まほチョビ(甘口)   作:紅福

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雪女

ゆきおんな

ダージリン視点


雪女の理

『昔、ある歌手は、遠くへ行きたいと歌って喝采を浴びたが、遠くへ逃げたいと歌うぼくを、』

 

 それ以降は聞き取れなかった。

 ぼそぼそとした声ね。台詞と言うよりは、ただのぼやきのような声だったわ。

 

 演奏が始まり、『どこか遠くへ逃げよう』と歌手が歌う。

 

「今の状況にぴったりじゃない」

「うるさいわね」

 

 カーステレオから流れる歌を助手席のカチューシャが揶揄し、私はそれに口答えをする。喧嘩をしている訳ではなく、単に口が悪いだけ。

 口の悪い彼女と話していると、自然とこちらまで言葉選びが荒くなってしまう。

 図星だと、尚更。

 

 気が滅入っている時に気分転換で遠出をするというのは、やっぱり逃げなのかしらね。

 そんなことを考えて、また滅入る。

 

「逃げも戦術のうちですよ」

 

 態勢の立て直しを図るための一時撤退です、と運転席のノンナは言う。

 そんな事は分かってるわよ、と反射的に返しそうになり、押し黙った。我ながら、言ってる事が滅茶苦茶だわ。

 

 諭されたような形になった私は、後部座席で口をへの字に曲げて不貞腐れている。

 気が滅入っているとは言うものの、大した理由がある訳でもない。

 

 周期的なもの。

 毎月のこと。

 

 付き合いの長いカチューシャはその『周期』を知っていて、それで私が不安定になる事も知っている。だからこそ出掛けましょうよ、と言って彼女が私を連れ出したのが今朝の話。

 私達は今、ノンナのハイエースに乗せられて高速道路をひた走っている。

 

 そんな経緯だから、私が不貞腐れているのは礼儀的に非常によろしくないのだけれど、こればかりは、どうにもこうにも。

 幸いにも二人がそれを心得てくれているので、奇跡的に車内の雰囲気は悪くならずに済んでいる。

 

「そう言えば、この車は何処に向かっているのかしら」

「特に目的地はありませんよ」

 

 へっ、と間の抜けた声を出してしまった。

 とりあえず私を連れ出す事だけが目的で、事前にどこそこへ行こうという話すらしていなかったとか。

 

「たまには悪くないでしょ、ただぼうっと音楽を聴きながら走るのも」

 

 暢気に言うカチューシャに、まあそうね、と憮然と答えた。

 音楽に耳を傾けると、歌手が『俺にカレーを食わせろ』と歌っている。もうちょっとマシな音楽なら良かったのに。変な歌ばっかりね。

 

「名盤ですよ」

「そ、そう」

 

 有無を言わせない雰囲気のノンナに若干たじろいで、大人しく歌を聴くことに。

 朝っぱらから連れ出され、高速道路で変な歌を聴かされている現状は、果たして『悪くない』のかしら。

 よく分からない。

 

 カレー、か。

 

 カレーと聞いて、誰かさんを思い出す。

 まあ、彼女は実際にカレーが好きという訳ではないらしいけれど、一時期はカレーと彼女をイコールで結ぶ風潮が確実にあった。その名残。

 

「カレーと言えばマホーシャ、なんて考えてるんじゃないの」

 

 またも図星。

 カチューシャの察しが良いのか、私が分かりやすいのか。両方かな。

 

 私は、まほさんのことが好き。

 私の部屋の隣に、千代美さんと一緒に住んでいる、まほさんのことが好き。

 

 カチューシャはそれを知っていて、その流れでノンナにもバレて。

 段々と逃げ場が無くなっていくのを感じる。

 

 でもね。

 好きとは言っても、私は千代美さんからまほさんを奪おうなんて気持ちは毛頭無い。

 まほさんの幸せな横顔を隣で見ていられたら、それでいい。

 この考え方がカチューシャにはどうも理解出来ないらしく、彼女は折に触れ、さっさと告白しなさいよ意気地なし、と私を急かす。

 そうは言ってもね、まほさんと千代美さんの間に隙間なんて無いのよ。

 だから私は横に居るの。

 

 千代美さん。

 もしも、仮に、万が一、奇跡的に、私が彼女からまほさんを奪ってしまったとしたら、彼女はどうなるのか。

 彼女を、あんなに可愛いひとを泣かせようだなんて、果たして誰が思うのかしら。

 カチューシャだって、私を急かしても『千代美さんが泣くでしょう』と返せば大人しく引き下がる。

 

 だから、今のままでいい。

 

「ノンナ、次の曲飛ばしてね」

「はいはい」

 

 後部座席にあった名盤とやらのケースをちらりと見ると、飛ばした曲のタイトルは『いくじなし』だった。

 カチューシャなりに気を遣ってくれているのかしら。

 

 そう言えば、カレーの歌はとっくに終わっていたのね。それでも私はまだまほさんのことを考えている。

 

 まほさんのことを考えると、千代美さんに。

 千代美さんのことを考えると、まほさんに。

 思考はぐるぐると巡る。

 

 どうせ考えても仕方ないのだし、滅入るだけなのだから、どこかで無理矢理にでも止めないと抜け出せなくなってしまうわね。思考を変えましょう。

 何か、何か無いかしら。

 

 何か、何か。

 

「妖怪」

 

 ぽつりと口から漏れた言葉。

 

 カチューシャは顔ごとこちらを向いて、何言ってんの、という目をした。

 うん、私自身もびっくりしてる。

 

「まほさんのこと、考えてたの」

「ああ、そっか」

 

 マホーシャから千代美、千代美から妖怪に思考が移ったのね、とカチューシャは簡潔に私の考えを纏めてくれた。

 

 千代美さんは、読んでいる小説の影響か、矢鱈と妖怪に詳しい。

 そして、物事を妖怪に例える癖がある。

 

 自分達の境遇を『塗仏』と呼んだり、カチューシャが持ってきたお酒を『鬼一口』と呼んだり。

 それぞれに意味があるのでしょうけれど、何のことか分からない場合も多い。

 

「不思議な癖ですよね」

「まほさんのことを『八百比丘尼』と呼んだ事もあったわ」

 

 うーわ大胆ね、とカチューシャが叫んだ。

 あら、もしかして、解読出来たのかしら。

 

「いや、えっと」

 

 顔を赤らめて口ごもるカチューシャ。

 

 何なのよ、と詰め寄ると、アンタにとっては面白くないかもよ、と返された。

 そうだとしても、そこまで言って引っ込められると靄々するじゃないの。

 

 いいから言いなさいよ。

 

「あ、あの、たぶんだけどね」

 

「まず、八百比丘尼って妖怪じゃないわよね」

 

「人魚の肉を食べて不老不死になった女の人、でしょ」

 

「で、この場合で言う人魚って、たぶん、鰯、つまりアンチョビ」

 

「アンチョビを食べるから、八百比丘尼、って事じゃ、ないのかしら」

 

 車内に長い沈黙が流れる。

 

 う、うわあ。

 大胆。

 

 カチューシャ、それ、たぶん満点だわ。

 

「食べてるのねえ」

「食べてるんですねえ」

 

 食べてるわねえ。

 

 時々、その、聞こえるし。

 

 アンタにとっては面白くないかも、とカチューシャが言った意味が分かった。

 けれどそれは、別の意味で面白い。正直、先程までの鬱々とした気持ちが吹き飛んだわ。

 

「それなら良いけどね」

「ふむ。まほさんが八百比丘尼、千代美さんが人魚ですか」

 

 じゃあ私達は何になるんでしょう、とノンナが言う。

 

「ノンナは雪女でしょ」

「カチューシャ、折角なんですからもっと捻ってください」

 

 まあ、ノンナもカチューシャも、二人とも雪女に例えるのが妥当かしらね。『ブリザードのノンナ』と『地吹雪のカチューシャ』だし。

 

 ああでもない、こうでもないと話していると、ぽつぽつと雨が降ってきた。

 タイミングよくサービスエリアの看板が見えたので、そこで休憩することに。

 

 サービスエリア内の喫茶店でお茶を飲みながら、雨宿り。

 

「そういえばアンタ、雨女だったわね」

「やめて頂戴、そんなのただの偶然でしょう」

 

 とは言ったものの、正直、心当たりはある。

 大学生の頃にも、みんなで温泉に行く途中で降られた事があったわね。

 

 カチューシャは、ごめんごめんと私をあしらいながら、名産品の案内でも無いかと辺りをきょろきょろと見回す。

 不意に、その彼女の眉がハの字に下がり、カチューシャはテーブルに突っ伏した。泣いているのかと思ったら、肩を震わせて笑っている。

 辺りを見回していて何かを見付けたみたいね。

 

 彼女の隣に座ったノンナが、大丈夫ですか、と肩を擦る。

 カチューシャは、テーブルに突っ伏したままノンナの肩をばしばしと叩いて、向かいの席に座った私の後ろ、窓の方を指した。

 ノンナも窓を見て、少し考えてからカチューシャの意図を察して、くすくすと笑い出した。

 

 何かしらと振り返り、あっ、と声を上げる。

 

 窓の外。

 雨はいつの間にか、季節外れの雪に変わっていた。

 

「アンタが雪女だったのね」

「うるさいわよ、カチューシャの馬鹿っ」

 

 言って、三人で笑う。

 

 まあ、たまには悪くないわね、こんなのも。


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