まほチョビ(甘口)   作:紅福

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ジバニャン
百烈肉球は車も止められるんだぞと

みほ視点


地縛霊の猫

 パトカーが数台、サイレンと共に走っていくのが見えた。

 近くで事故でもあったのかなあ。

 

 ある、雨の日の夕方。

 たまたま一緒になったアンチョビさんと二人、小さな駅の待合室で人を待っている。

 

 アンチョビさんは傘を持ってお姉ちゃんを迎えに。

 私はエリカさんが傘を持って迎えに来るのを待機。

 

「あの猫、見なくなったなあ」

 

 アンチョビさんが、ぼやくように呟いた。

 一瞬、私に言ったのかなと思ったけど、独り言だったみたい。

 

 あの猫ってどの猫ですか、と訊くと、アンチョビさんは不意を突かれたように『へぇっ』と声を上げて驚いた。

 ふふ。なんだかアンチョビさんが猫みたい。

 

「聞こえてたか」

 

 後ろでひとつに結んだ髪を揺らして、照れくさそうに笑う。

 なんだろ、こんなに可愛いひとだったかなあ、という思いが頭をよぎる。アンチョビさんがお姉ちゃんと付き合い始めてから、顔を合わせる機会が増えたけど、その度に思う。

 初めて会った頃からフレンドリーなのは変わらないけど、昔はそれに加えてもっとギラギラしてたっていうか、勇ましい印象があった。

 まあ、あの頃は会うとなれば試合だったからなあ。

 戦車の無い所では、元々こういうひとなのかも。

 

 最初はアンチョビさんが居るって気が付かなくて、みほ、と声を掛けられて初めて気が付いた。

 髪型もそうだけど、アンチョビさんは眼鏡を掛けていて、私が未だにパッと思い描く高校生時代の彼女とは、丸っきり印象が違う。

 だけど喋り方は昔と全然変わってないから、普段は元々こんな感じなのかな、とまた思った。

 

「この辺をうろついてた猫なんだけど、最近見ないなと思ってさ」

 

 機嫌が良いとたまに触らせてくれたんだけどなー、とアンチョビさんは言葉を続けた。

 猫かあ。言われてみれば、居たような、居なかったような。

 気にしたこと無かったかも。

 

「居付いちゃうといけないから餌はあげられなかったけど、居ないと寂しいもんだ」

 

 矛盾してるけどな、と笑う。

 でも、分からなくもないなあ。私もエリカさんにあんまり餌あげないし。

 って、これはちょっと違うかな。

 

 私は、何て言うか、好きな人や親しすぎる人に対して、雑に接してしまう癖があるみたい。

 エリカさんはそれが分かってるのか、私に雑に扱われて悦ん、もとい、喜んでるみたいな所がある。

 それで私も調子に乗っちゃって、エリカさんに対して他のひとより一際雑に接してる、ような気がする。

 餌はあげないけど、居なくなったら寂しいんだよ。なんちゃって。

 

 それは言い過ぎか。

 丸っきり餌をあげない訳じゃないし。

 

 考えていると、足元で、にゃあという声がした。

 わ、猫。

 

「おっ、噂をすれば」

 

 アンチョビさんがしゃがんで手を出すと、その猫は引き寄せられるようにその手の中に納まった。

 

「お前、久し振りだなー。雨宿りかー」

 

 当たり前のように猫に話し掛けている。本当に可愛いひとだなあ、アンチョビさん。

 お姉ちゃんがこのひとを好きになったの、すごく分かる。

 アンチョビさんは猫の前脚を持って肉球をうにうにと弄りながら、また独り言のように言う。

 

「知ってるかー、百烈肉球って車も止められるんだぞー」

 

 そ、それは知らないけど。

 猫はまた、にゃあ、と返事をするように鳴いた。

 

 暫くかまって貰うと気が済んだのか、猫はアンチョビさんを離れてうろうろし始めた。

 まだ雨が降っているから外には出たくないみたい。駅の中をうろうろ。

 その猫のお尻を眺めながら、アンチョビさんと話す。

 

 ゆっくりとした時間。

 

「お姉ちゃんが迷惑掛けたりしてませんか」

「んーん、全然。まほは良い子にしてるよ」

 

 嬉しそうに笑うアンチョビさん。

 

 ああ、迷惑掛けてそうだな、お姉ちゃん。

 だけどアンチョビさんはそれが嬉しいんだ、きっと。

 

 あと、ちょっとドキッとした。

 お姉ちゃんのこと『まほ』って呼んでるんだよね、そういえば。

 

「少し前に私が体調を崩した時さ、すごく丁寧に看病してくれたんだぞ」

「ええっ、お姉ちゃんがですか」

 

 びっくり。

 お姉ちゃん、そういうこと出来たんだ。

 

「えへへ、お粥も美味しかった」

 

 あっためるだけのやつだけどな、と補足する。

 

 それでも凄い。頑張ったんだなあ、お姉ちゃん。

 ああ、それだけお姉ちゃんはアンチョビさんの事が好きってことなのか。

 私はあの人の事を『お姉ちゃん』だと思ってるから、『まほ』のお話がすごく意外っていうか、新鮮。

 

「みほは何か無いのか、『お姉ちゃん』の話」

「うーん、何かあったかなあ」

 

 暫し、『お姉ちゃん』と『まほ』の情報交換。

 そんなこんなを話していると、時間はあっという間に過ぎた。程なくして、お姉ちゃんが乗っている電車が到着。

 アンチョビさんはそれに気が付いて、小走りに改札口に駆け寄る。

 

「おかえりー」

 

 改札口を抜けたお姉ちゃんの姿を見付け、胸の前で小さく手を振るアンチョビさん。

 お姉ちゃんに向けるその笑顔は、今日見た中で一番、可愛かった。

 

 お姉ちゃんはアンチョビさんから傘を受け取って、それから私に気が付く。

 

「みほも一緒だったのか」

「うん、エリカの迎え待ちだってさ」

 

 ああ、そう言えばそうだ、エリカさんを待ってたんだった。

 遅いなあ、エリカさん。家から大して時間が掛かる距離でもないんだけど。もしかして寝てるのかな。

 そう思ってスマホを覗き込むと、エリカさんから数件の着信が入っている。ありゃ、何だろう。折り返し連絡すると、エリカさんはすぐに出た。

 

 心なし、声が上擦っている。

 

『ご、ごめん、みほ。ちょっと事故っちゃって』

「えっ、嘘っ」

 

 瞬間、青褪めた。

 

「エ、エリカさん、大丈夫なの。怪我はっ」

 

 お姉ちゃん達も、こちらの様子に気が付いて、不安げな視線を向けてくる。 

 

『うん、怪我は無いんだけど、事故の調べで抜けられなくて』

「な、何があったの」

 

 それからエリカさんは、ぽつりぽつりと話してくれた。

 エリカさんは道路に飛び出した猫を助けようとして、それで車に轢かれそうになったみたい。

 

 どうして助かったのか。

 その説明をしようとして、何か言い淀んでいる。

 警察が信じてくれないどころか、自分でも信じられない何かがあったみたい。

 

 エリカさんは、信じても信じなくてもいいけど、と前置きして、言った。

 

『猫耳で金髪の、すごく綺麗な女の人が素手で車を止めて助けてくれたのよ』

「あ、うん、信じる」

 

 たぶんそれ、知ってる人だ。

 

 その人がいつの間にか居なくなってるから、エリカさんはどう説明をしたらいいか現場であわあわしてるみたい。

 私からその人に連絡してみるね、と返して電話を切る。

 

 本当に居るんだね、車を止める猫。

 

 エリカさんに怪我は無い。

 それだけは、不幸中の幸いかあ。

 

「事故か」

「うん、怪我は無いけど現場でちょっと手間取ってるみたい」

 

 ぽん、と傘を手渡された。

 

「三人で迎えに行ってやろう」

 

 あはは、そうだね。

 その後は、久し振りにみんなでご飯でも行こっか。

 

 猫がまた、にゃー、と鳴いた。


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