【ミカ】
嗚呼、お米、美味しい。
まほと千代美、二人の家のリビングで夕飯を済ませて寛いでいる。やっぱり美味しいよねぇ、千代美のご飯は。ついつい食べ過ぎてしまうよ。
こんなのを毎日食べててよく太らないよね、二人とも。
「食うだけ食っておいて『こんなの』とは何だ」
「いやいや、言葉の綾だよ」
危ない危ない、まほは千代美のことが絡むと気が短くなってしまうからね。気を付けなくちゃ。
さて、それはそうと今日はお願いがあって来たんだ。つい夕飯までご馳走になってしまったけど、本題はそこじゃない。
切り出すなら今かな。
「飯を食った上に、更に頼み事か」
「まあまあ。聞くだけ聞こうよ、まほ」
まほは怪訝そうだったけど、千代美がフォローしてくれたお陰で、ちょっと話しやすくなった。ありがたい。
相変わらず、良いコンビだね。
さて、単刀直入に言おう。
「お金を預かって欲しいんだ」
それを聞いて二人は目を丸くした。
「一体何事だ」
「ええと、どこから話そうかな。コインがいっぱい出たんだよ、コインが」
昨日は本当にいっぱい出た。
自分でも何が起きたのか把握しきれないぐらい、色んな事が一遍に起きた。一番びっくりしたのは赤七と確定役を立て続けに引いた時かな、それのお陰でストックが大量にうんぬんかんぬん。
「またパチンコかあ」
「スロットだよ」
即座に訂正され、よくわからないといった様子で首を傾げる千代美。どっちでもいいじゃないかと言われれば確かにそうなんだけど、何故かこの間違いは捨て置けない。
パチンコとスロットは別です。
それはそうと、そもそもの切っ掛けはダージリンだった。
暇を持て余した彼女が、素寒貧(すかんぴん)目前でげっそりしながらスロットを打っている私のところにちょっかいを出しに来たのが発端。
彼女は丁度空いていた私の隣の椅子に腰掛けて、『相変わらず煙草くさい所ね』と顔を顰めたり、『これ楽しいの』とか『今の演出はどういう意味なの』とか益体のない質問をちょいちょい投げ掛けてきた。
そして、運命の一言。
『ねぇ、私にもやらせて』
もはやコインも尽きようとしていた所だったし、別にいいよと言って彼女にレバーを叩かせたら、それがまさかの大当たり。
そこから延々と当たりは止まらず、コインは閉店時間まで出続けた。当のダージリンは暫く眺めていたものの、途中から飽きて帰ったらしく、いつの間にか居なくなっていた。
「結局いくら出たんだ」
「ええと、これくらい。四十万円」
言って、懐からちょっとしたお札の束を取り出す。千代美が口の中で小さく『うわっ』と言うのが聞こえた。
ちょうど四十万円、コインに換算して二万枚。いやあ、なかなかの額だよ。普通出ないって、こんなに。まほも千代美も、いきなり目の前に現れた大金をまじまじと見詰めて戸惑っている。
千代美が、辛うじて口を開いた。
「えっと、まず、預かるってどういうことなのか。それと、なんで私達に預けるのかを訊きたいんだけど」
「うん、それじゃあ、ひとつめの質問から。端的に言うと、私が持ってると遣っちゃうからさ」
しかも、スロットにね。
分かっちゃいるけど辞められない、というやつだよね。悲しいことだ。こういうのって、段々と勝ち負けを度外視して打ちたくなってくるから怖いんだよね。
そんな時、手元に大金があったら、そりゃあ打ってしまう。
仮に、このお金を遣い切るまで打ってしまったら、それで欲求が止まるとも思えない。きっと、遣い切ってもまだまだ打ちたくなってしまう事だろう。ああ、怖い怖い。
だから人に預けよう、って訳。そこでふたつめの質問の答えだ。
「君達二人に預けるのが一番信頼できると思ったのさ」
「絹代が居るだろう」
まほの突っ込み。
それを聞いて、千代美も頷いた。
西絹代。
うん、確かに私は絹代と、まあ、仲良くしてる。彼女のことは信頼してるよ、それは間違いない。お金を預ける人物として申し分ないのもよく知ってる。
でも絹代は、私のお金を絶対に預かったりしないんだよね。このお金を見たら『預かるなどとんでもない。ミカ殿が勝ち取ったその金子(きんす)、どうかご自由にお遣い下さい』とか言うに決まってるんだ。
「絹代、全肯定しちゃうタイプかあ」
「そうなんだよ」
捉えようによっては有り難いんだけどね。ともあれ、今回に関しては絹代に頼んでも預かってはもらえないと思う。
それに、こう言っては何だけど、絹代の全肯定ってなんとなく居心地が悪いんだよね。
それこそ素寒貧になって、年齢的には一個下の絹代にご飯を作らせてご馳走になる日もある。彼女はそれを、ちっとも厭わないどころか喜んでいる節さえある。腕前だって大したものだ。
その上、私が一文無しなのを察して戸棚から茶封筒を取り出し、そこから明らかに遣っちゃいけない感じのお金を出して『明日は勝てるといいですね』と笑って手渡してくれる事もある。
正直、きつい。
この感情はたぶん、罪悪感だ。
「おい、殴っていいか」
「千代美、待て、気持ちは分かるが落ち着け」
慌てて千代美を押さえ付けるまほ。これには私もたじろいだ。
流石に予想外だけど、うん、考えてみれば当然かも知れない。
席がばたばたとし始めたところでインターホンが鳴り、応対する間もなくダージリンとカチューシャが入ってきた。勝手知ったるという感じだね。
隣のダージリンの部屋で酒盛りでもしていたらしい。二人とも、色白の頬に少し赤みが差している。
ああ、と言うことは、おつまみでも貰いに来たのかな。
「あら、ミカじゃない。珍しいわね」
「やあカチューシャ」
二人が顔を出したことで千代美も半ば強制的に落ち着き、これこれしかじかと、軽く状況を説明する。
説明を続ければ続けるほど、カチューシャの表情は分かりやすく曇っていった。
「随分とまたクズをこじらせてんのね」
「ああ、うん、どうも」
それぐらいの反応が一番気楽だ。恥ずかしながら『クズ』は言われ慣れているので耐性がある。
ああ、絹代に全肯定されるのが辛いのは、もしかしたら『ちょっとは叱って欲しい』とでも思ってるのかな、自分。
「あれから随分出たのねえ」
「お陰さまでね」
本当、お陰さまだよ。断言してもいい。
あの時ダージリンがレバーを叩かなければ、そのままコインが尽きて帰ってたところなんだから。そうだ、何かお礼をしなくちゃいけないね。
すると、ダージリンはこの上ないほどに悪い笑みを浮かべて、言った。
「ミカ。私ね、貴女にお金を貸してるのを思い出したの」
あうち。
「アンタ、こいつにお金なんか貸してたの。いくら」
「彼女が無心に来るたびに少しずつ貸してるから、積もり積もって五十ほど」
「えええっ」
彼女曰く。
隣にまほと千代美が住んでるとはいえ、独り暮らしを寂しく思う日も少なくないらしい。だから、例えお金の無心であっても私が定期的に顔を見せに来ることを嬉しく思っていて、それでついついお金を貸してしまう、と。
独り暮らしで浪費癖も無いものだからお金は基本的に貯まる一方で、返って来なくてもどうにでもなるので、普段はあまり気にしていない。けれど時々計算してみてため息をついたりもしてるらしい。
「アンタもアンタでこじらせてるわね」
「う、うるさいわよ」
カチューシャに気の毒そうな目を向けられ、強がるダージリン。
こっちも良いコンビだなあと思いながらぼんやりと眺めていると、私の両肩に手が置かれた。
まほと千代美、左右から別々の声が、私に短く語りかける。
「ミカ」
「返してやれ」
私の四十万円は、その場でダージリンの四十万円となった。
まあ残念だけど仕方ないと思うことにしよう、所詮は泡銭だ。
そして、唐突に大金を手にしてすっかり気を良くしたダージリンの一言。
「折角だから、ぱーっと遣いましょう」
何年か振りの温泉旅行が決まった。