まほチョビ(甘口)   作:紅福

22 / 105
浄玻璃の鏡
じょうはりのかがみ
閻魔大王が裁判で使う、亡者の生前の行いを映す鏡
昔の事なら何でも知ってるよ


(4/5)浄玻璃の鏡

 カチューシャ達は帰り、ダージリンも自室に戻った。

 

 正直、ホッとしている。

 騒ぎ疲れたとか、また飲まされるかも知れないとか、そういう意味ではなく、他の理由がある。

 

 皆にバレはしなかっただろうか。

 みっともない話だが、実は今、物凄く苛々している。

 

 原因は分かっている。

 だからこそ、『そんな事』に苛立っている自分に対し、余計に苛立つ。

 苛立ちと自己嫌悪が交互にやってきて、ひどく気分が悪い。

 

 そんな事。

 そう、その程度の、そんな事だ。

 

 まず、千代美が、後輩を寝室に連れ込んでいたこと。

 

 いや、こんな言い方をしては語弊がある。千代美に悪気は無い。千代美は、酔い潰れた後輩を寝かせただけだ。

 それだけの事なのに、私が勝手に悪い方へ解釈している。

 

 我ながら、子供染みていると思う。

 しかし、そうと分かっていても、苛立つ。

 

 まだある。次だ。

 

 カチューシャ達が後輩に酒を飲ませた事に対して、千代美は珍しく怒りを露にした。

 まあ、それも当たり前の事だ。

 私だってカチューシャ達がエリカに無理に酒を飲ませたりしたら怒ると思う。

 それはいい。繰り返すが、当たり前だ。

 

 しかし、カチューシャ達が私に酒を飲ませた事に対して千代美は怒らなかった。

 私は、たぶん、その事に対して苛立っている。

 

 要するに、ただの焼きもち。嫉妬だ。

 

 更に、夕飯。

 千代美自身も言っていたが、ナポリタンはこの間作ったばかりのメニューだ。だがまあ、それはいい。

 食材の遣り繰りの都合もあるから、千代美の作る物に私が口出しする事はまず無い。

 問題はそれが『後輩のために』作ったものであるということ。

 

 問題か。

 問題視するほどの事だろうか。

 

 もう、自分でも嫌になる。酒のせいだと思いたい。

 私はこんなに嫉妬深い女だったのだろうか。

 

 そして、とどめ。

 カチューシャの目に唐辛子が入り、彼女が暴れ始めた時。

 

『姉さん、オリーブオイルっす』

『よし来たっ』

 

 千代美と後輩のコンビネーションは抜群だった。

 

 それも仕方の無いことだ。

 私では、台所に走ったところでオリーブオイルの瓶を探し当てる事すら出来ないだろう。

 そもそも、『目に唐辛子が入った時はオリーブオイル』という発想にすら至らない。

 あれは、長く食に関わり続け、尚且つ先輩後輩の間柄であればこそ成り立つコンビネーションなのだ。

 

 まあ、色々と原因を挙げたが、詰まるところ千代美がかまってくれないから機嫌が悪いのだ。

 だから何もかもが原因に見えてくる。

 

 妬いてどうなるものでもない。

 そう、自分に言い聞かせないと収まらない。そんな幼稚さが自分の中にあった事に対して苛立ち、苛立つ事でまた自己嫌悪に陥る。

 そうやって、先程から一人で感情の鬩ぎ合いを続けている。

 

 そうだ、もうひとつ。

 あの後輩は度々、千代美に食材を送っているし、今日もどうやら明太子を持ってきたらしい。それは、私の口にも入る事だろう。

 果たして今後、彼女が送ってきた食材を素直な気持ちで口に運べるか、甚だ不安だ。

 

 酒のせいだ。

 酒のせいなんだ。

 

 そう、思いたい。

 

「ペパロニ、今夜寝る所はあるのか」

「いやあ、それが実は」

 

 ぞわり、と髪が逆立つような、醜悪な感情が込み上げるのを感じ、慌てて聞き流すよう努める。

 先輩と後輩の二人が、当然の会話をしているだけだ。

 

 当然の会話をしているのだから、続く言葉も、当然。

 

「じゃあ、泊まってけ」

「すんません姉さん、ありがとうございます」

 

 ぞわり、ぞわり。

 

 拳に、要らぬ力が入る。

 

 その時、気の抜けるようなメロディと共に、お風呂が沸きました、というアナウンスが流れた。

 変に明るいその音声が場違いだと感じるのは、恐らく私だけだろう。

 

 まあ、ひとまず、助かった。

 

 千代美が立ち上がり、先に入るぞー、と言った。

 

「二人は酔ってるから風呂はあと。水でも飲んで、ゆっくり休んどけ」

 

 それと、喧嘩すんなよ。

 心なし憮然とした声で言い、千代美は風呂に向かった。

 

 ああ、少し怒っている。

 

 まあ、流石に喧嘩などする訳は無いとは思うが、私の機嫌が悪いのはお見通しだったようだ。

 全く、敵わない。後で謝らなくては。

 

「お見通しっすねえ」

 

 流石姉さんだ、と彼女が呟く。

 

 彼女は、千代美が居なくなったのを確認して、こちらに向き直った。

 緊張したような面持ちで、少し良いっすか、と言う。

 

「姉さんの事、千代美、って呼ぶんすね」

 

 高校ん時は『安斎』でしたよね、と彼女は言った。

 まさかそんな話を振られるとは思わなかったので、私はつい、いつもの癖で『んん』という、返事とも相槌ともつかない声を漏らした。

 

 言われてみれば、そうだ。

 今は『千代美』と呼んでいるが、確かに高校の頃は彼女の事を『安斎』と呼んでいた。

 

 呼び方を変えたのは、いつの事だったろうか。

 

「正直、焼きもち焼きっぱなしっすよ」

 

 すげー羨ましいっす、と付け足した。

 

 ああ、そうか。

 彼女は千代美の事を『姉さん』と呼んでいる。

 長らく先輩後輩の仲ではあるが、言い換えればそれは、未だに先輩後輩の仲から先に進んでいないという事。

 

 彼女は彼女で、私の事が羨ましく見えるのか。

 

 しかし、今日は随分と千代美に優しくされていたように思うが。そう言うと彼女は、姉さんは誰にだって優しいんすよ、と言って眉尻を下げた。

 

「姉さんは誰にだって優しいけど、その中でもまほさんは特別っす」

 

 あ、まほさんでいいっすよね、と彼女は一旦話を切った。

 彼女にとって『西住』と言えばみほの事らしい。

 

 ああ、そうか。

 千代美の後輩という見方しかしていなかったが、この子はみほと同学年なのか。

 好きに呼んでくれ、と返した。

 

 気を取り直し、彼女は途切れ途切れに話す。

 

「今日の姉さんね、まほさんの事、ずっと目で追ってました」

 

「いや、今日だけじゃないな、もっと、ずっとですよ」

 

「高校ん時から、ずっと」

 

「私は私で、ずっと姉さんの横顔を見てきたから分かります」

 

「姉さん、昔からしょっちゅう、まほさんのこと考えてました」

 

「だから焼きもち、焼きっぱなしなんすよ、私」

 

 私もそうだよ、という言葉が喉まで出掛かったが、寸での所で踏みとどまった。

 私の一時の嫉妬など、彼女のそれとは比較にならない。 

 

「でも今日、久し振りに会って、思いました」

 

「すげー、幸せそうだなって」

 

「そりゃ、そうっすよね」

 

「高校ん時から好きだった人と暮らしてるんすもん」

 

「焼きもちは焼きますけど、それ以上に、姉さんが幸せそうで良かったなって」

 

「本当に良かったなって、思うんすよ」

 

 今にも泣き出しそうな顔で、彼女はそう言った。

 

 恥ずかしい。

 申し訳ない。

 消えてしまいたい。

 そんな思考が頭の中を駆け巡る。

 

 何て誠実な子なのだろう。

 彼女の嫉妬は、あまりにも美しい。

 

「だからね、まほさん。あんまり姉さん困らせちゃ駄目っす」

 

 先の表情から打って変わって、彼女はにやりと笑う。

 

 なっ。

 

「ま、まさか、私の嫉妬に気付いて」

「バレバレっすよ」

 

 唖然とした。

 彼女の変わり様もそうだが、それ以上に。

 

 そう、か。

 隠しきれなかったか。

 

 自分は顔に出ない質だとばかり思っていたが、そんな事は無かったらしい。

 という事は、カチューシャ達にもバレてしまっていると思った方がいいのだろうか。

 

「ああ、いえ、カチューシャさん達はどうか分かんないっすよ」

 

 ただ私にだけはバレバレっす、と彼女は自信満々に言う。

 

「何故」

「何故って、言ったじゃないっすか」

 

 彼女は、諭すように先程の言葉を繰り返す。

 

「私はずっと、姉さんの横顔見てきたんすよ」

 

 姉さんの顔色を見れば、まほさんの機嫌だって分かります。

 事も無げに、そう言った。

 

「だから、私にだけはバレバレなんす」

 

 あんまり、姉さんにあんな顔させないで下さい。彼女はそう言って、私を睨む。

 

 ころころと、よく表情の変わる子だ。

 どれが本当の顔なのだろうと考えたが、恐らく全て本当の顔なのだろう。

 

 彼女はきっと今、私に対する感情がぐちゃぐちゃなのだ。

 それを彼女なりに順々に整理している、のだと思う。

 千代美を好きでいるために、私への敵意を整理しているのだろう。きっと。

 

 恐れ入った。

 この子は本当に、千代美の事が好きなのだ。

 

「まほさんもそうなんじゃないっすか。いい歳こいてただの後輩に嫉妬するくらい、姉さんの事が好き、なんすよね」

 

 確かに。

 言い方は癪だが、それは、全く、その通り。

 

「うん、私は、千代美のことが大好きだ」

 

 それは、何の衒いも無い事実。

 千代美の事が、大好き。

 

 そう言うと彼女は、あざっす、それが聞きたかったっす、と納得したように大きく頷いた。

 

「色々、変なこと言ってすんませんでした」

 

 姉さんの事、宜しくお願いします。

 姉さんの顔、正面から見ててあげて下さい。

 

 そう言って彼女は頭を下げた。この子は私などより、ずっと大人だ。

 彼女は彼女で、高校生の頃から抱え続けていた自分の気持ちに始末を付けたつもりなのだろう。

 

 後輩の鏡のような子だ。

 

 この子の為にも、なるべく千代美を困らせないように努めよう。

 そしてこの子、ペパロニと仲良くする努力もしよう。そう思った。

 

 思ったついでに、もうひとつ。

 千代美の風呂がいつもより長い、気がする。

 

「気がするって何すか」

「上手く説明できん」

 

 直感、としか言いようが無いんだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。