まほチョビ(甘口)   作:紅福

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白うねりの火

【まほ】

 

『戦車を降りると、ぽんこつ』

 

 昔から陰で囁かれてきた言葉だ。直接私の耳に入ったのは、果たしていつの事だったろうか。

 酷い言われようだが、実は強ち間違いではないと思っている。実際、私は他人より抜けている所が多い。それこそ、ぽんこつと呼ばれても仕方が無い程に。

 他人が簡単に気付くような事にいつまで経っても気付かず、他人が忘れないような事をぽろっと忘れる。昔からそうだ。

 補足するならば、『戦車を降りると』という部分は違う。

 戦車や日頃の所作に関しては実家で叩き込まれた部分が多いから、きちんとしているように見えるだけ。何も切り替えのスイッチが備わっている訳ではないのだから、私は戦車に乗っている時もぽんこつなのだ。

 育ちが良いだけのぽんこつ、それが私だ。

 とまあ、ここまでつらつらと並べ立ててみたが、何も悲観的になっている訳ではない。一人のぽんこつが居る、要はただそれだけの事だ。それは、歌が上手いとか、脚が速いとか、そういった類のものと同じ事だろう。

 昔はそれで気を滅入らせたり、治そうと努力したりもしたものだが、最近はそんな事も無くなった。これはこれでいいと思えるようになったのだ。

 開き直ったと言われればその通り。人から見れば悪く映るかも知れないが、気は楽になった。

 しかし、それでも今回ばかりは度が過ぎた。

 

「おいこら。まほ、聞いてんのか」

「あっ、はい」

 

 実は現在、正座をして千代美に叱られている真っ最中。

 考え事など言語道断だが、如何せん同じ説教が三周目に突入してしまっているのがどうにも遣り切れない。

 反省しているのかと問われれば勿論しているのだが、いい加減、気も散る。

 

「なんか言えよ。黙ってちゃ分かんないだろ」

 

 そうは言うものの、口の達者な千代美自身が説教の中で私の言いたい事を大体言ってしまったので、私の側からは言う事がもう何一つ無い。それに、何を言おうと全面的に私が悪い事には変わり無く、弁明の余地などどこにも無いのだ。

 強いて言うなら『ごめんなさい』なのだが、それは真っ先に使ったのでもう少し間を置かないと効力を発揮しない。あれはタイミングや抑揚を間違えると逆効果なのだ。

 無論、そんな事を馬鹿正直に言えば火に油を注ぐ事態になるのが分かっている。経験上、ここは『なんか言えよ』などと言われても神妙な顔をして黙っているのが色々と最善なのだ。

 

「ったく。ほら、これをよく読め」

 

 沈黙の甲斐あって、説教が新展開を迎えた。

 決して話が終わった訳ではないが、同じ話を何周もされるよりは幾分か気が楽だ。

 そうして私の目の前にぽんと置かれたのは、どこの町でも発行している小冊子、いわゆる防災のしおり。千代美はその『火災』の項をわざわざ開いて、ここだぞと見せてくれた。

 

『てんぷら油が火をふいた時、水をかけてはいけません。

 水をかけると火のついた油が飛びちって火災の原因になります。

 ぬらしたふきんを鍋にかぶせるなどして、消火を行いましょう』

 

 しおりには、そう書かれていた。

 ぐうの音も出ない。正座をした私の後ろには、まさしく濡らした雑巾を被せた鍋がある。私の失敗によって危うく大火事を出す所だったのだ。面目次第も無い。

 今日は旧友が私の料理を食べに来るというので、張り切って天婦羅に挑戦をした。その最中のこと。丁度現れた配達屋の応対のため、目を離した隙に天婦羅の油が火を噴いた。

 応対を終え、鍋から上がる炎を見て動転した私は、何を思ったか一番大きなボウルを選んで水を張り始めたのだ。そしてその水をいざ鍋にぶち撒けんとした所で、帰って来た千代美に突き飛ばされた。

 鍋に雑巾を被せて消火したのは千代美だ。

 

「ほんと気を付けてくれよ」

 

 分かっている、などとこの体たらくで言うのもどうかとは思うが、分かっている。

 油、火、そして鉄。それはある意味で、私にとっても専門分野のようなものだ。その扱いに失敗したというショックはそれなりに大きい。あんまりそこを詰められると年甲斐も無く泣いてしまいそうだ。

 千代美もそれは分かってくれたようで、流石に幾分か語気が和らいだ。

 ここしか無い。

 

「ごめんなさい」

 

 一際大きなため息があって、説教が終わった。

 何はともあれ、鍋が駄目になってしまったので天麩羅は中止。しかし、それはそれとして何か新しいメニューを早急に考えなくてはならない。約束の時間まで、あと僅かだ。

 そちらは正直言って、私ではもうどうにもならない。お手上げだ。

 

「そう言えば荷物は何だったんだ」

「あ」

 

 そうだ、さっき配達屋から受け取った荷物があった。

 荷物の差出人は例によってペパロニ。ならば十中八九、食材だろう。感心するほど間の良い奴だ。

 箱を開けるとその中身はまさしく食材で、ペパロニ手製の麺だった。彼女は少なくとも去年の秋頃までは高級旅館で料理番を任されていた筈だが、今度はラーメン屋でも始める気だろうか。

 まあそれは兎も角として、千代美はその麺を見て何やら策を思い付いたらしく、満足げに頷いた。

 

「丁度いいや、焼きそばにしよう」

 

 まるで元々そういう予定でもあったかのように、代わりのメニューと、余った天婦羅の種の処遇がすんなり決まった。

 それから先は当然私の出る幕など無く、千代美が全ての工程を一人で済ませ、あっと言う間に、天婦羅になる予定だった具材がふんだんに入った焼きそばが出来上がった。

 これだ、これなのだ。

 私がどれほどぽんこつでも、千代美が何とかしてしまう。

 治らないものを治そうとして気を揉んだりすることも、況してやそれで滅入ったりする事も無く、これでいいのだと思えるようになったのは他でもない、千代美のこういう所のお陰だ。

 助けてくれる人が居る。だからぽんこつでも構わない。

 千代美のお陰でそう思えるようになったのだ。

 まあ流石に今回ばかりは事が事だけに暫く引き摺りそうだが、それでもこうして助けてくれる千代美には安心を禁じ得ない。

 

「あの、千代美、ありがとう」

「気を付けろよー、ほんと」

 

 語気はまだ若干荒いが、目は笑っている。怒りが収まりつつあるのだ。来客を控えているからというのもあるだろうが、矢張り千代美が笑うとほっとする。

 肝心の料理からは西住まほの要素が綺麗さっぱり消えてしまったが、それはまあ仕方ない。

 

「ん」

 

 まずい。

 落ち着いた頭で、もう怒られる要素は無いだろうかと考えて、すぐに思い当たってしまった。

 危うく叫びそうになったのをすんでの所で堪えたが、さてどうしたものか。

 今すぐ白状すべきか、それとも様子を見るか。

 いや、そんな暇は無い。残念だが、ばれるのは時間の問題だ。ばれるよりは自分から白状する方が多少罪が軽くなるし、それなら少しでも早い方が良い。

 とは言え、さっきの今でこれを言い出すのは勇気が要る。ひとまず自主的に正座をしよう。

 今日はそもそも、張り切る必要など無かったのだ。

 旧友が訪ねて来るのは今日ではない。

 

 明日だ。


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