて無いようにしっかり覆います
別に全く見慣れてないかというと昔孤児院では替えの服が全然足りなくて上半身裸でうろうろと着替えを探す子を見たりしたので見たことは何度もあるんですけど……それはそれとして、恥ずかしいのは間違いないです
「い、いや片な意味はなくて……ホントだって!」
そう叫ばれてちらっと顔を上げます。と、見えたのはまず白地に赤の制服から露出したちょっと艶かしい肩。エッケハルトさんって外見は普通にカッコいいですし……
そして、その肩に見えるのはおっきな青い色。当然綺麗なものじゃなく、青黒い……痣と呼ぶべきもの
そう思うと、肩を庇ってるようにも見えて
「だ、だいじょぶですか?」
触れたら痛いかなと伸ばしかけた手指をちょっと猫ちゃんみたいに丸くしてわたしはそう問い掛けます
「大丈夫だけどさ、割と痛い」
その青い瞳が、訴えるように純粋にわたしを見詰めます
それはきっと、治して欲しいって事で
腕輪の聖女さまって聖教国で呼ばれてた時に沢山そういうことはありましたし、何となく分かります
だから、わたしはスカートのポケットから薄緑のハンカチを取り出して右手に持ち、エッケハルトさんの痛みからか少しひそまった眉の間の脂汗を拭うと左腕の腕輪に集中します
「水よ。小さき傷痕を癒す為に、わたしに……力を貸してください」
と、わたしの左手の人差し指の先に沸き上がるようにエメラルドグリーンの透き通ったぷるぷるする液体の塊が現れます。といっても、小指の爪くらいの大きさですけど
それを彼の肩に近付けて、指で皮膚の下に血が溜まっていそうな場所につーっと塗っていきます
そしてふーっと息を吹きかけると液体はシャボンに変わって……後にはつるんとした健康そうな肌が残ります
「はい、終わりです」
「有り難うアナちゃん!」
と、机を挟まずに横の椅子に腰かけていたエッケハルトさんは感極まって手を拡げ……
ゴトン、と音がしました
「静寂を破る……鐘」
バツが悪そうに、護衛だからと隣の机で読んでいたはずの本……『剣帝vs剣匠~スカーレットゼノン第三幕~』を拾い上げながら、ガイスト様が咳払いします
「あ、ご、ごめん!」
と、青年は虚を突かれて正気に戻ったのかぱっと離れました
「えへへ、でも良かったです」
って、少しだけ突然の事に驚いたものの、はにかみます
「良かった?」
「はいです。ほら、皇子さま相手だと腕輪の力があっても傷付けることしか出来ませんし……治してあげられて嬉しいんです。何にも出来ないってちょっと自信無くなっちゃってましたから」
「そっか、それは良かった。君の役に立てたなら嬉しい」
「それで、どうしたんですかその怪我」
と、本題に切り込みます
「リリーナちゃんと調査に行って、襲われたんだ」
「襲われたですか?魔物さん……じゃなくてこわーい魔神だったり」
けれど、わたしの推測に彼は首を横に振ります
「違うよアナちゃん。もっと怖い奴」
「もっとですか?」
「
その言葉に、びくりと震える肩を抑えられません
だって、それは……あの日見かけた恐ろしい……
「ほ、本当に大丈夫だったんですか!?
それ以外に怪我とか、酷いこととか」
だって、……あれ?あの日も一応みんな無事ではありましたよね?でも、何か大切なものが無くなっていた気がして。わたしの無力を思い知った覚えがあって
エルフさん達の事は確かに辛いんですけど、もっと身近な……皇子さまが左目を喪った事もそうですけど、それ以上と言えるくらいの……
ちょっとだけ首を傾げちゃいます
「アナちゃん?」
「あ、ごめんなさい、ちょっと変に考えこんでしまって」
慌てて手を胸の前でぶんぶんと振ってアピール
「アナちゃん、何とか大丈夫
俺もリリーナちゃんもさ、滅茶苦茶な重力で結構痛い思いはしたけど」
「重力……」
ぽつりと呟いて、重力魔法が得意なオーウェンさんなら話が分かるかもと思うですけど、毎日のように母親のところに帰るお家から通ってる子だから近くには居なくて
「奇跡的に被害は無かったよ」
「皇子さまにも?あとシロノワールさんも」
「あいつら一緒くたで良いだろ」
まあ、確かにあのカラスさんは異心同影っていうか、セットになっててちょっぴり羨ましいですけど
「まあ、誰も怪我はしたってくらいだよ
奇跡的に」
やけに奇跡を強調して、彼は力強く告げました
「それでさ、アナちゃん
あいつは……ユーゴ・シュヴァリエはゼノの奴に敵愾心を向けていた」
当然だよなと昏く青年は笑みを浮かべる
自嘲にも近い、嘲るような顔。多分意識していない無意識の敵意を
それが、わたしの胸に棘のように刺さって
「分かる?」
「皇子さまと敵……なんですよね?」
その言葉には頷きます
「だからさ、アナちゃん」
「はい」
「俺は、君に生きて欲しい。だから言わせてくれ」
真剣な瞳に、何となくその先の言葉を理解しながらも待ちます
「君がゼノの事を尊敬してるのは知ってる。でも、距離を取るべきだ」
「エッケハルトさん」
「奇跡だって言ったろ?絶対に次は勝てない。それでも、あいつらは……ゼノのアホ達は戦う気なんだよ!
そんなの、何人居ても無謀なんだ!」
……何にも言えません。わたしが居ても、あのシャーフヴォルって軽薄な細目の人に対して何が出来るでもないですから
確かに、言われることは分かります
「だから、馬鹿は馬鹿で勝手に……」
すっと冷えた心に火が点ります
「馬鹿、ですか」
確かにそれはそうですけど、とは思います
でも、でもっ!
「どうしてですか、どうしてそんなことっ!」
「もう一度対峙して分かったんだよ!世界が違うんだ、あいつらは!
あんなもの、戦うだけ無駄で……っ!戦わないのが正解だって!そうじゃないと君を護れないと分かったから……」
「でも、今回も皇子さまが主に戦ったんじゃ」
「俺は動けなかった!だからこそだよ!」
人は周囲に居ます
ふとリリーナちゃんがごめんごめんちょっと貸し切らせてとフォローしてくれているのが見えて
本当はってのはありますけど、止められません
「確かにそうです。皇子さまは無謀な事ばっかりで……っ」
少しだけ、顔が明るくなります
「分かってくれたのか、アナちゃん!」
「分かりませんっ!どうしてそんな態度なんですか、エッケハルトさん!」
「……何が?」
言われたことが分からないとばかりに呆けた顔
「確かに皇子さま相手に敵意を持ってるかもしれないです、危険かもしれません!
でも!実際に狙われて、エッケハルトさんも怪我するような状況で!助けてくれたのは皇子さまじゃないんですか!」
「それは結局あいつの自己都合で」
「そんなの知ってますよ!でも!」
「あいつは結局のところ自分しか見てない!君を傷つけ死に追いやる!」
……止められない。ずっと言いたかった思いに歯止めを効かせられない
「確かにそうですけど!
なら、私の無い正義の味方の概念みたいな人じゃなきゃ駄目なんですか!」
そう、ずっと言いたかったわたしの本音
世界がそうで、みんながそうで。皇子さま自身すらそれを陶然としていて
でも、それで元々傷だらけの彼がもっと追い込まれていく事が、わたしには……もう飲み込めなかった
強く掌を握りこんで、叫ぶ
「理由が何でも!自分のためでも!命を懸けて!傷だらけになりながら護ってくれたのは本当じゃないんですか」
「あいつは」
返事は要領を得ない
「構造は民を護るものだし、あいつは結局自分しか見てないクソヤロウだし……」
強く睨まれた彼の青い瞳が逃げる
「エッケハルトさん。わたしだって人の事は言えないです
昔、わたしを助けてくれる白馬の王子様っていう夢を、皇子さまに被せてましたから。勝手に期待して、当たり前に護られてましたから」
「アナちゃん、俺は」
「でも、皇子さまが自分の損害にに意味を見付けたくて、自分のためにやってるなら。あの人を貴方のお陰ですって抱き締めてあげなきゃ駄目なんです
人々を護るのが仕事の皇族でも。神様達に呪われた忌み子でも、ノアさんみたいに」
あのエルフの方が一番正しかったんだって分かる。アナタの理由なんて知らない。助けたことは事実だからその価値は此方が決めるって、価値を見出だせないから逃げ気味の彼には詰め寄るのが多分たったひとつの正解だって、今は思う
「理由があるから当然だって態度を取られ続けて、もう意味も価値も見失って、わたしの知らない何かと、助けられなかった部分に押し潰されそうで!
確かに皇子さまは可笑しいです。変で馬鹿でわたしの話を聞かなくてわたしを見てくれない酷い人で!」
……ごめんなさい皇子さま。でも、それだけ辛いこともあって、愚痴もするすると出てきて
「でも!誰よりも誰かを護り続けた人。それをあんなに可笑しくなるまで追い詰めたのは、仕事だからと手を差し伸べることも抱き締めてあげることもしなかったわたしたちの筈なんです」
責めるような目線を、目の前のバツの悪そうな彼に向ける
「だから、エッケハルトさん。わたしはあの人がどれだけ傷付きに行くとしても、分かってくれるまで抱き締めに行きます。何時かあの人の心の氷が溶けるまで」
って、わたしは精一杯の微笑みを浮かべる
「だって、そうしないと……皇子さまは永遠にずっと、苦しんだままですから」
「アナちゃん!」
「すみません、それがわたしの本音です
だから、エッケハルトさん。皇子さまに酷いことを言うなら、わたしは貴方が嫌いになっちゃいます」
ちょっと自分でも思う酷い言い方で、分かってる好意につけ込んだ言葉
でも、青年はそれを受けて静かに項垂れて何かを考え始めた
アナちゃんに怒られてしゅんとするエッケハルトの図。
まあストッパーというかアホかって常識人枠に逃げられたら困りますからね……