渋谷で騒いだりする回ではないです
【ミカ】
ぽんぴん。
インターホンを鳴らすと、ばたばたとした足音が聞こえて勢い良く扉が開いた。
私の顔を見たまほの表情が『なんだお前か』と如実に語る。
「お菓子をくれなきゃここで飢え死にしようかと思うんだけど」
「塩を撒くぞ貴様」
ハロウィンの晩。例によって例のごとく勝負事に負けて夕飯を頂きにまほと千代美の家を訪ねたけれど、残念ながら不発に終わった。
千代美は留守らしく、不機嫌なまほに追い払われるようにしてその場を後にする。虫の居所が悪いというよりは私が怒らせたのかな、あれは。ちょっと理不尽だったけど、まあ『千代美が帰ってきたと思ったのにミカだった』という落胆は、当の私でも察するに余りあるから、仕方ないと思うことにしよう。
隣のダージリンとカチューシャの家も覗こうかと思ったけれど、やめた。あそこにあるのはお酒だけだ。
涙は今も流れているが
私は泣いてはいない
私は泣いてはいけない
なんて詩が頭をよぎったけれど、まあ実際には涙も流れてはいない。泣きたいのは山々だけど、泣いたって仕方ないからね。この程度で泣いてたら瘋癲(ふうてん)は務まらない。どちらかと言えば『山河に散り敷く涙も枯れた』って所かな。負けすぎて何も感じなくなってきた。
そもそもパチスロは正しくは回胴式遊技機と言って、その名の通り遊技する、つまり遊ぶための機械であるからして、大前提として遊ぶためにお金を払うのは当然で、お金を払って遊技を楽しんだのなら、その結果としての勝ち負けも楽しむのが正しいと言えば正しいんだけど出来れば勝ちたいなあ。勝ちたい。
まあ考えても仕方ないね、負けたんだし。
のめり込みすぎに注意しましょう。
パチンコ、パチスロは適度に楽しむ遊びです。
しかし参ったな。
ご飯どうしよう。
うーんまあ、選択肢が全く無い訳じゃないんだけどね。出来れば避けたい、目を逸らし続けてる選択肢がひとつ残ってる。いわゆる最後の手段ってやつ。まあ、今がその最後という気がしないでもないのが悲しいところなんだけど。
うーん、あまり遅くなるとその最後の手段まで逃しちゃうから、さっさと決めなくちゃいけないかな。
気は進まないけど、背に腹は替えられないか。
行こう、絹代んち。
絹代が嫌いとかじゃないんだけどね。
むしろ、いや、それはいいか。
まあそれはともかく、まほは叱ってくれるし、カチューシャは呆れてくれる。千代美やダージリンは困った顔をしてくれる。要するに、瘋癲には瘋癲なりの居心地の良さってものがあるという話。絹代にはそれが無い。それどころか歓迎さえしてくれるし、ご飯だってお腹いっぱい食べさせてくれる。その上、帰りがけにお小遣いをくれたりもする。これはつらい。逆につらい。
つまり『このクズめ』と言われた方が落ち着くのがクズであって、そこを『きみはクズなんかじゃないよ』などと言われてしまうと参っちゃう、って話。
慕ってくれるのは嬉しいし有り難いんだけど、申し訳ないことにクズなんだよね、私はさ。
そんなこんなを考えながら小一時間ほど歩いて、絹代が一人で暮らしているアパートに到着。絹代の部屋の明かりが点いているので、どうやらご在宅だ。なんだかんだ言って、その事実には安心する。
そして絹代の部屋の扉の前、インターホンを鳴らそうと指を伸ばしたところで、タイミング良く玄関ががちゃりと開いた。
顔を出したのは、ここで会うのはちょっと珍しい人物。
千代美だ。
「ミカじゃないか」
「おやこんばんは、珍しいね」
どうやら何かの用を済ませて帰るところらしい。手にはちょっと大きめのカバンを提げている。なんとも、面白い偶然だ。ついさっき千代美の家に行ってきたところで、その後の行き先で千代美に会うなんてね。
まほの機嫌が悪そうだったことを伝えると、彼女は申し訳なさそうに笑った。
「ついつい話し込んで遅くなっちゃったからなあ、帰ったら構ってやんなきゃ」
「それがいいね。千代美の顔を見れば、まほもきっとすぐに機嫌を直すよ」
「えへへ、そうかもー」
聞くと先日、千代美のところに彼女の後輩から食材の小包が届いたそうで、そのお裾分けがてら絹代に料理を習いに来ていたらしい。
料理の得意な千代美でも習うことがあるのかと思ったけど、和食に関しては絹代の方が上手なのだそうだ。それは、びっくり。確かに絹代の料理は美味しいと思ってたけど、そんなレベルだったなんて。
「食べさせたい相手が居るから上達するんだよ」
「んっ」
あまりにも意外、だけど納得せざるを得ない言葉。
千代美は悪戯っぽく言ったけれど、きっとそれは、本心から出た言葉なんだろう。うーん、参っちゃうなあ。
「おやミカ殿、いらしてたのですか」
玄関先で千代美と話し込んでいるうちに、ちりちりという鈴の音と一緒に絹代が出てきた。小脇にヘルメットを抱えていて、これからどこかに出掛けるご様子。
鈴は、絹代がバイクやら部屋やらの鍵束に付けているキーホルダーのものだ。
「アンチョビ殿をご自宅まで送って参ります」
「ああ、そっか」
私は慣れてるからヒョイヒョイと歩いて来たけど、ここから千代美達の家までは結構な距離がある。それに、千代美が持っているカバンの中身は鍋らしい。時間も遅いし、送ってあげるのがいいだろうね。
しかしそうなると、今夜はご飯抜きだろうか。
まあ仕方ない、どうも日が悪かったと思うほか無いね。
そうして考えを巡らせていると、絹代はキーホルダーから部屋の鍵を外して私に握らせた。
「どうぞ上がって行って下さい、ミカ殿」
「えっ、いいのかい」
「勿論ですとも。鍋にカボチャの煮付けが出来ていますから、召し上がって下さい」
カボチャ。なるほど、千代美のところに届いた食材ってそれか。ハロウィンの晩にはぴったりだ。それに、絹代が作ったものなら味も間違いない。有り難く頂くとしよう。ああでも、家主の留守中に鍋を開けてものを食べるって言うのは流石の私でも気が引けるなあ。
それに、さっきの千代美の言葉も頭をよぎった。
うーん。
「どうか、されましたか」
絹代は私が考え込んでいるのを何か勘違いした様子で、鍵の隠し場所だとか、他のおかずを作りましょうかとか、不安げな顔でそんなことを並べ立て始めた。
私は慌てて否定する。そういう事じゃないんだよと。
「では、どういう」
「絹代が帰って来たら、それから一緒に食べないか」
そう言うと絹代は破顔して、比喩ではなく本当に飛び上がって喜んだ。
ちりちりと、また鈴が鳴る。
「えーっと」
所在なげな千代美に何だか申し訳ないなと思いつつ、良かったら今夜泊めてくれないかなー、なんて事も考えた。