まほチョビ(甘口)   作:紅福

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フライングヒューマノイド
飛ぶ人。
UFOみたいなもの。


(2/4)フライングヒューマノイドの空

 出港の汽笛が聞こえた。

 

「待っ」

 

 叫ぼうとしたまほさんが、言葉を飲み込む。

 まあ、気持ちは分かる。叫んでも仕方ない。

 それに、あの学園艦に千代美さんが乗っているとも限らない。とは言え、未だ彼女が何処にいるのかは分からないけれど。

 

「あ、千代美」

「えっ」

 

 まほさんは、艦上の何処かから手を振る千代美さんを見付けたらしく、腕を目一杯に伸ばして手を振り返している。

 どんな視力をしてるのかしら、この人。

 

「さっきまで居た広場の辺りだ」

 

 言われて目を凝らすと、あら本当。舳先の柵から身を乗り出して、特徴的な長い髪がぴょこぴょこと跳ねているのが僅かに見えた。ああ、事情は分からないけれど、退艦が間に合わなかったのね。

 

 さて、どうしましょうか。千代美さんがあの学園艦を降りるには。

 次の寄港日を待つというのが一番妥当ではあるけれど、まあそうなると早くとも向こう一ヶ月は待たなくてはならない。それに、また近くに寄港するとも限らない。

 あー、陸へのボートを出してもらうという手もあるけれど、あれは手続きが面倒だし、何より物凄くお金が掛かるのよねえ。燃料代から何から全額負担だし。

 

 益体もないことをぐるぐると考えていると、ペコが口を開いた。

 

「ダージリン様」

「なあに、ペコ」

「荷台に乗って頂けますか」

 

 そう言って、ペコは何故かローズヒップの愛車、ハイゼット、つまり軽トラックを指した。

 

 その荷台。

 

 う、うーん。

 

 何をする気なのか読めてしまった。出来れば乗りたくない。

 けれど、有無を言わせない雰囲気のペコに気圧され、嫌々ながら荷台に乗る。ローズヒップは既に運転席に乗り込んでいて、すかさず車を発進させ、出港を始めた学園艦に向かってアクセルを思い切り踏んだ。

 

 嗚呼。

 

「大丈夫です、ダージリン様。植え込みのある辺りを狙いますから」

「ペコ、あのね、そういう問題じゃなくてね」

「あまりお喋りをされると舌を噛みますわよー、お二方」

 

 私のささやかな抗議は、ローズヒップの茶々によって遮られる。

 段差を踏んだらしく軽トラックが大きく揺れて、ばこんと音を起てた。

 

「手荷物はこちらでお預かりします。お財布と、携帯電話だけはお忘れなく」

 

 ペコはそう言って。

 

 私の体を持ち上げ。

 

 荷台から投げ飛ばした。

 

 学園艦の上にある広場、千代美さんが居る辺りの植え込みを狙って。

 

 そして、現在。

 

「ブラックでいいかな」

「ん、うん。ありがと」

 

 長くなってきた陽も沈みかける頃。

 

 奇しくも、さっきまでまほさんと二人で座っていたベンチに、今は千代美さんと座っている。

 千代美さんは、見事に植え込みに引っ掛かった私を助け起こし、近くの自販機で缶コーヒーを買ってきてくれた。

 

 ペコ宛に、無事に着地した旨の連絡を済ませ、缶コーヒーを受け取る。

 

「まさか飛んで来るとはなあ」

「私だって後輩に投げ飛ばされるなんて思わなかったわ」

 

 そんな事はまあ、いい。

 どうでもいいとまでは言わないけれど、とりあえずいい。

 

「ごめんな、面倒掛けて」

「いえいえ」

 

 千代美さんの退艦が遅れた理由。

 彼女が連れて行った迷子の母親が知り合いで、つい話し込んでしまったそう。だけど、実はその人は観光客ではなく、仕事のために学園艦に乗り込んでいた。なのでその人は『退艦』という発想が抜けていて、それに釣られて時間を忘れてしまった、と。

 

「コンビニの店長を任されたらしくてさ。それで、この学園艦の航行中、ここのコンビニで研修やるんだって」

「そう」

 

 悪いけれど、あまり興味が無い。

 貰った缶コーヒーも、開けずに手の中でころころと弄んでいる。

 

 今の私達が直面している問題は色々ある。

 今後どうするのか、差し当たってまず今夜はどこで寝るのか、いつ帰れるのか、私はどうして投げ飛ばされたのか、色々。

 でもまあ少なくとも、投げ飛ばされた理由は何となく分かる。ペコは私の気持ちを汲み取ったのだと思う。お陰で、千代美さんと二人きりで話す機会を設けることが出来た。

 

 決して積年の恨みをぶつけてきたとか、そういう事ではないと思う。思いたい。

 

 まあ、そんな事よりも。

 

「怒ってる、か」

「ええ」

 

 言ってやらなければ気が済まない事が、ある。

 前置きを抜きにして、単刀直入に言った。

 

「何故あの時、まほさんを置いて行ったのよ」

 

 迷子を保護した直後。

 千代美さんは、まほさんの同行を断って迷子センターに向かった。

 

「なぜって、そりゃ、休んでて欲しかったからだけど」

「貴女、気が付かなかったの」

 

 言葉が溢れた。

 

「子供を抱いて」

 

「まほさんに背を向けて」

 

「人混みに消えていく千代美さん」

 

「それを見て、まほさんは辛そうな顔をしたのよ」

 

 私は隣で見ていたから気が付いた。

 まほさんには、千代美さんのその背中が『何か』に見えたのだと思う。

 その事に漸く思い当たったらしく、千代美さんは小さく、あ、という声を漏らした。

 

「正直に答えてね。貴女、『子連れ』が嬉しかったんでしょう」

 

 まほさんと居ては永遠に授かる事が出来ない、子供。

 迷子センターまでの短時間とは言え、『子供を連れて歩く』という行為が、千代美さんは嬉しかった。普段は過剰にすら思えるまほさんへの気配りを、忘れてしまうほどに。

 そしてそれは、まほさんにも伝わってしまった。

 

 暫しの沈黙があって、千代美さんは観念したように無言で頷いた。

 

 はーあ、と大袈裟にため息をつく。まあ、分かる。

 聞けば、さっきの子供の母親は私達の二つ下。ペコ達と同い年だとか。それはつまり、私達だって子供を連れていても何らおかしくない齢と言うこと。

 

 憧れは分かる。

 

 私だって、分かる。

 

 でもね、それはそれなのよ。

 

「まほに謝らなきゃな」

「必ずよ」

 

 次にまほさんに会えるのが、いつになるかは分からないけれど、必ずね。

 

「あれから、まほに付いててくれてたのか」

「ええ」

「そっ、か。ありがと」

 

 まあ、車酔いをさせてしまった事に対するお詫びというのも、少しはあるけれど。

 あの時のまほさんは、一人にするにはあまりにも忍びなかった。

 

「私の好きな人に、あんな顔させないで」

 

 遂に言った。

 

 千代美さんは目を瞑り、言葉を探すように暫くくるくると指を回して、結局『ごめん』とだけ呟いた。

 

 拍子抜け。

 

「もうちょっと派手に驚くかと思ったら、案外冷静なのね」

「なんとなく、そんな気はしてたし」

 

 千代美さんはそう言って、困ったように笑う。

 

 驚かせるつもりだったのに、反対に驚かされたような感じ。

 でもまあ、考えてみれば道理だわ。同じ人を好きなのだもの、隠し通せるものではないわね。同じことを考えていれば、それはどこかで分かってしまうもの、か。

 

「もしかして私のこと、ずっと邪魔だったんじゃないか」

「そんな訳ないでしょ。私は貴女の事も好きよ」

 

 うえっ、と千代美さんは声を上げる。そのリアクションは、さっき欲しかった。

 まあ、好きと言っても、まほさんに対する感情とは違う、友達の好き。だけどそれは、言葉なんかでは簡単に言い表せないほどの、大好き。

 

 私は、貴女の優しさにずっと惹かれているのよ。

 

 気付いてるかどうかは分からないけれど、呼び方を『安斎さん』から『千代美さん』に改めるくらいには大好きなの。

 

「私は貴女達のファンなのだと思うわ」

「あはは、なんだよそれ」

 

 笑われたけれど、本当のこと。

 私自身、感情を上手く整理できていないけれど、詰まるところ、好きな人と好きな人が仲良くしている所を一番近くで見ていたい。それが願い、なのだと思う。

 

 それはきっと、『ファン』と表現するのが一番近い。

 

 地平線を追い掛けるようなもの。

 遮るもの無き海にて。

 なんてね。

 

「なんだっけそれ」

「ふふふ、さあね」

 

 意地悪を言って、腰を上げる。

 釈然としない表情のまま、千代美さんもそれに倣う。二人で海を見た。

 

「私も好きだよ、ダージリンのこと」

「やだ、そういう時は名前で呼ぶものよ」

 

 少しだけ、我儘を言う。

 

「うええ、恥ずかしいなあ」

「いいじゃない、呼んでよ」

 

 改めて。

 千代美さんは、しょうがないなと呟いて、わざわざ姿勢を正してこちらに向き直り、名前を呼んでくれた。

 

「好きだよ、ミホのこと」

 

 大好きな友達に名前を呼ばれ、どきん、と心臓が跳ねる。自分で振っておいて、虚を突かれたような気持ちになった。

 そう言えば、千代美さんに名前を呼ばれたのは初めてだったかもね。

 

 んふふ、と変な笑いが出た。

 

「やっぱりダージリンでいいわ」

「なんなんだよ、もう」

 

 恥ずかしいし、ややこしいものね。

 やっぱり私は『ダージリン』でいい。

 

 照れ隠しに、キン、と缶コーヒーを開ける。

 少し赤くなった私の顔は、夕陽が誤魔化してくれた。

 

 にっが。

 

「陸はどっちかなあ」

「あっちでしょ。ほら、ヘリが向かってきてるもの」

 

 ぼやくように言う千代美さんに、ヘリが高く飛んでいる方を指す。

 んん。あれは何のヘリかしら。

 ぼんやりと眺めていると、ぽけっとの中でスマートフォンが震えた。普段はあんまり鳴らない、まほさん用に設定した着信音が辺りに響く。

 

『俺にカレーを食わせろー』

 

 一体何事かしら。

 

「何だよその変な歌」

「名盤よ」

 

 通話のボタンを押して電話を耳に当てると、何かけたたましい、ばたばたという強い風のような音が聞こえた。そのせいで、肝心のまほさんの声が聞こえない。

 ああ、そういうこと。

 

 あのヘリに乗ってるのね。


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