蒼き雷刃のゼノグラシア ~灰かぶりの呪子と守る乙女ゲーシナリオ~ 作:雨在新人
「……サク、ラ」
ぽつりとおれは告げられたその名を呟いて……
ふわりと漂う桜の薫とあまりにも柔らかな冷たい感覚に我に返る
って冷たくないな、おれの体が湯で熱いだけで平温だ
とか言ってる場合である筈がない。女の子に抱き付かれてるとか駄目に決まってる!
とはいえ、突き飛ばす等の非道な行動なんて出来る道理はなく……自身の濡れた体をつるりと滑らせて少女の腕の中から身を屈めて抜け出す。目を瞑って少女の女性である何よりの証拠を映さないようにしながら湯船に潜り……
ダン!と底を蹴って背後へ!ジェットバスかという大きな流れを産みながら水中で飛び下がり、自分を桜理だと言う謎の女の子に被害が大きく出ない距離になるや今一度水の抵抗を減らすべく丸めた体で湯船の底を蹴って真上へと跳躍
水飛沫と共に、始水に連れていかれたショーで見たクジラのように水面から飛び出す!そしてそのまま空中で軽く右足を斜めから前方へ振り、天井から吊るした愛刀の紐を蹴り切ると反動で飛んでくるそれを白銀の鞘ごと回収、そのまま回し蹴りの要領で回転。軽く気流を産んでベクトルを変える事で更に背後へと軌道を変化させ、湯船の縁に着地した
そうして愛刀を手に少女と対峙する
って駄目だろ、相手ほぼ裸だし敵意は無さげ。そんな相手マジマジと見るんじゃない!
愛刀を吊っていた紐は長い服の帯、幅があるので切れ端できゅっと目隠しをする
「ストームライダーって……す、凄いけどそこまでしなくても……」
自称桜理な女の子の声が呆れぎみだが、基本的に女の子の裸なんて見て良いものじゃない。間違っていない筈だ
それにだ、そもそも彼女が桜理だというなら、女扱いには変なトラウマがあるはず……
あれ?じゃあ女の子らしいこの扱いってミスじゃないか?
混乱しながらも、どうして良いか分からずただ距離だけを取り目をしっかり閉じたまま目隠しを外す
「君は……桜理なのか?実は妹とかそういうのじゃなくて」
とりあえず、自称桜理が何者なのか理解するために問い掛ける
少しして、ちゃぷんという水音と共に一歩だけ近づいてくる気配と共に、少女は頷いたように思えた
……いや、心眼でそこそこ状況が分かるせいであんまり目を閉じてる意味がないな。変態かおれはと嫌になる
……空気を読んだのか、始水が何も言ってこない
「……大丈夫だよ、獅童君。僕を見ても」
言われて目を開ければ、底に居るのはさっきまでの少年オーウェン。サクラと名乗った少女の姿は欠片もない。いや、そもそも体が男かどうかと、ちょっと顔立ちの鋭さが違うくらいでほぼ同じ姿なんだが……
その腕に小さく輝くのは黒鉄の腕時計
「……桜理で良いのか」
「うん。この時計は基本的に僕にしか使えないものだから」
「君はどっちが本物なんだ」
女の子という単語は嫌だろうと暈して問い掛けるおれ。いや、男の姿をしていても今更直視なんて出来やしないから逃げるように目線を逸らしているが許して欲しい
「どっちも本物……かな。今見てるのも、さっき見せたのも僕自身」
「男女切り替えられるって事か?」
「ううん。腕時計を身に付けている時は、僕は……前世の僕になれる。今見せているのもかつての僕で、今でも自分の認識ではちゃんと僕自身な姿。早坂桜理としての外見
だからちゃんと男の子。勿論、この状態なら完全に男の子だから、男にしか出来ない事だって出来るよ?」
つまり……と脳内を整理する
「現世では、そうじゃないのか」
「……有り難うね、獅童君。僕が辛いと思って言葉を選んでくれて
でも、そう。あんなのが嫌で、男らしくなりたくて。でも、この世界に産まれ落ちた僕の性別は……女だった
あんな事されて、それが嫌で!なのに、僕は男の人を受け入れるのが当然の存在として、新しくこの世界に転生させられた」
強く怒りを込めた荒いその言葉を、おれは静かに聞き続ける
「絶望したよ。何でって
あんなのもう二度と御免で、こんな体で!生きろなんてなんて酷い世界だって!
そんな時、転生の特典として僕は腕時計を手にした」
でもね、とまた少女の姿に変わりながら、サクラ・オーリリア/早坂桜理は少しだけ翳りのある笑みを浮かべた
「絶望しなくて済んだ。生きていこうと思えた」
「本当の願いを、見付けたからだろう」
それは聞いた。母親に出会って、それで……
「違うよ」
それなのに。そうであるはずの真実を否定しながら、少女はおれへと歩み寄ってくる
逃げるか?
そう思うが……
「逃げられないよね?」
少女が持っているのは、おれの着替えだ。それをタオルのように持ち込まれて、あまつさえ湯に浸けられては即座に逃げ出すという選択肢が消える
本格的に出なきゃいけない要素さえあってくれれば、着替えがどうだとか服装が何だとか無視して突っ切れるんだが……っ!
「っ!」
「ごめん、だからお風呂に入って貰ったんだ
そうしないと、獅童君はアーニャ様が嘆いてるみたいにすぐに逃げ出しちゃうでしょ?」
って待て、そんなに逃げ癖があると思われてるのか
「……僕が絶望しなかったのは、もっと別の理由」
呆け気味のおれを無視して、おれの眼前にまで辿り着いた彼女は、きゅっと更に逃げられないようおれの手を握った
「獅童君が居たからだよ?」
「おれは何もしていない!」
そもそも会ってすら……
「してくれたよ。僕に」
腕時計が唸りを上げ、姿が
「何をっ!おれに何が出来た!希望を与えて、絶望を深めただけだろうっ!」
とん、とおれの胸元にとても軽い衝撃が走る
小さな握り拳で叩かれたのだと、一拍おいてから漸く理解した
ぽかぽかと、更に振り下ろされる力の入っていない拳がおれを滅多打ちにする
「助けてくれたよ」
「何処がだよ。桜理、君自身が言っていたろう。すぐに死んだから名前すら良く覚えてなかったと!」
なのに、だ。そんな事実を無視するように、紫色の透き通った瞳は少しの潤みを湛えておれを見つめ続ける
「……うん。前の獅童君とも、もうちょっと仲良くなりたかった
けど、でもね。確かに君という存在が居た。必死に、見返り無く、僕のために、女っぽいだとかそんな事気にせずに手を伸ばしてくれる人が居るって、それを信じられたから
獅童君が居たから、僕はね、他の人全てを嫌いだって最初から遠ざけて、何でも出来るような化け物そのものの力に溺れずに済んだんだよ?」
その笑顔に、何処かアナの泣きそうな顔が被って見えた
「違う!違う違う違う!そんな筈がない!
無償なんかじゃない、立派なんかじゃない!単におれは自分のために!救われたくて!購える筈もないものを」
「……そもそも、無い罪を購えないもんね?」
「違う!」
「違わないよ、獅童君。それにさ、僕に見返りを求めてなくて獅童君が勝手に救われるなら……そんなの、笑顔が報酬だと無償で手を尽くすお医者様と変わらない」
見詰めてくる瞳に気圧される。どこまでも害意のないそれが、殺意を全開に睨み付けてきた血の涙を流すユーゴのそれよりも、何倍も恐ろしいナニカに思えて、思わず半歩足を引く
「君が僕に手を差し伸べてくれたあの事が無かったら、ちょっと苦しくなったからってあの人を見捨てた母と僕を女のように暴行したアレと……そんなカゾクを体験してきた僕はね、最初からお母さんを信じる気すらなく世界に復讐していたよ?」
「それは君の強さでしかない!」
「その強さをくれたのは!信じる気持ちを残してくれたのは!獅童君なんだよ……」
ぽふんと、柔らかく湿った一撃がおれの胸を打つ
「お願いだから、獅童君。君は僕を助けてくれた。少なくとも、僕はそう信じてる。なのに君に助けられた僕を、君自身が勇気と肯定してくれた今を、自分で否定しないでよ……」
涙ながらに胸元で啜り泣く声に、泣き崩れる少女の姿に、おれは……何一つ返すことが出来なかった