まほチョビ(甘口)   作:紅福

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おめジリン


おとないさんの目

【ダージリン】

 

「ワオ、大きいペットを買ったのね」

「うっさい」

 

 案の定ジョークを飛ばしたケイにカチューシャが毒づいて、不機嫌そうにソファに身を沈めた。長い脚を組み、その膝の上で頬杖をつく。高校生の頃と比べて身長が劇的に伸びたカチューシャ、彼女は昔も今も『身長』を揶揄されることを快く思っていない。

 低身長というコンプレックスは解消されたものの、今度は高身長というコンプレックスに悩まされているという、それこそジョークのような状態になっている。

 彼女の身長は今、一体いくつあるのか訊ねたら『六尺』という捻くれた答えが返ってきたことがある。数字を言うのも嫌、という事なんだと解釈した。

 けらけらと笑うケイを、カチューシャはじろりと睨み付けた。

 

 今日、ケイがここに来たのは家賃の値上げについての話をするため。新しくカチューシャが一緒に住むようになったことで『入居者』が増えたので、大家である彼女にそのことを話したらいかにも渋々といった感じでやって来た。

 

「気にすること無いのに」

「そういう訳にも行かないでしょう」

 

 大らかというか、なんというか。単に計算が面倒なだけのようにも見える。半々かしら。自分の利益に関わることなのに、ここまで適当でいられるのもある意味凄いと思う。

 でも、何にせよ一応は契約なんだから、きちんとしないと。

 

「真面目ね」

「普通なのよ」

 

 私は間違ってない、と思う。

 

 その後、何故か諸々の計算を私がする羽目になり、カチューシャとケイは冷蔵庫からビールを引っ張り出して飲み始め、書類が出来上がる頃には二人もすっかり出来上がっていた。

 というかむしろ、ケイは酔い潰れて横になってしまっている。まだむにゃむにゃと何か喋ってはいるけれど、眠りに落ちるのも時間の問題という感じ。

 こうやって何だかんだと周りが勝手に世話を焼くお陰で、結果的に得をするように出来てるのよね、彼女。『人徳』というものの極致のような人。羨ましいことだわ。

 

「しょーがないわねぇ」

 

 カチューシャがケイを軽々と抱き上げ、寝室に運んだ。

 まあ、車で来ておいて飲み始めた時点でこうなるだろうなとは思っていた。放っておけばそのうち起きるでしょう、たぶん。

 暫くして、ケイを寝かせてリビングに戻ってきたカチューシャがソファにどっかりと腰を落とした。ソファの左側、そこが彼女の定位置。私も、その隣の定位置に腰を降ろす。

 

「お疲れ様」

「アンタもね」

 

 これで、カチューシャが正式に『同居人』という事になってしまった。まさかこんな未来があるなんて、思いもよらなかったわ。勢いで決めたはいいけれど、これからどうなる事やら。

 正直に言えば、期待より不安の方が大きい。カチューシャとはこれまでずっと仲良くやってきたものの、果たして環境の変化がこの関係にどんな効果を齎すのか。上手くやっていけるかどうか。嫌われたりしないか、とても不安。

 なんだかいつものように軽口を叩き合う気になれず、押し黙った。

 

「そんなに固くなんないでよ」

「う、うん」

 

 そう言われ、何故だか妙に緊張してしまって、ますます固くなる。

 そんな私を見て、カチューシャがため息をついた。

 

「馬鹿ねー。同居ってアンタ、隣みたいなのを思い浮かべてるんじゃないの」

「そ、それは」

 

 返答に詰まった。

 それは、確かにある。私にとって『同居』と言えば、隣のまほさんと千代美さんのような仲睦まじいものである印象が強い。私の中であれが基準になってしまっているから、だから緊張してしまうというのは、確かにその通り。

 

「と言うよりは、隣みたいな事をしたいのかしら」

 

 にやり、とカチューシャの口の端が吊り上がる。

 

 心臓が自分でも驚くほど大きな音を起てた。

 それも、ちょっとはある。『隣みたいな』仲睦まじい同居生活。憧れはあるし、そんな想像を巡らせたことも一度や二度ではない。

 そして、そんな時に『相手』として思い浮かべるのは。

 

 カチューシャは私の反応を窺うように、目を細めてじっとこちらを見つめている。

 不意に、彼女の長い腕が腰に回され、ふわりと引き寄せられた。

 

「ひゃ」

「嫌ならやめるけど」

 

 嫌、ではない。と思う。

 でもまだ、心の準備も、気持ちの整理もついていない。私のことを奪ってくれるのはきっとカチューシャなんだろうなという気持ちはあったけれど、それでも、私にはまだ、好きな人が居る。

 体が密着したことで高鳴る私の鼓動が伝わってしまうんじゃないかと心配した矢先、カチューシャが立ち上がってソファに手を掛け、私に覆い被さるように姿勢を変えた。私よりもずっと大きな彼女の体が視界を塞ぐ。

 

「アンタ、震えてるのね」

「う、うるさいわよ」

 

 お腹に力を入れ、カチューシャを睨み据える。

 それが合図だったかのように、カチューシャの整った顔がゆるゆると眼前に迫った。彼女の、酒気を帯びた息が顔に掛かる。切れ長の眼が私の唇を捉えているのが分かった。

 ああ。

 

 ぎゅっ、と目を閉じた。

 

 そしてカチューシャは何故か、本当に私に覆い被さって全体重を預けてきた。一瞬、何が起きたのか分からなかったけれど、間を置かずに彼女の鼾(いびき)が聞こえた。

 え、嘘でしょ、寝ちゃったの。

 

「ちょ、ちょっと」

「んんん」

 

 んんんじゃないし。

 こうなってしまっては、彼女は揺すっても叩いても起きない。思わず全身の力が抜けてしまった。全く、肩透かしにも程があるわね。とんだ酔っ払いだわ。

 無駄にどきどきしちゃった。

 

「あの」

 

 突然の声に驚いて、リビングのドアに目を遣る。そこには、ものすごく申し訳なさそうな顔をしたまほさんが、ドアを半分だけ開けてこちらを覗き込んでいた。

 

「醤油を、返して貰いに来たのですが」

「え、ええ、なんで敬語なのよ」

 

 テーブルの上にはビールの空き缶に混じって、昨日、隣から借りてそのまま置いていた醤油差しがある。ああ、うん、借りた物は返さないといけないわよね。でも、今はちょっと動けない。見ての通り、カチューシャが私の上で眠っているお陰で。

 

「失礼します」

 

 妙に畏まった挨拶をしつつ入ってきたまほさんは、そそくさと醤油差しを掴んで、逃げるように部屋を出た。

 ううん、いつからあそこに居たのかしら。

 

 っていうか、どうしよう、この状況。

 耳許で鳴り響くカチューシャの鼾に顔を顰めつつ、私は途方に暮れた。

 

「んんん」

 

 んんんじゃないし。

 

 馬鹿。


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